魔法使いの漂流者

三幸奨励

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絶海孤島編

第8話 神に愛された者

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朝、目が覚めると、ドナンはもう動いていた。

残骸から引き上げた板材を並べ、一枚一枚を確かめている。指先で叩いて、耳を澄ます。何かを判断している。声はない。ただ、手が動いている。

「おはようございます」

声をかけると、短く「ああ」と返ってきた。

レイスは川で顔を洗いながら、地面に何かを書いていた。近づいてみると、小屋の設計図だった。枝で土に描いただけのものだが、細部まで丁寧に書き込まれている。

「おはよう、カルド」とレイスは言った。「今日から本格的に始めよう」
「はい」
「まず聞かせてくれ。ここに何人くらいの規模を想定している」
「……まだ分からないけど、増えると思います。人間だけじゃなくて、魔物も」
「魔物も、か」

レイスは少し考えてから、設計図に線を一本加えた。

「では、最初から少し広めに作る。後から増築するより、最初に余裕を持たせた方がいい」

ファルは拠点の外を一周してから戻ってきた。

「昨夜の魔物の痕跡はなし。川上に小型の反応が二つあるが、こちらに来る気配はない」
「ありがとう」
「今日は何をすればいい」

レイスが振り返った。

「ファルは周辺警戒と素材調達を頼めるか。木材がもう少し必要だ」
「了解」
「ドナン、金具の仕分けは終わりそうか」
「あと少し」
「カルドは食料の調達を頼みたい。作業中は手が止められない」
「分かりました」

