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絶海孤島編
第9話 ヴィラ
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朝、ファルが地図を広げた。
「東側がまだほとんど白紙だ。今日はここを潰したい」
指先が、地図の右側を叩く。
川の先、森が深くなる方向。昨夜、気配がした方角だ。
「賛成」と僕は言った。「昨夜の気配も、東だったから」
ファルが少し目を細めた。
「今朝は感じたか」
「《波長理解》で確認したけど、遠くに薄く残ってる程度だった。今のところは来てない」
「……行くなら早い方がいい。戻りに時間がかかるようなら引き返す」
「了解」
シロがすでに立ち上がっていた。
「先行する」
ドナンが作業の手を止めずに言った。
「何かあれば戻れ」
「もちろん」
レイスが設計図から顔を上げた。
「壁の一面は今日中に終わらせる。夕飯までには帰ってきてくれ」
「了解です」
三人と一匹で、東へ向かった。
*
森が深くなるにつれて、空気が変わった。
じんわりと重い感覚。
魔力が濃い。
「《波長理解》に引っかかってくる」
「私も感じる」とファルが言った。「地面が違う。踏み心地が重い」
探索者の感覚だ。
足裏で地面を読んでいる。
シロが低く言った。
「魔力が溜まっている場所がある。近い」
「どっちだ」
「……まっすぐ」
三人で足を進める。
木々の密度が増す。光が届きにくくなる。
そして、開けた。
崖の手前に出た。
高さ十メートルほどの岩壁。その根元に、暗い口が開いていた。
洞窟だ。
ただの洞窟じゃない。
入口から、魔力が漏れ出している。濃い。石柱の丘で感じたものに似ているが、密度が違う。こちらの方が、ずっと濃縮されている。
《波長理解》を向けると、揺らぎが重なり合って見えた。
「……すごい濃度だ」
『高濃度魔力空間を確認。内部の構造は不明。通常の洞窟とは異なる魔力の流れを検知します』
「ダンジョンだ」とファルが言った。声が、少し変わった。探索者の目になっている。
「見たことあるんですか」
「数度。ただ、これほど濃度の高いものは初めて見る」ファルが入口を観察しながら言った。「魔力が外に漏れているということは、内部は相当の密度だ。無策で入れるものじゃない」
「今日は入らない方がいいか」
「絶対に入るな」ファルが断言した。「準備なしでここに入ったら、魔力酔いを起こす。最悪、出られなくなる」
「魔力酔い」
「空気中の魔力が濃すぎると、体が制御できなくなる。スキルが暴走したり、判断力が落ちたりする。探索者なら基本中の基本だ」
「……知らなかった」
「お前は冒険者だろ。習わなかったのか」
「底辺冒険者だったので」
ファルが少し間を置いた。
「……なるほど」
それ以上は言わなかった。
優しい人だと思った。
シロが入口の傍で鼻を利かせていた。
「中に魔物はいるか」
「いる。ただ、奥だ。入口付近は今のところ静かだ」
「今のところ、か」
「濃度が高い場所の魔物は強い。ここから先は別の話になる」とファルが言った。「準備を整えてから来よう。今日は場所を把握するだけでいい」
僕は地図を広げた。
崖の位置。洞窟の入口。周囲の地形。
丁寧に書き加える。
「ファルさんって、ダンジョンに入るとき何を準備するんですか」
「魔力遮断の道具。解毒薬。光源。それと、必ず複数人で入る。一人では絶対に行かない」
「そういうルールがあるんですか」
「私が決めたルールだ」ファルが静かに言った。「一度、仲間を亡くしてから」
誰も何も言わなかった。
風が吹いて、洞窟の入口から魔力の流れが揺れた。
「……行こう」とファルが言った。「情報は十分だ」
地図を折りたたんで、来た道を戻り始めた。
*
帰り道の途中だった。
《波長理解》が、左側で揺れた。
