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療養
第1章 2-9
しおりを挟むそれから更に2ヶ月。2ヶ月前、丹勇と宇航は仕事があるので、4日ほど滞在して朱有へと帰った。
しかし、母は朱義に残り、鈴明や炎珠と共に私の世話を焼いている。
母は終始笑顔で、私が体を酷使しない限りは怒ったりしない。その代わり、礼儀作法や朱家の仕来りを教えてくれた。
幸い、足は骨折だけで神経は傷ついていなかったらしく、平行棒での歩行訓練は順調に進み、今は杖があれば、一人で歩けるほどになった。
これならば朱有へ行く事も出来る。現に領主様から朱有へ出立するようにと伝書が届いた。
この2ヶ月で色々体験した。
相変わらず、体は細いが以前より食事の量は増えてきた。
滋養に良い物をと母が色々作らせ、今まで食べたことのないような物も沢山食べたが、質素な食事が無性に食べたくなる時がある。さすがに、草までは食べたくはならないが・・・
春真っ盛りで、庭の花々も多くが咲き誇っている。池の睡蓮も蕾を付け始めた。
じっとしているのもつまらないので、午前中は体力づくりと、歩行練習を兼ねて庭を散策するのが日課になっている。
毎日、一時間ほど庭を散策するが、そろそろ飽きてきた頃、それに気づいた母が時々、屋敷の外へ連れ出してくれる様になった。
馬車で見た大きな道路沿いに並ぶ屋台も、綺麗な衣装を纏った妓女の舞も間近で見ることが出来た。
初めて見た時も思ったが、黄泰よりも賑やかで、華やかだ。私の見ていた世界がいかに狭かったのかが、それだけでも分かる。
堀の近くには、男女がつかず離れず会話を楽しみ、子供達は無邪気に駆け回っている。
すれ違う多くの人は幸せそうに道を歩いている。
今はそれらを見るだけでなく、堪能することが出来る。その表情を見ることも、商品を手に取ることも、食すことも。
急いで俯きながら、通り過ぎるだけの道ではない。
「あらあら桜綾、こちらに来てご覧なさい。これなんかあなたに似合いそうね。」
ニコニコしながら店先に並んだ簪に手を伸ばし、私に手招きする。
困ったことに、母が私に何かと買いたがる。
もうすでに、母からもらった衣も装飾品も大量にあるし、十分過ぎるほどなのに、街へ出ればまたそれらが増える。
しかも、どれも高価な物なので、使うのに気が引ける。
私も思わず笑顔で近寄り
「お母様、もう沢山買って頂きました。もう十分・・・」
「色違いもあるのね。私も頂こうかしら?」
そう言いながら、自分の分も手に取り、店主にお金を支払っている。私の話など聞いていない。
母はこうやって、おそろいの物を買いたがる。それは正直嬉しかった。耳飾りや腕輪などは、もう何個もおそろいの物がある。
母というのはこう感じなのかとまだ他人事の様に感じる。
鈴明や師匠にもお土産を買って帰る。鈴明(リンメイ)には香袋や髪飾り、師匠には食べ物か酒だ。
炎珠は護衛として着いてくるので、一緒に屋台の食べ物を堪能したり、芝居を見たり・・・
それが終わると、午後からは屋敷にある書物で知識を養う。その間、鈴明はここの侍女から作法を習いに出かける。
私には日本での知識は多く存在するが、黄仁というこの国の知識の方が少ない・・・
というか、私の知識は黄泰と家の中。それに師匠から聞いた事のみなので、色々読んで見ることにした。
朱家にはいろんな書物があると炎珠から聞いていたので、適当に見繕ってもらった。
これがなんとも・・・絶妙な選択で。
まずは黄仁国の役司の役割や組織図。大きく言えば9つの部署がある。
簡単に言えば、大役司は貴族の身分証明や許可が必要な物の精査と許可証の発行。地方では発行できない物がここに集約される。貴族はその系譜に載った時点で、その身分を証明する物を発行する決まりになっている。それがないと貴族としては認められない。養子を取った場合もそうだ。通行許可証などは、大きい街なら小役司で発行できるが、宮廷への入廷許可証や建築などの許可、黄有での販売許可。そういった物は全て大役司で許可を得るらしい。
大財司は主に、金や布、貨幣などの管理と各地から納付される税の管理。
大軍司は軍内部の役人の調整や物資などの補給の調整をする。