シロがすっと立ち上がった。

「一緒に行く」

自然な一言だった。
もう、そういう関係になっていた。



建築が始まった。

レイスが設計図を指さしながら手順を説明する。ドナンは黙って聞いて、黙って動く。二人の間に無駄な言葉はなかった。職人同士の呼吸というものが、確かにあるらしかった。

「この柱は岩壁に打ち込む。そうすれば壁が不要になる」
「角度は」
「十五度。こっちの岩の形に合わせる」
「……なるほど」

ドナンが金具を手に取り、岩壁に当てて確認する。一度、二度。それから道具を取り出して、静かに作業を始めた。

金属が岩を噛む音が、森に響く。

ファルが木材を運びながら言った。

「レイスさんって、建築どのくらいやってるんですか」
「二十年ほど」
「ヴァルク国で?」
「ほとんどはそうだ」

ファルがドナンの方を見た。

「ドナンさんも、ヴァルク国で仕事してたんですか」
「ああ」
「有名な鍛冶師だと聞いたことがある」

ドナンは何も言わなかった。
それが肯定らしかった。

柱が立った。
岩壁に打ち込まれた金具が、しっかりと固定されている。ドナンが軽く引っ張って確認する。微動だにしない。

「……すごいな」

思わず声が出た。

「どのくらいで完成しますか」
「今日中には骨格ができる」とレイスが言った。「屋根は明日だ」

今日中。
たった一日で、骨格が。

「カルド」とレイスが言った。「食料の調達、頼めるか。午後には腹が減る」
「行ってきます」

シロが先に歩き始めていた。



森の中を歩く。

シロが前を行く。音がない。足の置き方が、地面を選んでいる。枯れ葉を踏まない。枝に触れない。

《波長理解》を流すと、シロの魔力が見えた。

「……あれ」

いつもと違う。
波長が、細い。絞られている。まるで、消えかかっているような揺らぎだ。

「シロ、今、魔力を絞ってる?」

シロが振り返った。

「気づいたか」
「《波長理解》で見てた。いつもより波長が細い」
「獲物に近づくときは、気配を消す。昔からそうしてる」

気配を消す。
《波長理解》で読んでいると、シロの存在感が薄くなっていく感覚がした。波長が絞られて、周囲の背景に溶け込んでいく。

「……それ、どうやるの」
「魔力を内側に引き込む。外に漏らさない」
「魔法のスキルなのか」
「違う。ただの、生きるための技だ」

シロが前を向いた。
三メートル先に、兎型の魔物がいた。全く気づいていない。

シロが一歩踏み出す。
波長がさらに細くなる。
存在が、ほとんど消えた。

次の瞬間、シロは獲物の傍にいた。

「……」

僕はただ、見ていた。
あれが、気配を消すということか。

獲物を仕留めたシロが戻ってくる。

「見ていたか」
「うん。《波長理解》で追ってた。途中から、ほとんど見えなくなった」
「それが目的だ」

なるほど。
魔力を内側に引き込む。外に漏らさない。

頭の中で、何かが組み上がりかけた。

そのときだった。

《波長理解》が、大きく揺れた。

『警告。大型個体が接近中。複数です』

「シロ」
「知ってる。三つ、来る」

森の奥から、地面が揺れる感覚。
葉が揺れた。
木の幹が、何かに当たって軋んだ。

現れたのは、猪に似た体躯の魔物だった。
ただし、全身に棘のような骨が突き出している。皮膚の下で魔力が脈打っている。

『骨棘猪型魔物です。突進力が高く、棘による接触ダメージがあります』
「三匹か……」
「逃げるか」とシロが言った。
「どのくらい強い」
「お前一人なら死ぬ」

率直だった。

「でも、今は二人いる」
「……それでも厳しい」

一匹が突進してきた。
速い。

「跳べ!」

《高速移動》で横に跳ぶ。棘が空を切る。
シロが反対側に跳んで、魔物の注意を分散させる。

火球。
命中。
だが、骨棘が魔力を散らす。ダメージが通りにくい。

「硬いな……!」

《慧眼》を使う。
骨棘の配列。密度が薄い場所がある。喉の下、腹の中央部。そこだ。

「シロ、喉の下を狙って」
「分かった」

シロが一瞬で加速する。
棘の隙間を縫って、喉に牙が届く。

魔物が怯んだ瞬間に、収束した火球を腹に叩き込む。

爆発。
一匹が倒れた。

だが、残り二匹が同時に動いた。

「っ——」

回避が、間に合わない。

棘が、肩を貫いた。

痛みで視界が白くなる。
立てない。

もう一匹が、僕の方に向かってくる。

シロが割り込んだ。

「シロ、危——」
「お前を守る方が先だ」

シロが棘を受けた。
短い悲鳴。

それが最後だった。
二匹目の突進が、僕を直撃した。

暗転。



「——ぐっ!」

森の中。
同じ場所。

シロがこちらを見ていた。無事だ。時間は戻っていない。シロの傷もない。

「また死んだのか」
「うん」

『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、少』
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』

