令和に活きる就活終活のヒント

令和宗活(のりかつのりかつ)

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《26》マーガレット

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「バカ。どんな葬式してほしいとかさあ。お前、一緒に住んでたんだろ」
 母ちゃんが寝てる部屋で、妹に言ってしまった。
「去年の10月よ、日本に帰って来たの。お母ちゃんと住むようになったのも。お兄ちゃんは、ずっと日本にいたじゃない。お兄ちゃんこそ、何してたのよ」
「ごめん。母ちゃん、葬式の話してなかった? 人の葬式の話でいいんだよ。遺言状みたいなの、書いてないよなあ。母ちゃんだったら、どこに置いとくんだろ」
「あるとしたら……」妹が、押入れを開けた。
 下段の奥に、母ちゃんが焼いたらしいフタ付きの箱形の陶器があった。
「これ、お母ちゃんの金庫なのよって、自慢してたから。火事でも燃えないし、重いから、泥棒も持って逃げられないって」
 フタだけでも重かった。アルミ蒸着の袋の中に、通帳が2冊、お年玉付年賀ハガキが1枚、入ってた。ハガキの宛名は「博昭様 晴子様」で、灰色の牛を描いた絵手紙に「お葬式はゼッタイにやらないでください。お墓も仏ダンもいりません。結婚しても、兄妹仲よく。母より」と書いてあった。去年の年賀ハガキの残りだから、妹がインドで働いてて、俺がLASTで忙しく働いてるんだろうと信じてた時に、書いたのかな。
「三菱東京に、253万。信用金庫に、2010万あるよ」
「お兄ちゃん。お金のことなんか、後でいいでしょ」
「何言ってんだよ。葬式すんのにいくら掛かると……」
「するの? お葬式」
「どうする? 絶対に、やらないでくれって、書いてあるけど。どうする?」
「私? 私……、実は前から決めてたの。お母ちゃんがお葬式の話をしたら、その通りにしてあげよう。お母ちゃんの希望が分からない時は、お兄ちゃんの言う通りにしようって」
「なんで俺の言う通りなんだよ」
「私はね。お墓は要らないと思ってる。死んだ瞬間に天国に行くって信じてるから。この世から私の存在が完全に消えて、気付いたら、天国にいるんだと思ってる。だから、この世には何も残したくないの」
「? お前が死んだら、俺は、お前の墓建てるよ」 
「そうなんだ。ありがとう」苦笑した妹が言った。「お兄ちゃん、言い方換えるとね。お墓にもお葬式にも、私、拘りがないの。お兄ちゃん知ってる? お葬式でお経上げたり、戒名付けたりするのって、江戸幕府がキリシタン取り締まる為に……」
「知ってるよ、そんな話。常識」
 常識なんだろうか、もしかして。氷川きよしを知らなかった、非常識な妹も知ってんだから。

 1階に下りて、ケータイで牟礼部長に連絡した。
「じゃあ、2、3日、休ませてもらいます。ええ、妹と相談して」
 リビングのイーゼルに、まだカンバスが残っていた。見ると、絵が違う……、母ちゃんだ! 母ちゃんが俺を見てる。母ちゃんにそっくりなのに、綺麗だ。綺麗に描いてもらった母ちゃんが、赤いセーターを着てる。
 台所の床に、「尾崎ユリ子様」と書かれた「長寿の源 じねんじょ」の段ボール箱があった。母ちゃん、これ食ってると長生きできるとか言ってたな、牟礼さんが来てくれた時。母ちゃんが縫ったらしい刺し子の状差しに、今年届いた年賀状が押し込まれてた。どれも、どの年賀状も、手書き、手作りの年賀状だ。ああ、目が熱い。
 2階に上がると、インドの土産物屋で売ってそうな毛布(薄紫にピンクと水色の壺の柄)に包まった妹が、添い寝をしてた。俺は、母ちゃんを布団の上から採寸して、車庫で大工仕事を始めた。
 金鎚の音で目が覚めたのか、眠そうな妹が来た。
「葬式やるから」俺はそれだけ言って、大工仕事を続ける。
 妹は、間もなく完成する母ちゃんサイズの小さな棺桶を見詰めてる。入れなかった、見ることもできなかった、総ヒノキ風呂の壁材用のヒノキの板を組んで作った。若干強度が不安だったから、底板だけ、合板で補強しといた。
 闇夜が明けていた。仮眠がてら俺も2階で添い寝してやんなきゃと思って、リビングを通ると、
「!」
 ビックリした。ガラス戸の向こうの裏庭に、ピンクの花が四角く密集して群生してて、その周りを黄色い花々が丸く囲んでる。そうか。帰国した妹を驚かせたように、俺にも、もしかしたら牟礼さんにも、同じようなものを見せたかったんだ。自慢の総ヒノキ風呂が仕上がってたら、絵手紙を描くか、留守電にメッセージを残すかして、俺に知らせてただろうから。
 裏庭に下りると、四角い花壇のピンクの花も、周りの黄色い花も、マーガレットだった。正月にパンジーが咲いてた丸い桶にも、球根か何かを植えてたみたいで、それらが芽を出していた。ピンクと黄色のマーガレットの群生の向こう、鮮明に拝める富士山も、朝陽を浴びている。明日も快晴に、それから、朝晩も暖かくして下さい、そうお願いした。
 妹と手分けして、何十冊も出てきたアルバムから、遺影に使えそうな写真を選ぶ。
「お母ちゃん、全然いい写真ないよ。もー」妹が、赤いセーターに着替えて布団で寝てる母ちゃんに言った。還暦祝に妹がアメリカから贈ったセーターだった。油絵のモデルをした時も、これを着てたんだろうな。そういや、あん時、妹にちゃんと半額分送金したんだっけ? いや、やれてない。送金できそうな銀行に行く暇がなくて、妹が帰国した時に10倍にして渡してやればいいとかなんとか、勝手に決めたような気がする。いい加減な兄で、息子で、ごめんね。12年経って、セーターが元々大きすぎたのか、母ちゃんが縮んだのか、ちょっとブカブカでよく伸びて、簡単に着せられたそうだ。
 まめに写真の整理をしてたんだろうか。新しいアルバムのページには、手書きのタイトルが貼られている。「乗馬サークル 忘年会」のページには、口に放り込んだお好み焼が熱くてハフハフしてるみたいな写真、商店街みたいな所で乗馬の先生らしき若い男を囲んで撮った集合写真なんかが貼られていた。集合写真の後方に、「馬刺し」ののぼりが写り込んでる。乗馬サークルの記念写真に「馬刺し」ののぼり。母ちゃんは、この写真の面白さに気付いてたんだろうか。
「乗馬はね、月謝が高くて続かなかったんだって。先生がね、白馬に乗った王子様だったんだって。お母ちゃんにもいたんだね、王子様」と、別のアルバムを見ながら妹が言った。
 写真の先生らしき青年は、氷川きよしに似てるといえば似てると言えなくもない。俺も、妹みたいに、もっともっと、母ちゃんの話を聞いてやらなきゃいけなかった。
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