仄暗い灯が迷子の二人を包むまで

霞花怜

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第Ⅲ章

第27話 約束違反のキス

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 崩れた保輔の体を瑞悠は抱きとめた。
 背中に深く刺さったナイフの端から、血が流れる。

(抜いたら出血多量で……、でも抜かないと治療できない)

 このレベルの傷は回復師でなければ即時の治療は無理だ。 
 戸惑う瑞悠の腕の中で、蹲っていた保輔が顔を上げた。
 大きく息を吸って呼吸を整える。

「お前、もう少しマシな攻撃できひんの? 言霊ないと、ほんまに何もできんのやな」

 保輔が後ろを振り返って、美鈴に吐き捨てた。

「blunderが生意気なんだよ、この役立たず! アンタのせいで私まで巻き添えじゃん! 折角、惟神の精子採取成功したのに! アンタのせいで全部失敗よ!」

 泣き叫ぶ美鈴を、保輔が鼻で笑う。

「一人じゃ何も出来ん奴が、よぅ言うわ。あぁ、けど、俺一人殺すんは、成功やろ。良かったな、一個でも功績上げられて」

 保輔の体が沈み込む。
 顔が蒼白で、息が浅い。

「お前を殺した程度で功績になんかなるかよ、馬鹿が! お前にそんな価値あると思うの? 調子に乗んなよ、bugのくせに!」

 瑞悠は大薙刀を取り出し、束を美鈴に向けた。
 その束で思い切り腹を突いた。

「がはっ」

 大袈裟に唾液を吐き散らして、美鈴が蹲った。

「いい加減黙れよ、クソ女。お前より保輔の方がよっぽど価値があるから」
「はは、何それ。犯された男に情でも湧いたの? 初めての男ってレイプでも思い入れ出ちゃうんだ。こんなところで処女喪失だもんね。そうでも思わないとやってられないか。ははは!」

 瑞悠は大薙刀の柄で美鈴の頭を思いっきり殴り払った。
 脳震盪でも起こしたのか、美鈴が倒れて動かなくなった。

「やりすぎや、殺してまうやろ」

 瑞悠の腕の中で保輔が力なく呟いた。

「頭、かち割るつもりで殴った。割れなかっただけ感謝してほしいわ」
「やめたれ……。警察が人殺して、どないする。あんなんでも、理研の同僚や。許したってや」

 瑞悠は保輔の手を握った。 
 どんどん冷たくなる手に、怖くなる。

「アンタは結局、優しい。悪役全部一人で被って終わらせる気だったの?」

 保輔が力なく笑った。

「その方が、格好ええやろ。どのみち、どっかで消えよ思うとった。刺されたんは、ちょうど良かったわ。自分で死ぬ手間、省けたし」

 瑞悠の手に、どんどん力が籠る。
 勝手に神力が籠って保輔に流れ込んでいく。

「だから13課に来るのは無理って言ったの? 全然、格好悪いよ、アンタ」
「そか、そら残念や。好いた女には、格好ええ姿だけ、見せたかったなぁ」
「何それ。最初から、一個も格好良くなんか、なかったから」

 握った手に透明な雫が落ちた。
 止めようとしても、零れて止まらない。

「神様の神力ちゅぅのは、あったかいのんやな。この手握って死ねるなら、なんや幸せな気がしてくるわ。俺みたいなbugでも、感じられんねやな」
「アンタはバグじゃない! 私と保輔の何が違うの? おんなじ人間でしょ?」

 保輔が返事をしなくなった。
 握る手の力も弱くなる。

「ヤダ、ヤダってば、返事してよ、ねぇ!」

 直桜たちが到着したとして、きっとその中に回復師はいない。
 今何とかしなければ、保輔は死んでしまう。

(保輔のこと、好きとかよくわかんない。けど、ここで死んじゃうのは、ここでお別れは、絶対に嫌!)

「瑞悠、彼の背の刃を抜いて、神気を送ってあげなさい」

 速秋津姫神が顕現して、瑞悠の肩に手を置いた。

「秋ちゃん……、でも、外側から送り込むんじゃ、間に合わない」

 速秋津姫神が、唇を指さした。

「流し込めば、今なら間に合います」

 瑞悠は頷いて、保輔の体を抱き直した。
 背中のナイフを引き抜く。流れる出血を、自分の制服のジャケットを丸めて押し当て、抑える。
 顔を上向かせて、口を開かせると、唇を重ねた。
 神気を出来る限りの速さで流し込んだ。

 何かが飛んでくる気配がした。
 速秋津姫神が水の飛沫を飛ばして弾いてくれた。

「不敬ですよ。神の御業の邪魔をするなら、封印します」

 水の壺をその手に露にする。
 水戸神みなとのかみであり、河口で穢れを飲み込む神である速秋津姫神は、穢れや邪を封じる力を持つ。

「あらヤダ、怖いわぁ。私もそろそろ退散しようかしらねぇ。強い神様が来ちゃいそうだしねぇ」

 闇に紛れていた三里が不意に姿を現した。
 それとほぼ同時に、後ろで渦巻いていた風の柱が止んでいった。
 円に支えられた智颯が戻ってきたが、瑞悠は保輔から唇を離さなかった。

