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8.君の隣へ立てるように
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『一年五組の一ノ瀬晴海くん。体育準備室まで来てください』
部活を休んで一週間目の昼休み。ついに俺は呼び出しを食らってしまった。
あまり気が進まない中で体育準備室へと向かい、そろりと扉を開けると、「おう」とサトセンが片手を上げた。
俺は内心気が重くなる。呼び出しの理由は十中八九、部活を休んでいることだろう。怒られでもするのだろうか。
たとえそうだとしても、俺には何も言えない。結局未だに何も解決できていないのだから。むしろ時間が経つごとに、雁字搦めにされている気がする。
警戒しているのがバレたのか、サトセンは苦笑した。
「とって食いやしねえって。まあこっちに座れよ」
誘われるがまま、俺は体育準備室の奥にある長机につく。サトセンは机から立ち上がり、戸棚と冷蔵庫を行き来した。
「コーヒーとジュースとプロテイン、どれがいい?」
「プロテインはこういうときに出すものじゃありませんよね?」
「この部屋に飲み物はそれしかないんだよ。選択肢は広い方がいいだろ?」
「……ジュースでお願いします」
「はいよ」
冷蔵庫を開いたサトセンは、リンゴジュースを取り出し、俺の前に置いた。ストローの付きの紙パックジュースが、がたいのいい先生たちの集まる体育準備室に常備してあると思うと、なんだかちぐはぐで笑えてくる。
サトセンはインスタントコーヒーを淹れ、湯気の出るマグカップを片手に俺の隣へ腰掛けてきた。
「まあ飲めって」
「はい……」
そんな気分ではなかったが、ひとまず言われた通りにストローを紙パックに差し、少しだけ飲んだ。リンゴの甘さが喉を伝ってじんわり染みていく。心なしか、固まっていた身体がほぐれた気がした。
そのまま二口、三口と飲んでいると、サトセンがおもむろに口を開いた。
「話は山本たちから聞いてる。クラスで色々あって、気持ちの整理をつけたくて部活を休んでいるんだってな」
――来た。
身体中に緊張が走る。勢いでパックを握りつぶしてしまいそうで、俺はジュースを机に置いた。
「まだ、落ち着きそうにないか?」
「なんだか俺も、よく分からなくなってきて」
「そうか……」
サトセンはしばしの間沈黙した後、軽くコーヒーを啜る。
「俺はお前の事情を全部把握している訳じゃない。ただ山本たちから聞いた話だと、中学時代にサッカー部のエースだったが、何らかの理由で試合ができなくなり、高校では部員だったことを隠してマネージャーになった。だがクラスマッチの件で試合に出るよう言われてパニックになった……合っているか?」
「はい……大体は」
実際はエースなんて他の部員から言われたことはない。自分が上手かったのかどうかも正直よく分からなかった。けれどあえて説明する気力は今の俺にない。
うつむいたままの俺に、サトセンは続けた。
「今のお前の状況は、中学時代の何かが原因だと思ってる。けど詳しい話は誰にもしてないんだろう? よかったら、俺に話してみないか」
「……でも、話したところでどうにもなりません」
情けなくて、みっともなくて。けれど脳裏にこびりついて離れない、あの夏の記憶。あんな話を、他人に教えたくはなかった。特に、サッカーをやっている人たちには。
それに誰かに話したところで何かが解決するわけじゃない。ただ自分のかっこ悪いところを他人に晒してしまうだけだ。
黙ったまま一層口を固く引き結ぶ。そんな俺の背を、サトセンはぽんぽんと軽く叩いてくれた。まるで落ち着かせているみたいに。
「答えは出なくても、一緒に考えることくらいはできるだろ。これでもお前たちより長くサッカーやってきてるしな。それに教師ってのは、友達に相談できないことがあるときのためにいるんだよ」
「……っ」
