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第52話 ――怒りを、刃にしないという選択
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アレクシス視点
その報告書を読み終えたとき、
アレクシスは、しばらく言葉を失っていた。第三国レグナール港湾管理局・臨時評議会。議事録の抄録。そして――最後に追記された一行。
「当該判断は、第三国側責任者
エリーゼ・ヴァンローズの責任の下に行われたものと確認」
紙を置く。机の上に、音は立てない。だが、胸の奥で、確かに何かが燃えた。
(……帝国は)
やった。正面から切れないと分かった瞬間、人格を削り、正当性を疑わせ、
最後は――彼女一人に刃を向けた。それを、第三国の名で止めさせた。
理屈としては、美しい。政治としては、正しい。
だが――
(エリシアを、そこまで追い込ませた)
指先に、力が入る。彼女が、どれほどの覚悟で判断を引き受けたかを、どれほどの恐怖を飲み込んで立っていたかを、
知っているのは――自分だ。帝国は、それを知らない。知らないから、踏み込めた。
その事実が、胸の奥で、静かに、しかし確実に怒りを育てる。
(……許されると思うな)
思考が、危険な方向に走りかける。今なら、できる。王子として。帝国の名で。
「不適切な干渉」として、牽制することは。
だが――アレクシスは、そこで目を閉じた。
息を吸う。ゆっくりと。肺の奥まで。吐く。時間をかけて。
(……それをしたら)
それは、彼女の覚悟を、踏みにじる。エリシアは、守られる位置を拒んだ。名を借りることも、庇護に逃げることもせず、自分の判断として立つことを選んだ。その結果を、自分の感情で覆い隠すことは――
(最悪だ)
拳を握る。だが、机は叩かない。声も、荒げない。これが、初めて自覚する怒りの制御だった。怒っている確実に。だが、それを「行動の理由」にしない。
(……感情で動くのは、簡単だ)
王子としての権限を振るえばいい。
誰も逆らえない。だが、それはエリシアが最も嫌う形だ。ならば、選ぶのは一つ。
――怒りを、理性の中に沈める。
アレクシスは、ゆっくりと立ち上がった。
側近が、息を詰めるのが分かる。
「殿下……?」
「会議は、開かない」
短く言う。
「声明も出さない」
側近が驚いた顔をする。
「しかし、帝国側のこの動きは――」
「だからだ」
アレクシスは、静かに遮った。
「今ここで動けば、“彼女を庇った”という構図が完成する」
一拍。
「それは、帝国が望んでいる形だ」
沈黙。
側近は、ようやく理解した。
「では……?」
アレクシスは、視線を落とす。
「私が動くのは、彼女の判断が正しかったことが、結果として示された後だ」
それは、遠回りで、危険な選択。
だが――
(彼女は、前に立った)
ならば、自分は隣で耐える側に回る。
怒りを抑える。衝動を殺す。結果で殴る。
それが、今の自分に許された唯一の“寄り添い方”だ。アレクシスは、窓の外を見る。
夜の帝国は、何も変わらない顔をしている。
だが――確実に、配置は変わった。
(……エリシア)
心の中で、名を呼ぶ。
怒りはある。だが、暴れない。
それは、彼女と同じ場所に立つための、最低条件だった。この夜、アレクシスは初めて理解した。怒りを抑えるというのは、弱さではない。
誰かの覚悟を、尊重するための力なのだと。
その報告書を読み終えたとき、
アレクシスは、しばらく言葉を失っていた。第三国レグナール港湾管理局・臨時評議会。議事録の抄録。そして――最後に追記された一行。
「当該判断は、第三国側責任者
エリーゼ・ヴァンローズの責任の下に行われたものと確認」
紙を置く。机の上に、音は立てない。だが、胸の奥で、確かに何かが燃えた。
(……帝国は)
やった。正面から切れないと分かった瞬間、人格を削り、正当性を疑わせ、
最後は――彼女一人に刃を向けた。それを、第三国の名で止めさせた。
理屈としては、美しい。政治としては、正しい。
だが――
(エリシアを、そこまで追い込ませた)
指先に、力が入る。彼女が、どれほどの覚悟で判断を引き受けたかを、どれほどの恐怖を飲み込んで立っていたかを、
知っているのは――自分だ。帝国は、それを知らない。知らないから、踏み込めた。
その事実が、胸の奥で、静かに、しかし確実に怒りを育てる。
(……許されると思うな)
思考が、危険な方向に走りかける。今なら、できる。王子として。帝国の名で。
「不適切な干渉」として、牽制することは。
だが――アレクシスは、そこで目を閉じた。
息を吸う。ゆっくりと。肺の奥まで。吐く。時間をかけて。
(……それをしたら)
それは、彼女の覚悟を、踏みにじる。エリシアは、守られる位置を拒んだ。名を借りることも、庇護に逃げることもせず、自分の判断として立つことを選んだ。その結果を、自分の感情で覆い隠すことは――
(最悪だ)
拳を握る。だが、机は叩かない。声も、荒げない。これが、初めて自覚する怒りの制御だった。怒っている確実に。だが、それを「行動の理由」にしない。
(……感情で動くのは、簡単だ)
王子としての権限を振るえばいい。
誰も逆らえない。だが、それはエリシアが最も嫌う形だ。ならば、選ぶのは一つ。
――怒りを、理性の中に沈める。
アレクシスは、ゆっくりと立ち上がった。
側近が、息を詰めるのが分かる。
「殿下……?」
「会議は、開かない」
短く言う。
「声明も出さない」
側近が驚いた顔をする。
「しかし、帝国側のこの動きは――」
「だからだ」
アレクシスは、静かに遮った。
「今ここで動けば、“彼女を庇った”という構図が完成する」
一拍。
「それは、帝国が望んでいる形だ」
沈黙。
側近は、ようやく理解した。
「では……?」
アレクシスは、視線を落とす。
「私が動くのは、彼女の判断が正しかったことが、結果として示された後だ」
それは、遠回りで、危険な選択。
だが――
(彼女は、前に立った)
ならば、自分は隣で耐える側に回る。
怒りを抑える。衝動を殺す。結果で殴る。
それが、今の自分に許された唯一の“寄り添い方”だ。アレクシスは、窓の外を見る。
夜の帝国は、何も変わらない顔をしている。
だが――確実に、配置は変わった。
(……エリシア)
心の中で、名を呼ぶ。
怒りはある。だが、暴れない。
それは、彼女と同じ場所に立つための、最低条件だった。この夜、アレクシスは初めて理解した。怒りを抑えるというのは、弱さではない。
誰かの覚悟を、尊重するための力なのだと。
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