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「鈴。今日はちょっと遅くなるかもしれねえから、晩飯はいいや。戸締りしっかりして、用心するんだぞ。何かあったら大家さんのとこに行け」
「お兄ちゃんたら。大丈夫よ、もう子供って年でもないんだから」
「子供じゃねえから心配なんだよ。いいな? わかったな」
「はいはい、わかりました。それより、そんなに遅くなるの?」
「いや、そこまでにはならねえと思うけどな。なるべく早く帰るようにする」
「それなら大丈夫よ。お兄ちゃんも気をつけてね」
「ああ。じゃあ、行ってくるわ」
肩越しに片手で手を振りながら出て行こうとする銀次。だが、すぐに振り返り、「いいな。くれぐれも気をつけろよ」そう言って鈴を指さしてみせた。
「もう、お兄ちゃんたら心配性なんだから」
口うるさい兄の言葉にも、満更でもなく嬉しそうに微笑む鈴だった。
次の日、銀次は夕方に家を出て弥吉と落ち合った。
翌日にはもうこの町を出ると言う弥吉から、話を聞くためだ。
弥吉の借りている部屋で酒を酌み交わす二人。
つまみを宿に頼み、酒は壺酒を銀次が持ち込んだ。
「親父は元気か?」
「ああ、点々としながら店を続けてる。今は西の峠付近で飯屋をやってるよ」
「そうか。皆は? 他は皆どうしてる?」
「上の二人は親父のそばで何かしらやってるし、俺はこれから北に上って七之助に会いに行く。次に戻るのは数か月先だな」
「おめえも大変だな」
「なんてことねえよ。昔に比べりゃ、気が休まるさ」
「そうだな……」
銀次と弥吉は兄弟分として盃を交わした仲だ。掟に従って。手順を踏んで。
たとえ同じ血が流れていなくとも、その関係は生涯切れることはない。
まだ世の中の事もわからぬ頃に拾われた二人は、ただ生きる為に、その為だけに盃を交わし生かしてもらっていた。
言われるままに、乞われるままに、善悪の判断すらもさせてもらえぬ世界へと足を突っ込んでしまったのだった。
ガマの油売りの弥吉と銀次は、近況を報告し合いながら酒を飲んだ。
時に笑いを含みながら飲み交わすのは、久しぶりに旨い酒だった。
銀次が与市に拾われた後、少しして弥吉も拾われてきた。
歳も近そうなことから自然と仲が良くなるのは当たり前のことだったのだろう。だが、大人たちの思惑はそうではなかった。
近しい歳の者を競わせ、そして見張りに据える。逃げないように、反旗を翻さないように。互いをけん制し合うように仕向け、逃げ道をふさぐ。
だが、この二人はそんな目論見をたやすく見抜き、陰で仲を深めていたのだ。
大人の目を欺いているような感覚が、さらに二人の仲を強固にしていった。
そして、仲間の元を離れた今も、こうして膝を突き合わせて酒を酌み交わしている。
弥吉はいま、親父と呼ぶ男からの預かり物を渡す旅を続けている。
どこに居ても、どこに住処を変えても見つけるその情報網に恐れを感じつつも、二度と離れることの出来ない契りを今更ながら認識させられる。
「江戸で今、騒ぎを起こしている賊がいる。女、子供にも容赦のない様子から『黒狼』と呼ばれ、恐れられてる奴らだ」
「……、それがどうした?」
「親父は疑ってる」
「……、まさか。俺たちの誰かだと?」
「違うと信じたいが、手口があまりにも親父のそれに近い。お上も親父を疑ってる。だが、親父じゃない。それは誓って言える」
「じゃあ、兄者たちの誰かが?」
「そう、としか考えられない。俺は太一さんを疑ってる。他に考えられないだろう? 太一さんは親父を恨んで去っていった人だ。他に誰がいる?」
「いや、しかし。あれは仕方がなかっただろう? 太一さんがしたことを責めることは出来ないだろうが」
「親父は血を見ることだけは許さなかった『命は取るな』っていうのが誓いの言葉だったじゃないか。忘れたのか?」
「忘れない。忘れるはずがない。俺だってそれだけが矜持だったんだから。
だがあの日、顔を見られたからには仕方がないって、だから刃物を使うしか。
そうだろう? 違うんか?」
「だからって、あれはむご過ぎる。おめえは、そうは思わんのか?」
弥吉は盃の酒を飲み干すと、膳の上にタンッと音を立てて置いた。
怒りに満ちた顔は沈み、うつむいている。
銀次はそれを視界の端に映しながら、膝の上に置かれた手の中にある盃の揺れを黙って見つめていた。
「口止めされてたが、実は……。権八さんが襲われた。怪我は大したことはねえ。本人は脅しだって言ってる。本気で狙ったわけじゃねえって。
だが、もう親父の身を守れるだけの力はねえと思う」
銀次は弥吉の言葉に息をのむ。
「だって、親父は。じゃあ、誰がそばに? 長松さんか?」
「うん。今は長松さんが親父と権八さんのそばにいる」
「それは……。大丈夫なんか?」
「大丈夫かどうかは、俺にはわからん。だが、なんとかやってるみたいだ。
俺には手伝えることはねえから、お前と違ってな」
「何言ってんだよ? 俺にだってやることはねえよ」
気安い雰囲気の二人だからこその会話。遠く離れた身だからこそ、かつての仲間の安否が気になる。
