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第20章 望まぬ対峙

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 エイドは、迷いなく俺に襲い掛かってきた。
 後方にいたルーテルやロジャードを下がらせ、応戦する。幸いにして、人通りの少ない路地裏で助かった。一般市民が近づきそうになれば、タリアがなんとかしてくれるだろう。

「エイド、俺の声は聞こえているのか?」
「邪魔者は排除する」

 話しかけてみても、同じような答えが返ってくるだけ。
 訓練のときは手加減をしてくれていたので分からなかったが、想像以上にリミッターの外れたエイドは強かった。
 二本の刀を操り、連撃を繰り出してくる。俺の戦い方と似ている部分があるのは、俺もこいつから戦い方を教わったことがあるからだ。
 戦いにくい。純粋にそう思う。
 俺の動きは読まれているようだった。力でいえば俺も負けてはいないが、先ほどまでアンヘルと戦って体力を消耗した後だ。そして、どうしても私情が入る。

「くっそ……一撃が重い」

 何とか防いではいるが、きつい。
 そう思い始めたところで、ついに恐れていたことが起きた。

「いくら疲れてるからって、本気出せば兄さんに負けるわけないだろ? さっき戦ったやつと比べたら楽勝だと思うけど。なに躊躇してるのさ」

 瞳の色が白く変わる。様子の変わったファスに、ルーテルはアンヴェールが出てきたのだと分かった。
 アンヴェールは闇魔法で球体を作り始め、エイドに攻撃しようとしている。ルーテルは何か言わなくてはと思ったが、いつもの入れ替わりとは様子が違うことに気がつき、少し様子を見守ることにした。

(止めてくれ、アンヴェール……エイドに手を出すな……)

 頭の中で、ファスが制止をかけてきた。
 魔法を形成するため右手に魔力を集中させていたが、その声を聞いた途端、それ以上魔力が注げなくなる。
 いつもなら、このまま制止を振り払ってしまえばいい。それなのに、今日はどうしてか上手くいかない。制止をかけてくる声は、いつもよりずっと穏やかで抑止力などなさそうなのに、抗えない。
 実際、自分はあいつと入れ替わって戦っている。主導権はこちらが握っているはずなのに、どうして。

「……あー、面倒くさいね!」

 舌打ちをし、アンヴェールが魔法を引っ込める。

「正気に戻りなよ、兄さん」

 エイド相手に本気で戦えば、間違いなくアンヴェールの方が勝つ。しかし、アンヴェールの力を野放しにしておけば、気絶程度では済まない。それは、ファスが許さなかった。
 渡り合える程度の力は解放しながら、いいところでブレーキをかけてくる。手綱を握られているようだった。
 その状況に苛立ちながらも、エイドの攻撃を正確に受け流していく。

「兄さんから感じる闇の力……これは、兄さんのものじゃないな」

 攻撃を受け流すうちに、エイドのものではないだろう闇の力が、彼に纏わりついているのを感じた。これが、エイドのおかしくなった原因だろうか。

(それにしても、身内相手に戦うことなんて、いつぶりだろ――あれ、こんなこと前にもあったっけ?)

 ふと、エイドと戦いながら思った疑問に首を傾げる。身内とここまで本気で戦うことは、初めてだったはずなのに。
 一度疑問に思ってしまうと、そこから芋づる式に記憶が引っ張り出されていく。

(なんだ、これ)

 脳裏にチカチカと浮かぶ光景に、アンヴェールは困惑する。自分でも珍しく、動揺していた。だって、その光景には見覚えがあったから。記憶にはないのに、確かに知っていたから。
 以前、レオン教官に聞いても教えてもらえなかったこと。忘れた記憶の中の出来事なのだろうか。

(これは、あの時の……)

 次第に鮮明になって甦る記憶の中にいたのは、ファスと、両親と、そして――

「こんな時に、どうして思い出しちゃうのかな……」

 アンヴェールは、自分が生まれた理由を思い出した。

****

「くっ……ここまでか」

 肩で息をしながら、それでも相手から視線は逸らさない。少しでも隙を見せれば、そこで終わりだ。
 ディオスと戦い続けていたゼロだったが、遂に限界がきた。元々、ゼロは戦闘部隊員ではない。ここまで持ちこたえられただけでも十分だと言われる働きはしている。精神力だけで、ギリギリまだ意識を保っているような状態だ。

