仄暗い灯が迷子の二人を包むまで

霞花怜

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第36話 垣井穂香の秘密

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 奥の部屋はどうやら穂香の個人研究室であったらしい。若く見えるし可愛らしい感じだから勝手に学生だと思っていたが、副室長なのだから、立派に社会人なのだ。

「穂香って、俺みたいに学生じゃないんだよね」
「違いますよぅ。化野さんと同い年ですぅ」
「じゃ、二十六?」
「はっきり言われると照れますねぇ」

 どうして照れているのか、わからない。

「年上なんだし、敬語じゃなくていいよ。俺すでにタメ口だし」
「そぅ、じゃぁ、そうする~」

 部屋の奥のクローゼットから、籠を取り出す。
 開けると、犬用の服がごっちゃりと入っていた。

「いっぱいあるけど、どれにしますぅ?」

 穂香が枉津日神に向かって、服をあてる。

「しゅっとしたヤツがいいのぅ。格好良いのがいいのぅ」
「しゅっとした格好良いヤツですねぇ。スーツっぽいのとか、どうですぅ」
「良いの! 良いの!」

 二人が楽しそうに試着を始めたので、手持ち無沙汰になってしまった。
 不意に部屋の中を見回して、はっとする。

(あんまり他人の部屋をじろじろ見るのも、不躾だよな)

 とはいえ、一緒に服を選ぶ気にもならない。

「穂香、本棚の本、見ててもいい?」
「いいよ~。研究関係の本しかないけどもぉ」
「穂香の研究なら、呪具関係だろ。ちょっと興味ある」

 本棚の前に立って、背表紙を眺める。
 ふと、下の方で目が留まった。
 本棚の足元の方に、研究書とは無関係な漫画がある。
 直桜は手に取って読み始めた。

「服は神力を溜めて増やして邪魅から守る作りにしてありますからねぇ。着ていたほうが枉津日神様の力になると思いますよ~」
「では、たくさん選ぼうかの!」
「ですねぇ。リクエストがあれば、作りますよぉ」
「なんと心優しき女子であろうなぁ。この器も愛情たっぷりに作ってくれたことが伝わるぞ。良き仲間を持ったのぅ、直桜よ」

 返事をしない直桜を不思議に思ったのか、穂香が歩み寄った。

「直桜は何に夢中なのかなぁ……、ぎぃやぁああああ」

 直桜の手元の本を見付けた穂香が悲鳴を上げた。
 驚いて顔を上げる。
 とんでもない顔をした穂香が直桜を見下ろしていた。

「え? 何? これ、読んじゃダメだった?」
「ダメっていうか、何見付けてるんですか。普通、そんなとこ見ますか? てか、何で普通に読んでるんですか?」

 狼狽えているのか怒っているのか、両方なのか。
 敬語に戻っているし、相当狼狽しているのは伝わってくる。

「いや、本棚にあったからいいのかと思って。そっか、BLとか腐女子って隠している人多いんだっけ? ごめん、見なかったことにする」

 読んでいた漫画をそっと本棚に仕舞う。
 よく見ると、ステルス結界が張ってあったようだ。無意識でスルーしていたらしい。

「集落で面倒見てくれてた姉ちゃんが腐女子でさ。一緒に漫画とか読んでたから、懐かしいなぁとか思って。なんか、ごめんな」

 穂香の迫力が凄いので、思わず言訳してしまった。
 ピクリ、と肩を震わせた穂香が、がっつりと直桜の肩を掴んだ。

「直桜は、腐男子なんですか?」

 気魄のある顔が直桜に迫る。

「え? どうなんだろ、わかんない。でも、嫌いじゃないよ」

 穂香がすいっとスマホを取り出した。

「連絡先、交換しませんか?」
「うん、わかった」

 あまりに必死の形相だったので、思わず自分のスマホを取り出した。
 連絡先を交換したら、穂香は少し落ち着いたようだった。

「ちなみに直桜は、どういったモノがお好みで?」
「どういった、モノ?」
「例えばホラ、触手系とか凌辱系とかソフトSMとか純愛系とかNTRとか眼鏡受けとかスーツ攻めとか、色々あるじゃないですか」
「あぁ、その辺、穂香が好きな感じね」

 ちらりと本棚に目を向ける。
 並ぶ本のタイトルから推測するに自分の好みを口走ったのだろうなと思った。

「好みとかは、よくわからないなぁ。眼鏡でスーツが攻めとかは、割と好きかも」
「眼鏡でスーツ、が、攻め……?」

 穂香の呟きに、はっと我に返った。
 条件を満たした人物が、三次元にいる。

「いやいやいや! 良いんですよ、何も言わなくて! 聞きたいけど聞きませんから! 何となく化野さんが受けだろうなって私が勝手に思ってただけなので!」
「えっと、穂香?」
「ちゃんと二次元と三次元の区別はついてるヲタクなので! ただ二人のこと、壁になって応援したいだけなので!」
「俺、護と付き合ってるなんて、一言も言ってない」
「見てすぐ気付きましたが?」