顔を上げると、サトセンが俺に微笑んでいた。悠理とは違う、俺を教え導いてくれる大人の笑みだった。
「本当に、一緒に考えてくれるんですか」
「当たり前だろ。だから何でも言えって」
なんだか涙が出そうだった。ずっと平気だと思っていたが、心の奥底では隠して閉じ込めてきた重荷を吐き出してしまいたいと思っていたのかもしれない。
「笑わないで、くださいね……」
そして俺は、かつての記憶を掘り返していった。
サッカーが好きになったのは、小学生の頃だった。テレビに映るサッカー選手を眺めては、ボールを蹴りながら自由自在にコートを走り回る姿が、かっこいいと思っていたのだ。
だから中学校に入ると、迷わずサッカー部への入部を決めた。行ったのは公立中学で部活もさほど有名ではない学校だったが、俺は構わなかった。
勉強して。ボールを蹴って。その繰り返しだけでとても楽しかった。
サッカーボールに触れると、心が踊り出しそうな気持ちになる。自分の身体の一部みたいに動かせた時には、大きな喜びを覚えた。
少しでも上手くなりたくて、空いた時間は動画でサッカーのプレイ解説を見た。部活だけでは練習時間に満足できなくて、いつのまにか朝早く学校に行ってボールを蹴るようになった。
思い通りにならないと悔しくて。でもうまくいった時は最高に楽しくて、俺はどんどんサッカーにのめり込んでいった。
一年、二年と年を重ねていき、そのうち弱小サッカー部も少しずつ勝てるようになっていった。部員たちは次も、次もと勝利に貪欲になっていったが、俺はそうはならなかった。
もちろん勝てたのは嬉しい。けれども俺は、勝利よりもサッカーを楽しむことに全力を尽くしていた。俺はただ、自分が楽しむためにサッカーをしていたのだ。
それが、間違いだったのだろう。
中学三年の夏。初めてうちの中学は公式の県大会で決勝まで進出した。弱小チームだったうちの中学にとっては、二度とないかもしれない奇跡だった。
絶対に優勝する。コーチも部員も、今までにないくらい燃えていた。
試合はなんとか相手に食らいつき、後半戦は引き分けで終了。勝敗はPK戦で決められることになった。
PK戦は両チームから五人ずつ交互にボールを蹴り、入った得点が多い方が勝利する。しかしそれでも引き分けだった場合、六番目以降はサドンデスとなる。再び交互にボールを蹴りながら、どちらかが入り、どちらかが失敗した時点で試合終了となるのだ。
あのときの試合もそうだった。サドンデスとなり、俺は七番手としてコートに立った。
六番手は、敵も味方も両方シュートを成功させた。
続く七番手。俺の番だった。
先攻の敵チームの選手は、軽々とシュートを決めていく。すぐに俺の番がやってきた。
「頑張れ一ノ瀬!」
「お前ならいける!」
味方チームのテントからは、チームメイトたちの声が響いている。
だがゴールの前に立った俺は、頭が真っ白になっていた。
(俺が外せば、うちの負けだ)
心臓の鼓動が頭に響く。嫌な汗が全身から噴き出していた。
俺はこの時、初めて感じたのだ。「負けてはならない」という強い責任感を。
外せない。外してはいけない。この一球に、奇跡の勝利が掛かっている。
そう思えば思うほど、追い詰められていく感覚がした。けれども佇んでいる時間はない。
じりじり照りつける太陽も。笛を咥えた審判も。周りにいるチームメイトたちも。みんな俺が蹴るのを待っている。
時が来た、と思った。今考えれば、ただ気が急いていただけなのだろう。
プレッシャーに押しつぶされそうになりながら蹴ったボールは、ゴールネットの上を高く飛び越えていった。
「……そうして俺の中学は負けました。俺の外したPKのせいで」
ゆっくりと、少しずつ。痛む心に耐えながらも、俺は全てを話しきった。
「そうか、苦しかったな」
サトセンは一言そういって、俺の頭を撫でてくれる。その手はとても温かく、抑えていた気持ちがぶわりと一気にあふれ出る。目頭がじんわり熱くなり、一粒、また一粒と、長机の上に滴が落ちた。
