祝福の星

ばやし せいず

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 こばすけは真剣に画面をのぞく。ママとジジイのキスが始まっていた。ジジイはとても二十七歳には見えなかった。
 こばすけは無表情で二人を見つめている。ただならぬ気迫を感じて私は慌てる。

「ど、どうしたの?」

 彼は答えてくれない。

「ねえ」

 彼はパソコンを叩いた。強制終了させたのだ。SDカードを抜いて床に投げた。パソコンとリーダーをケースに突っ込み急に立ち上がる。居間を出て行こうとしている。私は水槽の中をかき回された金魚みたいに狼狽えた。

「デ、データ、ど、どうすんの?」

 背中に訊いたが彼は振り返らず、要らねーよと語気を荒げる。
 なにが失言だったのだろう。「高齢出産」だろうか? でももちろん彼に言ったわけではないし、今まで散々失礼なことを言ってきたのは、むしろこばすけのほうだ。

「ねえ」

 居間を飛び出たこばすけについていく。どしんどしんと歩いたため、床が少したわんだ。
 彼は三和土で、スニーカーを履くのに手こずっていた。狭いんだよおまえんちの玄関、と怒られたので「ごめん」と必死に謝る。彼は答えない。

「ご」

 次の「ごめん」がなかなか出てこない。喉元に「ごめん」が詰まり、息も止まる。心臓が痛い。
 こばすけはやっと靴を履き、ぼそっと呟いた。
 それ、うちの親父。

「え?」

 担任じゃない。父親だ。

「え?」

 実の父親のセックス見るとか、頭おかしいだろ?

「た、担任がお父さんだったってこと?」

 こばすけが向き直る。目が金魚みたいな赤だった。

「おまえの母ちゃんは複数人と浮気してるってことだよ。バイタってわかるか? 性病とかもらってるかもな。検査したほうがいいぞ。あと、調べたんだけど、水槽がすぐ濁るのは金魚が精液まいたからかもしれないって。泡で遊ぶのも発情期だからかもだってさ」

 彼は息継ぎをせずに喋り、また背を向けた。

「え? ま、ま」
「黙れデブ。くせーんだよ」

 私の口から「待って」が出てくる前に、彼は勢いよくドアを開けて出て行き、そして勢いよく閉めた。
 ボロアパートが大きく揺れた。自転車のスタンドが外される音、しゅいん、しゅいんとチェーンが回る音が聞こえた。
 私は三和土の上で、靴下で立ち尽くす。
 いやいや、おまえは私にママのセックスを撮影させたわけじゃん? ばっちり見ちゃったんだけど?
 話しかける相手はいない。




 登校日だった。旅行やらなんやらで休んでいる子も多かった。
 放課後、学校の駐輪場で自転車の鍵を外す。パンっと小気味い音が鳴ると同時に、股の間から血がじゅわっと漏れた。教室のロッカーに予備のナプキンを一枚置いてある。仕方なく校舎に戻った。
 教室には、弁当を食べている円華ちゃんと、彼女と同じ部活に所属している同級生たちがいた。
 みんなで私のモノマネをして盛り上がっていて、一番上手いのは円華ちゃんだと、ちょうど決まったところのようだった。

「あいついつも一人で弁当食べてるけど、絶対聞き耳立ててるよねー。たまに一人で笑ってるじゃん」

 誰かが言うと、わかるーとみんなが口をそろえた。

「まじできもい」

 低い声で円華ちゃんが呟いた。




 自転車を漕ぐ。汗が目に染みた。学校の裏手の信号で足止めされた。
 信号無視をして、手を繋いで横断歩道を渡るカップルがいた。近所の私立高校の制服を着ている。右折しようとする車にクラクションを鳴らされたが、二人は気にも留めない。幸せそうに笑っている。
 カップルのうち一人は、鼻の下を伸ばしたこばすけだった。ママに筆おろしされるAVが好きな、ふつうの高校生だ。本名は知らない。カノジョのほうは、小柄で痩せていて、可愛い子だった。
 信号が青になった。私は漕ぎ出さず、スマホを出してこばすけのアカウントを探した。
 無い。気付けばフォローもフォロワーも0に戻っていた。こばすけがアカウントを消したのか、それとも私をブロックしたのか、確認する手段は無い。元カノとヨリをもどしたのか、新しいカノジョなのか、知る由は無い。セックスはやっぱり、学年主任のババアを思い浮かべながらするのかどうか。訊けない。ハートマークも送れない。
 金魚の写真付きの投稿はやっぱり落書きどまりだった。




 血だらけで帰った私は、まず洗面所でスカートを手洗いした。生地がだめになるかもしれないけど、制服のことなんてどうでもよかった。
 シャワーを浴びて血だらけの股もきれいに洗う。白い床に真っ赤な血が流れていく。ここにジジイの精液や、ママの膣分泌液も流れたはずだ。
 洗濯済みのパンツにナプキンを当て、寝間着を着る。居間に戻り、水槽の前に座った。濁った水の中、金魚たちを探すのは大変だった。二匹はエアーポンプの影に隠れてじっとしていた。始めて見る姿だった。私は二匹の写真を撮ってアップした。
 こばすけの置き土産である監視カメラを手に二階に上がった。洗ったばかりの体からまた汗が噴き出した。ママの部屋に忍び入る。クローゼットを開けると、紫色のローターはすぐに見つかった。
 私は監視カメラをしかけ、ママのダブルベッドに寝転がり、股にローターを当てた。経血をため込んでいる下腹部が重い。先にロキソニンを飲めばよかったと後悔する。でも再び一階に下りるのは面倒くさい。
 部屋の中は熱中症になりそうなほど暑い。でも私は、股にローターを当て続けた。
 監視カメラが捉えていた映像を思い出す。一心不乱にケツを振るジジイこと、こばすけのパパ。
 組み敷かれているのは、私のママじゃない。私自身だ。今の醜い自分ではない。こんな体型になる前の、可愛い自分だ。ハーフに間違えられて、ハートマークや星をもらいたい放題だった頃の私だ。