「黒狼も仕事場を動かし続けてる。おめえも気をつけろ」
銀次は弥吉の言葉を噛み締め、家で待つ妹を思いながら遠い昔を思い出していた。
「お兄ちゃんたら。大丈夫よ、もう子供って年でもないんだから」
「子供じゃねえから心配なんだよ。いいな? わかったな」
「はいはい、わかりました。それより、そんなに遅くなるの?」
「いや、そこまでにはならねえと思うけどな。なるべく早く帰るようにする」
「それなら大丈夫よ。お兄ちゃんも気をつけてね」
「ああ。じゃあ、行ってくるわ」
肩越しに片手で手を振りながら出て行こうとする銀次。だが、すぐに振り返り、「いいな。くれぐれも気をつけろよ」そう言って鈴を指さしてみせた。
「もう、お兄ちゃんたら心配性なんだから」
口うるさい兄の言葉にも、満更でもなく嬉しそうに微笑む鈴だった。
次の日、銀次は夕方に家を出て弥吉と落ち合った。
翌日にはもうこの町を出ると言う弥吉から、話を聞くためだ。
弥吉の借りている部屋で酒を酌み交わす二人。
つまみを宿に頼み、酒は壺酒を銀次が持ち込んだ。
「親父は元気か?」
「ああ、点々としながら店を続けてる。今は西の峠付近で飯屋をやってるよ」
「そうか。皆は? 他は皆どうしてる?」
「上の二人は親父のそばで何かしらやってるし、俺はこれから北に上って七之助に会いに行く。次に戻るのは数か月先だな」
「おめえも大変だな」
「なんてことねえよ。昔に比べりゃ、気が休まるさ」
「そうだな……」
銀次と弥吉は兄弟分として盃を交わした仲だ。掟に従って。手順を踏んで。
たとえ同じ血が流れていなくとも、その関係は生涯切れることはない。
まだ世の中の事もわからぬ頃に拾われた二人は、ただ生きる為に、その為だけに盃を交わし生かしてもらっていた。
言われるままに、乞われるままに、善悪の判断すらもさせてもらえぬ世界へと足を突っ込んでしまったのだった。
ガマの油売りの弥吉と銀次は、近況を報告し合いながら酒を飲んだ。
時に笑いを含みながら飲み交わすのは、久しぶりに旨い酒だった。
銀次が与市に拾われた後、少しして弥吉も拾われてきた。
歳も近そうなことから自然と仲が良くなるのは当たり前のことだったのだろう。だが、大人たちの思惑はそうではなかった。
近しい歳の者を競わせ、そして見張りに据える。逃げないように、反旗を翻さないように。互いをけん制し合うように仕向け、逃げ道をふさぐ。
だが、この二人はそんな目論見をたやすく見抜き、陰で仲を深めていたのだ。
大人の目を欺いているような感覚が、さらに二人の仲を強固にしていった。
そして、仲間の元を離れた今も、こうして膝を突き合わせて酒を酌み交わしている。
弥吉はいま、親父と呼ぶ男からの預かり物を渡す旅を続けている。
どこに居ても、どこに住処を変えても見つけるその情報網に恐れを感じつつも、二度と離れることの出来ない契りを今更ながら認識させられる。
「江戸で今、騒ぎを起こしている賊がいる。女、子供にも容赦のない様子から『黒狼』と呼ばれ、恐れられてる奴らだ」
「……、それがどうした?」
「親父は疑ってる」
「……、まさか。俺たちの誰かだと?」
「違うと信じたいが、手口があまりにも親父のそれに近い。お上も親父を疑ってる。だが、親父じゃない。それは誓って言える」
「じゃあ、兄者たちの誰かが?」
「そう、としか考えられない。俺は太一さんを疑ってる。他に考えられないだろう? 太一さんは親父を恨んで去っていった人だ。他に誰がいる?」
「いや、しかし。あれは仕方がなかっただろう? 太一さんがしたことを責めることは出来ないだろうが」
「親父は血を見ることだけは許さなかった『命は取るな』っていうのが誓いの言葉だったじゃないか。忘れたのか?」
「忘れない。忘れるはずがない。俺だってそれだけが矜持だったんだから。
だがあの日、顔を見られたからには仕方がないって、だから刃物を使うしか。
そうだろう? 違うんか?」
「だからって、あれはむご過ぎる。おめえは、そうは思わんのか?」
弥吉は盃の酒を飲み干すと、膳の上にタンッと音を立てて置いた。
怒りに満ちた顔は沈み、うつむいている。
銀次はそれを視界の端に映しながら、膝の上に置かれた手の中にある盃の揺れを黙って見つめていた。
「口止めされてたが、実は……。権八さんが襲われた。怪我は大したことはねえ。本人は脅しだって言ってる。本気で狙ったわけじゃねえって。
だが、もう親父の身を守れるだけの力はねえと思う」
銀次は弥吉の言葉に息をのむ。
「だって、親父は。じゃあ、誰がそばに? 長松さんか?」
「うん。今は長松さんが親父と権八さんのそばにいる」
「それは……。大丈夫なんか?」
「大丈夫かどうかは、俺にはわからん。だが、なんとかやってるみたいだ。
俺には手伝えることはねえから、お前と違ってな」
「何言ってんだよ? 俺にだってやることはねえよ」
気安い雰囲気の二人だからこその会話。遠く離れた身だからこそ、かつての仲間の安否が気になる。
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