鳳凰の巣には雛が眠る〜かつて遊び人だった俺と慰み者だった君が恋人になるまで〜

タケミヤタツミ

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二章:冷たい鳥籠(雛子過去編)

30:桜並木*

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「お前は脱がすとどれもこれも白ばっかりだな……やっぱり親父の趣味だろ……」

ベッドの上でボタンを外された時、鷹人が顰め面をしながらそう言った。
雛子は返事せずにいたが、実のところ「下着は白のみ」と校則のような決まり事を言い渡されていたので指摘は正解。
当主自身も白いブリーフで一貫しており、これは五十年前なら流行最先端だったらしいので一応納得しておいたものだ。

よそ行きの服も当主がよく贈ってきてフリルが少女趣味なモノクロばかり。
センスは悪くなかった上、グラマーな雛子が着てもそこまで膨らんで見えないタイプを選んでいるようで落ち着いた可愛らしい雰囲気に纏まっていた。

雛子を愛していたからなんて結論付けは単純過ぎる。
「脱がせる為の清楚」なのだ、結局のところ。


午後に到着したので、同棲一日目の夜は足早に訪れる。
鷹人の家は大学時代から住んでいるというマンションの七階、見晴らしが良すぎてベランダからの眺めは何だか足が竦みそうだった。
最上家の洋館は明治の匂いが色濃く残っていたので急に現代へ帰ってきたような感覚も。

空き部屋を軽く片付けて雛子が一人になれる個室として与えてもらった。
鷹人はどちらかといえば溜め込む前に捨ててしまう性分だそうで私物は少なめ、何とかその日のうちに格好がついたと思う。

ただ、寝る時はこうして鷹人の部屋で同じベッド。
カーテンレールに掛けられたジャケットのハンガー、無造作に詰まれた本や使いかけのハンドクリーム。
意外にもシリコンライトは可愛らしいクマの形。
何年も空けていた実家の部屋よりも生活感があり、染み付いたサンダルウッドにも男の匂いが絡む。

服を始めとして荷物は必要最低限のみ持ってこなかったのでまだお泊まりのような雰囲気。
屋敷を出たという実感はまだ薄かった。


「明日は必要な物買いに行かないとな」

頷いたら、顎を持ち上げられてキスが落ちる。
その間にも冷たい手は雛子の肌を這い、纏わり付く布を一つずつ剥がしていく。

そういえば、父親の好みのものは大体嫌いだと前に鷹人は言っていた。
だとしても下着の色に意味なんてあるのだか。
どうせこうして脱がせてしまうくせに。
雛子一人だけ裸でシーツに引き倒され、羞恥で背けた顔どころか全身が薔薇色に染まる。
あちらはまだ碌に脱いでないのでこれでは不公平ではないか。

「実家は長いこと帰ってなかったし、いまいち居心地悪かったから実感無かったが……自分のベッドに好きな女が居るのは良いもんだな」

覆い被さる鷹人に腕を取られて隠すことは許されず、真っ直ぐに視線を注がれる。
これが情欲だけでギラついているのならまだ分かるものを、そうやって眩しげ愛しげな目をされると堪らなく切ない。


「……お前が誰より愛おしい」

いつになく真剣な面差しの鷹人が告げた時、滲んだ汗でサンダルウッドが艶やかに匂い立っていた。

こうした場面は本や映画で幾らでも見てきたのに。
ラブストーリーのヒロインなら真珠の涙を浮かべて微笑むのが定番。
悲しげな色を宿す雛子は何も答えられずにいた。
鷹人がどんなに本気であろうと受け取ることが出来ない。

どうしてなんて、そんなの。


「酷いことした自覚はある……今まで悪かったな、これからはなるべく優しくするよ……」

凍ったような長い指は雛子の体温で次第に解ける。
唇を交わす度に熱が上がって、血が煮え立つ苦しみは酷く甘やか。
絡まる髪だけが血の通わぬ冷たさ。
椿が香る金色の一房を摘み、そこにも鷹人が唇を落とす。

そうして雛子の全身にキスの雨を降らせ、互いの発情で湿り気を帯びてくる。
色付いた溜息が落ちる頃に脚を開かされた。
蜜で滑る花弁は雄を呑み込んで、こちらも男の背中に爪を立てた。

「んんッ……ふぁ、あっ、あぁ……くぅぅ……っ」

激しさを増すと痛むのは胸だけ。
揺さぶられて宙を蹴る爪先、左足首に金色の鎖が微かに鳴った。





一晩明けて、その日は夕方まで二人で出掛けた。
昨日の約束通り主に買い物へ。

まず最初に鷹人から行ってみたいところを訊かれても、雛子は首を傾げるしか出来ず。
屋敷に居た頃はずっと外出を制限されていたので、いきなり解放されてもどうすれば良いのか。
強いて言うなら浮かぶのは図書館くらい。
学校は中高一貫だけに図書館も大きめになっているが、あらかた読み尽くしてしまったことだし。

とりあえずは服屋、そこで鷹人が買い与えた服にこのまま着替えて行くことにした。

甘いモカピンクのリブニットワンピースは春物。
雛子が着ると女性的な曲線が綺麗に浮き上がり、肩から二の腕にスリットが入っていて大人っぽい。
組み合わせた細いベルトとストール、ショートブーツは黒で引き締める。
髪も纏め上げた方が大人びて見えるが、鷹人はふわふわの金髪が気に入っているらしいのでハーフアップに結び直した。

