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《13》烙印(らくいん)
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専門学校の同級生と、初めて付き合った。太い脚を気にしてロングスカートしかはかない、佐賀県出身の女の子だった。ちゃんと愛も育めてたと思うな。俺がイベント会社(有限会社LAST)のバイトで長期出張してた時には、ビジネス旅館に、可愛い封筒に可愛い記念切手を貼った手紙が届いてた。俺も絵葉書で返事を出し続けた。ケータイは勿論、ポケベルも持たなかった時代だったからね。
その彼女に、ちょっと聞いてみたんだ。
「色盲とか、色弱って、知ってる?」
「知ってるよ」
よく本を読んでた子だった。だけど、彼女は大きく誤解していた。色盲の人は色彩を感知できないから白黒テレビのように見えてる、色弱の人は色の感知が弱いから、白黒テレビに薄っすらと色が付いた感じに見えてる、そう俺に教えてくれた。
違うよ! と思ったけど、彼女に正答を解説する気にはなれなかった。その時はね。
「載ってないのよね。『家庭の医学』にも、眼の病気の本にも」
好奇心の強い彼女は、よく行ってた区民図書館で、「色弱の人の見え方」のカラー写真を探したらしい。『家庭の医学』には色んな病気の症例のカラー写真が載っていた。色盲については、白黒テレビのように見えてるって確信してたらしくて、症例写真を探しもしなかったようだ。
「へーえ、載ってないんだ」俺にとっても、ちょっと意外だった。実写は無理だけど、色調を調整した合成写真かなんかは載ってるような気がしたから。まあ、個人差があるっていうし、俺の場合でも、照明によって、正しく見えたり見えなかったりするからな。
色弱の「俺の場合」に限って言うと、暗い所で緑色が茶色っぽく見えてしまうのと、黒板に赤のチョークを使われると見難くかった。でも、そういう場合以外は、色を正確に識別できてる。暗過ぎなければ、緑色を含めて、小さい丸のモザイク模様に隠された文字を完璧に読める人と同じように、正しく見えてる、見分けが付いてるんだ。
例えば、牟礼歌音部長の歓迎会の日の夜、バーのカウンターの棚の隅にあった「新川伸次朗」さんのボトルは茶色っぽく見えたけど、そのボトルで隣の牟礼さんが水割りを作ってる時は、正しくダークグリーンのボトルに見えてた。酔っててもね。
それから、浅草に引越を手伝いに行った日の夜、照明器具をまだ取り付けてなかった隣の部屋に置かれてたゲンナリしたベンジャミナは枯れてるように見えたけど、明るい浴室でぬるーいシャワーを掛けてやってる時は、正しく緑色に見えてた。酔っててもね。
色盲って診断された人だって、色を識別できてるし、ましてや、交通信号を見誤ることなんてない、て中1の夏休み、校区外の眼科の医者が言ってた。
初めての彼女にも、具体的に告白した。花火大会の夜だった。やっぱしロングスカートをはいてきてた彼女に、
「最初んデートん時さ、上野公園の美術館に行く途中、『緑が綺麗だね。色んな緑があって』とか言ってたじゃん。俺にはさ、新緑の緑が特別に綺麗だってのが、実感できないんだよね」
と切り出した。それから、さっきの夜空の花火の色の違いも、そんなに鮮明じゃなかったかもしんない。隣で歓声を上げてた、色覚が正常な彼女と比べると、多分。「バナナ&ドーナツ」って名前の老舗のホテルで、ベッドを回転させたまま、そんな話もした。
そういえば、中学2年の文化祭の打ち上げで、『味の花火』の花火模様のパッケージの裏側、「五十嵐水産」の下に「五十嵐昭五」って印刷されてたのを発見した時、カラフルな花火の模様に、色覚検査で見せられる小さい丸が密集した忌わしいモザイク模様を連想させられたんだよな。
中1の夏、眼科の受診票に医者の判をもらって帰ると、新潟で単身赴任してるはずの父親がいて、母ちゃんと離婚すること、俺と妹の苗字も尾崎に変わることを知らされた。隠し通せてたからかもしれないけど、友達からも、仕事でも、色弱と差別されたり、軽んじられることは一切なかった。そのことで唯一俺の存在を否定したのは、一時帰宅した夜に新潟に戻った、あの男だけだった。
「尾崎君」に生まれ変わった俺は、父親だった男に焼き付けられた「出来損ない」って烙印が、少し薄れてくれたように感じていた。
母ちゃんも変わっていた。母子家庭枠で都立大学の学食で働くようになって、通勤用にバーゲンで新しい洋服を買ったりするようになった。俺も妹も開けないで放置してた「新潟土産」のファミコン、ドンキーコングのソフトが付いてて、それで最初に遊んだのは、母ちゃんだった。必要な物しか買わない人だったのに、「どんびえ」なんて買ってきて、アイスクリームを作ったりするようになってた。計量カップは、使ってなかったな。
