【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ

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第37話 離縁成立

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成立は、驚くほどあっけなかった。

王城文官局から届いた一通の通知は、装飾も感情も削ぎ落とされた、事務的な文面だった。アイゼンヴァルト伯爵家とエレノア・アイゼンヴァルト夫人との離縁は、本日付をもって正式に成立したことをここに記す。

署名。
印章。
確認済みの付帯条項。

それだけで、すべてが終わった。



エレノアは、その書面を受け取り、一度だけ目を通した。

指が止まることはない。
読み返すこともない。

内容は、すでに知っている。

自分で整え、自分で選び、自分で提出したものだからだ。


執務室の窓から、午後の光が差し込む。

机の上には、これまでと変わらず、王城関係の書類と、第三王女の学習記録。

生活は、何一つ崩れていなかった。

それが、この離縁のすべてを物語っている。



「……成立、ですか」

執事が、一歩下がった位置から告げる。声には、同情も、安堵もない。長年仕えてきた男だからこそ、これは“揺り戻しのない決定”だと理解していた。

「はい」

エレノアは、短く答える。それ以上、
言葉は必要なかった。屋敷の中で、何かが壊れる音はしない。

怒号も、嘆きも、混乱もない。

使用人たちは、淡々と持ち場に戻り、いつも通りの仕事を続ける。この屋敷は、
もう「伯爵夫妻の家」ではない。ただそれだけのことだ。


エレノアは、ふと、自分の姓を心の中で呼んでみる。

エレノア・リーヴェルト。

懐かしさはあるが、戻りたいとは思わない。

今の彼女は、どちらの名でもない。ただ、自分の判断で生きている一人の人間だ。



同じ頃。

ディートリヒのもとにも、通知は届いていた。

だがそれは、王妃からでも、王からでもない。

文官局の、形式通りの報告。

彼は、その紙を手に取ったまま、しばらく立ち尽くした。

怒りは、ない。
否定も、ない。

ただ、選ばれなかったという事実だけが、
重く残った。


だが、彼はまだ知らない。

エレノアが、この成立を「勝利」とも
「解放」とも呼んでいないことを。

これは、逃げではない。拒絶でもない。

対等であるための、終わりだということを。



王城では、この離縁を巡って、誰かが噂することもあった。

だが、すぐに消えた。

なぜなら――

第三王女の教師は、翌日も変わらず授業を行い、王妃は、彼女を名指しで信任し、

実務記録には、これまでと同じように、彼女の名が残り続けたからだ。


噂は、成立しなかった。

「捨てられた妻」という物語は、
どこにも居場所を持たなかった。


夕刻。

エレノアは、王城の回廊を歩きながら、
小さな声を聞く。

「せんせい」

第三王女が、駆け寄ってくる。

「今日はね、
 ちゃんと“じ”をよみたいの」

エレノアは、自然に膝を折り、目線を合わせた。

「では、どこから始めましょうか」

「ここ!」

その指は、迷いなくページを指していた。


その姿を見て、エレノアは思う。

――私は、もう“去る人”ではない。

――選ばれなくなった人でもない。

ただ、自分で立つ場所を選んだだけだ。


離縁は、成立した。

だが、失われたものはない。

失われたのは、役割だけ。

そして、それは最初から、彼女の人生ではなかった。





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