鎮魂の絵師 ー長喜と写楽ー

霞花怜

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第七章 異彩の絵師 東洲斎写楽

5.

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 神無月十五日(一七九四年十一月七日)、約束の期日に重三郎が、写楽の絵を受け取りに来た。
 一通りの絵を確かめた重三郎が、絵を置いた。

「よく描き切ったな、お喜乃。苦手な手法で条件を付けられた上に、枚数も今までの倍近くだ。期日も、しっかり守った。お前ぇは一人前の画工だ。長喜も、よく力添えしてくれたな」

 重三郎が二人に向かい、丁寧に頭を下げた。

「蔦重さん、違うの。今回は私が一人で描き上げては、いないんです。細判と間判の何枚かは、長喜兄さんが描いてくれたんです」

 喜乃が長喜を振り返る。

「着物の柄や背後の絵も、いくつか、俺が描かせてもらってんだ。今回は、前ぇより多めに手ぇ出したよ」

 重三郎が意外な顔をした。だが、すぐに、得心した顔になった。

「そうか、二人で描いてくれたか。そいつぁ、良かった。本当に、良かったよ」

 重三郎が安堵の表情で頷いた。

「で? どれが長喜の絵だ? この梅の枝は長喜だろ? この着物の柄なんかも、長喜らしいな。この半次郎と常世は、お喜乃で間違いねぇな。だろ?」

 重三郎が、あれこれと絵を指さす。
 喜乃が長喜に向かい、笑んだ。

「どの絵が長喜兄さんで、どの絵が私かは、内密にしたいの。蔦重さんにも判別できないなら猶更、内緒よ。私たち二人で、東洲斎写楽だもの」

 人差し指を口元に添えて、喜乃が首を傾げた。
 喜乃の表情に、重三郎の顔も緩んだ。

「そうかぃ。なら、聞かねぇよ。わからねぇのも面白れぇからな。菊之丞の顔も綺麗に描けているし、文句はねぇ。役者や板元が付ける条件を踏まえて描くのも絵師の仕事の内だ。これからも精進しろよ」

 重三郎が、にっと口端を上げる。
 喜乃が笑んで頷いた。

「東洲斎写楽の評判は良い声と悪い声がはっきり別れるがな。好きな奴ぁ、激烈に好きだ。それが本物の証だと、俺ぁ思っている。俺の目に狂いはねぇ。お喜乃、自信を持ちな。お前ぇは、これからもっと伸びる。期待しているぜ」

 喜乃の肩を重三郎が力強く叩く。

「ありがとうございます。私ね、見立が楽しくなってきたの。もっともっと練習して、巧くなりたい。だから、御伽草紙を読んで描いたり、故事の武者を描いてみようと思う」

 重三郎が感心した顔をする。

「そりゃぁ、良い練習法だな。お喜乃に向いていらぁ。頭ん中で想像した姿を絵にするなら、見立より描き易いやな」

 喜乃が嬉しそうに頷いた。

「長喜兄さんが勧めてくれたのよ。見立より先に、想像して描く法を覚えたほうが良いって、教えてくれたの」

 重三郎が、ちらりと長喜に目を向けた。

「今回は、俺も学んだよ。お喜乃の不得手の訳もわかったし、絵の良さを伸ばしてやれそうだぜ」
「そいつぁ、重畳だ。長喜は育てんのに向いていんのかもな。お喜乃だけでなく、弟子を取っちゃぁ、どうでぇ」

 にやりと笑む重三郎に、長喜は眉を下げた。

「いやぁ、勘弁してくれ。お喜乃だけで手一杯だよ。手前ぇの仕事も溜まっていんだ。こなせやしねぇよ」
「ったく、欲がねぇのか、物臭なのか。お前ぇは昔っから変わらねぇな。ま、今日は、こんぐれぇにしといてやるよ。さぁて、さっそく彫りと摺りに廻すぜ。忙しくならぁ」