大人はすごい。これが経験の差なのだろうか。
俺は涙を手の甲で拭い、鼻水を啜って顔を上げる。一口リンゴジュースを飲むと、少し涙が落ち着いた。
「すみません、泣いてしまって」
「いいって。苦しい時には泣いてしまったほうがいい。辛い話をありがとな」
「いえ……聞いてくれてありがとうございます。ともかくあのことがあってから、俺はサッカーを辞めようと思ったんです。もう、向いてないなと」
PK戦を外し、県大会優勝を逃してから、サッカーの試合に出ると考えただけで身体が震えるようになってしまった。「好き」だけで続けていた自分は、選手としてコートの中に入る重みに気付いていなかったのだ。
三年生は県大会が終わってすぐ引退の予定だったので、辞めるにもちょうどいい時期だった。だから県大会から帰ってすぐにサッカーシューズをクローゼットの奥に封印し、使っていたジャージも捨ててしまって、サッカーを自分から遠ざけた。
けれどサッカー好きなのは辞められなくて。悠理に出会って、マネージャーに誘われて、結局またサッカーに関わってしまった。その結果が、今の状況だ。
「だから、どうしていいか分からなくて。サッカーに向いていない俺が、みんなの期待を背負って、試合に出るなんてできるはずがないのに」
「向いてない、か……」
サトセンは小さく笑って肩をすくめた。
「お前、夏合宿のフットサルで、俺に股抜きを仕掛けておいてそれを言うのか?」
「あれは、油断していたからじゃ」
「油断していたとしても、抜かせるつもりはなかった。俺はあそこで、止める気でいたんだから。それにあの後も、俺と山本をあの手この手で抜いておいて……そんなことされちゃ、向いてないなんて口が裂けても言えないだろ」
「PKは外して、試合にも出られなくなったのに?」
「問題があるっていうなら、技術じゃなくてメンタル面の方だな」
サトセンは打って変わって、俺をまっすぐに見つめてきた。その真剣な瞳に、すっと背中が自然に伸びる。
「あくまで俺の評価だが、お前がサッカーに向いているかといえば、技術面では上、メンタル面では下、と言ったところだ」
好きな物こそ上手なれ。その言葉通り、中学の頃にひたすらサッカーをしていた俺の技術は、かなり上のレベルだという。けれどその反面、「楽しい」だけで続けていたこと、公式戦の経験が少なかったことが原因で、自分の技術力に自信が持てず、結果として一度の失敗でトラウマを抱えてしまったのだろうと、サトセンは語る。
「でも正直、公式戦は慣れていなければ緊張する。PK戦はその極みだ。失敗しても、仕方ない時もある」
「でも……俺のせいでみんなは優勝できなかったんですよ」
「確かに一ノ瀬が外したことで試合に負けたかもしれない。だがあの緊張感は、サッカーをやっていれば誰だって知っている。その状況で一ノ瀬を責める人がいたなら、そいつこそサッカーに向いてないだろ」
「…………」
正直、実感が湧かなかった。確かにコーチでもあるサトセンが言うなら、信憑性は高いのだろう。けれどこれまでずっと自分は普通だと思い込んできたのに、いきなり見方を変えろと言われてもすぐにはできなかった。
「まあ、俺の言えることはこれくらいだ。あとは一ノ瀬がどうしたいかだな」
「俺が、どうしたいか……」
「そう。今のままでいいのか、トラウマを乗り越えて自分を変えるか」
一瞬きらきらと、目の前がきらめいた。まるで希望でも見えたみたいに。
「俺も……変われるんですか?」
「そりゃそうだろ。人間ってのは変わりながら成長していくんだよ」
サトセンはコーヒーを飲みきり立ち上がった。
「ま、話はこれくらいだ。もう好きに帰っていいぞ。部活はいくらでも休んでいいから、気が済むまで考えろ」
「……ありがとうございます。そうさせてもらいます」
俺もリンゴジュースを飲みきって、近くのゴミに紙パックを捨ててから、体育準備室の扉に手を掛けた。
「ああ、そうそう」