複数。
それも、かなり多い。
「シロ」
「知ってる。七、いや八つ」
ファルが剣に手をかけた。
「どんな魔物だ」
「中型。魔力は中程度。ただ、数が多い」
草むらが揺れた。
現れたのは、蜥蜴に似た魔物だった。直立して歩き、爪が長く鋭い。鱗が黒光りしている。
一匹、二匹——気づけば八匹が半円を描いて囲んでいた。
『警告。黒鱗蜥蜴型魔物です。群れで行動し、連携攻撃を得意とします。個体の強さより、数と連携が脅威です』
「囲まれた」と僕は言った。
「見れば分かる」とファルが静かに答えた。声は落ち着いている。
シロが僕の前に出た。
「後ろを守れ」
「うん」
ファルが剣を抜いた。
音がなかった。鞘から剣が出る音すら、消えていた。
「カルド。弱点は」
「《慧眼》で確認します」
八匹を順番に見る。
鱗の薄い場所。首の付け根、左側。脇腹の鱗が逆立っている場所。そこだ。
「首の左側と、脇腹の鱗が逆立ってる場所。そこが薄い」
「了解」
魔物が動いた。
三匹が同時にファルへ向かう。
二匹がシロへ。
三匹が僕へ。
「来る——」
《高速移動》で横に跳ぶ。
一匹をやり過ごして、火球を脇腹に叩き込む。
命中。鱗が割れた。
一匹が怯む。
シロが向かってきた二匹の間をすり抜けた。
速い。魔物が反応できていない。
振り返りながら、一匹の首に牙を当てる。正確に、弱点を狙った。
一匹、動かなくなった。
ファルの方を見た。
三匹を相手に、まったく後退していない。
剣が、光の軌跡を描く。
一匹の攻撃を流して、そのまま体を回転させて別の一匹の首を払う。流れるような動作だった。止まっていない。常に動き続けている。
「……すごい」
思わず声が出た。
『ファル氏の剣技は高度な連携対応型です。複数の攻撃を一つの動作で捌きながら反撃に転じています』
案内人が珍しく他人のスキルを分析した。
残り五匹。
僕が怯ませた一匹にシロが追撃を入れて、二匹目が倒れた。
残り四匹。
ファルが三匹のうち一匹を仕留めた。
残り三匹。
三匹が一度下がって、また半円を作り直そうとした。
「逃がすな」とファルが言った。
シロが一匹を追って、森の中に消えた。
僕が《慧眼》で残り二匹の弱点を確認して、収束した火球を脇腹に叩き込む。
一匹、動かなくなった。
残り一匹。
その一匹が、少し距離を取った。
仲間が減ったことで、本能が退くよう叫んでいるのかもしれない。
でも、遅かった。
ファルが地面を蹴った。
剣を大きく引いて、弧を描くように振る。
風が鳴った。
一撃。
それは斬撃というより、波だった。
剣の軌跡が空気ごと圧縮されて、魔物の鱗を吹き飛ばす。
広範囲に、魔力の余波が広がった。
魔物が倒れた。
静寂。
シロが森から戻ってきた。
「こちらも終わった」
全滅。
「……ファルさん、今の最後の技」
ファルが剣を鞘に戻した。
「《圧剣》だ。魔力を剣に乗せて、広範囲に解放する。消耗が激しいから最後の手段だが」
「あれがスキルなんですか」
「私のスキルだ」
「一つだけ持ってるということですか」
「そうだ」ファルが少し笑った。「たった一つだが、十分だと思っている」
《圧剣》。
広範囲の剣技。
ファルが探索者として一人でも生き残ってきた、その力の核心だ。
「かっこいいです」
ファルが少し目を逸らした。
「……慣れないことを言うな」
シロが「同感だ」と短く言った。
ファルの耳が、少し赤くなった気がした。
*
拠点に戻ると、壁の一面が完成していた。
岩壁と板材が組み合わさって、しっかりとした壁になっている。昨日の屋根に続いて、小屋らしい形になってきた。
「おかえり」とレイスが言った。「何かあったか」
「いくつか」
食事の準備をしながら、今日の報告をした。
ダンジョンの発見。魔物との戦闘。
ドナンが「ダンジョンか」と低く言った。
「行くつもりか」
「準備してから。ファルさんが必要なものを教えてくれました」
