潺の鈴 御庭番怪異禄

霞花怜

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第一章 

第一章 善次郎、気鬱を拝す 《五》

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十五歳で御庭番に就いた時。善次郎の最初の御役目は『病もなく前兆もなく死ぬ者が増えている。真相を探れ』だった。

 結局この死神が、寿命でもない人を勝手に黄泉に連れ込んでいた。

「もう、寿命でもない者を勝手に殺すような真似は、しておらぬだろうな」

 善次郎は揶揄を込めて聞いた。

 あの時は、死神にも事情があった。

 当時、飢饉や疫癘えきれいで死ぬ人間が相次ぎ、まだ寿命がある者に『死人と一緒に連れて行ってほしい』と、強く懇願された。死神は憐憫れんびんから黄泉へ連れて行く羽目になった。

 死神の姿が見える人間は珍しい。だが、善次郎のように特殊な目を持っていたり、寿命が近かったり、死への思いが強いと、見えることがあるという。

 善次郎の揶揄からかい混じりの声に、死神は苦い顔で笑った。

「お前さんに止められて黄泉に帰ったら、閻魔様に、こっぴどく叱られてなぁ。危うく消されちまうところだったよぉ。お前さんのお陰で生き延びたがねぇ」

 間延びした口調のせいで、言葉ほどの切迫した心情は伝わってこない。

「そう、か。良かったな」

 内心で安堵しながら、わざと素っ気なく返した。

(そもそも此奴は、悪いものではない)

 死神、というと悪い神に聞こえるが、奴らも人と同様に其々だ。六年前の初会から、目の前の死神に悪い気這いは感じていなかった。

 それにしても、死神が生き延びたなど、落とし噺のようで可笑しな話だ。口角を上げたまま、もう一口、水を含む。悪心が少しずつ治まってきた。

 ちらりと隣を伺う。死神は何を聞くわけでも話すわけでもなく、ただ隣に座っている。横顔を見ていたら、胸につかえる粋然たる問いを、ぶつけてみたくなった。

「お主は何故、儂に声を掛ける?」

 手に握った竹筒を眺めなら、呟く。死神が、善次郎を振り向いた。

「妖の類は大概、儂を避ける。なのに、お主は自分から声を掛けた。随分な変わり者だと思うぞ」

「俺は死神だもの」

 間髪入れない返答に顔を上げる。死神は何とも暖気のんきな顔をしている。

「こんななりだが、神の端くれだからねぇ。妖よりゃまぁ、力は強いよ」

「それは、そうだろが。妖より力の強い神なら平気、ということか」

「だってお前さん、神社や寺に入れなかったことは、ないだろう」

「境内にか? 入れなかったことは、ないな。今も、三つの社を廻ってきたところだ」

「なら、そういうことだよ」

 つまりは、妖にだけ避けられているわけだ。

(力の弱い妖に避けられるのは、何故なのだ)

 聡明な善次郎でも、こればかりは難解だ。この六年、あらゆる工夫を試してきたが、どれも成果はなかった。それどころか、一層、避けられるようになったとさえ感じる。

 善次郎の顔を眺めていた死神が、からからと笑い出した。

「何を笑う?」

 じっとりした声でめつける。

「いいや、すまないねぇ。面白い顔で悩んでいるから、つい、ねぇ」

 死神が零れる笑いを懸命に抑える。

 面白尽おもしろづくの死神を眺めていた善次郎の胸に、小さな苛立ちが湧いた。すぐに負の感情を飲み込むと、諦めた心地で小さく息を吐いた。

「実のところ、儂には神と妖の境がわからぬ。寺社に祀られていれば、それは神だ。しかし道端の小さな祠にも神はある。その手のものは、あまり妖と変わりがないと、思うのだ」

 心の奥に押し込めていた疑問を思いきって吐露した。朋輩にもしたことがない話だ。

「まぁ、お前さんの言う通り、妖も神も、そう違いはないけどねぇ。ただ他の生きもんは、妖と神ってぇのを、自ずと隔てて感じるもんだよ」

 冷たい何かが胸中を流れるような觖望きぼうが襲う。

「そういうものか。儂にわからぬのは、……未熟な、ためか?」

 口籠ったのは、認めたくないからだ。だが、向き合わねば前には進めない。身に澱む觖望を振り切って顔を上げると、死神が首を横に振った。

「逆さね。お前さんは他のもんより、よっぽど敏い。だから妖と神を同じように感じられるのさ。妖も神も、元は同じ。自然の一片、だからねぇ。だが、お前さんみたいな人間は、稀有なもんだよ」