大理司は黄仁で起きた事件や事故などの調査をする組織。地方で解決出来ない物や、領地を跨いだ犯罪などは、ここで調査される。
大判司は大理司で調査を終え、有罪と見なされ捕縛された罪人の軽量や処罰を下す場所。
大業司は各地から集められた農作物や畜産の管理と飢饉などへの対策。
大工司は河川の管理や建築や大きな工事などの管理。
大獄司は罪人や自白させるための拷問を行う場所。
禁軍(きんぐん)は皇居の護衛兼兵の育成。
そんな感じだ。この9つの上には左相(文官側)右相(武官側)がおり、皇帝の命を受けて国政を取り仕切る。
その上が四領主。朱家当主、白家当主、蒼家当主、玄家当主。そしてその上が、かの皇帝だ。
また、宮廷にはこの他にも7つの役職がある。こうやってこの国は回っている。
そして、各領地内にそれぞれの小司が存在する。
大体の事は知っていたが、よく読んでみれば、その複雑さに頭が痛くなりそうだ。
1日の午後中、この書物に時間を取られたが、自分の知識がいかに曖昧な物だったか気づかされた。
それからは、午後は必ず書物を読みあさった。
四神と金竜の話も興味深かった。確かに、四領主の事は知っているが、それについての詳しいことは知らなかった。
朱は朱雀神が、白は白虎神が、蒼は蒼龍神が、玄は玄武神が、それぞれその世代の領主を決める。そして皇帝は黄龍神が決める。
皇帝や領主が亡くなれば、次の皇帝、領主はそれぞれの神が決める。その時にならねば、後継者は分からない。しかし、必ずその血筋の者から選ばれる。つまり、その血筋の誰が後継者になるかは、神のみぞ知る。
選ばれた領主、皇帝はそれぞれの神の加護と力を得るが、私欲で国を害することをすれば、神からの罰が下り、次の世代へと後継者が移るのだ。ただし、神達は人々の争いや、犯罪に目を向けることはない。そして、自然の摂理を曲げる事も。あくまでも、国が安泰であるための力であり、権力である。この国は元々、黄龍の地であり、四神の地である。故にその加護で守られているこの国は、500年以上も安泰であり、平和なのだ。
しかし、今回は私の件で領主様はその力を使ったのではなかったか・・・?
でも領主様の髪は朱色のままだった。という事は、あれは大丈夫だったという事か・・・。
うん。そこら辺は理解出来ないが、まぁいい。
とにかく、こんな具合に、この国の知識を押し込むだけ、押し込んだ。
ここにない書物は、街に出たときに買い足したりしていた。文字を読むことは苦ではなかったし、好奇心のおかげで、すんなりと取り込むことが出来た。
たまに夕食を忘れるほど没頭して、母に怒られたり、夜が明けるまで読みふけって、炎珠に叱られたり・・・
そんな2ヶ月もそろそろ終わりを告げる。
毎日が前の私にはなかった時間だった。安らかで、穏やかで。
そんな穏やかに流れていく時間が不安にもさせる。
私の人生は4ヶ月前に大きく変わった。変わりすぎた。
だからこそ、この幸せが夢か、何か悪い事の前触れではないかと怖くなる。
しかも、あと数日もすれば、この朱義から朱有へと移動することになっている。
一気には移動できないので、一旦はここから400㎞ほど離れた珠璃(しゅり)を目指すことになるのだが。
何もかもの流れが速いようで、遅いようで、まだ自分の環境に慣れていないせいで、地に足が着いていないような毎日だ。
どんなに良い待遇を受けても、人ごとのように思える時がある。
義母や使用人達が私を踏みつけにしていた日々は、心から消えることはないし、夢にさえ出てきて、私を罵る。
その度に、そこから抜け出せないような、絶望感に苛まれる。
夢が覚めて、またあの日々に戻ったら、きっともう耐えきれないだろう。
人の温もりを知ってしまったから。
屋敷では、旅の支度がもう始まっている。
荷物が次々に屋敷に運び込まれ、それが荷馬車に積まれていく。
まだ足の不自由な私は、手伝うことも出来ず、その光景を眺めているだけ。何だか心苦しいが、私が手伝おうとすると炎珠達が気を使う。
せめてあの池の睡蓮が咲いた所が見たかったが、それはかないそうにない。
これから、長旅が待っている。
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