「魔力遮断の道具は作れる」とドナンが言った。「素材があれば」
「どんな素材ですか」
「魔力を通さない鉱石だ。この島にあるかどうか」
「調べてみます」
レイスが「ダンジョンの濃度はどのくらいだったか」と聞いた。
「石柱の丘より高かった。案内人が既存データと一致しないと言ってました」
レイスが少し目を細めた。
「この島は、普通じゃないな」
「そうみたいです」
「島全体が、何かの力で維持されているのかもしれない」
「そう感じることはあります」
「石柱。高濃度の洞窟。山の頂の存在。東の気配」レイスが静かに並べた。「全部、繋がっているように見える」
「……僕もそう思ってます」
食事が始まった。
今日はファルが仕留めた黒鱗蜥蜴の肉を焼いた。脂が多くて、香ばしい匂いが漂う。
「うまい」とドナンが言った。
「鱗を剥ぐのが大変でしたけど」
「鱗は素材になる。捨てるな」
「取っておきます」
食事が進むうちに、会話が広がった。
レイスが「ヴァルク国を出てから、各地を見てきたが」と切り出した。
「世界は今、穏やかではない」
「魔王の話ですか」
「お前も知っているか」
「冒険者だったので、噂程度は」
「五年ほど前から、魔王の動きが活発になっている」とレイスが言った。「幹部が各地に現れて、国を脅かしている。ヴァルク国も無関係ではない」
「ヴァルク国にも来たんですか」
「幹部の一人が国境近くまで来た。ただ」
レイスが少し間を置いた。
「その幹部は、ヴィラが倒した」
「ヴィラ」
「世界最強の魔法使いと呼ばれている人間だ」とファルが言った。「単独で魔王幹部を撃破した。それだけでも化け物じみているが、エクストラスキルを持っているという噂がある」
エクストラスキル。
「……エクストラスキルって、なんですか」
「複数のスキルが融合して生まれる、上位のスキルだ」とレイスが言った。「理論上は存在すると言われていたが、実際に持つ者はほとんどいない。魔王や幹部クラスに稀に見られるという話だが」
「人間でも持てるんですか」
「ヴィラが証明したとも言われている。ただ、確認した者はいない。本人が姿を見せないから」
「どんな人なんですか」
「謎が多い」とファルが言った。「単独行動で、国に属さない。助けを求めていない場所にも現れることがある。悪意があると思われている節もあるが、実際に害を与えたという話は聞かない」
「……何がしたいんでしょうね」
「さあ」とファルが言った。「でも、幹部を一人減らしてくれたのは事実だ。それだけは感謝している」
ドナンが「会ったことがある」と言った。
全員が、ドナンを見た。
「いつですか」
「旅の途中で。一度だけ」
「どんな人でしたか」
ドナンはしばらく考えた。
「……静かな人だった。目が、遠くを見ていた」
それ以上は言わなかった。
でも、ドナンが「静かな人だった」と言ったことが、何となく印象に残った。
レイスが「ヴィラのことは誰も正確には知らない。ただ、存在しているということは確かだ」と締めた。
「いつか会ってみたいな」
「会えるかどうかも分からない」とファルが言った。「でも、お前なら会えるかもしれないな」
「なんでですか」
「変な人間には、変な人間が引き寄せられるから」
シロが短く「同感だ」と言った。
僕は少し笑った。
「ありがとうございます、たぶん」
*
夜が深まった。
レイスとドナンが先に寝た。
ファルが番をしながら、剣の手入れをしている。
僕は地図に今日の発見を書き加えた。
ダンジョンの入口。周囲の地形。帰り道の魔物の生息域。
「ファルさん」
「何だ」
「今日の《圧剣》、本当にかっこよかったです」
ファルが手を止めた。
「……さっきも言っただろ」
「もう一回言いたくて」
「……」
ファルが剣の手入れを再開した。
「お前は変なところで素直だな」
「そうですか」
「悪いことじゃない」