 重三郎が機嫌よく立ち上がる。

「武者絵や御伽草紙の絵が描き上がったら、見せてくれよ。良い絵なら、売物にするからよ」

 大事そうに絵を抱えると、重三郎は足早に庵を後にした。

 長喜と喜乃の暮らす吾柳庵には、久しぶりに安閑とした風が流れた。
 部屋の掃除をする喜乃を横目に、長喜は文机を庭に面して置く。平素のように、絵を描き始めた。市井で評判の天神娘の絵だ。以前に歌麿も描いていた『高島おひさ』の下絵の仕上げに取り掛かった。

 長喜の後ろから、喜乃が手元を覗き込む。

「兄さんは、急かされて絵を描いたり、しないわよね。いつも同じ道捗なのに期日にも遅れないし。私も兄さんを見習わなくっちゃ」

 しょんぼりと肩を落とす喜乃を振り返る。

「今回の写楽の絵は枚数が多かったからな。俺ぁ、描けねぇ枚数を受けねぇだけだ。長く絵を描いていると、何日で何枚描けるか、自分でわかってくるもんだ。お喜乃もそのうちに、自分に合わせて仕事を受けられるだろうぜ。今は発憤する時期ってぇだけだ」
「私も兄さんみたいに、なりたいな。兄さんは、いつも自分らしくって、人に流されないものね。性格が絵にも表れていると思うの。兄さんの絵は温かいものね」

 素直に褒められて、くすぐったい気持ちになる。
 喜乃の笑顔を見ていたら、一つの案が浮かんだ。

「なぁ、お喜乃。ここの、おひさが持っている団扇の中に写楽の絵を描いてくれねぇか。若ぇ娘は役者が好きだし、ちょうど良いだろ」

 喜乃が驚いた顔をした。

「兄さんが頼まれた絵なのに、私が描き込んで、良いの? 板元に御迷惑にならないかな」

 ぽりぽりと頬を掻いて、長喜は空を見上げた。
 しばらく考えて、喜乃を振り返る。

「案じずとも、俺が写楽を真似て描いたってぇ話にすりゃぁ、いいだろ。俺もお喜乃と一枚の絵を作りたくなったんだ。好きな役者で良いから、描いてくれよ」

 喜乃に笑いかける。
 下がっていた眉が上がって、満面の笑みになった。

「私も兄さんと、もっとたくさん、一緒に絵を描きたい! 写楽の絵も、とても楽しかったもの。また一緒に描きたいと思っていたから、嬉しい」

 長喜の隣に坐して、さっそく筆を執る。

「誰を描こうかな。やっぱり門之助かな? あ、でも、海老蔵も捨て難いなぁ。鬼次も格好良いよね。人気者は団十郎だけど、迷うなぁ」

 浮足立った様子で、喜乃の肩が躍る。
 嬉しそうな横顔を眺めて、長喜の胸が温まっていく。

(やっぱり、お喜乃が楽しそうにしている姿は、いいなぁ。安心するし、俺も嬉しくならぁ。いつの間に、こねぇな可愛い顔をするようになったんだか。一緒にいるのに、気が付かねぇ仕草や表情が、山とあるなぁ)

 並んで座り、二人で好きな絵を描く。この時が何にも代え難い幸せだと感じる。少しでも長く、この暮らしが続くようにと、長喜は胸の奥で願っていた。







【補足情報】
高島おひさ
写楽を語る上で欠かせない一枚であり、この絵のために写楽は栄松斎長喜ではなかったか、と論ずる人がいたりします。この頃は絵の規制が厳しくて、美人画に女性の名前を入れるのが禁止されていました。なので長喜の絵にも名前は入っていません。先に歌麿が同じ女性をモデルに絵を出しているので、それに寄せたデッサンで描いた絵です。サイズとしては間判の細長い一枚絵です。(歌麿のおひさは大首絵)。江戸時代の絵師にとって模倣は普通にある手法の一つで、それを売り物にするのも割と普通でした。今だったら炎上案件ですねw。しかしそんな中で歌麿は模倣を嫌い、自分は一切しませんでしたし、人がするのも嫌いました。この当時は歌麿の方が変わり者でした。同門の長喜が模倣を描いて、歌麿はどう思ったでしょうね。
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