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温泉
第1章 3-2
しおりを挟む翌日、私は朝早くから、薪小屋の前にいた。
木炭の灰をもらうためだったが、予想以上に沢山あったので、取りあえず桶に半分をもらうことにした。
今はそれを入れてもらっている最中だ。
桶に入れ終えたところで、それを受け取り、片手で運ぼうと振向いた時、そこにいるはずのない人の姿があった。
「領主様!」
驚いて声を上げ、尻餅をつく寸前で領主様が私の手を掴んでくれたので、どうにか免れた。
「足が悪いのに相変わらず桜綾は、目を離すと無茶をするねぇ。」
そう言いながら、持っていた桶を領主様が取り上げる。
「いつこちらへ?昨日はいらっしゃらなかったという事は、昨夜のうちに来られたのですか?」
私は姿勢を正し、杖を持ち直して領主様に尋ねる。
領主様は笑顔のまま
「夜遅くにこちらについた。皆、寝ているようだったから、起こさなかったのだ。さて桜綾。こんな朝早くから、君はこんな所で何をしていたのだい?」
灰の入った桶を掲げながら聞いてくる。
「石鹸を・・・」
「あぁ、そういえばそんな話もあったね。忘れていたよ。」
「師匠が椿の油だけは作っておいてくれたらしいので、どうせ温泉に行くなら、作りたいな・・と」
朝日だけでも眩しいのに、無駄にまぶしさを振りまく領主様に、ちょっとだけ迷惑感を持ちながら、うつむき加減で話す。
(そうだ、泡活草・・・領主様なら知ってるかも)
そう思って、顔を上げると、至近距離に領主様がいたので、慌てて後ろへ下がる。
「そんなに毛嫌いしなくても・・・」
「いや、そんなに近くなくても、話は出来ますから!」
(この人、絶対わざとやってるんだろうな)
私の反応を見て楽しんでいるように見える。
が、今はそれよりも・・・
「領主様、お聞きしたいことがあるのですが、この辺りに泡活草があるかどうかって分かりますか?」
「泡活・・・草とはどんなものなのだ?」
「私も詳しくは分からないのですが、実を水に浸けて混ぜると泡が立つような草木です。」
鈴明にきいただけなので、随分と大雑把だが、それ以上の情報がないので仕方がない。
「それは前に言っていた材料の中にはなかった様に思うが、石鹸に使うのか?」
師匠よりは記憶力が良いようだ・・・まぁ領主様なら当然か。
「以前はそんなものがあるとは、思っていなくて。でもこの世界にも存在すると聞いたもので。」
「この世界?」
あっやってしまった・・・というか、そんな所の会話を。拾わないでよ。
「いやいや、この街に売っていたりするかなぁとか・・・あっもしくは自生していたりとか・・・」
慌てて誤魔化すが、領主様の目は細くなっている。明らかに何か言いたげだ。
「この街に、・・・ねぇ。私は知らないが、欲しいなら探してみよう。急ぎなのかい?」
意味ありげに答えるが、それ以上は聞いてこなかった。
「いえいえ、急ぎではないのですが・・・それにどうしても必要と言うわけではないので。取りあえずそれを運びたいのですが。」
私は自分の部屋の方へ目を向ける。ずっと灰を持たせたままでは申し訳ない。
「そうだったね。持っている事を忘れていたよ」
領主様は笑いながら、私の部屋の方へ歩き始めたので、私も付いて行く。
こちらの早さに合わせてくれているのだろう。ゆっくりとした歩き方だ。
「こちらに来るのに、不便はなかったか?」
「馬車の揺れはひどく、道はガタガタで・・・お尻が痛くなった以外は快適でした。」
「いや、それは快適とは言わないのでは?大半が馬車での移動であろう。」
おっしゃる通り。不便ではなかったが、快適ではなかった。
私は苦笑いを返す。
「確かに長旅での馬車移動は疲れるが、歩くよりはましだろう。その足では歩けば、いつここにたどり着けたやら」
そんなことを話しているうちに、部屋の前までたどり着くと、炎珠が立っていた。
領主様の存在に気が付き一礼すると、私の元へ駆け寄り
「桜綾様!心配しましたよ!もう。どこへ行かれていたのですか。領主様!何を待たれているのですか?私がお持ちします!」
鈴明に負けず劣らず、まくし立てたように話す。
「体調もいいし、石鹸を作ろうと思って、木炭の灰をもらいに行ったら、領主様にお会いしたの。」
ことの経緯を説明する。
「なら、私か鈴明を呼んでくだされば良いのに。で、石鹸とは何ですか?」
う・・・また石鹸の説明をするのか。もう何度目だろう・・・
「こう見えても、桜綾は発明家なのだ。新しく、汚れを綺麗に落とせる石鹸というものを作るらしい。まぁ出来て見れば分かるだろう。私も楽しみにしている。」
めんどうくさいと思っていた私の代わりに、領主様が説明してくれる。
炎珠は持っている木炭と私を交互に見ながら、不思議そうに問う。
「灰で汚れが落ちるのですか?」
「灰ではさすがに落ちないよ。それに手を加えないと。まぁ一緒に作れば、分かるよ。」
