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二章:春知らずの雛鳥
17:転がる卵
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あれから午前中はお互い勉強もあるので部屋に一人で籠もりきり、顔を合わせたのは昼食だけ。
今朝言っていた通り午後は鷹人が出掛けてしまったので呼び出されることは無かった。
あちらが遅くなったのでそのまま夕食も外で取ってきたらしい。
「お帰りなさいませ」
そうして鷹人が屋敷に帰ってきたのは子供が寝る時間。
どうせベッドは共にするだろうからと雛子は既に支度を整えた後。
夕食と入浴を済ませた後にメイド服に着替えると、玄関まで出迎えに行った。
ただいつもと違う点があるとすれば、もともとお喋りでない鷹人だが妙に口数が少ない気がした。
それだけでなくよそよそしいというか、何だか雛子と目が合わない。
違和感は募りつつも見ない振りをしておいた。
もし言いたいことがあるなら、向こうから切り出してくるだろうし。
鷹人の部屋に着いて、コートを脱がせてハンガーに掛けたところまでは妙な息苦しさ。
布の内側から撒き散ったサンダルウッドの匂いだけがいつも通り。
そうして、ふと鷹人が頭を下げた。
「雛子、今まで酷いことして悪かった……申し訳ない」
ちらりと見えた表情も声も、苦みに耐えきれなくなったといったところか。
この数日の蛮行を謝罪されている訳だが、雛子の気持ちは晴れず訝しむばかり。
急にどうしたというのだ、今更。
「謝って済むことじゃないが、もう、ああいうことはしなくて良い……俺だけじゃなくて、話つけておくから親父にも触れさせたりしない……だから……」
ああ、これは別れ話か。
だから、の次に続く言葉はどうでも良い。
確かに雛子の腹の中で小さく苛立ちの火花が散った。
それでも表情には出ず、暗褐色の双眸は深さ暗さを増す。
「何ですか、急に婚約でも決まりましたか?」
「そんなんじゃ……」
こういう時、雛子の目は静かに闇を宿す。
鷹人の方が背は高いというのに、こちらに見下されているような錯覚を感じているのだろう。
口ごもった鷹人から続きの言葉は出てこない。
「父親の愛玩具と関係を持ってしまったのは無かったことにしたいのでしょうけど、虫が良いですね」
だから何なのだ、その反応は。
鷹人の方が酷く傷付いた表情で強張る。
もともと遊びの筈なのでいつお役御免の通告をされてもおかしくなかった関係。
しかしどういう訳だかは知らないが、鷹人は罪悪感で苛まれているらしい。
単に好き放題やって精液を吐いたので頭が冷えてきただけという可能性もあり、そこは雛子も興味無し。
それなら畳み掛けてしまおうか。
身長差は掌一つ分といったところ。
雛子が腕を伸ばせば届く距離、鷹人の首に巻き付けて引き寄せた。
近付いた男の顔はやはり腹立たしいくらい端正。
その形の良い唇を、こちらから啄んだ。
「っン……ふ、ぅ……」
鷹人はといえば非力な雛子を突き放せずにされるがまま、濡れた声が零れ落ちる。
口を塞がれて息苦しくなったようで開いたところに、忍ばせたこちらの舌が縮こまっていたあちらの舌と絡む。
罪悪感は胸の内側からの痛み。
そんなもの雛子にはどうにも出来ず、鷹人が一人で向き合わねばならない。
今まで散々いやらしいことをしておきながら、頭を下げて全て過去にするつもりか。
幼かった雛子に欲をぶち撒けた大人という点なら鷹人も当主と何も変わらなかった。
一人だけ楽になろうなんて、そうはいかない。
どうせなら最後まで酷い奴でいてくれた方がマシだ。
「過ぎたこととはよく言いますけど、起きてしまったことは変えられませんよ……当主様が帰ってくるまで私もお相手しますので、一度手を出した責任は持って下さい」
それを聞いて、息継ぎする鷹人の唇が何か言葉を紡ごうとする。