しばらく沈黙が続いた。
「ファルさんが仲間を亡くした話」
「……聞くな」
「ごめんなさい」
「いや」ファルが短く言った。「いつか話す。今じゃないだけだ」
「分かりました」
「お前は待てる人間か」
「待てます」
ファルが少し息を吐いた。
「……そうか」
その一言だけだった。
でも、何かが決まった気がした。
シロが「寝ろ」と言った。
「もう少し」
「番は私がやる」
「シロも寝ないと」
「眠くない」
そう言いながら、シロは目を閉じた。
「……眠そうだけどな」
返事はなかった。
地図を折りたたもうとしたとき、《波長理解》が揺れた。
東だ。
確認する。
昨夜より、大きい。
昨夜より、近い。
まだ遠い。でも、昨夜は感じなかった輪郭がある。
『東方向の高濃度魔力反応、増大を確認。昨夜比、約一・四倍。ただし接近はしていません』
「……案内人、これって」
『不明です。ただ』
一拍置いた。
『反応のパターンが、ダンジョンの魔力と類似しています』
ダンジョンと、同じパターン。
「……関係があるってこと?」
『断定できません。ただ、この島の魔力構造に共通点がある可能性があります』
石柱の丘。ダンジョン。東の気配。
レイスが言っていた通り、全部繋がっているのかもしれない。
僕は東の方向を見た。
暗い森。その先に何かがいる。
怖いかと聞かれれば、怖い。
でも、知りたいとも思う。
「……また明日、考えよう」
地図を折りたたんだ。
火が、静かに燃えている。
川の音が続いている。
東の気配は、今夜も消えなかった。
「東側がまだほとんど白紙だ。今日はここを潰したい」
指先が、地図の右側を叩く。
川の先、森が深くなる方向。昨夜、気配がした方角だ。
「賛成」と僕は言った。「昨夜の気配も、東だったから」
ファルが少し目を細めた。
「今朝は感じたか」
「《波長理解》で確認したけど、遠くに薄く残ってる程度だった。今のところは来てない」
「……行くなら早い方がいい。戻りに時間がかかるようなら引き返す」
「了解」
シロがすでに立ち上がっていた。
「先行する」
ドナンが作業の手を止めずに言った。
「何かあれば戻れ」
「もちろん」
レイスが設計図から顔を上げた。
「壁の一面は今日中に終わらせる。夕飯までには帰ってきてくれ」
「了解です」
三人と一匹で、東へ向かった。
*
森が深くなるにつれて、空気が変わった。
じんわりと重い感覚。
魔力が濃い。
「《波長理解》に引っかかってくる」
「私も感じる」とファルが言った。「地面が違う。踏み心地が重い」
探索者の感覚だ。
足裏で地面を読んでいる。
シロが低く言った。
「魔力が溜まっている場所がある。近い」
「どっちだ」
「……まっすぐ」
三人で足を進める。
木々の密度が増す。光が届きにくくなる。
そして、開けた。
崖の手前に出た。
高さ十メートルほどの岩壁。その根元に、暗い口が開いていた。
洞窟だ。
ただの洞窟じゃない。
入口から、魔力が漏れ出している。濃い。石柱の丘で感じたものに似ているが、密度が違う。こちらの方が、ずっと濃縮されている。
《波長理解》を向けると、揺らぎが重なり合って見えた。
「……すごい濃度だ」
『高濃度魔力空間を確認。内部の構造は不明。通常の洞窟とは異なる魔力の流れを検知します』
「ダンジョンだ」とファルが言った。声が、少し変わった。探索者の目になっている。
「見たことあるんですか」
「数度。ただ、これほど濃度の高いものは初めて見る」ファルが入口を観察しながら言った。「魔力が外に漏れているということは、内部は相当の密度だ。無策で入れるものじゃない」
「今日は入らない方がいいか」
「絶対に入るな」ファルが断言した。「準備なしでここに入ったら、魔力酔いを起こす。最悪、出られなくなる」
「魔力酔い」
「空気中の魔力が濃すぎると、体が制御できなくなる。スキルが暴走したり、判断力が落ちたりする。探索者なら基本中の基本だ」
