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リワルトワイヤル one
しおりを挟む初めて会った日、彼女の涙はまるで世界その物みたいで、綺麗だった。
疲弊した体も一瞬で力を取り戻した。
僕の、初恋だったーーー。
「体調はどうですか?」
朝目覚めると必ず聞かれるこの台詞に僕は慣れたように答える。
「変わりないです、ありがとう」
僕の顳顬の辺りにはナースコールがぶら下がっている。手を伸ばしたら届く位置にテレビのリモコンやら飲みかけのジュースやらが散乱している。白いシーツはシワを作りながら下へ下へ下がっていってる。病院の匂いはもう嗅ぎ慣れた。何年もここにいるから。
僕は、治らない病気に侵されている。
1ヶ月に一度起こるか起こらないかのペースで割れるような頭痛を伴うがそれだけで他に目立った病状はない。しかしいつ何があってもおかしくない、と医者は言う。
もう16歳になったと言うのに11年間も病院で生活をしている僕にとっては外のことなんてテレビやスマホで見る程度しか知らないし、ほかの入院患者ほど、家に帰りたいとも思わない。ここが僕の家だから。
「さみぃ…」
寒さにあしらわれて僕は全身を身震いさせた。病院のなかも窓を開けると寒い。
「外へ出るか…久々に…」
「外は寒いしやめといた方がいいよ、もう少しで雪も降りだすから」
僕はむっとした。
その声は強めにしゃしゃり出る。
「なんでお前にそんなことわかるんだよ」
「だって雨の匂いするし。それに手が感覚なくなるくらい寒いし」
そう呟きながら彼女はコートをハンガーにかけマフラーをぐるぐると首から剥ぎ取った。
彼女は成瀬灯子。
そう、僕の過去を語るには彼女を語らなければ始まらない。
まず言い忘れていたことが二つほどある。
一つは、僕には14歳から15歳までの1年間の記憶が、失われていること。
もう一つはその一年で僕はなんらかの事件に巻き込まれたこと。その事件には彼女、成瀬灯子が関係していることだ。
「お前、今日学校はどうしたんだよ」
僕はテレビから視線こそ外さないものの灯子に向けて言い放った。
「休んだよ。行く意味なんてないもの。私がいなくても世界は回り続ける。天地がひっくり返る訳でもなれば、惑星が粉々に砕け散ったりする訳ではない。つまり、私1人が学校に行かなくても人類の日常は変わらないってこと、わかるでしょ?」
灯子はこういう奴だった。
思考回路が僕には理解できないほど、特殊な作りになっているんだと思う。
いつも妙なことを言っている。ただ不思議なのは、なぜか説得力があることだ。何かを話す時、灯子の目は吸い込まれるほど奥深く、光を秘めていた。灯子は卑弥呼の末裔なのではないかというくらい僕にとって不思議な、とても不思議な存在だった。
「なに考えてんのよ」
灯子はいつもより低い声で、僕の陳腐な妄想を遮った。
「なんでもないよ。それよりお前、いつまでいるつもりだよ」
「何?ここにいては駄目なわけ?」
「…お前勉強しなくていいのかよ」
必死に灯子を追い出す理由を探したが墓穴を掘った。勉強は言うべきではないのに。
「仙よりは勉強してるから、それに私、高校三年間の学習までは全て小五の段階で終えたから」
「知ってるし…だから仙って呼ぶなよ」
灯子の発言に僕は頭を掻きながら付け加える。灯子は全く動じず眉を上げた。
「なぜ?」
「いまはだって仙也だって言ったろ?」
「そんなのしらなーい。それに私が出会った時はもう仙だったのよ、だから仙で行くから」
僕の名前はもともと仙也だった。生まれた時、死んだ母さんがつけた名前。
ただ、僕の記憶のない一年、僕は仙という名前だったらしい。
元に戻ってから僕はもう一度、名前を仙也に改めた。灯子は僕の記憶のない一年で出会って、それ以来僕を仙と呼び続ける。
あぁ、困ったものだ。
一瞬、時が怯んだように見えた。
あたりが怖がったように音という音を消した。射し込む夕陽が少し揺れてやがて影となった。僕の部屋は灰色に染まった。
「仙、あの時のこと。教えようか?」
灯子は閑かに言った。
顔を覗き込んでも眉一つ動かさず、ただ凛と僕の目を見据える。
「何度も言ってるだろ、いいよ。知りたくない、まだいいんだ」
いつもなら、僕がこう言えば灯子は諦めて帰ろうと支度を始めるのだが、今日はいつもと違っていた。
「まだ?…仙、それ、いつまで待てばいいの?仙は真実を知りたくないの?」
僕自身、記憶の無い一年間のことは、名前が「仙」になったこと以外、何一つ知らない。
起こった出来事も、事件も、何一つ知らない。でも、僕の細胞が訴えてる気がするんだ。真実を見ちゃだめだって。
「知りたくない、って言ったら嘘になる。でもまだ見る時じゃないとおもうんだ。もしも時間の流れが僕に真実をみせるって言うなら僕は時にさえ抗ってみせる」
灯子は大きく息を吸って、そして吐き出した。その目はまさにあきれ返っている。
「わかった。仙がそこまで言うなら」
僕の手を叩いて灯子は立ち上がった。
「どこへ行くの」
「図書館寄って帰る」
灯子はコートを着て机に無造作に散らかっている本を数冊手に取った。
「また来るからね」
灯子は付け加える様に言ってまた僕の手を叩いた。別に来なくていいと、ため息をついてみるけれど不思議と心は温かかった。
灯子が出て行ってからしばらくして僕はベッドから起き上がった。
散らかった床の中から裸足でも履けるスリッパを探し出し、ゆっくりと歩き出す。
僕は一体どうしたというのか。
一歩一歩歩きながら頭の中はぐるぐると自分同士が会話を始める。
どうしてこうなったか。
ずっとそれを考えていた。
普通じゃない一年があって、僕はその一年の記憶を失っている。
嘘も真実も何一つわからない。
これからどうすればよいものか。
その日の月は、まだ欠けているーーー。
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