 さり気ない口調で淡々と話す死神の横顔を見て、善次郎は思わず口を噤んだ。胸の内を流れていた冷たさが、すっと消えていく。

「もっと言えば、人だって、自然の一片さね。だから怨霊にも生霊にも、神にだって、なれるのさ」

「怨霊に、生霊……か」

 ふと、狛犬に纏わりついた恨みの念を思い出す。

 善次郎の呟きに、死神はわざとらしく、両手で口元を隠した。

「おっと、話し過ぎたねぇ。いけない、いけない。俺らはあんまり、俗世に関わっちゃぁならぬもの、なのにねぇ」

 変わらず面白尽の目で死神が、にやりとする。

「お主は俗世に関わってばかりだろうに。今とて儂に声を掛け、水まで……」

 呆れ声で言いかけて、気が付いた。死神のお陰で、自分は窮地を救われた。竹筒を、ぎゅっと握って死神に向かい、頭を下げる。

「先に礼を言うべきだった。お主のお陰で助かった。恩に着る」

 死神の笑んだ目から、揶揄が消えた。

「なぁに、俺にしちゃぁ、大したことじゃぁないよ。お前さんには、助けてもらったからねぇ。まぁ、お返しってぇところだね」

「随分と律儀な死神だな、お主は」

 ふふん、と鼻を鳴らして、死神が得意な顔をする。

「律儀ついでに言うとなぁ。お前さんが自分を未熟だと感じるのは、持て余した力を使いこなせていないからさぁ。妖に好かれないんじゃぁない。彼奴らはお前さんに怯えているのさ」

「妖が、儂にか? 危害を加えた覚えなど、これまで一度もないのだが」

 妖に敵愾てきがいを持った覚えすらも、一度もない。死神は、やけに神妙な面持ちで、深く頷く。

「実際にどぅこぅってぇ話じゃぁないさ。例えば、抜き身の刀を意味もなく、ぶんぶん振り回している人間がいたら、おっかないって、思うだろう」

「まぁ、そうだな」

 善次郎なら不逞の輩を止める術も心得ている。だが、町人であれば確かに恐ろしいだろう。今は死神の言葉に素直に頷いた。

「妖は、そう力のある者ばかりじゃぁない。力がある者も、そりゃ少しはあるがねぇ。それに良くも悪くも純粋で正直だ。自分に刃を向けるかもしれない輩が近づきゃぁ、怖いし逃げるし、時には威喝も、するやぁね」

「なるほど、そうだったか」

 社を廻る前に出会った白猫を思い出し、得心する。

「抑えるなり、使いこなすなりの術があればよいのだが。どうにも巧くいかず難儀しておる」

 今までに試した法を顧みて、呻る。死神は善次郎と同じ思案顔で、顎を擦った。

「こればっかりは自分で見つけるしかないけどねぇ。なんてぇか、こう……心の内側で感じるように見る、てぇのか……」

 突然、口を閉じた死神の眼が細まり、善次郎の後ろに向く。同時に、ぞくりとした嫌な気這いが背を伝った。

 即座に振り返ると、体勢を整え、鯉口を切る。

(この悍ましい気は、狛犬にこびり付いていた瘴気と同じだ)

 林の中に姿は見えない。だが、確実に「何か」がいる。気を研ぎ澄まし、正体を探る。

 鯉口を切った刹那、頭の中に声が響いた。

『善次郎、良いか。目だけで見ようとするな。心の眼を開け』

幼かった善次郎に父が言い聞かせた言葉だ。昔のことで、すっかり忘れていた。

(心眼、か。父が儂に何度も説いていた教えだ。何故、今になって、あの言葉が……)

 気の緩んだ隙に、「何か」が動いた。

「右か!」

 低い体勢から一足飛び、抜刀する。刃が空を切る音が聞こえただけで、手応えがない。気這いは既に、反対側に移っている。

(他とは、違う。見えぬ妖は、今までいなかった)

 瘴気や気這いにあてられても、姿が見えない妖や神には会った経験がない。言い得ぬ不気味な様子に、じんわりと嫌な汗が首筋を伝う。

 ゆらりふわりと放縦に、気這いは動く。善次郎は目を閉じた。

(心眼。心の奥の眼で、見るのだ)

 研ぎ澄ました気の総てを気這いに注ぐ。

瞼の裏側に、ぼんやりと青白い火が灯った。ゆらりと揺れる灯火を、じっくりと追う。

(まだだ、まだ……。焦るな。一刀で、必ず仕留める)

 青白い火を逃がさぬように見据え、じりじりと間合いを詰める。ゆるりと動いていた灯火が、動きを止めた刹那。

(今だ!)