許してくれとでも懇願するつもりか。
この数年、どれだけ拒絶しても雛子が許されたことなんて一度も無かったのに。
というのは、飽くまでもこちらが想定していた範囲の話。
「俺は……っ雛子が、好きなんだよ……だから、もう無理だろうけど、今からでもお前のこと大事にしたいんだ……」
「…………は?」
麻痺して縺れそうな舌で鷹人が吐いたのは、愛。
流石にこれは訳が分からなかった。
唇を繋ぐ糸が消え、揃ってカーペットの床に座り込んで小休止。
繋ぎ止めたくて愛を口にするのは物語でならよくあることだと思っていたが、こんな時に告白するのか。
どうして、いつから。
「一目惚れだよ、初めてお前に逢った時から気になって仕方なかった……今まで本当にごめんな、親父に嫉妬して暴走した。でも、俺は、遊びで女を抱いたりなんか……」
傲慢で威圧的な面を引き込め、もう隠しきれないとばかりに鷹人は素直なものだった。
諦めたような、少し恥ずかしそうな。
そうして今までの認識や言動の意味が逆上がりする。
不仲の父親への対抗心という先入観が雛子にはあったものだから、まさか恋情を燃やしていたとは。
とはいえ、はいそうですかと返事は出来ない。
「そんなの、信じられませんよ……割り切れなくて情が湧いただけでしょう」
仮に鷹人の恋心が本物だとしても、雛子からすれば「気持ちは嬉しい」の社交辞令すら返せず。
若くて見目麗しい相手と身体を繋げ、擬似的に恋人じみた空気になることもあったら多少は揺さぶられる。
そう、情くらいは芽生えるというのは雛子自身も当て嵌まることだった。
だからこれは自分にも言い聞かせていること。
ただでさえ最上家に引き取られてからというもの、当主にガードされて同年代の男から隔離されてきたのだから尚更。
加えて、一目惚れは性欲に由来するものだという。
当主も雛子が小学生だった頃から目を付けていた訳なので、やはり父子で好みが似るのか。
確かに可愛らしい顔立ちをしている自覚こそあれど、単に髪色が珍しくて注目されがちなのだと思っていた。
もしこの髪が黒ければ、亡き母の親友だった来島家に引き取られて平穏に過ごせていたろうにと。
「何だ、気付いていなかったのか……俺はもう好意なんかバレてるものだとばかり思ってたんだがな」
「知りませんよ、人を好きになったことなんかありませんし」
目を逸らさないままで雛子が突き放す言い方をしてみせると、鷹人から苦笑の欠片が消えた。
はて、そこまで攻撃的だったつもりは無いのだが。
「そう、か……俺は、初恋も知らない女に……あぁ……」
どうも妙な刺さり方をしてしまったらしく鷹人が頭を抱えて呟く。
しかし口を閉ざされるにはまだ早く、訊かなければならない。
結局、雛子のことを具体的にどうしたいのか。
「……今言われても困らせるだけだろうが、真剣に付き合いたい。雛子が良いんだ」
頼むから頷いてくれと、いつになく熱の通った鷹人の言葉。
雛子も心が動かなかった訳でもない。
だとしても、暗褐色の双眸にまだ光は差さず。
「大事にしたい、とは鷹人様にとってそうなのですね……交際すれば責任を取ることになるのですか?」
何も分からない顔を装って雛子が小首を傾げてみせた。
この返事は意地悪だったかもしれないが。
何しろ本家の一人息子がいつまでも独身という訳にいくまい。
また近いうちにでも当主がどこか良家との縁談を持ってくることは目に見えている。
前回のご令嬢にはたまたま逃げられただけの話。
鷹人は家柄も容姿も申し分なく、今度こそ滞りなく決まるのだろう。
それまでの繋ぎにされるのなんて雛子はお断り。
今、交際を承諾したところで未来は見えやしないのだ。
「どうすれば信じてくれるんだよ、雛子……」
「そんなのご自分で考えて下さい」
卵が転がるような危ういバランス。
こうして、ここに居る男と女は立場を変えた。