「では。母ちゃん、ビール飲んで良いでしょうか」
都立大学にお勤めの母ちゃんは、土曜と日曜の夕飯の時、俺と妹にそう聞くようになった。土曜日、都立大学の帰り、近所の酒屋で大瓶を2本ずつ買ってきてた。そういえば、「ママ」じゃなくて、俺が「母ちゃん」、妹が「お母ちゃん」て呼ぶようになったのも、「母ちゃん」らしくなった母ちゃんに誘導されたように思う。ファミコンとどんびえのあるボロ家には、よく友達が遊びに来るようになってたんだけど、複数の友達から「尾崎んちのおばさん、ひょうきんだよね」、そう言われる母ちゃんになってた。妻だった時には、控え目っていうか、今思えば、どちらかというと暗くて内向的、夫の親戚や会社の人の電話を受けた時なんか、卑屈ですらあったんだけど。苗字と一緒に性格も、明るくて社交的に変えた母ちゃん。で、変わった母ちゃんの新しい友達、学食で働いてる同僚の人達が尾崎家を訪ねて来ることになって、親子3人で、物置状態だった狭い応接間を片付けた。シャンデリアの電球も4つ全て点くように、ソケットを奥まで締める。その時、電子オルガンの鍵盤を押しても、鳴らない音が2つあったことが分かった。電子オルガンは、社宅から引越してくる時に、社宅の人からもらった中古品で、父親は、妹のいい玩具になるとか言ってたな。でも、「ピアノを買ってくれたら、ピアノを習いに行く」なんて言ってた妹は、ピアノ教室にもオルガン教室にも通うことなく、中1の3学期から、バイオリン教室に通い始めた。そのことについて妹に聞いたことはないけど、中学入学と同時にブラスバンド部に入部して、1か月ぐらいで退部したりしてたから、ブラスバンドにない楽器に再挑戦してみようとでも思ったんだろうか。それとも、母子家庭じゃピアノは無理でも、バイオリンだったら買ってもらえるんじゃないか、とか思ったのかな。自分で稼ぐようになってた母ちゃんは、「質流れ品チャリティーバザール」で「新品同様」のバイオリンを買ってきて、俺にも自慢気に見せた。
尾崎ユリ子の息子の尾崎博昭。そうそう、俺の母ちゃん、ユリ子っていうんだよね。名は体を表すなんていうけど、母ちゃんの場合は、ユリのように綺麗な女に育ってほしかったっていう親の願いは表れてるけど、実体には全然結び付いてなくて、若い時の写真を見ても、やっぱし不細工だった。母ちゃんも、ユリ子なんて名前が嫌だったんじゃないかな。その証拠に、俺の妹、自分の娘には、晴子、容姿より明るい性格が大事みたいな名前を付けてるから。
母ちゃんから受け継いだ苗字、博覧会の博、そして、場末の「大博覧会」が、昭の呪縛、色弱コンプレックスを解消してくれたんだ。社会人1年目の夏の出来事だった。
その彼女に、ちょっと聞いてみたんだ。
「色盲とか、色弱って、知ってる?」
「知ってるよ」
よく本を読んでた子だった。だけど、彼女は大きく誤解していた。色盲の人は色彩を感知できないから白黒テレビのように見えてる、色弱の人は色の感知が弱いから、白黒テレビに薄っすらと色が付いた感じに見えてる、そう俺に教えてくれた。
違うよ! と思ったけど、彼女に正答を解説する気にはなれなかった。その時はね。
「載ってないのよね。『家庭の医学』にも、眼の病気の本にも」
好奇心の強い彼女は、よく行ってた区民図書館で、「色弱の人の見え方」のカラー写真を探したらしい。『家庭の医学』には色んな病気の症例のカラー写真が載っていた。色盲については、白黒テレビのように見えてるって確信してたらしくて、症例写真を探しもしなかったようだ。
「へーえ、載ってないんだ」俺にとっても、ちょっと意外だった。実写は無理だけど、色調を調整した合成写真かなんかは載ってるような気がしたから。まあ、個人差があるっていうし、俺の場合でも、照明によって、正しく見えたり見えなかったりするからな。
色弱の「俺の場合」に限って言うと、暗い所で緑色が茶色っぽく見えてしまうのと、黒板に赤のチョークを使われると見難くかった。でも、そういう場合以外は、色を正確に識別できてる。暗過ぎなければ、緑色を含めて、小さい丸のモザイク模様に隠された文字を完璧に読める人と同じように、正しく見えてる、見分けが付いてるんだ。
例えば、牟礼歌音部長の歓迎会の日の夜、バーのカウンターの棚の隅にあった「新川伸次朗」さんのボトルは茶色っぽく見えたけど、そのボトルで隣の牟礼さんが水割りを作ってる時は、正しくダークグリーンのボトルに見えてた。酔っててもね。
それから、浅草に引越を手伝いに行った日の夜、照明器具をまだ取り付けてなかった隣の部屋に置かれてたゲンナリしたベンジャミナは枯れてるように見えたけど、明るい浴室でぬるーいシャワーを掛けてやってる時は、正しく緑色に見えてた。酔っててもね。
色盲って診断された人だって、色を識別できてるし、ましてや、交通信号を見誤ることなんてない、て中1の夏休み、校区外の眼科の医者が言ってた。
