令和に活きる就活終活のヒント

令和宗活(のりかつのりかつ)

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《24》2つの誤算

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 徳島出張の後も、2連休にした。昨日は、出張中にヒノキ風呂リフォームの見積明細書がFAXされてたから、その返事を妹にしただけで終わってしまった。ちゃんと2社から見積を取っていて、金額にそう差はない。母ちゃんが見込んでたよりかなり安かったってことだから、母ちゃんが好きな方に頼めばいいと、それだけ言っといた。壁材のヒノキを安いサワラに変更しても見栄えはそう変らないだろうけど、総ヒノキ風呂を自慢する時に、「壁はサワラなんですけど」みたいなことを言わせることもないなと思って、それは妹にも話さなかった。
 明日の朝、牟礼部長と契約更新の面談をする。御蔭様で、日本玩具から来年3月末日までの「よい子のおまつり・日本玩具フェア」の管理・運営業務を受注できてるから、1年契約で更新されるのは確実で、明日は、年俸と仕事の範囲について話し合うことになる。
 5か月やってきた日本玩具フェアに、やり甲斐というか、手応えが感じられるようになってきた。徳島の百貨店も盛況だった。催事場が狭かったからと言われればそれまでなんだけど、それでも、金・土・日と寒い中、開店前から並んでくれた親子連れが、特に日曜日は長い行列になってたし、完売商品が続出した。去年、「おみゃー、オッサン臭いがね。カツラ被ってちょう」と言われた名古屋の日本玩具フェア以降、ずっと負け知らずだ。ショッピングセンターや大型総合スーパーに流れてしまう週末のニューファミリー層(小さい子供がいる家族)を、期待以上に百貨店に集客できている。でも、礼を言ってくれた百貨店の催事担当者は、「ウチは負け組ですから」って最後に言うんだよね。負け組ね。俺は「負けてなんかいられねえ組」だったんだけど。昔、博覧会の博に昭和の昭って自信満々で言えてた頃はね。あーあ、忘れちまいそうだな、幕張メッセ、東京ビッグサイト、サンシャインシティ、TRC(東京流通センター)、産業貿易センター……。インターネットで、スーパーエージェンシーの「イベントプロデューサー(管理・運営責任者)急募 全国出張あり」の契約社員募集を見付けた時は、コンベンションセンターでやる大きなイベントの仕事ができると思い込んでたんだよな。それこそ、全国ネットのニュースや、新聞で大きく取り上げられるようなイベント、「今年の○○○○ショーは……」って具合に。ま、それはいい。できる仕事を与えてもらえるだけでも、有り難いと感謝しなきゃ。
 で、俺が今朝からずっと考えてるのは、牟礼部長と明日話す俺の仕事の範囲についてだ。俺は今年から、日本玩具の日本玩具フェア担当に加えて、コム・ジャパンの営業担当を兼務することになった。仕事の範囲が広がってくれたのはいいことなんだけど、2つの誤算が生じてしまったもんだから、明日、牟礼さんに俺の秘密、色覚のことを話すべきなのか、あるいは、黙ってられない状況に追い込まれることはあり得るのか、考えてる、悩んでる。
 1つ目の誤算は、当面、コム・ジャパンの営業担当を牟礼部長と新川さんと俺の3人で務めることになったこと。SAI(スーパーエージェンシーインターナショナル)の中途採用の応募者の中から1~3人を選ぶ予定だったんだけど、山田マネージャーに気に入ってもらえそうな奴がいなかったということだ。だから、俺は、コム・ジャパンのイベント関連(プチファッションショーとか)の仕事だけじゃなくて、例えば、雑誌広告なんかの仕事も担当することになる。
