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第19話 新たな選択
しおりを挟むその言葉を、最初に耳にしたのは書面だった。
王城から届いた、簡潔な報告。
第三王女殿下は、エレノア・アイゼンヴァルト伯爵夫人を教師として強く希望されました。
殿下のお言葉
"この方がいい"と。
だが、ディートリヒの視線はそこから動かなかった。
「……」
書類を持つ指先に、わずかに力が入る。
拒絶ではない。
命令でもない。
――選択だ。
しかも、自分ではなく、彼女が選ばれている。
その日の午後。
ディートリヒは、王城の回廊を歩いていた。
授業が終わる時刻。
迎えを任せることもできた。
だが――そうしなかった。
理由を言語化する前に、足が向いていた。
学習室の扉が開く。
先に姿を現したのは、第三王女リリアだった。
絵本を抱え、足取りは軽い。
その後ろに、エレノアが続く。
穏やかな表情。疲れも、誇りも、見せない。
ただ、“役目を終えた人”の佇まいだった。
リリアが、彼に気づく。
「あ」
小さな声。
一瞬、エレノアを見る。
それから、もう一度、絵本を抱き直した。
「……きょうね」
誰に言うでもなく、話し始める。
「ねこ、あるいてね。つぎ、きになるの」
その言葉に、ディートリヒは返せなかった。
代わりに、エレノアが静かに言う。
「続きを読むには、少しずつ文字を覚える必要がありますね」
「うん!」
即答だった。
――迷いがない。
王妃が、廊下の奥から歩み寄ってくる。
「お迎えですか、団長」
穏やかな声。
「……はい」
王妃は、短く頷いた。
「半年です」
唐突だった。
「試用期間は、半年」
「その間、第三王女の教師は、彼女一人」
視線が、エレノアへ向けられる。
「成果は求めません」
「娘が、学ぶことを嫌いにならなければ――それで合格です」
それは、
条件であり、
宣告だった。
ディートリヒは、はっきりと理解した。
この半年は、エレノアの試験ではない。
――自分の猶予だ。
「……」
言葉が、出てこない。
王妃は、彼を見据えたまま、続ける。
「勘違いなさらないで」
「彼女は、戻るために王城へ来たのではありません」
一拍。
「選択肢を、広げに来ただけです」
胸が、きしむ。
「半年後、彼女がどこに立つかは――」
「あなた次第ではありません」
はっきりと。
「彼女自身の選択です」
リリアは、エレノアの袖を、そっと引いた。
「……あしたも、くる?」
「はい」
「つづき、つくる?」
「ええ」
短い会話。だが、そこには信頼があった。
ディートリヒは、その光景を、黙って見ているしかない。
王城を出る馬車の中。
沈黙が続く。
やがて、ディートリヒは低く言った。
「……半年」
確認のように。
エレノアは、否定も肯定もしない。
「私は、教師として、役目を果たします」
それだけだ。
「……俺は」
言葉が、途切れる。
「変わらなければならない」
初めて、はっきりと口にする。
エレノアは、彼を見なかった。
「それは、私のためではありません」
静かな声。
「ご自身のために考えるべきことです」
馬車は、ゆっくりと進む。
その距離が、今の二人の距離だった。
半年。
それは、与えられた時間ではない。
――失うまでの、猶予。
ディートリヒは、ようやく理解した。
愛を乞う前に、信頼を取り戻す前に、
まず、自分が変わらなければならない。
それ以外の道は、もう残されていなかった。
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