あなたのやり方で抱きしめて!

小林汐希

文字の大きさ
28 / 98
9章 一通だけの手紙

28話 おまえの強さには敵わないよ…

しおりを挟む



 その年のバレンタインデー。俺は例年どおり誰からも貰うことはなかった。

 いや、最初から受け取る気にすらなれなかったというのが正しい。

 いつもどおり、顔では淡々と謝りながら、頭の事は別のことでいっぱいだった。

「小島先生、どうなされたんですか? 何か思い詰めているような顔をされて」

「いや、ちょっと真面目に考えなきゃならないことがありまして……」

 職員室にも微かに甘い香りが漂うが、俺は生徒と同じく、丁重に辞退させてもらった。


 土日を挟んで、俺は返事の手紙を考えた。


 原田の気持ちを考えれば、事は急を要する。最低でも退院の前には何かしらの言葉をかけてやる必要がある。

 彼女の本音を吐き出したあの言葉は嬉しいし光栄でもある。しかし今はあの内容に応えることはできない。それでは原田の気持ちに寄り添えないことになる。

 この相反する問題に答えを出せるのか……。いくら考えても、両方を満たせるものは思い付けなかった。

 俺だけでなく彼女だって分かっている。今の俺たちの立場間に許される気持ちではないことくらい。

 すでに他の生徒とは別格になっている原田への気持ちなど、始業式の放課後に廊下を二人で歩いたときから気づいている。

 これまでそこにロックをかけることで、彼女はもちろん、他の生徒からの誘いにも振り向かないようにしてきていたのだから。


 どれだけ考えても、これから書くことは、間違いなく原田を傷つけてしまうだろう。

 俺は自分の選んだ教師という道を初めて恨んだ。

 原田の気持ちはできる限り受け止めてやりたい。彼女なりに必死でここまで頑張ってきたし、その原動力が俺にあったとしても、それは一人一人違うのだから、悪いこととは言わない。

 仕方ないのか……。

 特定の生徒に依怙贔屓えこひいきをすることは絶対にしてはならない。もちろん原田だからと言って、これまでの試験の採点などに考慮したこともない。

 一人の教師として、教え子である彼女が元気に卒業を迎えて旅立っていくことが俺の一番の喜びだと……、それを書き綴った。

 それが自分の本心でないことくらい痛いほど分かっていながら……。




 正直、この手紙を渡したときの原田を見たくなかった。

 いつものように教科書とプリントの補習授業を終えて、帰り支度をする。

「原田、これが返事だ」

「えっ……」

 俺から差し出された封筒を、彼女は恐る恐る受け取り、胸の前で抱きかかえている。

「ありがとうございます。お返事を書いていただけるなんて」

「いや正直……、原田を傷つけてしまうと思って、渡すかどうか迷ったんだが」

「結果はもちろん分かっています。ここで読ませていただいてもいいでしょうか」

 原田の切ない微笑みが心に痛い。今すぐにでもあの手紙をひったくって破いてしまいたいくらいだ。

 小さな折り畳みのペーパーナイフで丁寧に封を開け始めた原田を置き去りにすることはできない。俺は再び病室のパイプ椅子に座った。彼女が中身の便せんを取り出す。

 部屋の中には沈黙が流れるが、声を出せるような空気ではない。

「先生……。ありがとうございました。私のこと、こんなに大切に思っていただいていること、絶対に忘れません」

 本当なら泣き出したいのを必死に堪えているのだろう。

 俺は一人の少女の初恋を傷つけてしまったのだから。

「大丈夫です。ほら、初恋って叶わないって言うじゃないですか。私は頑張ります」

「すまない。3年になっても、教科の担当はあるはずだ。他の教科でも構わない。いつでも来ていいからな」

「はい。その時はまたよろしくお願いします」

 病院を出て振り返って部屋を見上げる。

 今頃どうしているだろうか。普通の子なら泣きじゃくっているかもしれない。でも彼女に限れば、パニックを起こしているよりも、心の痛みが落ち着くのをじっと我慢している姿の方が想像できた。

「原田……。俺は原田おまえの強さにはかなわねぇよ……」

 帰り道につぶやいた言葉が、その時の俺の精いっぱいだった。




 春休みに入って、新年度の準備で忙しくなって毎日来られないことを伝えても、原田は理解してくれていた。

「大丈夫です。私ももうすぐ退院ですから」

 そのときに聞いておけばよかった。

 退院とは全員が「完治・回復したことによるものだけではない」ということを……。

「先生、ありがとうございました」

 エレベーターホールではなく、病院の玄関まで見送ってくれた原田は、最後まで笑顔でいてくれた。

 それがせめてもの救いだったのだけど、学生・原田結花が最後に精いっぱい作ってくれた笑顔だったということに、すぐに気づかされることになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...