光が浮かぶ。

『骨棘猪の突進原理理解:衝撃耐性向上』
『気配遮断:魔力波長を絞り、存在感を薄める』
『骨棘配列理解:棘の隙間への攻撃精度向上』

「……気配遮断」

シロが、直前にやっていたことだ。
魔力を内側に引き込む。外に漏らさない。《波長理解》で見ていたから、構造が分かる。

頭の中に流れ込む。
波長を絞る感覚。魔力を内側に収める感覚。

魔物が動いた。

「今度は違う」

魔力を絞る。
《波長理解》と逆の動作。漏らすのではなく、引き込む。

『気配遮断、発動を確認』

魔物の動きが、一瞬止まった。
こちらを見失っている。

その隙に、収束した火球を喉の下に叩き込む。
一匹、倒れた。

もう一匹。
《慧眼》で急所を確認。腹の中央部。
《気配遮断》で接近する。魔物が反応できない。
至近距離で爆発。

二匹目、倒れた。

最後の一匹は、シロが仕留めた。
棘の隙間を正確に狙って、一撃で。

静寂。

「……終わった」

その場にへたり込む。

『三体討伐。エネルギー回復を確認。残量、中』
『経験値を獲得しました』

「シロ、ありがとう」
「……また死んだくせに礼を言うな」
「でも、助かった」

シロが鼻を鳴らした。

「次は死ぬな」
「善処します」

シロの耳が、ぴくりと動いた。
呆れているのか、笑っているのか、よく分からなかった。



拠点に戻ると、骨格ができていた。

岩壁に打ち込まれた柱が三本。それを繋ぐ横木。板材が積まれ、屋根の準備が進んでいる。

ファルが真っ先に気づいた。

「……服が傷だらけだぞ」

見下ろすと、確かに袖が裂けていて、肩のあたりに血の跡が残っていた。

「魔物に少し」
「少し、に見えないが」ファルが近づいて肩を確認した。「傷はどこだ」
「もう大丈夫です」
「大丈夫に見えない。脱いで見せろ」

有無を言わさない口調だった。

仕方なく上着を脱ぐと、ファルが眉をひそめた。

「……傷がない」

棘が貫いた場所。裂けた服。血の跡。でも、皮膚には何もない。

「治ったんですよ」
「今しがた魔物にやられたんだろ。こんな速さで治るはずがない」

レイスが作業の手を止めて、こちらを見ていた。
ドナンも、黙って見ていた。

「……少し、説明してもいいですか」



火を囲んで、四人が座った。
シロは少し離れた場所で聞いていた。

「どこから話せばいいかな」

「最初から」とファルが言った。

「分かりました」

僕は少し息を吸った。

「僕は、死んだら生き返ります」

沈黙。

三人が、それぞれ違う顔をした。
ファルは眉を上げた。
レイスは目を細めた。
ドナンは表情を変えなかった。でも、手が止まった。

「……今、なんと言った」とレイスが静かに聞いた。
「死んだら、生き返ります。その場で、すぐに」

また沈黙。

「それはスキルか」とファルが言った。
「はい。《死に戻り》というスキルです」

ファルが額に手を当てた。

「……つまり、さっきも」
「死にました。一回」
「だから傷がないのか」

「はい」

レイスが静かに言った。

「時間は戻らないのか」
「戻りません。体だけが元に戻る」
「記憶は」
「全部残ります」
「痛みも」
「……はい。死ぬまでは、全部感じます」

レイスが少し目を伏せた。何かを考えている。

「それだけじゃないんですよね」とファルが言った。「さっきよりも動き方が変わってた。何か増えたか」

鋭い。

「はい。《気配遮断》というスキルを取得しました」

「取得、した」

「死に戻りの直後、短い時間だけ、理解したものをスキルとして刻み込める。それが《認識転写》というスキルです。さっきはシロが獲物に近づく場面を見ていて、気配を消す仕組みを理解していたので、それを取得できました」

三人が、また顔を見合わせた。

今度は、さっきまでとは全然違う沈黙だった。

「……ちょっと待ってくれ」

レイスが静かに言った。穏やかな口調だが、声のトーンが変わっていた。

「整理させてほしい。君は今、《死に戻り》《認識転写》《案内人》《波長理解》、そして今日取得した《気配遮断》。少なくとも五つのスキルを持っていると、そういうことか」

