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第16章 王

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 冬。
 もともと白を基調とした建物が多いアイテール王国は、雪化粧をして一段と白く、光り輝いて見えた。いつもより少し静かな町は、平穏の証であるように思えた。
 しかし、一歩、アイテール城の中に足を踏み入れれば、そこには緊迫、不穏、混乱――そんな言葉がしっくりきそうな空気が漂っていた。

 その日、いつもは床に伏せるアイテールの現国王レクスが、珍しく今日は体調が良いから、話せるうちに話しておきたいことがあると、城の者たちを呼びつけていた。その中には、第一王子アルベールだけでなく、第一王女マリアム、第二王子ディン、その他、王位継承権のある者たちと、城の重役たちが揃っている。
 その流れから、王位継承の話が出るのではないかと、誰もが考えていた。そして、それは想像に違わない。だが、国王が次の王に指名したのは、誰も想像していなかった、第二王子ディンだった。

「本気ですか、父上」

 そう険しい表情で聞いたのは、第一王子アルベールだ。順当にいけば、彼が次期国王になるはずであり、誰もがそうなるだろうと思っていた。

「これは、陛下のご意志です。いくら第一王子といえど、その決定を覆すことなど許されませんわ」
「アデル王妃……」

 すい、と長い黒髪が白いドレスに映える艶やかな女性が、床に伏せるレクスの隣に移動した。
 アルベール、そしてマリアムは亡くなった先の王妃の子である。母亡きあと王妃となったこの女性は、末の弟、ディンの母親だった。
 彼女は、実子ではないアルベールとマリアムに「母」と呼ばれると、口には出さないが嫌そうな顔をするため、ふたりとも名で呼ぶようにしていた。アデルは、自分の息子であるディンのことを非常に可愛がっている。だからこそ、アルベール、そしてマリアムへの対応の差は明らかだった。
 ディンは、複雑な心境で様子を伺う。
 兄たちと自分の母の仲が悪いことは、ディンにも分かっていた。兄も、姉も、そして母も、自分のことを愛してくれている。だが、兄姉と母は不仲。板挟みの愛情を受けて育ったディンは、それがどうしようもなく悲しかった。

「父上、僕……私はまだ未熟者です。兄上の方が適任ではありませんか?」

 張り詰めた空気の中、勇気を出してディンは告げた。
 今回の王の言葉は、兄姉と母の関係性から考えて、何かしら母の影響があるのではないかと、さすがにディンでも想像できた。きちんと王としての素質を考えれば、兄が次期国王になるべきだ。もし感情に流されて決められたことであるのなら、正さねばならない。
 しかし、それでも国王は優しく目を細めて言う。

「心配せずともよい。城の者たちが手を貸してくれるだろう」
「しかし……」
「大丈夫、あなたは何も心配しなくていいのよ」

 不安そうな表情の我が子に歩み寄り、アデルは優しく微笑んだ。
 ふと、アルベールの方に視線をやったアデルは、にやりと口角を上げながら問いかける。

「あら、陛下のご決定に不満でもあるのかしら、アルベール王子?」

 内心、それを良くは思わなかったが、表情には出さず淡々と応じる。

「いえ、異論はありません。それが、父上の、陛下のご決断であるのならば」

 その返答に満足したのか、再びディンの方に向き直る。

「だそうよ、ディン」
「母上、兄上……」

 相互に顔を見比べ、ディンはますます不安げな表情を浮かべた。


 話が終わり、退室したアルベールとマリアムは、廊下を歩きながら、今回の決定について難しい顔で話し合っていた。

「ディンが国王になることに異論はない。だが、あまりにも妙だ」
「ええ、あまりにも不自然すぎます。お父様が、ご自身であのような決断をなさるはずがありません」
「一体、どうなっている……」

 口には出さないが、ふたりともアデル王妃が絡んでいるだろうと当たりをつけていた。
 しかし、あの父が王妃の言葉だけで自分の意志を曲げるような人だろうかという思いが強い。体調が良くないせいで、判断が鈍くなっていたのだろうか。

 ふたりが退室して間もなく、話をしている兄姉を追いかけるようにディンがやってきた。そして、真剣な表情で言う。

「兄上、やはり僕では国王など勤まりません。考えを改めてもらえるよう、父上に頼んでみます」

 焦ったように早口でそう伝える弟の肩に両手を置き、兄は緩やかに首を横に振った。

「ディン、それは違う。確かに、未熟なところはあるだろうが、お前には王としての素質がある。民を惹きつける魅力、それは私などより、おまえの方が持っているだろう」
「そんなことはありません! やっぱり、僕にとって兄上は大きな存在なんです。兄上が国王になれば、この国は安泰だと……」
「誰が国王になろうと、絶対の安泰などないんだ。民の生活を守るために尽力できる者こそ、王に相応しい。お前は、きっと良い王になる」

 自分のことを慕って、尊敬までしてくれる弟。そこまで優れてなどいないというのに。
 王として、きっと弟はやっていける。兄だからといって、身内を甘く評価しているつもりはない。ディンは、民を想う気持ちを、誰よりも強く持っていると確信していた。

「私たちが心配しているのは、お前が王になることではないよ。流れとして、次の王は私のはずだった。父上の決定に対する違和感が拭えなくてな」

 アルベールの言葉に、マリアムとディンも頷く。

「あなたが王になったら、私も、お兄様も全力で支えるわ。でも、やっぱり私の中にも拭えない違和感があるのよ」
「僕もそう思います。どうして、こんなことになったんでしょうか?」

 3人は顔を見合わせ、しばらく沈黙する。
 その沈黙を破ったのは、何かを決心したような顔つきをしたアルベールだった。

「……ディン、お前は王になりなさい。何があっても、必ずが王になるんだ。誰かの思惑にのせられてはならないよ」
「兄上?」
「お兄様、それは、どういう……」

 困惑するマリアムとディンの肩を軽く叩き、自分はふたりを背に庇うように前に出る。マリアム、そしてディンの背後から歩いてくる人物に向かって、アルベールは凛と通る声で問いかけた。

「父上は?」
「またお休みになっておられます。久しぶりに長い時間起きられて、お疲れなのでしょう」

 いつもと変わらぬ穏やかな表情で、国王レクスが最も信頼を置く側近、ディオスは答える。対するアルベールは、変わらず強い口調でさらに問いかけた。

「そうか。それで、何の用だ?」
「レクス国王陛下のお言葉がありましたゆえ、ディン様に今後しなくてはならない準備のご説明をと」
「随分と急くな」
「早い方がディン様も慌てずに済みましょう。ああ……申し訳ありません、あなたの前で王位継承の話を出すなど」

 そこで、少しディオスは棘のある言い方をした。
 マリアムとディンも、兄とディオスのやり取りから、何か不穏な空気を感じ取る。ふたりとも、普段はこのような応対をするようなひとたちではない。
 アルベールは、ディオスの言葉に対し淡々と応じる。

「それは別に構わない」
「そうですか……ところで、王子と王女は、揃って何をなさっていたのです?」
「なに、ディンに祝いをな」
「……そうでしたか。お話しが終わっていなければ、もう少しお待ちしますが?」
「いや、大丈夫だ」

 ディンが不安げに兄の方を見れば、行ってくるようにという意味であろう、頷きを返された。戸惑いながらも、ディンはディオスの後についていく。
 時折振り返りながら去っていく弟の姿を、兄は難しい顔で、姉は不安げに見つめていた。
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