 両手で顔を隠して照れていた穂香が、指の間から目だけを向けた。
 どきりとして、顔が熱くなる。

「鬼と神様とか、眼鏡スーツに猫系男子とか、二人には萌える要素しかないですねぇ」

 穂香がしみじみと萌えを噛み締めている。
 断定的な事実は何も話していないのに、穂香の中で直桜と護が恋人同士なのは確定らしい。

(間違ってないから、否定も出来ない。別に隠してないし、いいのか)

「でも、本当に良かったなって思うんですよ。私の趣味的な話じゃなく。化野さんが結構辛い思いしてきてるの知っているから、今が幸せそうで良かったです」

 穂香が穏やかな表情で語る。
 オタク感が抜けた表情は別人のようだ。

「穂香は護のこと、どれくらい前から知ってるの?」
「13課に入職した時から。私と化野さん、歳も同じだけど入職も一緒の同期なんですよ。ついでに、穢れを纏うって意味でもね、同じなんです」

 穂香が微笑む。その顔は、苦労が滲んで見えた。

「穢れを、纏う? ……あ、それって、もしかして死霊?」

 じっと目を凝らす。
 穂香の胸の真ん中に、霊でも魂魄でもない気配を感じる。
 意識するまで気が付かなかった。

「私とほとんど同化しているから、気が付かないでしょ? 母のお腹の中で死んだ姉の霊なんだそうです。生まれた時から私の中にいるから違和感はないけど、死霊を抱えて生きるのは普通じゃないって、穢れだって最近まで罵られてました」

 確かに普通なら、心身ともに悪い影響を受けるだろう。
 穂香が平然と生きていられるのは、自身に強い霊力が備わっている事実と、何より死霊が穂香自身を守っているように、直桜には見えた。

「それって死霊っていうか、守護霊だね。穂香がある程度、邪魅や呪法に強い耐性があるのも、その死霊のお陰だよ」

 目を見開いた穂香が、柔らかく笑んんだ。

「直桜は優しい人なんですね。化野さんも同じように言ってくれたんですよ。二人は全然タイプが違うのに、そういうトコ、似てますね」

 穂香が優しく笑うので、なんだか照れ臭くなった。

「俺は別に優しくなんか。護は誰にでも優しいけどさ」
「優しいですよ。要室長がキャリーケースに触れた時、何よりもまず室長の体を心配してくれました。枉津日神のことだって気になってたはずなのに」
「それは、普通というか。急いで祓わないと怪我になるし」

 穂香がニコリと小首を傾げる。
 余計に照れ臭くて、顔を背けた。
 
「何より、直桜が化野さんを大事に想ってて信頼してるって、さっきの神降ろしで充分、伝わりました。だから、良かったなって」

 恥じ入るような顔で笑む穂香を眺めていて、思った。

「穂香って、もしかして護のこと好きだった?」

 思わず出てしまった言葉を飲み込むように手で口を覆う。
 例えそうだったとしても、直桜にそれを言えるはずはない。

「私の推しは化野さんと直桜ですよ。だから時々でいいので、幸せのお裾分けをくださいね」
「ん、わかった」

 表情を変えもせずにそんなことを言う穂香がいじらしくて、素直に頷いてしまった。
 穂香をじっと見つめる。
 胸元のネックレスに手を伸ばした。

「えっ! ななななんですか。浮気はいけませんよ。隣の部屋に彼氏がいるのに! お裾分けって、そう言う意味じゃ」
「俺、想ったら一途だから、その心配はない」

 ネックレスのトップを指の上で転がす。

「穂香ってさ、時々体調崩したりしない? 熱が出たり体が怠くなったり」
「子供の頃は年中そんな感じで。死霊の影響らしいですけど、今でも時々には」
「やっぱり、そっか」

 指で摘まんだトップに神力を籠める。
 はめ込まれていた透明な石が金色に光って、内側に吸い込まれるように光が消えていく。

「穂香自身の霊力が弱って死霊の力が上回ると、体に症状が出るんだ。そういう時はこのネックレストップ、握ってるといいよ。楽になると思う」

 直桜の神力が穂香の霊力の回復の助けになる。
 普段はこんなこと、出会ったばかりの他人にしたりしない。
 ただ、穂香が敵が多かったはずの昔から護の味方でいてくれたことが嬉しかった。そんな穂香から護を奪ってしまったお詫びでもあった。
 
(この程度のこと、ただの自己満足にしかならないけど)

「時々、事務所に来てくれたら、また神力補充するから。俺もここに来る機会があれば、穂香のとこに寄るし」

 困惑した顔で直桜を見上げていた穂香が、嬉しそうに笑んだ。 

「絶対に、近いうちに遊びに行きますね。BL談義しましょうね」

 今までにいなかったタイプの友達ができた気がして、柄にもなく嬉しい気持ちになっていた。
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