 2つ目の誤算は、コム・ジャパン独自の広告制作が中止になったことだ。先月、広告表現の調査を実施した。東京と大阪と静岡の20代・30代・40代の女性に、COMを含めたファッションブランドの雑誌広告をブランド名を隠して見せて、印象を聞いた。調査を分析した結果、ドイツ本部が制作してコム・ジャパンに支給してる広告は、好感度も理解度も高かったんだ。つまり、今まで通り支給原稿を掲載していくのが、賢明だってこと。スーパーエージェンシーCOMチームの新メンバー、クリエイティブ局のアートディレクターは、やる気満々だったんだよ。会社のトイレで会った時、COMのニット帽被って、COMのタオルハンカチで手拭いてたし。
 で、俺の母ちゃんに説明するみたいに話すとね、通常、雑誌広告とか駅貼りの大きなポスターとか、広告制作物の品質管理は、広告を制作した(デザインした)本人がやるんだ。例えば、日本玩具の場合、雑誌社から日本玩具の広告ページの校正紙(大量印刷する前の試し刷り)が届くと、その広告を制作したクリエイティブ局のアートディレクターが、文字の色が指示と違ってるとか、タレントの歯を白くするとか、赤ペンで、校正紙に修正の指示を書き込んで、雑誌社に戻す。数日後、その修正指示を反映させた2回目の校正紙が届いて、指示通りに修正されてるか、アートディレクターが再びチェックする。で、問題がなければ、他社の広告とか記事とか表紙と一緒に大量印刷されて、製本されて雑誌になって、書店に並ぶんだ。
 ところが、支給原稿を使ってる他の外資系のクライアントもそうかもしれないけど、校正紙を海外の本部に発送して戻してもらう時間的余裕なんかないから、コム・ジャパンでは、山田マネージャー、あるいは牟礼部長が、赤ペンでびっしり(別紙添付することもある)修正指示を書き込んで、真っ赤っ赤になった校正紙を戻してるんだ。今の牟礼さんは日本玩具や部長としての仕事でも忙しいし、10誌近い校正紙が同時に届いたり、1時間以内に赤ペンの修正指示を入れて戻さないといけないこともあるから、最近は、新川さんもこの仕事を手伝ってる。新川さんは、牟礼さんの真っ赤っ赤の修正指示を参考にして、別の雑誌の校正紙に、必要な修正指示を書き込んで、牟礼さんに確認して、戻してる。
 でね。日本玩具の雑誌広告の校正紙にクリエイティブ局のアートディレクターが書き込んだ修正指示には、同感、共感できる(俺だって同じ修正指示を入れたくなる)んだけど、COMの校正紙にびっしり書き込まれた修正指示には、俺には理解不能な箇所が幾つかあるわけ。
 例えば、モデルが着てるセーターに「にごり抑える」って修正指示を入れてるんだけど、確かに校正紙のセーターの色は濁ってる、でも、ドイツで模範的に印刷された刷り見本を見たら、そっちも濁ってるんだよね。牟礼部長は、ドイツ本部から支給されるこの模範的な刷り見本を基準にして、雑誌社からの校正紙に「にごり抑える」って修正指示を書き込んだんだけど、俺には、ドイツ本部から支給された刷り見本と雑誌社から届いた校正紙の「にごり」の違いが、判然としない。
「(セーターの色の濁り方の違いが)気になります?」って新川さんに何気に聞いたんだけど、
「気にならないっていうより、気付かなかったですけど。でも、気にしないといけないってことじゃないですか。COMの場合は」と返された。
 そりゃ、新川さんは気にすれば気付けるんだろうけど、俺には無理だ。やっぱし牟礼さんに言わなきゃな。どうして、COMの雑誌の色校正(赤ペンでの修正指示)の仕事を手伝えないのか、説明しとかなきゃ。

