【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ

文字の大きさ
16 / 40

第15話 微笑みながら王妃は試す

しおりを挟む
王城に招かれたのは、朝の光が回廊に満ちる時刻だった。

高い天井から差し込む柔らかな陽光が、白い石床に長い影を落としている。歩くたびに、靴音が澄んだ音で反響した。

案内役の侍女は多くを語らない。
必要な言葉だけを選び、余計な感情を挟まない。それ自体が、この面会の性質を物語っていた。通されたのは、王妃の私的な応接室。

豪奢ではあるが、過剰ではない。
壁には繊細な刺繍の施された布が掛けられ、窓辺には季節の花が自然に活けられている。金や宝石で威を誇るのではなく、
「選ばれた者が、長く過ごすための空間」。
静かで、整っていて、息が詰まらない。

ここは、誰かを試すための場所だ。

「――お入りなさい」

柔らかい声が、室内から響いた。エレノアは一礼し、静かに足を踏み入れる。

そこにいた王妃は、噂どおりの妖艶な美貌を湛えていた。艶やかな金髪はゆるくまとめられ、露わになった首筋には年齢を感じさせない張りがある。だが、それ以上に印象的なのは、視線だった。慈しむようでありながら、一瞬で人を測る鋭さを秘めた瞳。その隣には、小さな椅子に腰掛けた幼い少女がいた。

淡い色のドレスに身を包んだ第三王女。
母の衣の端を指先でつまみ、半身を隠すようにしてこちらを窺っている。

大人の気配に慣れていない、慎重で、人見知りの強い子どもの仕草だった。

「エレノア・アイゼンヴァルト伯爵夫人」

王妃は、肩書きを正確に呼ぶ。

「お会いできて光栄でございます、陛下」

深く、だが過剰ではない礼。

背筋は伸び、動作に迷いがない。
緊張はしている。
だが、怯えはない。

凛とした立ち姿。聡明さを隠そうともしない、静かな自信。王妃はその所作を、ほんの一瞬で見極めた。

「第三王女の話は、よく聞いています」

微笑みながら、核心を突く。

「“優しいお姉さま”だそうですね」

エレノアは、少しだけ目を伏せた。

「過分なお言葉です。偶然、居合わせただけでございます」

「偶然で、子どもは落ち着きません」

王妃は即座に返す。

「ましてや、言葉を教え、安心させるなど。
あの子は、他の王子たちに比べて人見知りが激しく、人にはあまり近寄らないのです」

ちらりと、娘に視線を向ける。

「侍女も、ナディアにしか懐いておりません」

第三王女は、その名を聞いてわずかに肩をすくめ、それでもエレノアから目を離さなかった。

沈黙。

試されている。

「あなたは、子どもが“何を怖がっているか”を先に見たのでしょう?」

問いではない。確認だ。

「……はい」

エレノアは、正直に答える。

「迷子であることよりも、叱られることを恐れておいででした」

王妃の瞳が、わずかに細まる。

「なるほど」

それは、合格者に向ける声だった。



「家庭教師の話ですが」

王妃は唐突に切り出す。

「我が娘に必要なのは、知識を詰め込む教師ではありません」

「理解していますか?」

「はい」

即答。

「第三王女殿下には、“学ぶこと”そのものを嫌いになられた経緯がございます」

王妃は、そこで初めて感情を滲ませた。

「自分にはできない、そう思い込んでおられるのです」

その言葉には、母としての悔恨が混じっていた。

「優秀な教師ほど、子どもを追い詰める」

それは、過去の失敗の告白だった。

「あなたは、“教える”とはどういうことだと考えていますか」

エレノアは一呼吸置く。

「……選ばせることです」

「選ばせる?」

「理解する速度も、興味を持つ順番も、子ども自身が選ぶものだと考えております」

王妃は、じっと彼女を見る。

「あなたは、主導権を握らないのですね」

「はい。握らせていただくのは、安心だけです」

沈黙。

長い、計量の時間。



「……ひとつ、条件があります」

王妃は穏やかに言った。

「あなたは伯爵夫人であり、政治の渦中にいる」

「その立場が、娘に影を落とす可能性もある」

声は、完全に母のものだった。

「それでも、引き受けますか」

エレノアは視線を逸らさない。

「はい」

「理由は?」

「第三王女殿下が、“学ぶことを嫌いにならない未来”を守れるのであれば」

そして、静かに続ける。

「私は、学ぶことで力をつけました。学びがなければ、今ここにはおりません」

「誰かに頼ることも大切ですが、何かあったとき、自分を助けられるのは知識です」

王妃は、ゆっくりと息を吐いた。

「……あなたは、自分が何を差し出しているか、分かっていますね」

「はい」

立場も、評判も、未来の不確実性も含めて。

「よろしい」

王妃は初めて、微笑みを深くした。

「では――試用期間として、半年」

エレノアの表情は変わらない。

だが内心で確信する。

――同じ期間だ。

自分が夫に与えた猶予と。

「この半年で、娘が笑えば合格」

「曇れば、あなたは静かに身を引く」

「異議は?」

「ございません」

王妃は満足そうに頷く。

「あなたは、誰かに選ばれる人ではない」

そう言って、はっきりと告げる。

「――選ばせる人です」

それは祝福であり、同時に責任だった。



退出の際、王妃は最後にこう言った。

「あなたの夫は、あなたを試す資格を失いました」

「ですが――あなたが彼を試すことは、
許しましょう」

それは、王妃からエレノアへの無言の後押しだった。エレノアは深く一礼する。廊下に出た瞬間、胸の奥で、静かに何かが定まった。

半年。

教師としての試練。妻としての猶予。

――そして、女としての決断。

すべては、同じ時間の上に置かれている。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」 夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。 王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。 「左様でございますか」 彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません

しょくぱん
恋愛
「お姉ちゃんなんだから」 ――それは私を縛る呪いの言葉だった。 家族の醜い穢れを一身に吸い込み、妹の美しさの「身代わり」として生きてきた私。 痛みで感覚を失った手も、鏡に映らない存在も、全ては家族のためだと信じていた。 でも、、そんな私、私じゃない!! ―― 私は、もう逃げない。 失われた人生を取り戻した今、私は、私に告げるだろう。 「私の人生に、おかえりなさい。」

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】そんなに好きなら、そっちへ行けば?

雨雲レーダー
恋愛
侯爵令嬢クラリスは、王太子ユリウスから一方的に婚約破棄を告げられる。 理由は、平民の美少女リナリアに心を奪われたから。 クラリスはただ微笑み、こう返す。 「そんなに好きなら、そっちへ行けば?」 そうして物語は終わる……はずだった。 けれど、ここからすべてが狂い始める。 *完結まで予約投稿済みです。 *1日3回更新(7時・12時・18時)

「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~

水上
恋愛
夫と白い結婚をして、傾いた領地を努力と苦労の末に立て直した伯爵令嬢ヴィクトリア。 夫との関係も良好……、のように見えていた。 だが夫は「君は強いから」と、めそめそ泣く元恋人を優先し、ヴィクトリアの献身を踏みにじった。 その瞬間、彼女の恋心は錆び付き始めた。 「私が去ったら、この領地は終わりですが?」 愛想を尽かした彼女は、完璧な微笑みの裏で淡々と離縁の準備を始める。 これは、有能な妻が去り、無能な夫が泥沼に沈むまでを描く、冷徹な断罪劇。

処理中です...