初めての彼女にも、具体的に告白した。花火大会の夜だった。やっぱしロングスカートをはいてきてた彼女に、
「最初んデートん時さ、上野公園の美術館に行く途中、『緑が綺麗だね。色んな緑があって』とか言ってたじゃん。俺にはさ、新緑の緑が特別に綺麗だってのが、実感できないんだよね」
と切り出した。それから、さっきの夜空の花火の色の違いも、そんなに鮮明じゃなかったかもしんない。隣で歓声を上げてた、色覚が正常な彼女と比べると、多分。「バナナ&ドーナツ」って名前の老舗のホテルで、ベッドを回転させたまま、そんな話もした。
そういえば、中学2年の文化祭の打ち上げで、『味の花火』の花火模様のパッケージの裏側、「五十嵐水産」の下に「五十嵐昭五」って印刷されてたのを発見した時、カラフルな花火の模様に、色覚検査で見せられる小さい丸が密集した忌わしいモザイク模様を連想させられたんだよな。
中1の夏、眼科の受診票に医者の判をもらって帰ると、新潟で単身赴任してるはずの父親がいて、母ちゃんと離婚すること、俺と妹の苗字も尾崎に変わることを知らされた。隠し通せてたからかもしれないけど、友達からも、仕事でも、色弱と差別されたり、軽んじられることは一切なかった。そのことで唯一俺の存在を否定したのは、一時帰宅した夜に新潟に戻った、あの男だけだった。
「尾崎君」に生まれ変わった俺は、父親だった男に焼き付けられた「出来損ない」って烙印が、少し薄れてくれたように感じていた。
母ちゃんも変わっていた。母子家庭枠で都立大学の学食で働くようになって、通勤用にバーゲンで新しい洋服を買ったりするようになった。俺も妹も開けないで放置してた「新潟土産」のファミコン、ドンキーコングのソフトが付いてて、それで最初に遊んだのは、母ちゃんだった。必要な物しか買わない人だったのに、「どんびえ」なんて買ってきて、アイスクリームを作ったりするようになってた。計量カップは、使ってなかったな。
「では。母ちゃん、ビール飲んで良いでしょうか」
都立大学にお勤めの母ちゃんは、土曜と日曜の夕飯の時、俺と妹にそう聞くようになった。土曜日、都立大学の帰り、近所の酒屋で大瓶を2本ずつ買ってきてた。そういえば、「ママ」じゃなくて、俺が「母ちゃん」、妹が「お母ちゃん」て呼ぶようになったのも、「母ちゃん」らしくなった母ちゃんに誘導されたように思う。ファミコンとどんびえのあるボロ家には、よく友達が遊びに来るようになってたんだけど、複数の友達から「尾崎んちのおばさん、ひょうきんだよね」、そう言われる母ちゃんになってた。妻だった時には、控え目っていうか、今思えば、どちらかというと暗くて内向的、夫の親戚や会社の人の電話を受けた時なんか、卑屈ですらあったんだけど。苗字と一緒に性格も、明るくて社交的に変えた母ちゃん。で、変わった母ちゃんの新しい友達、学食で働いてる同僚の人達が尾崎家を訪ねて来ることになって、親子3人で、物置状態だった狭い応接間を片付けた。シャンデリアの電球も4つ全て点くように、ソケットを奥まで締める。その時、電子オルガンの鍵盤を押しても、鳴らない音が2つあったことが分かった。電子オルガンは、社宅から引越してくる時に、社宅の人からもらった中古品で、父親は、妹のいい玩具になるとか言ってたな。でも、「ピアノを買ってくれたら、ピアノを習いに行く」なんて言ってた妹は、ピアノ教室にもオルガン教室にも通うことなく、中1の3学期から、バイオリン教室に通い始めた。そのことについて妹に聞いたことはないけど、中学入学と同時にブラスバンド部に入部して、1か月ぐらいで退部したりしてたから、ブラスバンドにない楽器に再挑戦してみようとでも思ったんだろうか。それとも、母子家庭じゃピアノは無理でも、バイオリンだったら買ってもらえるんじゃないか、とか思ったのかな。自分で稼ぐようになってた母ちゃんは、「質流れ品チャリティーバザール」で「新品同様」のバイオリンを買ってきて、俺にも自慢気に見せた。
尾崎ユリ子の息子の尾崎博昭。そうそう、俺の母ちゃん、ユリ子っていうんだよね。名は体を表すなんていうけど、母ちゃんの場合は、ユリのように綺麗な女に育ってほしかったっていう親の願いは表れてるけど、実体には全然結び付いてなくて、若い時の写真を見ても、やっぱし不細工だった。母ちゃんも、ユリ子なんて名前が嫌だったんじゃないかな。その証拠に、俺の妹、自分の娘には、晴子、容姿より明るい性格が大事みたいな名前を付けてるから。
母ちゃんから受け継いだ苗字、博覧会の博、そして、場末の「大博覧会」が、昭の呪縛、色弱コンプレックスを解消してくれたんだ。社会人1年目の夏の出来事だった。
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