 手入れ不要の黒の坊主頭に、先月発売の雑誌に載ってたCOMのチョコレートコスモス柄のネクタイを締めて、早めにアパートを出た。交渉初日の今日は、年俸、それから、担当する仕事の範囲について、お互いの希望を出し合うことになってる。
 牟礼歌音さんは、正しく俺を理解してくれるだろうか。面談の後も、話の続きを聞いてくれるだろうか。
 吊り革を両手でつかんで、牟礼さんが伊豆の家に来てくれた時のことを思い返していた。墨色の富士山から薄黄色の朝陽が昇ろうとしてる水墨画の掛軸、それを褒めてくれた牟礼さんは、慎重にデジカメで撮影してくれていた。あっ、水墨画……。俺は、写真……。全然違うことを思い出した。えーっと、19歳だったから、20年、20年振りに気付けたよ。理解できてなかったのは、俺の方だったと、今気付いた。
 20年前、8か月ちょっとで消滅してしまった専門学校時代、俺が唯一自分の色覚のことを告白した彼女と別れた、最後に仲よくした夜のことを思い出した。俺の色の見え方、暗い所で緑色が茶色っぽく見えてしまうのと、黒板に赤のチョークを使われると見難い以外、色を正確に識別できてる、唇も乳輪も、ちゃんと綺麗なバージンピンクに見えてるって、何度も何度も言ってたのに、彼女が言いやがったんだ。
「あたし、水墨画始めるよ。一緒にやんない? チケット制で、1回1030円で教えてもらえんだよ。筆と、紙と、それから……」
「水墨画? 墨だけで……、あっそう。よかったじゃん。寝よう。眠いし」
 俺は、会話を、彼女を拒絶した。腹が立った。俺に黒と白だけの絵を見せたいのか、俺に黒と白だけで表現しろって言ってるのか、そう受け取った。
 でも、そういえば、最初のデート、上野公園の美術館に行った時、彼女は水墨画に見入ってたんだよな。最初のデートの時は、まだ色覚の話はしてなかった。なら、最後にしてしまった夜、彼女は、彼女自身が前から興味を持ってたことを、俺と一緒に始めたいって言ってくれてたんだろうか。彼女にだけ色弱のことを告白してたから、彼女の言動に対して、俺が過剰な白黒アレルギーになってたんだろうか。で、20年後、俺も言ってた。「やればいいじゃないですか、写真」て、常に写真写りがいいらしい、牟礼キャノンちゃんに。
 東日本大博覧会の東日本ワールドフォトコンテスト作品展で見た、葉っぱの多様な緑が綺麗だったから、じんわりと感動したから、仕事はイベント、趣味は写真にしよう、休日はカメラと過ごそう、なんて決めたんだ。但し、大博覧会の時はまだ20歳だったから、ちゃんとした最新型のカメラが買えるくらい給料がもらえるようになったら、いつか始めようくらいに思ってた。でも、いつの間にか「休日に写真を撮る」って概念自体が、俺の頭ん中から消えちゃってたんだよね。俺、30代にして2年以上サンデー毎日状態だったから、「休日」って甘美な時間が存在しなかったんだ。写真を撮ることも、撮られることもなかった。ああ、履歴書に貼る証明写真だけは、いっぱい撮ったけどね。メタボリックを発症してた顔が相対的に引き締まって見えるように、淡い色のジャケットを着てみたり、ダイエットに成功して、「うん。20代の顔してんじゃん」なんて思った写真を履歴書に貼ってみたら、やっぱし「32歳以下の経験者」なんかに全然見えないオッサンだったりしてた。そんな写真は多分、この世に1枚も残ってないけどね。廃棄処分になったと思う。俺が廃棄したんじゃなくて、クソイベント会社のクソ採用担当者が、履歴書の年齢と学歴と知らない会社名(株式会社LAST)だけ見て、職務経歴書と一緒に即廃棄しやがったんだと、思う。恨んでなんかないけどさ、顔も見たことない奴らを。
 あの日は、いい休日、いい時間だった。朝から引越作業をちょっとだけ手伝って、新川さんが帰った後、浅草の繁華街を路地を、面白くて楽しい女の子と一緒に歩いた。引越したばかりの部屋で、一緒に缶ビールを飲んだ。普段着の牟礼歌音さんは、ずっと女の子女の子してた。写真に残しとけばよかった、あの日の風景、時間、綺麗ないい顔。だから無意識に、「やればいいじゃないですか、写真」なんて言っちゃったのかな。意識できてたら、「俺と一緒に写真始めませんか、なんてね」とか、言ってしまってたりしたんじゃないだろうか。
 よし! 落ち着いて順序立てて話そう。牟礼歌音さんも、俺の話をしっかり対等に聴いてくれる人だから、頭のいい人だから、ちゃんと正しく理解してもらえるさ、きっとね。

 契約更新の面談は、あの応接室でやった。
「敷毛布?」牟礼部長は、聞き間違えてる。今が一番寒い時期だから、使ってんだろうけど。
「色盲、色弱、です」俺なりに滑舌よくゆっくりと言った。
「し、き、もー、し、き、じゃ、く? しきもーしきじゃく?」
 帰国子女なんだろうけど、もう6年も日本企業の日本の事業所で働いてる大卒の牟礼歌音部長が、四文字熟語を言うみたいに、経文を唱えるみたいに「しきもーしきじゃく」と繰り返した。
「ああ、いいです。忘れて下さい。ありがとうございます! 年俸、130万も上げてもらって」
「あ、いえいえ、こちらこそ。よろしくお願いしますね」
「はい! よろしくお願いします!」
 面談は終わってしまった。ああいうもんなんだろうか。妹が氷川きよしを知らなかったみたいに。
 COMの色校正(雑誌広告の修正指示)が手伝えないのは、音痴だからカラオケは歌えませんていうのと同じことだって、説明すれば分かってもらえるのかな。ちょっと比喩が遠いかな。この懸案事項は、解消しとかなきゃなんないんだけど、深刻で暗い話なんかに、したくないんだよなあ。
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