俺が出て行く直前、サトセンは何かを思い出したように声を上げた。
「グラウンドと部活のサッカーボールは、いつでも好きに使っていいからな」
***
部活を休んで一週間目の昼休み。ついに俺は呼び出しを食らってしまった。
あまり気が進まない中で体育準備室へと向かい、そろりと扉を開けると、「おう」とサトセンが片手を上げた。
俺は内心気が重くなる。呼び出しの理由は十中八九、部活を休んでいることだろう。怒られでもするのだろうか。
たとえそうだとしても、俺には何も言えない。結局未だに何も解決できていないのだから。むしろ時間が経つごとに、雁字搦めにされている気がする。
警戒しているのがバレたのか、サトセンは苦笑した。
「とって食いやしねえって。まあこっちに座れよ」
誘われるがまま、俺は体育準備室の奥にある長机につく。サトセンは机から立ち上がり、戸棚と冷蔵庫を行き来した。
「コーヒーとジュースとプロテイン、どれがいい?」
「プロテインはこういうときに出すものじゃありませんよね?」
「この部屋に飲み物はそれしかないんだよ。選択肢は広い方がいいだろ?」
「……ジュースでお願いします」
「はいよ」
冷蔵庫を開いたサトセンは、リンゴジュースを取り出し、俺の前に置いた。ストローの付きの紙パックジュースが、がたいのいい先生たちの集まる体育準備室に常備してあると思うと、なんだかちぐはぐで笑えてくる。
サトセンはインスタントコーヒーを淹れ、湯気の出るマグカップを片手に俺の隣へ腰掛けてきた。
「まあ飲めって」
「はい……」
そんな気分ではなかったが、ひとまず言われた通りにストローを紙パックに差し、少しだけ飲んだ。リンゴの甘さが喉を伝ってじんわり染みていく。心なしか、固まっていた身体がほぐれた気がした。
そのまま二口、三口と飲んでいると、サトセンがおもむろに口を開いた。
「話は山本たちから聞いてる。クラスで色々あって、気持ちの整理をつけたくて部活を休んでいるんだってな」
――来た。
身体中に緊張が走る。勢いでパックを握りつぶしてしまいそうで、俺はジュースを机に置いた。
「まだ、落ち着きそうにないか?」
「なんだか俺も、よく分からなくなってきて」
「そうか……」
サトセンはしばしの間沈黙した後、軽くコーヒーを啜る。
「俺はお前の事情を全部把握している訳じゃない。ただ山本たちから聞いた話だと、中学時代にサッカー部のエースだったが、何らかの理由で試合ができなくなり、高校では部員だったことを隠してマネージャーになった。だがクラスマッチの件で試合に出るよう言われてパニックになった……合っているか?」
「はい……大体は」
実際はエースなんて他の部員から言われたことはない。自分が上手かったのかどうかも正直よく分からなかった。けれどあえて説明する気力は今の俺にない。
うつむいたままの俺に、サトセンは続けた。
「今のお前の状況は、中学時代の何かが原因だと思ってる。けど詳しい話は誰にもしてないんだろう? よかったら、俺に話してみないか」
「……でも、話したところでどうにもなりません」
情けなくて、みっともなくて。けれど脳裏にこびりついて離れない、あの夏の記憶。あんな話を、他人に教えたくはなかった。特に、サッカーをやっている人たちには。
それに誰かに話したところで何かが解決するわけじゃない。ただ自分のかっこ悪いところを他人に晒してしまうだけだ。
黙ったまま一層口を固く引き結ぶ。そんな俺の背を、サトセンはぽんぽんと軽く叩いてくれた。まるで落ち着かせているみたいに。
「答えは出なくても、一緒に考えることくらいはできるだろ。これでもお前たちより長くサッカーやってきてるしな。それに教師ってのは、友達に相談できないことがあるときのためにいるんだよ」
「……っ」
顔を上げると、サトセンが俺に微笑んでいた。悠理とは違う、俺を教え導いてくれる大人の笑みだった。
「本当に、一緒に考えてくれるんですか」
「当たり前だろ。だから何でも言えって」