「他にもいくつかあります」

レイスが、ゆっくりと目を閉じた。

「……いくつだ」

「今は九つです」

静寂。

川の音だけが聞こえた。

ファルが立ち上がった。立ち上がって、また座った。

「九つ」

「はい」

「スキルは1人1個のはず……」とファルが言った。声が、少し震えていた。
「二つ持っているだけで、神に愛された者と呼ばれるのに。」

ファルがカルドを見た。

「九つって、何だ」

「僕にも正直よく分からないんですが」

「よく分からないって」

「生まれた時は《死に戻り》だけでした。それが初めて発動した瞬間に《認識転写》と《案内人》が増えて、あとは死ぬたびに一つずつ増えていきました」

ドナンがゆっくりと口を開いた。

「……何回死んだ」

「数えてないですけど、結構な回数です」

ドナンが目を閉じた。何かを考えているのか、受け入れようとしているのか、判断できなかった。

レイスが静かに笑った。
笑ったが、目は笑っていなかった。正確には、笑い方が分からなくなっている顔だった。

「カルド」
「はい」
「君は、もしかして」

レイスが言葉を選ぶように間を置いた。

「この世界で、一番スキルを持っている人間なんじゃないか」

「……どうでしょう。調べたことがないので」

「調べたことがない」

レイスが額を押さえた。

ファルが深く息を吐いた。

「昨日から変な人間だとは思ってたけど」とファルが言った。「変どころの話じゃなかったな」

「すみません」

「謝るな。ただ……」ファルが頭を掻いた。「処理が追いつかない」

シロが、少し離れた場所からぽつりと言った。

「私が仲間になったとき、三つあると言っていた。今は九つか」

「うん。ここに来てから増えた」

シロが少し目を細めた。

「……お前は、死ぬたびに強くなる」
「そういうことになりますね」
「死ぬのは、怖くないのか」

静かな質問だった。
三人も、黙って聞いていた。

僕は少し考えた。

「怖いよ。痛いし、暗くなるし、次に目が覚めるまでの一瞬、本当に終わりかもって思う」

「でも、また来るんだろ」

「うん。来ないとどうしようもないから」

シロが短く息を吐いた。

「……お前は強いな」

「強くないですよ。ただ、怖くても仕方ない場面は来るから、そのときにやるだけで」

ファルが、静かに言った。

「……それが一番難しいんだ」

誰も何も言わなかった。
川の音が、続いていた。

レイスが、ゆっくりと息を吐いた。

「一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「《死に戻り》に、制限はあるか。何度でも使えるのか」

