仄暗い灯が迷子の二人を包むまで

霞花怜

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第8話 霊・怨霊担当部署のお仕事

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 大学は夏休みに入った。
 四年生になり、ただでさえ講義のコマ数も少なかったが、全く行く必要がなくなると、やっぱり楽だ。
 直桜が本格的に霊・怨霊担当部署、通称・清祓屋はらいや稼業を始めてから二週間が経過していた。
 最近は仕事が増えてきたので、余計に大学がなくて良かったと思う。

「昨日は病院で、今日は特別養護老人ホーム。何か、意外だ。墓とか廃墟とか、そういう場所に行くんだと思ってた」

 化野が運転する車の助手席で、仕事用の資料を確認する。

「墓や廃墟は邪魅や怨霊が溜まりやすい場所ではあります。時々には、そういう場所での仕事もありますが、基本的には他部署の担当になりますね」

 車はマンションがあるさいたま市を抜けて、都心に向かって走っている。

「死が身近で頻繁にある場所はすだまが冥府に逝けずに留まるケースが多い。霊が溜まれば怨霊に変化する可能性が高い。我々の仕事は、霊を無事に冥府へ送ること。怨霊と化したなら霊に戻して冥府へ送る、戻せないなら消滅させる祓うことです」
「なるほどねぇ」

 存外、安全な仕事だな、と思う。
 怨霊も強くなると人型になり、人の振りをして社会に紛れる者もある。そういう存在を相手にするとなると、命懸けが冗談ではなくなる。

「都内に拠点を持たないのは、何で? 関東ブロックの、もう一か所は横浜って言ってたよね?」

 霊・怨霊担当部署の他の地域は県庁所在地や中心部に拠点を設けている場所が多い。

「都内には既に警察庁があります。13課の本部もその中にあり、班長と副班長が常に待機していますので、必要がないんです」
「言われてみれば、そっか」

 13課は細かく部署が別れているが、班長と副班長は何でもできる人たちらしい。不測の事態が起きでも対処できてしまうのだろう。

「それに、私は空間術が使えますので、多少の移動は短縮できます」
「それ、反則級の大技だよね」

 空間術は結界術の応用技で、時空を捻じ曲げてくっ付ける移動術だ。それ以外にも、ポケットのように空間を作り出したり、大きなものだと部屋を作ることも出来る。もはや、魔法だ。

「だから、滅多に使いません。移動だけで霊力を消費するわけにはいきませんので。でも、瀬田くんがいる間は、使ってもいいかもしれませんね」
「何で?」
「私の力がなくても、一人で仕事を終わらせてくれるでしょうから」

 化野に笑いかけられて、ドキリとする。

「そういう頼り方されても、困るんだけど」
「冗談ですよ」

 化野の横顔が、何となく楽しそうに見える。

(会ったばかりの頃は、表情なんか全然変わらなかったくせに)

 最近の化野は色んな表情を見せるようになった。
 その度に直桜の方が狼狽える。
 
(可愛い、とか一人で思ってる俺が、馬鹿みたいだ)

 車の窓に映る自分の顔は、相変わらずガキ臭かった。


〇●〇●〇


 葛飾区の北側に建つ施設は、まだ新しい建物に見えた。
 スーツ姿でアタッシュケースを手に、事務員に挨拶する。今日は直桜もスーツ姿だ。医療用品などの業者を装うためらしい。

 施設の中は明るく綺麗で、雰囲気も良い。広間に集まっている入居者は車椅子に乗ってテレビを観たり本を読んだりしている。
 案内された101号室の前で、化野が眉をひそめた。
 ピリッと冷たい空気を感じる。

(なんか変なのが、混じってそうだな)

「施設がオープンしたのが一年前なのですが、この部屋でもう十名以上が亡くなっています。うちは御看取りをする施設なので、珍しくはないのですが。それに、幽霊の目撃情報もありまして、スタッフの中には不調を訴える者も出始めたので、一度お祓いをしようという話になったんです」

 事務員が部屋の扉を開ける。
 むせかえるような籠った気が溢れ出てきた。

「ありがとうございます。ここで結構ですよ。終わりましたら、お声掛けしますので」

 化野が落ち着いた顔で事務員を下がらせる。
 部屋に入り、扉を閉めた。

「あれが、怨霊?」
「そうですね。人のなりを得始めています」

 部屋の中には無数の魑魅が飛び交っている。
 霊の状態のもの、邪魅を纏うもの、魂魄になっているもの、様々だ。あまりの数の多さに気分が悪くなる。
 その真ん中に、人のようなものが立っている。
 まだ影が揺れているような形だが、明らかに力を蓄え始めていた。