 かっと両目を見開き、構えた刀を大きく横に薙ぎ払う。

 しゅう、と湯気が上がるような音とともに、地面にごろりと大きな岩が転がった。

「これは、狛犬だぞ」

 思わず驚嘆の声が零れた。地面に転がっているのは、首と胴が真二つに分かれた阿の狛犬だった。

(巡った三社の、どの狛犬とも違う。だが、纏う瘴気は同じだ)

 確かめようと手を伸ばした善次郎を、後ろから死神が止めた。

「触れねぇほうがいい。ほら、見てみなぁよ」

 眼の先の狛犬は、禍々しい瘴気に捲かれながら石の塊になり、やがて消え失せた。

「これは、いったい、どういうことだ」

 愕然として、言葉を詰まらせた。不意に林の向こうから強い気を感じ、眼を凝らす。

「あの人影は、まさか……!」

 駆け出した善次郎に気が付いた影は、林に潜み、姿をくらました。

 消えた影を追う気には、なれなかった。顔から血の気が引いていく。

「ありゃ、人じゃぁねぇもんだと思うが、知り合いかぃ?」

 死神の声が聞こえたが、善次郎は何も言えなかった。

(兄上の顔に、見えた。まさか、件に兄上が関わっておるのか。いや、まさか。兄上は既に他界しておる) 

 怨霊や悪霊。先ほど死神と交わした言葉を思い返し、どきりとする。

(兄上が、怨霊に……? そんなはずはない。そのような訳もない。あるはずがない!)

 浮かんだ思考を吹き飛ばすように、ぶんぶんと強く首を振る。

何も言わず眺めていた死神が突然、善次郎の肩をぽんと、叩いた。

「あれが何に見えたか知らないが、決めつけぬがいいよ。ああいったもんは、相手に寄って姿形を変えるもんだからねぇ」

 はっと息を飲んだ。確かに、そのような法で人心を惑わす妖もある。

(儂の心に付け入るなら、兄上の姿になっても、おかしくはない)

 善次郎は大きく息を吸い、吐き出した。ぱん、と頬を叩き、活を入れる。

「礼を言う。危うく取り乱すところであった。お主にはまた、助けられたな」

 死神は得意げに、にやりと笑った。

「それよりお前さん、さほど悩むことも、なさそうだねぇ。随分前から、心得ていたようだ」

 言葉の意味が解せず、首を傾げる。死神が、狛犬の消えた跡を指さした。

「あれを斬ったんだ。使いこなす術は、しっかと持っているだろうさ」

 はっとして、狛犬と対峙した時の自分を思い返した。

(確かに、青白い灯火が、見えた。心眼を開くとは、ああいった法、なのか)

 実感は湧かない。だが、確かに手応えはあった。忘れていた父の声も聞こえた。

(あれは、明楽家の大事な教えだ。儂は何故、忘れていたのだ)

恥ずかしく、悔しい思いを噛み潰す。胸に手を当てて、静かに目を閉じた。

(父上の教え、二度と忘れませぬ)

 しかと胸に刻むため、とんと胸を叩く。今の出来事をじっくりと心に焼き付けた。

「やれやれ、こいつぁ思ったより難事になりそうだねぇ。この界隈は俺の領分だってぇのになぁ」

 ぽそりと呟く死神に眼を向ける。死神は、苦い顔で笑った。

「これも乗りかかった船ってねぇ。最後に一つだけ、教えてやるよぉ。お前さんにとって、良いことか悪いことか、わからないがねぇ」

 勿体つける死神を、訝しい目で見据える。

「狛犬が壊れているのは、お前さんが巡った三社だけじゃぁないってぇ話だよ」

 先ほどより低い声に不穏が混じる。善次郎の心の奥に、ざわりと嫌な感が擡げた。

「何? まだ他に狙われた社があるのか? 今、斬った狛犬と関わりがあるのか?」

 矢継ぎ早に問い質し、迫る。死神が、にやりとした。

「こいつぁ聞くより見るが早かろうからねぇ。福徳稲荷に行ってみなぁよ。今より何か、わかるかもしれないからねぇ」

「日本橋のか? 他の三社に比べ、随分小さな社だが、何故……」

 善次郎の言葉を遮り、死神がすっと後ろに下がった。

「おっと、朋輩が着きなすったようだ。随分と長く馬鹿咄をしちまったからねぇ、俺はそろそろ行くとするよぉ」

 旋風つむじかぜに捲かれて、死神は音もなく消えた。

「待て、話はまだ……と。もう、いないか」

神出鬼没は、如何にも死神らしい。手元に残った竹筒を眺める。

「水を、返し忘れたな。だが奴なら、またどこかで会えそうだ」

 自然と笑みが零れた。

(思い出した父の教えを今一度、深思しよう。忘れてはならぬ教えが、他にもあったはずだ)

 気鬱の種を取り除く糸口を掴み、少しだけ心が軽くなった。

一方で、人でない影に兄を見た。死神の忠言に、一度は納得したが。

(あの顔は確かに兄上だった。気這いまでは感じ取れなんだが、贋物と決めつけて、良いのだろうか)

胸の騒つきが、どうにも治まらない。善次郎の気鬱が綺麗に晴れる訳には、いかなかった。
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