「ここまで私と渡り合えたのは、賞賛せざるを得ない。やはり、お前の力は失うには惜しいな」

 ゼロを見下ろし悠々と笑う男は、またあの言葉を繰り返す。桁外れな精神力を持つゼロであっても、この状況では抵抗できないと考えたのだろう。

「……! ……ゼロ!!」

 そこで、すかさず叫んだのはアルベールの治療を手伝っていたラウディだった。傍にいたメディアスはぎょっとした表情を浮かべる。
 こちらには大怪我を負ったアルベールもいるため、意識を向けさせるのは得策ではない。自分が危機的状況にあっても、真面目なゼロは何をやっているんだと言わんばかりの視線を送ってくる。自分のことは二の次で、どんな時でも最善策をとるべきと考えるのが如何にも自分の親友らしいとラウディは思う。
 その考えは、ラウディもよく分かっているところだった。そして、ゼロほどではないにしても、最善を尽くすという考え方は彼も同じである。、叫んだ。

 ラウディの声に、ディオスの視線が一瞬ゼロから逸れる。少しでも時間が稼げればいい。そう思い、ディオスの真下から出現させた植物の蔓で動きを拘束した。

「ほう、全属性使いコアマスターでもないのに、私に楯突いてくるとはな。なかなか無謀なものだ」
「俺は、確かに全属性使いコアマスターじゃない。それどころか、土のコア以外持ってない。でもな──お前が思うほど無謀でもないさ」

 ディオスにあっさり蔓の拘束が解かれると同時に、ラウディは笑みを浮かべる。それは、諦めではない。勝利を確信したからだった。
 通信機から伝わる声は、ラウディにしか聞こえない。ディオスには、彼の笑みが最後のあがきのように映っただろう。それでいい。少しの間、自分の方に意識が向けられれば十分だった。

「別に俺たちはひとりで戦ってるわけじゃない。それを忘れたら、足元すくわれるぜ」

 ここでの最善は、ゼロも救い、これ以上犠牲を出さないこと。通信機からの到着を知ったラウディは、それが可能だと判断した。

 ラウディたちが入ってきてから開け放たれたままになっていた扉。ディオスが反撃してくる前に、そこから黒い影が躍り出る。無駄のない動きで、はゼロを背に庇うように滑り込んだ。
 目の前にあるのは、大きな背中。男が振り返り、赤く力強い瞳でゼロを見る。

「ゼロ、よくやった。ここからは、私が引き受けよう」
「デモリス隊長……申し訳ありません。よろしくお願いします」

 デモリス・バスター。戦闘部隊最強の男。彼の登場によりもたらされた安堵は、非常に大きなものだった。
 このままでは足手まといになるだけだと判断したゼロは、自らラウディたちのいる方へ後退する。

【ラウディ、リードたちが撤退ルートを確保してくれてる。急いでアルベール様たちを避難させるよ】
 
 デモリスの到着と入れ替わるように、ラウディの回線を通して、諜報部隊隊長のテンダーから撤退の指示が入る。それを受けて、応急処置を施したアルベール、そしてディンとマリアム、疲弊したゼロ、身柄を引き渡すために捕えたアデルを連れて、ラウディとメディアスは先に部屋から出て行った。

 それを止めるでもなく――いや、ディンを連れ戻したい気持ちはあるのだろうが、デモリスを前に意識をそちらへ向けることの危険をディオスは分かっていたために、動けなかった。
 組織も勘付いて、早々に切り札を使ってきたということか。予想よりも早い到着に、内心舌打ちする。城やその周辺に潜ませておいた、術で操った駒も少なくはないはずだったが、潜り抜けてきたらしい。少々、デモリスのことを甘く見過ぎていた。