「……知らなかった」
「お前は冒険者だろ。習わなかったのか」
「底辺冒険者だったので」
ファルが少し間を置いた。
「……なるほど」
それ以上は言わなかった。
優しい人だと思った。
シロが入口の傍で鼻を利かせていた。
「中に魔物はいるか」
「いる。ただ、奥だ。入口付近は今のところ静かだ」
「今のところ、か」
「濃度が高い場所の魔物は強い。ここから先は別の話になる」とファルが言った。「準備を整えてから来よう。今日は場所を把握するだけでいい」
僕は地図を広げた。
崖の位置。洞窟の入口。周囲の地形。
丁寧に書き加える。
「ファルさんって、ダンジョンに入るとき何を準備するんですか」
「魔力遮断の道具。解毒薬。光源。それと、必ず複数人で入る。一人では絶対に行かない」
「そういうルールがあるんですか」
「私が決めたルールだ」ファルが静かに言った。「一度、仲間を亡くしてから」
誰も何も言わなかった。
風が吹いて、洞窟の入口から魔力の流れが揺れた。
「……行こう」とファルが言った。「情報は十分だ」
地図を折りたたんで、来た道を戻り始めた。
*
帰り道の途中だった。
《波長理解》が、左側で揺れた。
複数。
それも、かなり多い。
「シロ」
「知ってる。七、いや八つ」
ファルが剣に手をかけた。
「どんな魔物だ」
「中型。魔力は中程度。ただ、数が多い」
草むらが揺れた。
現れたのは、蜥蜴に似た魔物だった。直立して歩き、爪が長く鋭い。鱗が黒光りしている。
一匹、二匹——気づけば八匹が半円を描いて囲んでいた。
『警告。黒鱗蜥蜴型魔物です。群れで行動し、連携攻撃を得意とします。個体の強さより、数と連携が脅威です』
「囲まれた」と僕は言った。
「見れば分かる」とファルが静かに答えた。声は落ち着いている。
シロが僕の前に出た。
「後ろを守れ」
「うん」
ファルが剣を抜いた。
音がなかった。鞘から剣が出る音すら、消えていた。
「カルド。弱点は」
「《慧眼》で確認します」
八匹を順番に見る。
鱗の薄い場所。首の付け根、左側。脇腹の鱗が逆立っている場所。そこだ。
「首の左側と、脇腹の鱗が逆立ってる場所。そこが薄い」
「了解」
魔物が動いた。
三匹が同時にファルへ向かう。
二匹がシロへ。
三匹が僕へ。
「来る——」
《高速移動》で横に跳ぶ。
一匹をやり過ごして、火球を脇腹に叩き込む。
命中。鱗が割れた。
一匹が怯む。
シロが向かってきた二匹の間をすり抜けた。
速い。魔物が反応できていない。
振り返りながら、一匹の首に牙を当てる。正確に、弱点を狙った。
一匹、動かなくなった。
ファルの方を見た。
三匹を相手に、まったく後退していない。
剣が、光の軌跡を描く。
一匹の攻撃を流して、そのまま体を回転させて別の一匹の首を払う。流れるような動作だった。止まっていない。常に動き続けている。
「……すごい」
思わず声が出た。
『ファル氏の剣技は高度な連携対応型です。複数の攻撃を一つの動作で捌きながら反撃に転じています』
案内人が珍しく他人のスキルを分析した。
残り五匹。
僕が怯ませた一匹にシロが追撃を入れて、二匹目が倒れた。
残り四匹。
ファルが三匹のうち一匹を仕留めた。
残り三匹。
三匹が一度下がって、また半円を作り直そうとした。
「逃がすな」とファルが言った。
シロが一匹を追って、森の中に消えた。
僕が《慧眼》で残り二匹の弱点を確認して、収束した火球を脇腹に叩き込む。
一匹、動かなくなった。
残り一匹。
その一匹が、少し距離を取った。
仲間が減ったことで、本能が退くよう叫んでいるのかもしれない。
でも、遅かった。
ファルが地面を蹴った。
剣を大きく引いて、弧を描くように振る。
風が鳴った。
一撃。
それは斬撃というより、波だった。
剣の軌跡が空気ごと圧縮されて、魔物の鱗を吹き飛ばす。
広範囲に、魔力の余波が広がった。