「エネルギーが必要です。魔物を倒すと少し回復できますが、連続で使うと底をつく。底をついた状態で死んだら、たぶん本当に終わりです」

「たぶん、か」

「試したことがないので」

レイスが「そうか」と言った。

「それと、同じ死因では発動しません。一度経験した死に方では使えない」

「……なるほど」とレイスが言った。「だから理解することが重要になる。なぜ死んだかを」

「そうです」

「《認識転写》も同じだ。理解したものしかスキルにできない。だから《気配遮断》は、シロを見ていたから取得できた」

「はい」

レイスが静かに言った。

「君のスキルは、運や才能じゃない。理解と経験の積み重ねだ」

それは、考えたことがなかった。

「……そうなのかな」

「私はそう思う」

ドナンが低く言った。

「職人と同じだ」

全員が、ドナンを見た。
普段より少し長い言葉だった。

「素材を理解して、道具を理解して、技を積み上げる。才能じゃない。それと同じだ」

ドナンがカルドを見た。

「お前は、職人だ」

僕は少し笑った。

「……ありがとうございます」

ドナンが短く頷いて、また作業に戻った。



「もう一つだけいいか」

ファルが言った。

「どうぞ」
「なんで僕らに話した。隠してもよかっただろ」

正直な質問だった。

「隠したまま一緒にいるのが嫌だったから」

ファルが少し目を細めた。

「嫌?」
「うん。国を作ろうとしてるのに、仲間に嘘ついたり隠し事したりして始めたくない」

「……信用しているということか」
「一日しか経ってないけど、そうです」

ファルが短く息を吐いた。

「変な人間だ」
「よく言われます」
「でも」

ファルが立ち上がった。

「嫌いじゃない」

シロの耳が、ぴくりと動いた。

レイスが静かに笑った。

「私も同じだ。話してくれてよかった」

ドナンが「ああ」と短く言った。



午後、作業が再開した。

骨格に屋根材を乗せていく。レイスが位置を指定して、ドナンが固定する。ファルが材料を運ぶ。僕は《波長理解》で周辺の魔物の反応を監視しながら、できる範囲で手伝った。

「カルド、その板を持ってくれ」
「はい」
「少し右。そこで固定する」

ドナンの金具が、板を岩壁に噛ませる。
ずれない。

「……本当に一日で建つんですね」

「材料が良ければな」とドナンが言った。「船の板材は質が良かった」

「ヴァルク国の船だからですか」

「ヴァルク国の木材は北の山から切り出す。硬くて腐りにくい」

「詳しいですね」

「自分が使う素材は把握する。当然だ」

なるほど。
ドナンは口数が少ないけど、聞けば答えてくれる。聞き方の問題だったのかもしれない。

「ドナンさんって、旅してる間は何を作るんですか」

「依頼があれば何でも。道具、武器、建具」

「好きなものは」

ドナンが少し間を置いた。

「……鍵だ」

「鍵?」

「閉じるものと開けるもの。同じ形で、真逆の機能を持つ。面白い」

僕はその答えを、しばらく頭の中で転がした。

閉じるものと開けるもの。
国を作るのも、似ているかもしれない。誰かを中に入れて、誰かを守る。どちらも必要だ。

「……面白い考え方ですね」
「お前は国を作ると言っていた」とドナンが言った。「鍵が要る」
「鍵?」
「入る者と、入らない者を決める仕組みだ。強制ではなく、選べる形の」