「デモリスか……あの天使の仇でもとりにきたのかな?」

 動揺を誘うため、ディオスは挑発的に笑う。

「やはり、あれも貴様の仕業だったか」

 使という言葉に、デモリスの赤い瞳が鋭い光を放つ。ディオスは、「おお、怖い」などとわざとらしく肩をすくめて見せた。
 
「リエルと言ったかな? 天使だと分かっていれば、もう少し丁寧に扱ったのだが」
「あいつの名前を気安く呼ぶな」

 その態度が、デモリスを苛立たせる。表情には出にくいが、その口調は明らかに怒りを含んだものだった。
 最強と言われる男を動揺させているのが他ならぬ自分の言葉だということに、ディオスは満足感を覚えていた。

 リエル・クレール。デモリスにとっては、同じ地域から組織へとやってきた幼馴染だった。
 今では珍しい「天使」であり、彼女を世間から守るためにその事実は隠されてきた。その一方で、組織の戦闘部隊へ入隊を決めたデモリスに倣って同じ道に進み、多くのひとたちを守ってもいた。
 楽しいことが好きで、かつてデモリスたちに悪戯をしていたのは、テンダーではなくリエルだった。その後を引き継ぐようにしてテンダーが悪戯を始めたのも、彼女の死が関係しているのだろう。

 リエルは、とある任務の最中に姿を消し、次にデモリスたちと再会した時には敵に回っていた。
 だが、あの時の様子から本人の意思ではなく、まるで操られているかのようだと、デモリスやその場に居合わせたリードとテンダーも感じていた。

「あいつは、明らかに何者かに操られていた。そうでなければ、私達を襲うなどするはずがない。ずっと黒幕を探していたが……ようやく、それらしい人物を見つけたものでな」
「あの頃の私は、まだ未熟でした。天使の全属性使いコアマスターを失うとは、惜しいことをしましたね」

 リエルと呼ばれる天使を失ったことは損失だったなと、ディオスは思っていた。
 アンヘルもそうだが、天使族の血を引く者は少ない。まして、リエルは純粋な天使だった。それを知ったのは、他者を操る術が当時は不完全であったために、リエルが暴走した後のことだった。
 もう手遅れだと判断したディオスは、ある命令を最後に彼女を見限った。戦闘部隊員として頭角を現し始めていたデモリスを――彼女の幼馴染であり、大切な友であったデモリスを倒すように、と。
 結局、それが失敗に終わったため、彼は今もここに立っている。ディオスの物言いに、デモリスは眉間にしわを寄せた。

「まぁ、ここまで早くトリックが明かされてしまうとは、思っていませんでしたが。あの画家を操れなかったのは想定外でしたね」

 アルテストのテレビを通した警告。そして本人を組織で保護し、詳しく事情を聞けたことは大きかった。
 その話から、やはりディオスはひとを操る力を持っているのだろうと分かった。コアが視覚的に読み取れるアルテストによれば、闇のコアを応用した高度な魔法だろうということだった。

 そして、ファスの兄エイドも操られていることがはっきりした。
 大事なひとが操られ、敵になってしまうという状況にデモリスはリエルの姿を重ね、自分の直属の隊員でもあるファスのことをとても心配していた。同じ苦しみを味わわせないために、デモリスは早急にこの男をどうにかする必要があった。

 持続する魔法の効果を消すためには、魔法をかけた本人が魔法を解くか――術者を消すという方法が一般的に知られている。
 デモリスにとっては絶対に許せない相手だが、組織に属する者として安易に手をかけることはできない。説得するか、少し痛い目を見てもらうしかないなと、デモリスは冷静さを欠きつつある自分を律しながら考えていた。

「自分の意に反する者たちを操ってまで、なぜ全属性使いコアマスターを集める?」

 その問いかけに、ディオスは口角を上げる。

全属性使いコアマスターを集め、私の理想とする新たな世界を築く。生まれながらにして選ばれた者たちのための世界。最終的には、全属性使いコアマスターの中でも選りすぐりを集めた、完全なる世界を創るつもりだ」
「世界を創る……神の真似事か」
「あながち間違いではないだろう? 私たち全属性使いコアマスターは、神の子だとされている。それなのに、今の世界では正当な扱いを受けていない。それを正すのは間違っていないだろう。全属性使いコアマスターに正当な世界を」

