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二章:冷たい鳥籠(雛子過去編)
31:誰が鷲を殺したのか
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当主は誤って高い階段の上から落ちて亡くなったそうだ。
居合わせた者の話によると直前に胸を押さえて酷く苦しむ様子を見せ、周りが駆け寄る間もなく足を踏み外して真っ逆さまだったという。
そう聞くと毒物を摂取した可能性もあったが、解剖の結果によれば当主の直接的な死因は落下による頭部の外傷、それに加えて心筋梗塞も。
持病が無くても起こり得るので、心臓発作とは突然死の中で最も多い事例である。
世界情勢というのは目紛るしいものでこの約一ヶ月の間にも変化があり、思わぬところにも影響。
当主が出張へ行っている間に図らずも某国の上空が渡航禁止となってしまったのだ。
そういう訳で本来ならば遺族が現地に飛んで火葬を見届けてから骨を持ち帰る流れのところ、結局は骨だけが海を渡って帰ってきた。
両親が亡くなった時も、人は死んだらこんなにも小さくなってしまうのかと雛子は愕然とした。
あの悍ましかった男が今やたったの骨壺一つ分か。
死に顔を見ることも無かったものだから、これは本当に当主の物なのかとどこか信じ難い。
実はこれが別人の骨で、本人はまだどこかで生きているのではなんて妄想まで。
ともあれ北国を拠点としつつも全国に関連企業を持つ最上グループの当主が亡くなったのだ。
「最上大鷲の死去」は新聞やネットの記事では小さくニュースにも載った訳だが、最上家を始めとして分家の方では天地が引っ繰り返るような大騒ぎだった。
何より関心事とは、遺言状の開封時である。
妻も亡くしている上、自身も中高年ということで思うところがあったのか数年おきに書いていたらしい。
年を経るほど死とは間近に感じるものなのだ。
最上家の後継は鷹人、遺産の分配は順当に。
しかしここ最近また遺言状を書き換えたらしく、雛子にも遺産を残す一筆。
確かに両親の葬式の時に「大学卒業までは金銭面も合わせて面倒を見る」と皆の前で公言したが、それを踏まえても桁が一つ大きかった。
要するに性的虐待による慰謝料や口止め料か。
問題は、それを知らない親戚達が黙っていなかったこと。
養子縁組もしていないくせに明らかにおかしい。
慈悲深い当主様に取り入ったか、卑しい娘め。
大人達からそんな罵倒も受けたが、そこは鷹人が一睨みして黙らせた。
流石にひそひそ話だけは止まずとも。
意外と本家に近い分家の反応は落ち着いたもので、憎しみを剥き出しにしたのは倉敷家と同程度に序列が低い分家の方。
要するに羨ましいのだけなのだろう。
親戚間の集まりでは毎回お互いに演技で父と娘のような姿を見せてはいた。
あれは外面の良い当主のごっこ遊びだった訳だが、疎遠だった鷹人よりも仲睦まじげでは眉毛を潜める者くらい居る。
そう、何をおいても鷹人の心労が凄まじい。
ただでさえ突然この若さで当主となってしまった責任に圧し潰されそうだというのに。
ここ十年は実家よりも母方である分家と繋がりが深く、喪主を務めつつも葬儀などの点はそちらを頼ったお陰で何とかなった。
しかし本家の一人息子だけに跡継ぎになる覚悟はしていたものの、まさかこんなにも早く突然とは。
「毎晩、雛子を抱きながら親父が二度と帰って来なきゃ良いと思ってた。この表情も声も体温も知ってて、お前の初めてを全部奪った奴のことは殺したいくらい憎かったよ。
でも本当なら、ぶつかってでも直接折り合い付けなきゃいけなかったんだ……本当に死んでしまって、どうしたら良いのか分からない……」
子供じみた駆け落ちは終わり、あのマンションを引き払って結局また屋敷に戻ってきてしまった。
勤め先は最上の関連企業なので融通が利くとはいえ、やることが山積みの鷹人は息が詰まる。
となれば仕方あるまい、雛子も世話役に復帰。
外で気を張っている分だけ休息は大切、食事を運んだり寝かしつけて何とか鷹人は生きていた。
「……お前が居てくれて良かった」
雛子の胸に顔を埋めて疲れた声で呟く。
弱っているので、二人きりの時に子供のような甘えられ方をしても大目に見ることにして。
こうして慌ただしい日々が過ぎて葬儀から半月後か。