「こうなってしまうと、祓うしかありません。気の毒ですが、冥府逝きは諦めてもらいましょう」

 化野が翳した手に大鎌が現れる。自分の体より大きな鎌を振り上げた。
 人型の怨霊に向かい、横に一振りする。
 影が揺らめいて、鎌の攻撃を逃れた。

「知能も得始めていますね、厄介な。益々、ここで消滅させないといけません」

 化野が更に大きく鎌を薙ぐ。
 先ほどより速いスピードで怨霊を切り刻んだ。
 揺れていた影が襤褸布のように細かくなった。

「瀬田くん、清祓と浄化をお願いします」
「わかった」

 両掌の上に、金色の丸い球を作る。
 一吹きすると、球が弾けて中から神気が溢れ出す。急流のように流れた神力が部屋の中を満たした。
 直桜の神気に触れた怨霊や邪魅は塵になって消滅した。霊は冥府に昇っていく。
 神気に触れた魂魄が、縮こまって動きを止めた。

(魂魄は邪魅を纏った霊が怨霊になる手前の状態だ。霊になって冥府に逝くか怨霊として消滅するかは、魂魄次第なんだよな)

 ちらり、と化野に視線を向ける。
 化野の腹の中の魂魄は、どっちなんだろうと思った。

 部屋の中に清浄な気が戻る。
 総ての霊がきれいに消えていた。怨霊の姿は、跡形もなかった。

「あれじゃ、入居者がどんどん死んでも仕方ないな」
「そうですね。あの怨霊が死した霊だけでなく生きた魂まで引っ張っていたのでしょう。スタッフの皆様に実害が出る前で、良かったです」

 実害とは、つまり死者が出なくて良かった、ということだろう。
 本来、寿命が残っている魂まで引っ張って食ってしまうのであれば、それはもう怨霊というより妖怪だ。

「そこまでいってたら、どうすんの?」
「生者に害をなす怨霊や妖怪の類は、担当部署が変わりますが。急を要する場合は、我々での対処もやむを得ないですね」

 大鎌を仕舞って、化野が振り返る。
 その顔を見て、思わず手を伸ばした。
 右頬が痣のように赤黒く染まっている。

「怨霊の気に中《あ》てられてる。じっとしてて」

 化野の頬に手を添える。熱を持った肌に、ぴたりと触れた。

「助かります」

 目を逸らす化野を、じっと見つめる。

「魂魄を抱える前も、こんなに邪魅に弱かったの?」
「……いいえ。鬼は本来、邪魅を操り魔を盛る存在です。邪魅に憑かれて中てられるのが、こんなに辛いとは、知りませんでした」
「辛いんなら、なんで! 原因がわかってるのに、何でその魂魄をそのままにしてんだよ!」

 怒鳴ってから、我に返った。
 化野が俯いたまま、呟いた。

「これは、私の贖罪です。今、を祓って痛みをすべて忘れるなんて、あまりに都合が良すぎる」
「なんだよ、それ。そのままじゃ、アンタはいずれ、その魂魄が吸い寄せる邪魅に飲まれて死ぬかもしれないんだ。わかってんの?」

 魂魄が吸い寄せる邪魅に飲まれて鬼化すれば、自我まで消える。自分の意志で鬼化するのとは訳が違う。
 そうなれば、13課は間違いなく化野をする。

「そうなったら、それが私の業です。隣にいる瀬田くんが、私を祓ってください」

 がくん、と視界が揺れた。

「俺とバディを組みたがった理由は、ソレ? 殺してほしくて、一目惚れなんて嘘ついたのかよ」
「違います! 瀬田くんなら私が引き寄せる邪魅にも耐えられる。私が鬼化しても止められる。だから……」
「言ってること、同じだろ! 俺は、化野を殺すために清人と契約したわけじゃない。ふざけんな」

 後ろに下がった直桜の腕を、化野が掴んだ。
 その腕を思い切り振り払う。

「死んだ相棒が忘れられないなら、それでいい。けど、契約期間中に清人との約束は果たさせてもらうよ」

 直桜は部屋の扉を開けて、先に出た。
 化野は、何も言わずに、静かに事後処理をしていた。
 帰りの車でも、一言も口を利かなかった。


 
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補足情報
【霊《すだま》】
 魂そのもの
 直霊《なおひ》という、霊の中にある核のようなものを壊すと、魂は消滅する。
 直霊は霊の中心にある核のようなもの。

【魂魄《こんぱく》】
 邪魅に犯された霊が怨霊になる手前の、不安定な状態。
 清祓や浄化の術をうけたあと、霊に戻り冥府に逝くか、怨霊と同様に消滅するかは魂魄次第。

【怨霊】
 霊が大量の邪魅に犯され魂魄の状態を経て強い妖気を纏った状態。
 霊を求めて食い尽くそうとするので、周囲にいる生命力の弱い人間は引っ張られて死んでしまう。気枯れしている人間ほど食われやすい。
 霊を喰い力を蓄えた怨霊は人型になり生前と同じ、或いは別の自我を得る。この状態は既に妖怪であり、13課の処分対象になる。
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