なんだか涙が出そうだった。ずっと平気だと思っていたが、心の奥底では隠して閉じ込めてきた重荷を吐き出してしまいたいと思っていたのかもしれない。
「笑わないで、くださいね……」
そして俺は、かつての記憶を掘り返していった。
サッカーが好きになったのは、小学生の頃だった。テレビに映るサッカー選手を眺めては、ボールを蹴りながら自由自在にコートを走り回る姿が、かっこいいと思っていたのだ。
だから中学校に入ると、迷わずサッカー部への入部を決めた。行ったのは公立中学で部活もさほど有名ではない学校だったが、俺は構わなかった。
勉強して。ボールを蹴って。その繰り返しだけでとても楽しかった。
サッカーボールに触れると、心が踊り出しそうな気持ちになる。自分の身体の一部みたいに動かせた時には、大きな喜びを覚えた。
少しでも上手くなりたくて、空いた時間は動画でサッカーのプレイ解説を見た。部活だけでは練習時間に満足できなくて、いつのまにか朝早く学校に行ってボールを蹴るようになった。
思い通りにならないと悔しくて。でもうまくいった時は最高に楽しくて、俺はどんどんサッカーにのめり込んでいった。
一年、二年と年を重ねていき、そのうち弱小サッカー部も少しずつ勝てるようになっていった。部員たちは次も、次もと勝利に貪欲になっていったが、俺はそうはならなかった。
もちろん勝てたのは嬉しい。けれども俺は、勝利よりもサッカーを楽しむことに全力を尽くしていた。俺はただ、自分が楽しむためにサッカーをしていたのだ。
それが、間違いだったのだろう。
中学三年の夏。初めてうちの中学は公式の県大会で決勝まで進出した。弱小チームだったうちの中学にとっては、二度とないかもしれない奇跡だった。
絶対に優勝する。コーチも部員も、今までにないくらい燃えていた。
試合はなんとか相手に食らいつき、後半戦は引き分けで終了。勝敗はPK戦で決められることになった。
PK戦は両チームから五人ずつ交互にボールを蹴り、入った得点が多い方が勝利する。しかしそれでも引き分けだった場合、六番目以降はサドンデスとなる。再び交互にボールを蹴りながら、どちらかが入り、どちらかが失敗した時点で試合終了となるのだ。
あのときの試合もそうだった。サドンデスとなり、俺は七番手としてコートに立った。
六番手は、敵も味方も両方シュートを成功させた。
続く七番手。俺の番だった。
先攻の敵チームの選手は、軽々とシュートを決めていく。すぐに俺の番がやってきた。
「頑張れ一ノ瀬!」
「お前ならいける!」
味方チームのテントからは、チームメイトたちの声が響いている。
だがゴールの前に立った俺は、頭が真っ白になっていた。
(俺が外せば、うちの負けだ)
心臓の鼓動が頭に響く。嫌な汗が全身から噴き出していた。
俺はこの時、初めて感じたのだ。「負けてはならない」という強い責任感を。
外せない。外してはいけない。この一球に、奇跡の勝利が掛かっている。
そう思えば思うほど、追い詰められていく感覚がした。けれども佇んでいる時間はない。
じりじり照りつける太陽も。笛を咥えた審判も。周りにいるチームメイトたちも。みんな俺が蹴るのを待っている。
時が来た、と思った。今考えれば、ただ気が急いていただけなのだろう。
プレッシャーに押しつぶされそうになりながら蹴ったボールは、ゴールネットの上を高く飛び越えていった。
「……そうして俺の中学は負けました。俺の外したPKのせいで」
ゆっくりと、少しずつ。痛む心に耐えながらも、俺は全てを話しきった。
「そうか、苦しかったな」
サトセンは一言そういって、俺の頭を撫でてくれる。その手はとても温かく、抑えていた気持ちがぶわりと一気にあふれ出る。目頭がじんわり熱くなり、一粒、また一粒と、長机の上に滴が落ちた。
大人はすごい。これが経験の差なのだろうか。
俺は涙を手の甲で拭い、鼻水を啜って顔を上げる。一口リンゴジュースを飲むと、少し涙が落ち着いた。