魔物が倒れた。
静寂。
シロが森から戻ってきた。
「こちらも終わった」
全滅。
「……ファルさん、今の最後の技」
ファルが剣を鞘に戻した。
「《圧剣》だ。魔力を剣に乗せて、広範囲に解放する。消耗が激しいから最後の手段だが」
「あれがスキルなんですか」
「私のスキルだ」
「一つだけ持ってるということですか」
「そうだ」ファルが少し笑った。「たった一つだが、十分だと思っている」
《圧剣》。
広範囲の剣技。
ファルが探索者として一人でも生き残ってきた、その力の核心だ。
「かっこいいです」
ファルが少し目を逸らした。
「……慣れないことを言うな」
シロが「同感だ」と短く言った。
ファルの耳が、少し赤くなった気がした。
*
拠点に戻ると、壁の一面が完成していた。
岩壁と板材が組み合わさって、しっかりとした壁になっている。昨日の屋根に続いて、小屋らしい形になってきた。
「おかえり」とレイスが言った。「何かあったか」
「いくつか」
食事の準備をしながら、今日の報告をした。
ダンジョンの発見。魔物との戦闘。
ドナンが「ダンジョンか」と低く言った。
「行くつもりか」
「準備してから。ファルさんが必要なものを教えてくれました」
「魔力遮断の道具は作れる」とドナンが言った。「素材があれば」
「どんな素材ですか」
「魔力を通さない鉱石だ。この島にあるかどうか」
「調べてみます」
レイスが「ダンジョンの濃度はどのくらいだったか」と聞いた。
「石柱の丘より高かった。案内人が既存データと一致しないと言ってました」
レイスが少し目を細めた。
「この島は、普通じゃないな」
「そうみたいです」
「島全体が、何かの力で維持されているのかもしれない」
「そう感じることはあります」
「石柱。高濃度の洞窟。山の頂の存在。東の気配」レイスが静かに並べた。「全部、繋がっているように見える」
「……僕もそう思ってます」
食事が始まった。
今日はファルが仕留めた黒鱗蜥蜴の肉を焼いた。脂が多くて、香ばしい匂いが漂う。
「うまい」とドナンが言った。
「鱗を剥ぐのが大変でしたけど」
「鱗は素材になる。捨てるな」
「取っておきます」
食事が進むうちに、会話が広がった。
レイスが「ヴァルク国を出てから、各地を見てきたが」と切り出した。
「世界は今、穏やかではない」
「魔王の話ですか」
「お前も知っているか」
「冒険者だったので、噂程度は」
「五年ほど前から、魔王の動きが活発になっている」とレイスが言った。「幹部が各地に現れて、国を脅かしている。ヴァルク国も無関係ではない」
「ヴァルク国にも来たんですか」
「幹部の一人が国境近くまで来た。ただ」
レイスが少し間を置いた。
「その幹部は、ヴィラが倒した」
「ヴィラ」
「世界最強の魔法使いと呼ばれている人間だ」とファルが言った。「単独で魔王幹部を撃破した。それだけでも化け物じみているが、エクストラスキルを持っているという噂がある」
エクストラスキル。
「……エクストラスキルって、なんですか」
「複数のスキルが融合して生まれる、上位のスキルだ」とレイスが言った。「理論上は存在すると言われていたが、実際に持つ者はほとんどいない。魔王や幹部クラスに稀に見られるという話だが」
「人間でも持てるんですか」
「ヴィラが証明したとも言われている。ただ、確認した者はいない。本人が姿を見せないから」
「どんな人なんですか」
「謎が多い」とファルが言った。「単独行動で、国に属さない。助けを求めていない場所にも現れることがある。悪意があると思われている節もあるが、実際に害を与えたという話は聞かない」
「……何がしたいんでしょうね」
「さあ」とファルが言った。「でも、幹部を一人減らしてくれたのは事実だ。それだけは感謝している」
ドナンが「会ったことがある」と言った。
全員が、ドナンを見た。
「いつですか」