僕は少し考えた。

「……それ、作ってもらえますか。いつか」

ドナンが短く、「ああ」と言った。



夕方、屋根が乗った。

完成ではない。壁もまだだし、内部も何もない。でも、屋根がある。雨が防げる。

全員で、できたばかりの小屋の中に入った。

岩壁を背に、板材の床。頭上に屋根。川の音が聞こえる。外の光が差し込む。

「……思ってたより広い」
「最初から余裕を持たせたからな」とレイスが言った。「ここに壁を作れば部屋になる。増やすこともできる」

ドナンが床を踏んで確認した。
「問題ない」

ファルが入口から外を見た。
「視界も悪くない。ここから川上まで見える」

シロは入口の傍に座って、静かに外を見ていた。

「シロ、中に入らないの?」

「……慣れていない」

「屋根のある場所が?」
「そうだ」

そうか。
シロはずっと、この島で野宿してきた。屋根なんて、初めてかもしれない。

「慣れたら入ってくれると嬉しい」

シロは何も言わなかった。
でも、耳が少し内側に向いた。



夜、火を囲んだ。

鎧熊の肉と、今日仕留めた骨棘猪の肉。骨棘猪は固かったけど、ドナンが「炙れば柔らかくなる」と言って調理法を教えてくれた。

「ドナンさんって、料理もできるんですね」
「旅が長いと、自然に覚える」

「ヴァルク国から、どのくらい旅してるんですか」

ドナンが少し間を置いた。

「……十年ほど」

「えっ、そんなに」

「鍛冶の素材を探して歩いている。ヴァルク国の鉄は良質だが、外の素材も試したかった」

「一人で?」

「最初は」

レイスが「私が途中から付き合わされた」と言った。

「なぜですか?」

「ドナンが建てた小屋が雨漏りしていたから、直しに行ったら一緒に旅することになった」

「雨漏りは一回だ」とドナンが言った。

「三回だ」

ドナンが黙った。

ファルが小さく笑った。
珍しい表情だった。

「ヴァルク国では有名な二人だ」とファルが言った。「鍛冶師のドナンと建築家のレイスといえば、知らない職人はいない」

「そんなに」

「ヴァルク国の国会議事堂を建てたのがレイスだ。ドナンはその金具を全部作った」

思わずレイスを見た。

「……本当ですか」
「過去の話だ」とレイスは苦笑した。「今は流れ着いた島で小屋を建てている」
「それでも、すごいことですよ」

レイスが静かに言った。

「カルド、国を作るとはどういうことか、考えたことはあるか」

「強いも弱いも関係なく、生きていける場所、ということは決めてます。でも、具体的な形はまだ」

「建物が必要だ。集まる場所、守る場所、働く場所。それが揃って初めて国になる」レイスは小屋を見上げた。「今日作ったのは、その最初の一つだ」

最初の一つ。

「……ありがとうございます」

「礼はまだいい。完成してから言ってくれ」

ファルが火を見ながら言った。

「私は国というものが、あまり好きではなかった」

誰も口を挟まなかった。

「探索者になったのは、どこにも属したくなかったからだ。国に縛られたくなかった」

「何かあったんですか」

「生まれた国が、戦争で消えた」

静かな声だった。感情が抜けている。整理された言葉だ。

「それから、国というものを信じられなくなった。でも」

ファルがカルドを見た。

「お前の国は、魔物も入れるんだろ」
「そのつもりです」
「……それなら、少し違うかもしれない」

それ以上は言わなかった。
でも、それで十分だった。

シロが入口の傍から、少しだけ中に入ってきた。
ほんの一歩。
でも確かに、屋根の下に入った。

誰も何も言わなかった。

火が揺れる。
川の音が続く。

「今日はよく働いた」とレイスが言った。
「明日は壁を作る」とドナンが言った。
「明後日は東側の探索をしたい」とファルが言った。

それぞれが、もうここを拠点として話している。
流れ着いた者たちが、自然にここを「場所」として認識し始めていた。

カルドは小屋の壁——まだ板材が立てかけてあるだけだが——を見た。
明日には壁になる。
明後日には、また何かが加わる。

地図を広げた。
今日、新しい素材の採取場所が二つ加わった。骨棘猪の生息域も分かった。

書き加える。

そのときだった。

シロが、ふと顔を上げた。

「……何かいる」

全員が静止した。

「どこ」とファルが低く聞いた。
「東だ。遠い。でも、大きい」

《波長理解》を流す。
遠い。かなり遠い。でも、確かに何かがいる。

今まで感じたことのない揺らぎだ。
魔物の波長とも、人間の波長とも違う。

もっと、古い感じがする。

『未識別の高濃度魔力反応を感知。既存のデータと一致しません』

「案内人、何か分かる?」

『……分析中。ただ、接近はしていません。こちらを、観察しているようです』

観察。

「……シロ、前にもこれを感じたことあるか」

シロはしばらく考えた。

「一度だけ」

「いつ」

「お前が来る前だ。あのときは、すぐに消えた」

お前が来る前。
つまり、この島に誰もいなかった頃から、あれはいる。

ファルが低く聞いた。

「何だ、それは」

「分からない」と僕は言った。「でも、敵意はない気がする」

「気がする、か」

「《波長理解》で読める範囲では。ただ、今まで感じたことのない波長だから、確かとは言えない」

レイスが静かに言った。

「接近はしていないんだろ」

「今のところは」

「なら、今夜は様子を見よう。焦って動くより、情報を集める方がいい」

ドナンが「ああ」と言った。

ファルは剣に手を置いたまま、東の方向を見ていた。すぐには離さなかったが、やがてゆっくりと手を下ろした。

「……番を交代でやろう。何かあれば起こせ」

「ありがとう」

火が、風もないのに揺れた。

『観察は続いています』

カルドは東の闇を見つめた。
見えない。何も見えない。
でも、何かがいる。

しかも、さっきより少しだけ、波長が大きくなっている。

近づいているわけじゃない。
ただ——

こちらを、見ている。

「……案内人、あれは何だと思う」

『不明です。ただ』

珍しい間があった。

『敵意はありません。むしろ、興味を持っているような波長です』

興味。

「何に対して」

『……今のところ、判断できません。ただ、カルド様たちがここに増えてから、反応が大きくなっています』

増えてから。

つまり、一人だったときより、仲間が増えた今の方が、反応が強い。

「それって、いいことなのかな」

『判断できません』

「だよね」

でも。

僕は小屋を見た。
屋根がある。仲間がいる。地図が少しずつ埋まっていく。

怖いといえば、怖い。
でも、嫌な感じはしない。

「……また明日、考えよう」

シロが短く「ああ」と言った。

地図を折りたたんで、目を閉じた。

東の気配は、夜通し続いていた。
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両親に、友達に、恋人に、嫁に裏切られ続けた男、神室千照は絶望して自ら命を絶った。 すべてが終わるという安堵感であったが次に目覚めた時には女神が目の前にいた。 千照のことをずっと見ていた女神、アマテラスは千照に異世界転生を提案する。 まだ人生に未練があった千照はそれを受け入れ、二度目の人生を送ることになる。 だが千照は知らなかった。千照にはとてつもない才能が秘められていることを。 千照は知らなかった。アマテラスがヤンデレであることを。 千照は知らなかった。彼を裏切らないものはとてつもない人格の持ち主であることを。

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