傲慢だった鷹は愛を乞い、噛み砕かれた欲望を口移しで捩じ込まれてきた雛鳥は未熟さ故に恋が分からない。
意地や苛立ちや確執や、この道に横たわる障害物はそれこそ手強く数え切れず。
呆気なく割れてしまう前に、さあ、捕まえてご覧なさいな。
今朝言っていた通り午後は鷹人が出掛けてしまったので呼び出されることは無かった。
あちらが遅くなったのでそのまま夕食も外で取ってきたらしい。
「お帰りなさいませ」
そうして鷹人が屋敷に帰ってきたのは子供が寝る時間。
どうせベッドは共にするだろうからと雛子は既に支度を整えた後。
夕食と入浴を済ませた後にメイド服に着替えると、玄関まで出迎えに行った。
ただいつもと違う点があるとすれば、もともとお喋りでない鷹人だが妙に口数が少ない気がした。
それだけでなくよそよそしいというか、何だか雛子と目が合わない。
違和感は募りつつも見ない振りをしておいた。
もし言いたいことがあるなら、向こうから切り出してくるだろうし。
鷹人の部屋に着いて、コートを脱がせてハンガーに掛けたところまでは妙な息苦しさ。
布の内側から撒き散ったサンダルウッドの匂いだけがいつも通り。
そうして、ふと鷹人が頭を下げた。
「雛子、今まで酷いことして悪かった……申し訳ない」
ちらりと見えた表情も声も、苦みに耐えきれなくなったといったところか。
この数日の蛮行を謝罪されている訳だが、雛子の気持ちは晴れず訝しむばかり。
急にどうしたというのだ、今更。
「謝って済むことじゃないが、もう、ああいうことはしなくて良い……俺だけじゃなくて、話つけておくから親父にも触れさせたりしない……だから……」
ああ、これは別れ話か。
だから、の次に続く言葉はどうでも良い。
確かに雛子の腹の中で小さく苛立ちの火花が散った。
それでも表情には出ず、暗褐色の双眸は深さ暗さを増す。
「何ですか、急に婚約でも決まりましたか?」
「そんなんじゃ……」
こういう時、雛子の目は静かに闇を宿す。
鷹人の方が背は高いというのに、こちらに見下されているような錯覚を感じているのだろう。
口ごもった鷹人から続きの言葉は出てこない。
「父親の愛玩具と関係を持ってしまったのは無かったことにしたいのでしょうけど、虫が良いですね」
だから何なのだ、その反応は。
鷹人の方が酷く傷付いた表情で強張る。
もともと遊びの筈なのでいつお役御免の通告をされてもおかしくなかった関係。
しかしどういう訳だかは知らないが、鷹人は罪悪感で苛まれているらしい。
単に好き放題やって精液を吐いたので頭が冷えてきただけという可能性もあり、そこは雛子も興味無し。
それなら畳み掛けてしまおうか。
身長差は掌一つ分といったところ。
雛子が腕を伸ばせば届く距離、鷹人の首に巻き付けて引き寄せた。
近付いた男の顔はやはり腹立たしいくらい端正。
その形の良い唇を、こちらから啄んだ。
「っン……ふ、ぅ……」
鷹人はといえば非力な雛子を突き放せずにされるがまま、濡れた声が零れ落ちる。
口を塞がれて息苦しくなったようで開いたところに、忍ばせたこちらの舌が縮こまっていたあちらの舌と絡む。
罪悪感は胸の内側からの痛み。
そんなもの雛子にはどうにも出来ず、鷹人が一人で向き合わねばならない。
今まで散々いやらしいことをしておきながら、頭を下げて全て過去にするつもりか。
幼かった雛子に欲をぶち撒けた大人という点なら鷹人も当主と何も変わらなかった。
一人だけ楽になろうなんて、そうはいかない。
どうせなら最後まで酷い奴でいてくれた方がマシだ。
「過ぎたこととはよく言いますけど、起きてしまったことは変えられませんよ……当主様が帰ってくるまで私もお相手しますので、一度手を出した責任は持って下さい」
それを聞いて、息継ぎする鷹人の唇が何か言葉を紡ごうとする。
許してくれとでも懇願するつもりか。
この数年、どれだけ拒絶しても雛子が許されたことなんて一度も無かったのに。
というのは、飽くまでもこちらが想定していた範囲の話。
