【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ

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第16話  王太子視点 ――それは、誰も悪くなかったという結論

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書類は、すべて正しかった。

王太子は、机の上に広げた報告書から目を離せずにいた。文字の一つひとつが、きちんと整っている。
署名は正当。手続きは合法。前例も、慣例も、血筋の序列も――何一つ、逸脱していない。

それなのに。

(……なぜ、誰もいない)

有能な者がいない。
判断できる者がいない。
責任を引き受ける者が、一人もいない。

処罰された者はいない。粛清も、反乱も、裏切りもない。

それなのに――国が、動いていない。

「……違う」

王太子は、低く呟いた。

「違う……これは、止まっているんじゃない」

ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「……“終わっている”んだ」

背中を、冷たいものが伝った。

契約を洗い直す。人事を洗い直す。過去五年分の判断記録を並べる。

不正は、ない。
失策も、ない。

あるのは――
決定者不在という、静かな空白だけだ。

(……誰も、間違えていない)

それが、理解した瞬間だった。

誰も、王国を裏切っていない。
誰も、職務を怠っていない。
誰も、規定を破っていない。

だからこそ――
誰も、国を守っていない。

「……そうか」

王太子は、椅子に深く腰を沈めた。

(間違えたのは……あの時だ)

脳裏に、ただ一つの判断が浮かぶ。

――エリシア・ヴァンローズを、切り捨てたこと。

血筋に合わない。
儀礼を軽んじる。
序列を無視する。
王国のやり方に従わない。

そう判断し、
「正しく」排した。

(……違う)

喉が、きしんだ。

(あれが……唯一の正しさだった)

彼女は、前例を守らなかった。だが、国を止めなかった。

彼女は、儀礼に従わなかった。だが、現場を壊さなかった。

血筋よりも、
序列よりも、
名分よりも――

「今、何を決めるべきか」を考えていた。

「我々は……“正しい”ことに、すがりすぎた」

血筋。
儀礼。
序列。
名分。

それらは、本来、判断を助けるための道具だったはずだ。だが、いつの間にか――
判断そのものを放棄するための免罪符になっていた。

「前例がない」
「慣例に反する」
「責任の所在が不明確だ」

それらは、
“考えないための言葉”だったのだ。

王太子は、ようやく一つの名前に辿り着く。

――マルセワ商会。

だが、そこにも敵意は見出せなかった。

刃はない。
毒もない。
謀略の証拠も、命令書も、存在しない。

あるのは――選択し続けた結果だけだ。

「……潰されたんじゃない」

喉が、ひりつく。

「我々は……自分たちで、終わった」

有能な者たちが消えていった理由も、今なら分かる。彼らは、逃げたのではない。

判断できる場所へ、移っただけだ。

判断しても、罰されない場所。責任を引き受けても、切り捨てられない場所。

それが、商会だった。

(……そして、その中心にいたのが)

エリシア・ヴァンローズ。

王国が「異物」と切り捨てた、唯一、国を動かしていた存在。

「……私が、遅かった」

もっと早く気づいていれば。
もっと早く、“正しさ”を疑っていれば。

だが――その「もっと早く」は、もう存在しない。

王太子は、目を閉じた。

もう、立て直しは効かない。この国は、壊れたのではない。使われなくなったのだ。

判断されない国は、やがて、選ばれなくなる。

交易も、人も、未来も。

すべてが、静かに別の場所へ流れていく。

「……終わりだ」

その言葉に、怒りも涙もなかった。

ただ、完全な理解だけがあった。

――敵はいなかった。
――ただ、我々が「考えることをやめただけだ。

王太子は、その日初めて悟った。

自分が、アルトリア王国最後の王太子になることを。

誰にも責められず。
誰にも殺されず。

正しさに守られたまま、静かに、終わる国の王太子として。
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