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温泉
第1章 3-6
しおりを挟む次の日。二日酔いの炎珠と師匠は頭を抱え座り込んでいる。鈴明は元気一杯で、調子の悪い炎珠に代わり、私の世話を焼く。
朝食の時、母に昼過ぎには温泉へ出発すると言われた。
私は、朝-から液体の石鹸を作り、それを鞄に詰める。母や宇航《ユーハン》様の分と鈴明達の分も用意した。
使い方は、師匠と鈴明に伝えておいた。
師匠はきっと宇航様と入るだろうし、鈴明達は私達の後に入るだろうと思ったからだ。
鞄は簡素なものだが、刺繍を習った時に余った布で作ってみた。簡単に縫っただけだが、肩に掛けられるし、杖をつく私には風呂敷を抱えるよりも、楽に荷物を運べる。
巾着やカゴの様な物は沢山あるのだが、貴族には基本、お付きがいるので、荷物を持つ習慣がない。
大きな物は、屋敷に直に運ばせるし、小さい物なら馬車で持って帰る。だから、お金を入れる巾着や香袋などの小さい物が多く、庶民はそんなに多くの物を買わないので、カゴで十分。旅には衣を風呂敷に包んで、先を結び背中に背負う。
だから、鞄を持つことはない。
自分の着替えと、心細いほど小さな布の体拭き3枚をそれに入れて、支度を完了する。
昼食が済むと、やっと立ち直った炎珠が私を呼びに来た。
ここから1刻ほど、馬車に揺られるらしい。
鞄を肩に掛けると、見慣れない物に炎珠が不思議そうな目を向けてくる。
「桜綾様。これは、何ですか?お荷物はどこに?」
そう!その反応が一番嬉しい。
「荷物はここ。全部入ってるから、炎珠は自分の荷物を持って。」
炎珠は私の鞄を覗いたり、触ってみたりしていたが、急に我に返り
「いえいえ、桜綾様に荷物を持たすなど、出来ません。私が持ちます!」
そう言って私から鞄を取り上げた。が・・・鞄のかけ方が分からないらしい。
私は笑いながら、炎珠の肩に鞄を斜めに掛ける。
炎珠はお役目とはいえ、その鞄を掛けることを喜んでいる。
綺麗な柄で鈴明達にも作れば喜ぶかもしれない。
荷物を持たれ、手ぶらになった私は、馬車へ向かって歩き始めた。
途中、母と鈴明に出会い、一緒に屋敷から出立する。
女ばかりの馬車の中は、私が作った鞄の話題で持ちきりになり、母が作り方を知りたいというので、帰ったら教えることになった。
おかげで揺れる馬車の中の時間もすぐに過ぎた。
馬車が止まると、そこは塀に囲まれており、門番に宇航様が顔を見せると、すんなりと中へ入れた。
思っていた以上に広い。真ん中に仕切りがあるのは、男女を区別するための物だろう。
それでも、泳げる広さはある。
湯煙の奥に見えるのが脱衣所か。屋敷ほど大きくはないが、立派な建物のようだ。
その建物まで少し歩き、建物の全貌が見える。近くで見ると、間口は狭いが、奥行きがある。
中には、脱衣所だけでなく、内風呂があり、休憩するための茶室まであるし、その奥には宿泊できる部屋もある。
湯治に訪れる事もあるのだろうから、当たり前かもしれないが、その規模に驚きを隠せなかった。
「桜綾、せっかく来たのだから、今日はここへ泊まりましょうね。」
お母様は上機嫌だ。
「でも、私着替えを1着しか持ってきませんでした。どうしましょう。」
「大丈夫よ。炎珠に言って持ってこさせてあります。」
母は始めからここへ泊まるつもりだったのか。
しっかりと準備している辺りは、抜け目ない。
荷物を炎珠達が運んでいる間に、私と母は先に温泉を堪能することにした。
炎珠から鞄を受け取り、布と石鹸を取り出す。
白の薄い衣を着たまま入浴するのが普通なので、私もそれに倣い、かけ湯の後に温泉に浸かる。
少し熱めのお湯で白濁の湯だが、開放感のあるお風呂にゆったりと浸かる。