「俺は……っ雛子が、好きなんだよ……だから、もう無理だろうけど、今からでもお前のこと大事にしたいんだ……」
「…………は?」
麻痺して縺れそうな舌で鷹人が吐いたのは、愛。
流石にこれは訳が分からなかった。
唇を繋ぐ糸が消え、揃ってカーペットの床に座り込んで小休止。
繋ぎ止めたくて愛を口にするのは物語でならよくあることだと思っていたが、こんな時に告白するのか。
どうして、いつから。
「一目惚れだよ、初めてお前に逢った時から気になって仕方なかった……今まで本当にごめんな、親父に嫉妬して暴走した。でも、俺は、遊びで女を抱いたりなんか……」
傲慢で威圧的な面を引き込め、もう隠しきれないとばかりに鷹人は素直なものだった。
諦めたような、少し恥ずかしそうな。
そうして今までの認識や言動の意味が逆上がりする。
不仲の父親への対抗心という先入観が雛子にはあったものだから、まさか恋情を燃やしていたとは。
とはいえ、はいそうですかと返事は出来ない。
「そんなの、信じられませんよ……割り切れなくて情が湧いただけでしょう」
仮に鷹人の恋心が本物だとしても、雛子からすれば「気持ちは嬉しい」の社交辞令すら返せず。
若くて見目麗しい相手と身体を繋げ、擬似的に恋人じみた空気になることもあったら多少は揺さぶられる。
そう、情くらいは芽生えるというのは雛子自身も当て嵌まることだった。
だからこれは自分にも言い聞かせていること。
ただでさえ最上家に引き取られてからというもの、当主にガードされて同年代の男から隔離されてきたのだから尚更。
加えて、一目惚れは性欲に由来するものだという。
当主も雛子が小学生だった頃から目を付けていた訳なので、やはり父子で好みが似るのか。
確かに可愛らしい顔立ちをしている自覚こそあれど、単に髪色が珍しくて注目されがちなのだと思っていた。
もしこの髪が黒ければ、亡き母の親友だった来島家に引き取られて平穏に過ごせていたろうにと。
「何だ、気付いていなかったのか……俺はもう好意なんかバレてるものだとばかり思ってたんだがな」
「知りませんよ、人を好きになったことなんかありませんし」
目を逸らさないままで雛子が突き放す言い方をしてみせると、鷹人から苦笑の欠片が消えた。
はて、そこまで攻撃的だったつもりは無いのだが。
「そう、か……俺は、初恋も知らない女に……あぁ……」
どうも妙な刺さり方をしてしまったらしく鷹人が頭を抱えて呟く。
しかし口を閉ざされるにはまだ早く、訊かなければならない。
結局、雛子のことを具体的にどうしたいのか。
「……今言われても困らせるだけだろうが、真剣に付き合いたい。雛子が良いんだ」
頼むから頷いてくれと、いつになく熱の通った鷹人の言葉。
雛子も心が動かなかった訳でもない。
だとしても、暗褐色の双眸にまだ光は差さず。
「大事にしたい、とは鷹人様にとってそうなのですね……交際すれば責任を取ることになるのですか?」
何も分からない顔を装って雛子が小首を傾げてみせた。
この返事は意地悪だったかもしれないが。
何しろ本家の一人息子がいつまでも独身という訳にいくまい。
また近いうちにでも当主がどこか良家との縁談を持ってくることは目に見えている。
前回のご令嬢にはたまたま逃げられただけの話。
鷹人は家柄も容姿も申し分なく、今度こそ滞りなく決まるのだろう。
それまでの繋ぎにされるのなんて雛子はお断り。
今、交際を承諾したところで未来は見えやしないのだ。
「どうすれば信じてくれるんだよ、雛子……」
「そんなのご自分で考えて下さい」
卵が転がるような危ういバランス。
こうして、ここに居る男と女は立場を変えた。
傲慢だった鷹は愛を乞い、噛み砕かれた欲望を口移しで捩じ込まれてきた雛鳥は未熟さ故に恋が分からない。
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