護衛として屈強な男達を数人連れつつ、一人の女性が最上家を訪れた。
「この度はお悔やみ申し上げます」
しっとりしたハスキーボイスで優雅な会釈。
当主と同年代にしては若々しくも、雰囲気や立ち振る舞いは上品に年齢を重ねた柔らかさがある。
豊かな長い黒髪と涼しい目元が妖艶な美女で、来島千鳥という。
雛子の亡き母の親友にして、関東のとある高級クラブのママとして業界では有名人。
雛子にとって千鳥は二人目の母のようなもの。
会うのは両親の葬式以来だが、時々メッセージアプリで連絡だけは取っていた。
それでも性的虐待の件は明かせずに。
最上家を追い出されたとしても知られたくない、そこまで頼れない。
というのもこれまでの話、今は違う。
わざわざ千鳥が遠い北国まで来た目的は弔問でなく、そこはむしろ建前に過ぎず。
今度こそ雛子を引き取りに来たのだった。
千鳥も深く訊かなかったとはいえ、あまり良くない境遇だと悟っていたのかもしれない。
あの時、勝手に連れて行ってしまった当主はもう居ないのだ。
最上家に行くことは血縁だからと雛子の親戚達も賛成したが、今度は皮肉なことに血縁が厄介なものとなり遺産の件で追い出したい空気を漂わせている。
鷹人が居るから何とか抑えられているだけ。
「お断りします、雛子はもう家族ですから」
鷹人の返事は当然のごとく否。
流石に社会人と高校生では外聞が悪い上にタイミングも良くないので、婚約の件は雛子が大学生になるまで黙っておく手筈だった。
鷹人は彼女が頷くまで待つつもりでもあったし。
今現在は一応ながらも兄妹のようなもの。
断りの言葉を告げた後、鷹人が雛子に目配せした。
そちらの口からもはっきり断れと。
さて、雛子の返事は。
「いいえ……そんな、恐れ多いです……」
鷹人に向かって首を横に振る無表情。
初めて彼と会った時と変わらず、家族という括りに対する否定を示す。
「……私、遺産は要りませんので出て行きます。今までお世話になりました」
初めて逢った時と同じように深々と頭を下げる。
何だか居心地の悪さまで鮮やかに思い出してしまう。
礼の寸前にちらりと見えた、鷹人の顔。
酷く強張っていて、それこそ気の毒になるくらいだったがどうしようもない。
もし、いつか、こういう時が来たら雛子は躊躇わずに去ろうと決めていたのだ。
居合わせた者の話によると直前に胸を押さえて酷く苦しむ様子を見せ、周りが駆け寄る間もなく足を踏み外して真っ逆さまだったという。
そう聞くと毒物を摂取した可能性もあったが、解剖の結果によれば当主の直接的な死因は落下による頭部の外傷、それに加えて心筋梗塞も。
持病が無くても起こり得るので、心臓発作とは突然死の中で最も多い事例である。
世界情勢というのは目紛るしいものでこの約一ヶ月の間にも変化があり、思わぬところにも影響。
当主が出張へ行っている間に図らずも某国の上空が渡航禁止となってしまったのだ。
そういう訳で本来ならば遺族が現地に飛んで火葬を見届けてから骨を持ち帰る流れのところ、結局は骨だけが海を渡って帰ってきた。
両親が亡くなった時も、人は死んだらこんなにも小さくなってしまうのかと雛子は愕然とした。
あの悍ましかった男が今やたったの骨壺一つ分か。
死に顔を見ることも無かったものだから、これは本当に当主の物なのかとどこか信じ難い。
実はこれが別人の骨で、本人はまだどこかで生きているのではなんて妄想まで。
ともあれ北国を拠点としつつも全国に関連企業を持つ最上グループの当主が亡くなったのだ。
「最上大鷲の死去」は新聞やネットの記事では小さくニュースにも載った訳だが、最上家を始めとして分家の方では天地が引っ繰り返るような大騒ぎだった。
何より関心事とは、遺言状の開封時である。
妻も亡くしている上、自身も中高年ということで思うところがあったのか数年おきに書いていたらしい。
年を経るほど死とは間近に感じるものなのだ。
最上家の後継は鷹人、遺産の分配は順当に。
しかしここ最近また遺言状を書き換えたらしく、雛子にも遺産を残す一筆。
確かに両親の葬式の時に「大学卒業までは金銭面も合わせて面倒を見る」と皆の前で公言したが、それを踏まえても桁が一つ大きかった。
要するに性的虐待による慰謝料や口止め料か。
問題は、それを知らない親戚達が黙っていなかったこと。
養子縁組もしていないくせに明らかにおかしい。