炎珠が持っている木炭を取り上げ、地面に下ろす。
「灰が沢山入るくらいの鍋を一つ、借りてきてくれない?あと、桶に熱いお湯も欲しい。」
そういうと、炎珠はまだ首をかしげながら、厨房の方へと向かっていった。
領主様は縁側に腰掛けて私達の様子を見ている。
私は部屋から絹の生地の手巾を2枚持ち出すと、それを重ねる。
炎珠が持ってきた鍋には、全部の灰は入らないため、鍋に三分の一程の灰を入れて、そこにお湯を鍋一杯に注ぐ。
後は粗熱が取れるのを待たなくてはならないので、そのまま放置することにした。
粗熱を取った灰汁と、一晩寝かせた灰汁と2種類の灰汁で作って見るつもりだ。
取りあえず、今は出来ることがないので、領主様の横に腰掛ける。
「もう終わりなのかい?」
「今は出来ることがないです。あの鍋のお湯が冷たくなったら、次の作業に移ります。」
領主様の横に座ったものの、そこから何を話して良いか分からない。
炎珠はすることがないと分かると、私の部屋の掃除へ行ってしまった。
手持ち無沙汰に、庭を眺めている。その間も領主様はそこを離れる気配もなく、一緒になって庭を眺めていた。
花に寄ってきた綺麗な蝶を目で追いながら、春の生温かな風を感じていた。
黄泰よりもこの季節にしては暖かい気がする。珠璃の方が南に位置しているのでそう感じるのかもしれない。
「桜綾の周りはいつも穏やかだね。」
突然、領主様が口を開く。
「そうですか?鈴明も炎珠も師匠も皆騒がしいですよ。いつも怒られてばかりですが。」
まぁ私が騒いでいる時もあるが、どちらにしろ、穏やかとは違う気がする。
今のこの時間の方がよっぽど穏やかだ。
「騒がしくても、私には桜綾の周りの空気が好きなのだ。よく分からないが、落ち着く。」
私の方がよく分からないが、領主様がそういうならそうなのだろう。
「私の周りは静かすぎて、時折、空しくなる時がある。大半は仕事でそんなことを思う暇もないが、ふと我に返ると、その静けさが妙に虚無に感じることがあるのだ。」
領主という地位は私達平民からすれば本来、手が届かない程の人だ。けれど、人に出来ない仕事な分だけ、人に言えないことも多いだろうし、逆に、その地位のせいで人から距離を置かれる事もあるだろう。
皇帝は孤独だという言葉を知っているけれど、領主様もそうなのかもしれないと思った。
そう考えると、私に丁寧な言葉を止めろと言うのも、分かる気がする。私の勝手な解釈だが。
「私達が朱有に行ったら、うるさくて仕事が手に着かなくなるんじゃないですか?そしたら、静かな時間が恋しくなるかもしれませんね。」
少し微笑み気味に返す。領主様は少しうつむき加減で、笑顔だけど目は笑ってなかった。
「だから、そろそろその話し方を直してもらえないだろうか。普通に話して欲しい。せめて2人の時くらいは・・・」
まだ言ってる。よほど私の話し方が嫌なのか・・・どうして、そんなに話し方にこだわるのかは分からないけれど。
「初めて会った時は素直に直してくれただろ?そうしないと私もこの話し方を崩せない。」
・・・・・・・・・・・・・・
少しの間沈黙した。きっとここで直さなければ、また命令するんだろうか。でもこれほどまで言うのはきっと、本当に普通に話す事を望んでいるのだろう。
はぁぁぁ。
1回大きくため息をついて、領主様の方をまっすぐ見る。
「分かりました。分かったから。これでいい?でも2人の時だけ。領主様に変な噂でも立ったら大変だし、私もそれで嫌われたくないから。」
領主様は俯いた顔をこちらに向けて、にっこり笑って縦にブンブン頭を振っている。
(犬か・・・)
「それから、領主様じゃなくて、宇航だよ、ユーハン。呼んでみて。」
(名前まで呼べと・・・ああ!もうどうにでもなれ。犬を呼んでいると思えば・・・)
なんて頭の中では大変失礼な事を考えていたりするが。
「宇航・・・様?」
「そうそう。様は要らないのだけが?」
「駄目です。様は譲りません。それが嫌なら、領主様と呼びますよ。」
「分かった、それでいいよ。」
そういうと、両手を上に上げたまま、後ろへ勢いよく倒れ込む。
ゴンッという鈍い音がしたが、宇航様は笑っている。打ち所でも悪かったのだろうか。
「ありがとう。桜綾。」
急に真面目な顔つきで私に礼を言う。
「お礼はいいから、起きて。衣が汚れるから。それ洗うの、大変なんですよ。それにもうすぐ朝食時間です。汚れた衣で行くつもりですか?」
なんだか不思議な言葉遣いになるが、慣れるまでは我慢してもらうしかない。
宇航様を起き上がらせて、私は立ち上がった。
それに付いて宇航様も立ち上がる。
「そろそろ行きましょう。きっと皆、宇航様の顔を見たら喜びますよ!」
杖をつきながら広間への道を歩く。宇航はその後を相変わらずの笑顔でついてきた。
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