「……え? みぃ? 何を、してるんだ? え?」

 困惑する智颯に、速秋津姫神が「しっ」と指を立てたのが気配でわかった。

「瑞悠は今、保輔を助けています。神力を流し込まないと、瑞悠の大事な未来のパートナーが死んでしまいますから」
「未来のパートナー⁉ これが? どうして、そうなったんだ? 円? なんで?」

 智颯が酷く混乱している。
 その様が、なんだかちょっとだけおかしかった。

「俺も良くわからないけど、リバーシ、楽しかったみたい、だよ」
「は? リバーシ?」

 円の答えに、保輔がぷっと吹き出した。
 唇が重なったまま、笑っている。

「キスはここを出て落ち着いて、それでもしたかったらその時っていうたやろ。約束守れん女やなぁ」

 保輔が手を伸ばして瑞悠の頬を撫でる。

「今のはキスじゃなくて、救命措置だからね。秋ちゃんがそうしろって言ったから。キスは改めて考えるもん」

 腕の中で笑んでいる保輔は、血色を取り戻していた。
 その顔が、驚きに染まる。

「瑞悠の後ろにいる綺麗な女の人は、何なん? 幽霊? 俺、やっぱり死んだんか? これ、夢なん?」
「初めまして、保輔。祓戸四神・二ノ神・速秋津姫神です。瑞悠に救命のキスを助言した神様です」

 保輔が絶句している。
 それ以上に、円と智颯が言葉を失くしていた。

「私の神様の秋ちゃんだよ。秋ちゃん、保輔のこと気に入ったみたい」
「えっと、どうも、初めまして、伊吹保輔です。……、あと何言えばいいのん?」

 起き上がった保輔があろうことか智颯に助言を求めた。

「僕は、僕はまだ、認めない。みぃのパートナーとか、認めないからな!」

 びしっと指さされて、保輔が気まずそうに頭を掻いた。

「そらまぁ、せやろなぁ。俺も死ぬ気でいたし、よぅわからんけど。一先ずは、助けてくれて、ありがとうな」

 保輔が瑞悠の手の甲にキスをした。
 智颯が保輔の手を思い切り弾いた。

「まだ認めてないんだよ! そういうのはダメだからな!」
「只の挨拶やん、お兄さん」
「お兄さんて、呼ぶな!」

 速秋津姫神が、ピクリと顔を上げた。

「外に気配がします。直日神様たちもいらっしゃるようです」

 智颯が、疲れた顔で肩を降ろした。

「直桜様たちが来る前に何とかなって、とりあえず良かったけど。僕、何もできてない。捕まって精子取られただけだ」

 へこむ智颯の肩を円が支える。

「そんなこと、ないけどね。何とかなったの、智颯君の、風の輪のお陰、だから。とりあえず、撤収しようか。あの子も回収して、帰ろう」

 納得できない顔をする智颯に向かい、円が指さしたのは美鈴だ。
 美鈴はぐったりと倒れたままだった。

「結構、強めに殴り飛ばしたから、起きないかもねぇ」

 ぽそりと零した瑞悠の言葉に、智颯が愕然とした。

「瑞悠が結構強めって自覚あるなら、数日起きないんじゃないか? というか、生きてるのか?」
「死んではないやろ。俺らは割と頑丈にできとるし、すぐ起きるんちゃう?」

 話しているうちに、美鈴の体がピクリと動いた。
 
「あらぁ、生きてるのぉ? それは困るわぁ」

 どこからともなく三里の声がした。
 嫌な予感がして、瑞悠は立ち上がった。きっと同じ予感を感じたのだろう。円と智颯も前に出た。
 瞬間、無数の太い針が何百本という勢いでうつ伏せに倒れている美鈴に滝のように降り落ちた。あまりの光景に、全員が動けなかった。
 甲虫標本より酷い状態で針が刺さった美鈴の前に、三里が姿を現した。

「この子は勘違いしてたけどぉ、本当はmasterpieceなんかじゃないのよぉ。煽てられて、いい気になっちゃったのねぇ。口も軽いしお馬鹿だし、13課に持っていかれると厄介だから殺して回収しとくわぁ。リサイクルね」

 三里が指を上に向ける。美鈴に刺さっていた針がすぃっと消えた。
 脱力した美鈴の体を肩に抱えて、三里が保輔を指さした。

「伊吹保輔。お前もリサイクル対象よ。精々、命を大事にねぇ」

 三里の姿が闇に溶ける。
 瑞悠たちは、只々、見ているしかなかった。
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