慈悲深い当主様に取り入ったか、卑しい娘め。
大人達からそんな罵倒も受けたが、そこは鷹人が一睨みして黙らせた。
流石にひそひそ話だけは止まずとも。
意外と本家に近い分家の反応は落ち着いたもので、憎しみを剥き出しにしたのは倉敷家と同程度に序列が低い分家の方。
要するに羨ましいのだけなのだろう。
親戚間の集まりでは毎回お互いに演技で父と娘のような姿を見せてはいた。
あれは外面の良い当主のごっこ遊びだった訳だが、疎遠だった鷹人よりも仲睦まじげでは眉毛を潜める者くらい居る。
そう、何をおいても鷹人の心労が凄まじい。
ただでさえ突然この若さで当主となってしまった責任に圧し潰されそうだというのに。
ここ十年は実家よりも母方である分家と繋がりが深く、喪主を務めつつも葬儀などの点はそちらを頼ったお陰で何とかなった。
しかし本家の一人息子だけに跡継ぎになる覚悟はしていたものの、まさかこんなにも早く突然とは。
「毎晩、雛子を抱きながら親父が二度と帰って来なきゃ良いと思ってた。この表情も声も体温も知ってて、お前の初めてを全部奪った奴のことは殺したいくらい憎かったよ。
でも本当なら、ぶつかってでも直接折り合い付けなきゃいけなかったんだ……本当に死んでしまって、どうしたら良いのか分からない……」
子供じみた駆け落ちは終わり、あのマンションを引き払って結局また屋敷に戻ってきてしまった。
勤め先は最上の関連企業なので融通が利くとはいえ、やることが山積みの鷹人は息が詰まる。
となれば仕方あるまい、雛子も世話役に復帰。
外で気を張っている分だけ休息は大切、食事を運んだり寝かしつけて何とか鷹人は生きていた。
「……お前が居てくれて良かった」
雛子の胸に顔を埋めて疲れた声で呟く。
弱っているので、二人きりの時に子供のような甘えられ方をしても大目に見ることにして。
こうして慌ただしい日々が過ぎて葬儀から半月後か。
護衛として屈強な男達を数人連れつつ、一人の女性が最上家を訪れた。
「この度はお悔やみ申し上げます」
しっとりしたハスキーボイスで優雅な会釈。
当主と同年代にしては若々しくも、雰囲気や立ち振る舞いは上品に年齢を重ねた柔らかさがある。
豊かな長い黒髪と涼しい目元が妖艶な美女で、来島千鳥という。
雛子の亡き母の親友にして、関東のとある高級クラブのママとして業界では有名人。
雛子にとって千鳥は二人目の母のようなもの。
会うのは両親の葬式以来だが、時々メッセージアプリで連絡だけは取っていた。
それでも性的虐待の件は明かせずに。
最上家を追い出されたとしても知られたくない、そこまで頼れない。
というのもこれまでの話、今は違う。
わざわざ千鳥が遠い北国まで来た目的は弔問でなく、そこはむしろ建前に過ぎず。
今度こそ雛子を引き取りに来たのだった。
千鳥も深く訊かなかったとはいえ、あまり良くない境遇だと悟っていたのかもしれない。
あの時、勝手に連れて行ってしまった当主はもう居ないのだ。
最上家に行くことは血縁だからと雛子の親戚達も賛成したが、今度は皮肉なことに血縁が厄介なものとなり遺産の件で追い出したい空気を漂わせている。
鷹人が居るから何とか抑えられているだけ。
「お断りします、雛子はもう家族ですから」
鷹人の返事は当然のごとく否。
流石に社会人と高校生では外聞が悪い上にタイミングも良くないので、婚約の件は雛子が大学生になるまで黙っておく手筈だった。
鷹人は彼女が頷くまで待つつもりでもあったし。
今現在は一応ながらも兄妹のようなもの。
断りの言葉を告げた後、鷹人が雛子に目配せした。
そちらの口からもはっきり断れと。
さて、雛子の返事は。
「いいえ……そんな、恐れ多いです……」
鷹人に向かって首を横に振る無表情。
初めて彼と会った時と変わらず、家族という括りに対する否定を示す。
「……私、遺産は要りませんので出て行きます。今までお世話になりました」
初めて逢った時と同じように深々と頭を下げる。
何だか居心地の悪さまで鮮やかに思い出してしまう。
礼の寸前にちらりと見えた、鷹人の顔。
酷く強張っていて、それこそ気の毒になるくらいだったがどうしようもない。
もし、いつか、こういう時が来たら雛子は躊躇わずに去ろうと決めていたのだ。
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