「すみません、泣いてしまって」
「いいって。苦しい時には泣いてしまったほうがいい。辛い話をありがとな」
「いえ……聞いてくれてありがとうございます。ともかくあのことがあってから、俺はサッカーを辞めようと思ったんです。もう、向いてないなと」
PK戦を外し、県大会優勝を逃してから、サッカーの試合に出ると考えただけで身体が震えるようになってしまった。「好き」だけで続けていた自分は、選手としてコートの中に入る重みに気付いていなかったのだ。
三年生は県大会が終わってすぐ引退の予定だったので、辞めるにもちょうどいい時期だった。だから県大会から帰ってすぐにサッカーシューズをクローゼットの奥に封印し、使っていたジャージも捨ててしまって、サッカーを自分から遠ざけた。
けれどサッカー好きなのは辞められなくて。悠理に出会って、マネージャーに誘われて、結局またサッカーに関わってしまった。その結果が、今の状況だ。
「だから、どうしていいか分からなくて。サッカーに向いていない俺が、みんなの期待を背負って、試合に出るなんてできるはずがないのに」
「向いてない、か……」
サトセンは小さく笑って肩をすくめた。
「お前、夏合宿のフットサルで、俺に股抜きを仕掛けておいてそれを言うのか?」
「あれは、油断していたからじゃ」
「油断していたとしても、抜かせるつもりはなかった。俺はあそこで、止める気でいたんだから。それにあの後も、俺と山本をあの手この手で抜いておいて……そんなことされちゃ、向いてないなんて口が裂けても言えないだろ」
「PKは外して、試合にも出られなくなったのに?」
「問題があるっていうなら、技術じゃなくてメンタル面の方だな」
サトセンは打って変わって、俺をまっすぐに見つめてきた。その真剣な瞳に、すっと背中が自然に伸びる。
「あくまで俺の評価だが、お前がサッカーに向いているかといえば、技術面では上、メンタル面では下、と言ったところだ」
好きな物こそ上手なれ。その言葉通り、中学の頃にひたすらサッカーをしていた俺の技術は、かなり上のレベルだという。けれどその反面、「楽しい」だけで続けていたこと、公式戦の経験が少なかったことが原因で、自分の技術力に自信が持てず、結果として一度の失敗でトラウマを抱えてしまったのだろうと、サトセンは語る。
「でも正直、公式戦は慣れていなければ緊張する。PK戦はその極みだ。失敗しても、仕方ない時もある」
「でも……俺のせいでみんなは優勝できなかったんですよ」
「確かに一ノ瀬が外したことで試合に負けたかもしれない。だがあの緊張感は、サッカーをやっていれば誰だって知っている。その状況で一ノ瀬を責める人がいたなら、そいつこそサッカーに向いてないだろ」
「…………」
正直、実感が湧かなかった。確かにコーチでもあるサトセンが言うなら、信憑性は高いのだろう。けれどこれまでずっと自分は普通だと思い込んできたのに、いきなり見方を変えろと言われてもすぐにはできなかった。
「まあ、俺の言えることはこれくらいだ。あとは一ノ瀬がどうしたいかだな」
「俺が、どうしたいか……」
「そう。今のままでいいのか、トラウマを乗り越えて自分を変えるか」
一瞬きらきらと、目の前がきらめいた。まるで希望でも見えたみたいに。
「俺も……変われるんですか?」
「そりゃそうだろ。人間ってのは変わりながら成長していくんだよ」
サトセンはコーヒーを飲みきり立ち上がった。
「ま、話はこれくらいだ。もう好きに帰っていいぞ。部活はいくらでも休んでいいから、気が済むまで考えろ」
「……ありがとうございます。そうさせてもらいます」
俺もリンゴジュースを飲みきって、近くのゴミに紙パックを捨ててから、体育準備室の扉に手を掛けた。
「ああ、そうそう」
俺が出て行く直前、サトセンは何かを思い出したように声を上げた。
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