「旅の途中で。一度だけ」
「どんな人でしたか」
ドナンはしばらく考えた。
「……静かな人だった。目が、遠くを見ていた」
それ以上は言わなかった。
でも、ドナンが「静かな人だった」と言ったことが、何となく印象に残った。
レイスが「ヴィラのことは誰も正確には知らない。ただ、存在しているということは確かだ」と締めた。
「いつか会ってみたいな」
「会えるかどうかも分からない」とファルが言った。「でも、お前なら会えるかもしれないな」
「なんでですか」
「変な人間には、変な人間が引き寄せられるから」
シロが短く「同感だ」と言った。
僕は少し笑った。
「ありがとうございます、たぶん」
*
夜が深まった。
レイスとドナンが先に寝た。
ファルが番をしながら、剣の手入れをしている。
僕は地図に今日の発見を書き加えた。
ダンジョンの入口。周囲の地形。帰り道の魔物の生息域。
「ファルさん」
「何だ」
「今日の《圧剣》、本当にかっこよかったです」
ファルが手を止めた。
「……さっきも言っただろ」
「もう一回言いたくて」
「……」
ファルが剣の手入れを再開した。
「お前は変なところで素直だな」
「そうですか」
「悪いことじゃない」
しばらく沈黙が続いた。
「ファルさんが仲間を亡くした話」
「……聞くな」
「ごめんなさい」
「いや」ファルが短く言った。「いつか話す。今じゃないだけだ」
「分かりました」
「お前は待てる人間か」
「待てます」
ファルが少し息を吐いた。
「……そうか」
その一言だけだった。
でも、何かが決まった気がした。
シロが「寝ろ」と言った。
「もう少し」
「番は私がやる」
「シロも寝ないと」
「眠くない」
そう言いながら、シロは目を閉じた。
「……眠そうだけどな」
返事はなかった。
地図を折りたたもうとしたとき、《波長理解》が揺れた。
東だ。
確認する。
昨夜より、大きい。
昨夜より、近い。
まだ遠い。でも、昨夜は感じなかった輪郭がある。
『東方向の高濃度魔力反応、増大を確認。昨夜比、約一・四倍。ただし接近はしていません』
「……案内人、これって」
『不明です。ただ』
一拍置いた。
『反応のパターンが、ダンジョンの魔力と類似しています』
ダンジョンと、同じパターン。
「……関係があるってこと?」
『断定できません。ただ、この島の魔力構造に共通点がある可能性があります』
石柱の丘。ダンジョン。東の気配。
レイスが言っていた通り、全部繋がっているのかもしれない。
僕は東の方向を見た。
暗い森。その先に何かがいる。
怖いかと聞かれれば、怖い。
でも、知りたいとも思う。
「……また明日、考えよう」
地図を折りたたんだ。
火が、静かに燃えている。
川の音が続いている。
東の気配は、今夜も消えなかった。
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剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
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この物語りは、歩く猫となった主人公がやらかしながら異世界を自由気ままに生きるドタバタコメディである。
注:イラストはイメージであって、登場猫物と異なります。
R指定は念の為です。
登場人物紹介は「11、15、19章」の手前にあります。
「小説家になろう」「カクヨム」にて、同時掲載しております。
一番最後にも登場人物紹介がありますので、途中でキャラを忘れている方はそちらをお読みください。
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◇
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