今の雛子は大人の男と並んでも引けを取らない。
鷹人のニットベストとボトムも今日はラテカラー。
背の高い二人が柔らかい色合いを纏って、確かに恋人同士として見える。


「良いな、雛子はピンクが似合うと思ってた」
「あの、これ全部いただいても宜しいのですか?」

何だか満足げな鷹人に、少し居心地悪げな雛子。
量産店ならまだしも上から下までちょっとしたブランド品なので値段を見るのが何だか怖い。
そんな恐る恐るの問い掛けに対して返事は苦笑。

「いや、むしろ着てくれ、親父に贈られた服でデートってのは流石にな……」

そうか初めてのデートになるのか、これは。

雛子が最上家に連れて来られたのは中学に上がったばかりの頃。
二次成長期を迎えるまでは背が高く細かったので、ずっと髪も短くボーイッシュで通していた。
女子校に編入してから若い男と接点を持たない生活を当主に強いられていたのだ。

だからこそ鷹人の存在は降って湧いた異質。
否、そもそも雛子の居た環境自体が鳥籠という奇怪な場所だった。

果たして異質なのはどちらなんだか。


「ところでお前、コーヒーは好きか?」
「え?あ……はい、好きです……」
「それなら昼はカフェに行こうか、良い店あるから」
「ん……ありがとうございます」

会計を済ませると、店を後に。
ブランドの店であれこれと試着して軽く緊張していたので解放されてやっと深呼吸。
春の陽射しは柔らかく、それでも妙に眩しい。

「……そういえば初めて雛子の好きなもの知ったな。もっと知りたいから、これからは遠慮なく教えてくれ」

好きなもの、と言われてもすぐ答えられない。

昔は短い髪にユニセックスの服が好きだったのに。
つい最近まで髪を伸ばすことやフリルの服、身に纏う香りや下着の色まで選択肢を奪われて強制されていたのだ。
これは飽くまでも外見だけの話でも、愛玩具として扱われてきた期間があまりにも長すぎた。


北国の桜は五月に咲く。
長い雪の季節が終わって、祝福のように降る薄紅。

GW最終日は混雑も落ち着く頃。
モール街の桜並木はちょっとした花見スポットでもあった。
先の広場ではキッチンカーなんかも来ており、紙コップの飲み物を片手に上ばかり見ながらぼんやり歩いている人の姿もちらほらと。
そうして呆けて開いた口にひらりと花弁が舞い込みそうになる。

桜の薄紅が点々と模様を描く舗道。
太めのヒールとはいえど、新しい靴で石畳は足取りに戸惑いが生じがち。
そう思っていたら鷹人の冷たい指先が絡んできた。
手を繋ぐのは緩めの歩みを見抜いてか、それとも単に温めてほしかったのやら。

「今度は遊園地でも温泉でも色んなところ連れて行ってやるよ、大人になったらバーにも。もう屋敷の外に出たんだから自由だ」

これまで顰め面も多かったので、比べてみれば今日の鷹人は随分と穏やかだった。
あの冷たい屋敷の外ではこういう顔もするのか。





それから約一ヶ月、鷹人との同棲生活は意外と居心地が良かった。
快適に過ごす為の試行錯誤しながら、互いにそういう気遣いをしていた証拠でもある。

二人で居て心に触れたことも確かにあった、と思う。

平日の夜、帰宅を出迎えて玄関でキスした。
休日の朝、パン屋へレーズンロールを買いに行った。
丑三つ時、一枚羽織って散り際の夜桜の下を歩いた。
雷雨の日、頭痛で唸っていた鷹人に膝を貸した。


「……雛子、俺を愛していると言ってくれ」

ベッドで繋がる時、鷹人がそう口にするようになった。
どうか雛子の「好きなもの」に自分も加えてほしいと、切なげな声で。

その都度、雛子は何も言わずにキスで唇を塞ぐ。
肯定とも否定とも取れる返事。


ここに居る少女は未熟な雛だ。

色狂いな男の手で卵を割られて、力づくで鳥籠へ引き摺り出された。
本来なら自分のくちばしひびを入れねばならなかったのに。
身体ばかり大人になっても、心はまだ殻を手放さず雛のまま止まっている。

キスはぐちゃぐちゃに噛み砕いた欲望の口移し。
親鳥の餌付けで無理やり捩じ込まれる方法しか知らず、まだ恋は分からない。


鷹人に好意を持っているか否か。
そう訊かれたら確かに雛子も認めるが、決して言葉にして伝えることはしなかった。
繰り返し身体を重ねていれば絆されるくらいはする。
これはそういう類のものだと、何度自分に言い聞かせたか。

だから無自覚のままだった。
これは雛子にとってコーヒーに落とした小さな金平糖一粒分の初恋。
濃い暗褐色に紛れて見えないが、ちくちく尖りながらカップの底で転がり続ける。


「親父と不仲だったのは昔からだし、雛子のことが無くてもどうせいつかはぶつかってたろうしな……相当酷いことになると思うから俺が一人で行ってくる、その間お前は家に居ろ」

気にするなとばかりに言い聞かせ、苦笑しながら鷹人は雛子の頭を撫でた。
そのうち訪れる嵐のことを頭の片隅で忘れずにいるのはお互い様。
当主が帰国したら必ず一悶着あると。


ただし、その時とはついぞ訪れることなど無かった。

当主が出張に行っていた国の大使館から事故死の連絡が入ったのは、六月の頭のこと。
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