令和に活きる就活終活のヒント

令和宗活(のりかつのりかつ)

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《12》色覚多様性

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 まだ、ハカリの会社の社宅に住んでた、4年生1学期の終業式の日、その日の夕飯も、父親が帰宅する6時半頃からだった。
 その時、妹が身長の話をしたんだ。何センチ伸びて何センチになったって。俺達が通ってた小学校では、終業式の日に、身体測定と健康診断の3つ折の記録表と、虫歯があったりメガネが要りそうな生徒には、別に封筒が渡されてた。夏休み中に歯科か眼科を受診して、封筒の中の受診票に医者の判をもらって、2学期の初めに提出するんだ(強制ではなかったように思うけど)。妹も俺も、封筒を渡されてた。
「え! お兄ちゃん、メガネ掛けるの?」妹が言った。
 母ちゃんが俺の封筒から取り出したのが、眼科の受診票だったからだ。それを父親は取り上げて、不機嫌に溜息を吐き、チェッと舌打ちをし、眼を合わせることなく俺を一瞥して、母ちゃんをにらんだ。母ちゃんは、一瞬下を向いた、けど、父親を見返して、眼科の受診票を取り戻して封筒に仕舞い、大きなコロッケを丸ごと頬張った。
 健康診断では、右目の視力も左目の視力も、1.5だったんだけど。
 夏休み初日、学校がある時より早く起こされて、母ちゃんと2人、バスに乗って遠くの眼科に行った。
 眼科でも最初に、健康診断と同じような検査をした。色んな色の小さい丸でできたモザイク模様に数字とか平仮名が隠されていて、それを読み取る検査だ。
「分かりません」何度かそう答えた。

「ママ。手術しないと、治らないの?」帰りの空いてたバスで、隣の母ちゃんに聞いた。
「しないわよ。手術なんて……。ねえ、博昭は、大きくなったら、何になりたいの?」
「うーん、建築家」
「建築家……。そう。勉強頑張らないとね。大学の建築学科、出ないとなれないんじゃないかな」
「ふーん」と答えながら、勉強頑張らないとなれないんだったら、別の仕事でいいんだけど、と思った。
 隣の母ちゃんは、バスの窓から外を見ている。窓からの風で、母ちゃんの涙が、横に流れた。汗じゃなかった。母ちゃんは泣いている。
 1年生の夏も、母ちゃんが泣いていたのを思い出す。大人が泣くのを初めて見た。
 小学校最初の夏休み初日、その日は、もっと遠くてもっと大きな病院に行って、眼の検査を受けた。母ちゃんと、それから父親も一緒だった。
 病院を出て、母ちゃんは電話ボックスに入って、父親と俺は喫茶店で母ちゃんを待った。
 涙を拭きながら席に着いた母ちゃんを、父親はきつく執拗に叱り付けた。
 7歳だった俺は、パパが怖いからママが泣いたくらいにしか思わなかったかもしれないけど、4年生の10歳の夏、母ちゃんの横に流れる涙を見て、前日の夕飯で眼科の受診票を見た父親が母ちゃんをにらみ付けてたことを思い出して、3年前の大きな病院近くの喫茶店で、どうして母ちゃんは泣いていたのか、どうして父親はあんなに怒っていたのか、なんとなく分かった気になった。でも、実は分かってなかった、間違ってたんだけど。
 遺伝についての知識なんかなかったから、「ママは、僕をまともに産めなかったみたいだ」と考えてしまったように思う。その時は、俺まで母ちゃんを責めてしまったかもしれない。そのことで、友達にいじめられたわけでも、馬鹿にされたわけでも、学校の授業で不便なことがあったわけでも、全くなかったのに。まあ、クラスで多分俺だけがあのモザイク模様の数字や平仮名を読めないって事実を、知ってる奴がいなかったからかな。でもさ、いじめたり馬鹿にしたりするのも面倒臭いよ。保健室からあのモザイク模様の本をパクってきて、「読んでみろよ」とか言わないといけない。教科書だって、雑誌だって、街の看板だって、ちゃんと正しく色を識別できて見えてるわけだから。で、もし、モザイク模様の本に、1回目で読めなかった数字や平仮名があっても、2回目は読んじゃうだろうし、子供の記憶力で。実害を受けることのなかった明るい博昭少年は、ママに優しく言われた通り、そんなことは気にしないで、楽しく学校生活を送ることができた。それでも、母ちゃんの涙と、父親の不機嫌な溜息と舌打ちの音を、忘れることはなかった。
 俺の子供時代、健康診断の色覚検査は、3年に1度、小1、小4、中1、高1で実施されてた。
 中1の健康診断の時には、色盲とか色弱とかいう「遺伝病」の名前を知ってたし、手術や訓練で治ったり改善されたりする「病気」じゃないことも知っていた。
「分かりません」
 保健室で、後ろに並んでるクラスメートに聞こえないように、小さい声で早口で、何度かそう答えた。日本人の男の場合、4~5%が、あの色んな色の小さい丸でできたモザイク模様の数字が読めないらしい。白人の男はもっと多くて、8%ぐらいの人が読めないらしい。確率からすると、日本人の男の20人に1人は色盲あるいは色弱ってことになるんだけど、39歳になった今でも、俺は、俺を含めて3人しか、そういう人を知らない。もう還暦近い従兄がいるんだけど、その人と、俺の祖父、母ちゃんの父親がそうだったらしい。母ちゃんは、7歳の俺が病院で色覚検査を受けた後、電話ボックスから実家に電話をするまで、俺の祖父と従兄、母ちゃんの亡き父親と甥が、色盲あるいは色弱だったことを、本当に知らなかったようだ。そうかもな。
「何か、困ることある?」
 中1の夏休み、校区外の眼科に独りで行った時、医者にこう聞かれたけど、
「別に。困ることは、何もありません」と正確に正直に答えた。
 友達が俺の色覚の異常に気付くことは多分なかったと思うし、俺が自分の色覚について話をしたのは、母ちゃんと、中1の夏休みに会った眼科の医者と、もう1人、初めての彼女の3人しかいない。39年間、周りの人にバレることも、バレそうになったこともなかったから、誰にも話さなくて済んだんだ。
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