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第16話 現実的な出会い方
しおりを挟む――名を知らぬまま、視線だけが噛み合った日
それは、公式な会談でも、招待状のある場でもなかった。
タペストリア帝国王都ハリーベア。
港区から少し離れた、石畳の続く旧市街。
昼と夕の境目、商人たちが店を畳み始め、
代わりに人の流れが“生活”へ戻る時間帯。
エリシアは、ロザリーと並んで歩いていた。
今日は仕事ではない。書類も、覚書も、契約条件も持っていない。
ただ、街を見るための時間だった。
「……この辺りは、音が柔らかいですね」
エリシアが、ふと呟く。
「帝国は、生活と交易を分けませんから」
ロザリーが答える。
「人が“止まらずに戻る”街なんです」
その角を曲がったときだった。
人通りの少ない小さな広場。古い噴水と、ベンチが二つ。
その片方に、一人の青年が腰掛けていた。
黒髪。整えすぎていない服装。だが、立ち姿――いや、座っていてなお、妙に背筋が通っている。
視線が、合った。
一瞬だけ。だが、互いに逸らさなかった。
(……この人)
エリシアは、理由のない違和感を覚える。
商人でも、役人でもない。だが、街の空気から浮いていない。
彼もまた、同じことを思っていた。
(……判断する目だ)
値踏みではない。警戒でもない。ただ、「見る」ことに慣れた目。青年が、先に口を開いた。
「この噴水、夜になると止まります」
声は低く、穏やかだった。
「昔、音で眠れない人が多かったそうで」
エリシアは、少しだけ驚く。話しかけられること自体が、久しぶりだった。
「……合理的ですね」
「帝国らしいでしょう」
青年は、軽く笑った。
「無理に続けるものほど、壊れやすい」
その言葉に、エリシアの足が、ほんのわずかに止まる。
「続けない、ということでしょうか?」
「ええ」
青年は、視線を噴水に戻す。
「止める勇気の方が、要ることもあります」
沈黙。
不思議と、居心地は悪くなかった。
ロザリーが、控えめに一歩引く。
――これは、邪魔をしない方がいい、と判断したのだ。
「……あなたは」
エリシアが言いかけて、言葉を切る。
名を聞くべきか。聞かない方がいいのか。
一瞬の迷い。青年は、それを見逃さなかった。
「今は、名乗らない方が良さそうですね」
そう言って、立ち上がる。
「名を知ると、立場が先に来る」
エリシアは、ほんの少しだけ目を細めた。
「同意します」
それだけで、十分だった。青年は一礼する。貴族の礼でも、商人の礼でもない。
だが、自然だった。
「また、どこかで」
約束ではない。予感に近い言葉。
エリシアは、頷いた。
「ええ。必要な場所で」
青年は、一瞬だけ微笑む。
それは――
“同じ側の人間”を見つけた顔だった。
彼が去った後、ロザリーが小さく息を吐く。
「……只者ではありませんね」
「いいえ」
エリシアは、歩き出しながら答える。
「肩書きが、要らない人です」
その夜。
エリシアの元に、一枚の報告が届く。
本日、王都旧市街にてアレクシス・ヴァルディス第一皇子の外出を確認。
彼女は、その名を読んで――
何の感情も浮かべなかった。
「……そうですか」
ただ、それだけ。
一方。
アレクシス・ヴァルディスは、
執務室で、同じように報告を受け取っていた。
本日、旧市街にてマルセワ商会代表エリシア・ヴァンローズを確認。
彼は、報告書を閉じる。
「やはり、か」
その声には、
驚きも、戸惑いもなかった。
ただ一つ。
――納得だけが、あった。
こうして二人は、互いを“知った”のではなく、確認したのだった。
同じ景色を見ている、と。
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