母は、衣の上からは分からなかったが、随分と立派な体つきで、肌も綺麗だ。つい自分の体と見比べてしまった。
それを見ていた母が、クスクス笑いながら、
「桜綾はまだまだこれから、大きくなるわ。」
と励ましてくれる。
しかし、私の体は細いだけではない。傷が跡になって残っている部分もあって、決して綺麗な肌とは言えない。
以前なら気にもしなかったが、なぜ今はこんなに気になるのだろう。
「桜綾。本当に辛い思いをしてきたのね・・・女の子の体にこんな傷を付けるとは。さぞ苦しかったでしょう。朱有に帰ったら、母が傷を薄くする薬を探しましょう。心の傷は、私と旦那様できっと・・・」
そこまで言うと、母は泣き出してしまった。私の傷を見たことで、母の心を痛めてしまったのだ。
「お母様。大丈夫です。こんな傷くらい。お嫁に行けなくても、お母様とお父様の側にいられれば十分です。」
私が笑顔でそういうと、母は更に涙を増し、私を抱きしめる。
こんなにも母は私に優しい。
「お母様、せっかく石鹸が出来たのです。一緒に試しませんか?」
そう言って母の気を紛らわす。このままではずっと泣いていそうだ。
「そう、そうね。せっかく桜綾が作ったんですもの。ぜひ使ってみたいわ。」
母に温泉の岩場の平らな部分に腰掛けてもらい、作った石鹸を手に馴染ませてから、髪の毛と頭皮を洗う。
泡立ちはやはり少ないが、それでも髪の指通りは良い様に思う。そのまま母に体も洗ってもらう。
持ってきた布に石鹸を付け、背中部分だけは私が洗った。
母が体を洗っている間に、私も自分の髪と体を洗う。水だけの時に比べて、頭と体がすっきりした。
母の石鹸も洗い流し、感想を聞いてみる。
「これは本当に桜綾が作ったの?とても良い物ね。頭も体も何だか軽くなったようだわ。それに香りがいいわね。これはまだ作れる?」
よほど気に入ったのか、詰め寄ってくる。
「お母様、まだ試作段階ですが、作れますよ。何だったら、お母様の好きな香りで作れるかもしれません。お母様はどんな香りが好みですか?」
「そうね、桜や梅の様な優しい香りが好きだわ。きつい香りは苦手。この石鹸も香るけれど、あまりきつい香りではないから、この香りでもいいのよ。」
私が作った石鹸の香りを嗅ぎながら答える。
桜や梅は難しいかもしれない。確か、桜や梅は真空にしないと香りを取り出せなかった気がする。
でも、淡い香りの物を何か考えてみよう。
「本当に桜綾はいろんな物を作れるの?」
母が温泉に足を付けたまま、質問してくる。
「何でもと言うわけにはいきません。それに曖昧な物も多いです。でも、少しでもどんな物でも楽になることは悪い事ではないし、元々は私が楽をしたくて、作り始めた物ですから、人の役に立つかは、それを作って見てからでないと分かりません。師匠がいるので、何とか形になる物の方が多いかと思います。」
「桜綾は、楽しいのかしら?物を作るのは。」
「はい。今は楽しいです。喜んで使ってくださる方がいるので。」
作った物を使い喜んでもらうことで、自分の価値を得られた気がする。
生きるために必死だった時とは違う、自分の価値。
それをくれたのは今、私の周りにいる人達だ。
「そう。楽しいのならよかった。でも辛い事があったら、隠さず話して欲しいの。少しでも桜綾の力になりたいと思っているのよ。」
そう行ってくれる母を今度は私が抱きしめた。私の苦しさを喜ぶ人は大勢いた。でも今はその苦しさを思って泣いてくれる存在がある。それが嬉しかった。
その後も温泉に浸かったり、足湯をしたりして、おしゃべりをしながら、長い間、母と二人の時間を楽しんだ。
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