「古都葉、古都葉、古都葉~っ!」

 頭の中で、パパは私を呼びながら薄いケツを振り続ける。もはやその男は、こばすけのパパではない。私の実のパパですらない。パパという概念が、私をいじめている。私も私ではなくて、こっちゃんになっている。こっちゃんは私のことだが、もはや私自身ではない。こっちゃんという概念だ。
 こっちゃんが涙を流しながら喘ぐ。
 体がふわっと軽くなってきた。小犬みたいな声が勝手に出てくる。私はさらに強くローターを当てがった。
 指を入れると、ぴちゃんぴちゃんと音が立った。
 似たような音をどこかで聞いた。水槽だ。金魚が水面を叩くと、同じ音がする。餌が欲しくて、そんな音を出しているのだ。
 ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん。
 怖いくらいの浮遊感に襲われて、私は人生で二回目のオナニーに成功した。
 記念すべき一回目は、先日、ママの寝室からカメラを回収した直後だった。

 ――おまえはこの動画、どうすんの?

 こばすけに訊かれたとき、どうするもなにも、私もオナニーに使ったよ、と答えるつもりだった。彼も同じ動画でオナニーするのかと思うと、とてもわくわくした。
 自分で自分の胸を揉みながら両脚をもぞもぞさせるくらいのことは、今までにも何度かあった。太ももの肉が当たって少し気持ち良かった。でも、イけなかった。
 私が心行くまでオナニーを楽しめるようになったのは、こばすけのおかげだ。ママに筆おろしされたいと言った彼のおかげで、自分のことをいくらかマシだと思えた。概念のパパと概念のこっちゃんを脳内でセックスさせることに罪悪感は無くなった。感謝している。そもそも、昔の自分をおかずにしているだけだ。誰かにとやかく言われる義理は無い。
 イった後は全身が汗だくだった。自分ではわからないけど、きっと臭いのだろう。デブ独特のきつい匂いを放っているに違いない。
 息を荒らげながら、ベッドの上で大の字になっていると、痙攣したあそこから血が押し出された。立ち上がってみると、シーツには真っ赤なシミができていた。シーツをはがしてみると、マットレスにまで染み込んでいる。ママが気にするのは水回り。マットレスは水回りではない。
 監視カメラで撮影した動画を確認する。トドみたいな体の生き物がアンアン喘ぎながら股にローターを当てていた。
 ママ。
 ねえ、ママはどうして、今の私の姿を晒してくれないの。
『娘がオナニーしてるみたいです。気まずいけどこれも成長だよね!』って投稿したら、誰か一人くらいはハートマークを贈ってくれるかもよ、ママ。確かに正義を盾にした誹謗中傷も送られてくるかもしれないけど、慣れっこだよね。
 ねえ、ママ。
 私のママ。




 何歳のときだったかは忘れたけれど、キッズモデルをしたことがある。
 写真館の広告として、私の写真が使われた。赤い着物を着てにっこり笑っているだけの写真だ。肌の露出もほとんど無い。
 写真館からはまたモデルをやってほしいと頼まれたそうだけど、でも、それきりだった。ネットに娘の写真を載せることを趣味にしているくらいだから、ママは鼻が高かったようだけど、私の人見知りが酷くて撮影ができないというトラブルが続いたらしい。
 モデルを依頼されることも無くなったし、ママも娘をモデルにする夢を諦めた。
 広告に使われた写真はもちろんママによって公開された。健全な写真にも、祝福の星がたくさん贈られたという。




『うわあああん』

 花壇のレンガに座って、ママが泣いている。街頭に照らされた白髪交じりの頭にハエが一匹たかっていた。あたりは暗い。ママは裸足だ。

『うええええ』
『ママw』
『う、うう、おえっ』
(いた!!w)

 テロップつきの短い動画だった。ハートマークの下には「20」と表示されている。コメントも四件届いていた。
 日に日にフォロワーが増え、ハートマークもコメントもたくさん送られるようになった。
 コメントの内容は「励まされる」という肯定的なものと、「親を晒すな」という批判的なものが半々だ。
 返信しなくてはと思うものの、最近ではいちいち文面を考えるのが面倒になって、全てに「これは愛です」と返すようになった。

『かえろーw』
『うわああああ。△*fst』
『大丈夫だから』
『……(放心状態)』
(誰!?って顔してるwwwwww)
『大丈夫だから』

 動画は終わる。






 金魚はとっくの昔に死んだ。可愛いからといって餌をやりすぎると水が濁り、金魚が弱ってしまうらしい。
 二匹それぞれに名前を付けていたはずだ。でも、そんなもの、もうすっかり忘れてしまった。



                                       了
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