 その言葉と同時に、デモリスは頭の中が騒がしくなるのを感じた。これが、操られる前兆なのだろうか。すかさず大剣を振るい、距離をとる。
 ここでデモリスが操られでもしたら、形成は一気に逆転してしまう。組織にとってこれ以上ない最強のカードがあちら側に渡ってしまえば、本当にディオスの望む世界になってしまう恐れがあった。

「残念だが、お前は神になどなれない。私がそれを許しはしないさ」
「ならば、こちらも本気でいくしかあるまい」

 話し合いで穏やかに解決とは、やはりいかない。
 デモリスがディオスを仕留めるのが先か、ディオスがデモリスを操るのが早いか。気の抜けない戦いが始まった。
 最強を謳われるデモリスだが、ディオスもそう簡単に懐に入ることは許さない。何人もの相手を操る力を持ったディオスは、様々な魔法を駆使した戦いを得意としていた。特に扱い慣れているのは闇の力で、鞭のようにしなる黒い紐状にした闇魔法を四方八方からデモリスに浴びせる。

 そんなディオスの猛攻を、圧倒的なパワーでデモリスはねじ伏せていく。日頃から体を鍛えていなければ扱うことも苦労する大剣を軽々と振り回し、闇の鞭を次々と薙いでいった。
 ディオスの攻撃パターンを観察する余裕もあるようで、その顔に疲れの色はまだ見えない。

(やはり、この男……只者ではないな。あの時に始末できてさえいれば、こう苦戦を強いられることもなかっただろうが。もはや、後の祭りだな)

 リエルがデモリスを仕留めそこなったことが頭を過るが、今更どうしようもない。

「さすがは天使を倒した男だな」
「貴様がいなければ、あんなことにはならずに済んだ。あの日から、ずっと貴様とまみえる日を待ち望んでいた」

 容赦のない一撃が、ディオスの放った魔法を全て掻き消す。

「あの時、私にもっと力があれば、あいつを救うことができただろう。もう二度と、弱さ故に大切なものを失わないように、強さを追い求めてきた。私が貴様ごときに負けることは、絶対にない」

 その強さは圧倒的だった。
 ただそこに立っているだけで、恐怖を感じる。全身から滲み出る強者の風格は、相対する者を怯ませるには十分だった。
 
「最後の慈悲だ。術を解き、操られている者たちを自由にしろ。大人しく我々に従う道が、最も賢い選択だと思うがな」
「私は新たな世界を創造し、神となるのだ。邪魔はさせん!!」

 吠えるように叫んだディオスの腹部を、デモリスの重い蹴りが捉える。
 体を丸め、うずくまるしかないディオスの元へデモリスが歩み寄っていく。体制を整えなければ。そう思い顔を上げようとしたディオスの頭上から、異様な笑い声が降り注いだ。

「ククク……滑稽だな。神は、そう簡単になれるものではない。お前の言う世界の創造は、ただのままごとに過ぎん。本当の神なら、理想の世界を一から創り直すことも容易だ。少なくとも、俺の創る世界に人はいらないなぁ……」

 どこか遠くを見るような目つきで、デモリスは呟く。
 いや、本当に彼はデモリスなのだろうかという疑問が頭を過ぎった。

「お前は、一体……」

 ディオスは困惑した。目の前の男は、いったい誰なのかと。
 そこにいるのは、紛れもなくデモリス・バスターである。しかし、今の彼はその皮を被った別人であるような錯覚を覚えた。
 何よりも、今、目の前にいる男は、何のためらいもなく自分を斬ることができる目をしていた。

「ひとつ教えてやろう」

 静かに、狂いなく、美しささえ感じるような動きで、デモリスは大剣を振るう。その洗練された動作から目が離せない。まるで他人の出来事を見ているかのような心地でありながら、頭の片隅では、自分はここまでなのだと確信する。
 迷いのない一撃がディオスを捕える瞬間、デモリスは手向けの言葉を送った。

至高の魂クラウン・コアこそ、神へ繋がる道だ」
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