魔法使いの漂流者

三幸奨励

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絶海孤島編

第10話 ダンジョン攻略①

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準備に、1週間かけた。

ファルが言った通りだった。

「魔力酔いを防ぐ道具が要る。それと光源。それと、撤退の基準を決めておくこと。感情で押し進んで帰れなくなった探索者を、私は何人も見ている」

淡々とした口調だった。
怖がらせたいわけじゃない。ただ、事実を並べている。

「撤退の基準は何にしますか」

「誰かが魔力酔いの症状を出したら即撤退。エネルギーが全員二割を切ったら撤退。それと——」ファルが少し間を置いた。「私が撤退と言ったら撤退。異論は認めない」

「了解です」

「シロも分かったか」

シロが短く「ああ」と答えた。

ファルが全員を見回した。

「ダンジョンの中は、外と違う。魔力が濃い分、判断が鈍る。普段なら気づくことに気づけなくなる。だから事前に決めておく。入ってから考えるのは遅い」

レイスが頷いた。

「賢明だ」

「魔力酔いの症状は」と僕は聞いた。「具体的にどんな感じになるんですか」

「最初は頭が重くなる。視界が少し揺れる感じがする。次に判断が遅くなる。自分では気づきにくいから、周りが先に気づくことが多い」

「周りが気づいたら声をかけてほしい」

「当然だ。お互いに見ておく」ファルが少し真顔になった。「それと、もう一つ。ダンジョンの中で仲間が傷ついても、無理に助けようとするな」

「……どういうことですか」

「感情で動くと、助けようとした側も死ぬ。状況を見て、撤退できるなら撤退。助けられるなら助ける。それを冷静に判断できる状態を保つことが、全員を生かす一番の方法だ」

静かな声だった。
これも事実だと思った。

「一度、仲間を失ったと言っていましたね」

「……ああ」

ファルはそれ以上は言わなかった。
全員も、それ以上は聞かなかった。

「ドナン、道具の具合は」

ドナンが棚から取り出した。
小さな金属製の円盤が六つ。鈍い光を放っている。

「魔力遮断板だ。体に当てて使う。魔力の流入を一定割合カットする」

「どのくらいカットできますか」

「三割程度。完全には防げないが、酔いが出るまでの時間を稼げる」

「素材はどこで」

「川上の岩場に、魔力を通しにくい石があった。加工した」

「……どこでそんな知識が」

「旅先で拾った本に載っていた」

ドナンはそれだけ言って、円盤を全員に渡した。

触ると、ひんやりとしている。魔力が通りにくい素材独特の感触だ。

「どこに当てるんですか」

「胸に当てて服の中に入れておけ。ずれると意味がない」

「了解」

「追加で」とドナンが言った。工具袋からさらに小さな金属片を取り出した。「これは腕に巻く。遮断板との相乗効果がある。二割ほど効率が上がる」

「……それも本に載ってたんですか」

「俺が考えた」

「えっ」

「三日あれば十分だった」

全員が少し沈黙した。

「……本当に、ヴァルク国の鍛冶師は違いますね」

ドナンは何も言わなかった。
でも、悪い顔ではなかった。

レイスが自分の分を確認しながら言った。

「私とドナンは前回より動けるように準備した。建築と鍛冶の仕事で培った腕力と持久力は、戦闘にも応用できる」

「頼りにします」

「ただ」とレイスが言った。「私たちは戦闘が専門ではない。連携の邪魔にならないよう、役割をはっきりさせたい」

「具体的には」

「私は後方で状況を整理する。判断が必要なときに補佐する。ドナンは——」

「近距離だ」とドナンが短く言った。「遠距離は任せる」

全員の役割が決まった。

カルドが前衛サポート。《波長理解》と《慧眼》で弱点を伝える。《高速移動》で機動力を活かす。
シロが前衛。速さと索敵。
ファルが前衛リーダー。剣技と判断。
ドナンが近距離補助。加工した武器を持つ。
レイスが後方。状況把握と補佐。

「案内人、ダンジョン内でも機能するか」

『機能します。ただし高濃度魔力環境では、一部の感知精度が落ちる可能性があります』

「どの程度落ちる」

『不明です。入ってみなければ分かりません』

「正直でいい」

『努力します』

シロが「行くか」と言った。

空が晴れていた。
風も穏やかだ。

悪くない日だと思った。



ダンジョンの入口に立つと、三日前とは印象が違った。

準備をしてきたせいかもしれない。
それとも、覚悟が固まったせいかもしれない。

「入口で一度立ち止まる」とファルが言った。「魔力の流れを確認してから進む」

《波長理解》を向ける。
入口から魔力が漏れ出している。濃い。でも、遮断板のおかげで体への直接的な影響は薄い。

「中の反応は」

「入口付近に二つ。遠くに複数。入口付近の二つは小さい」

「問題ない」とファルが言った。「入る」

一歩踏み込んだ。

空気が、変わった。

重い。
魔力が体を押し包む感覚がある。遮断板がなければ、もっと顕著だったはずだ。

光源は——シロの目が暗がりでも光るのと、ドナンが作った小さな魔力灯。ドナンが腰に下げて、前方を照らしている。

「《波長理解》、常時流す」

「ペースを落とすな」とファルが言った。「止まると魔物が集まりやすい。常に動き続ける」

通路は広い。
岩肌が剥き出しで、天井が高い。足音が響く。

二十メートルほど進んだところで、最初の魔物が来た。

小型の虫型魔物。甲殻が光っている。二匹。

「甲殻の下が弱い。関節部分」と僕は伝えた。

シロが一瞬で距離を詰めた。
関節に牙を当てる。

一匹目、倒れた。

もう一匹がこちらに向かってきたが、ファルが剣の柄で叩いて壁に叩きつけた。

「進む」

止まらなかった。

三十メートルほど進んだ場所で、また反応があった。

「前方、四つ」と僕は言った。

「種類は」とファルが聞いた。

「さっきと違う。もう少し大きい。……蜥蜴系です」

「シロ」

「匂いは蜥蜴だ。黒鱗系に近い」

「動き方は外で戦った黒鱗蜥蜴と同じだと思え」とファルが言った。「ただし、ダンジョン内の個体は外より速い場合がある。油断するな」

「了解」

角を曲がった瞬間、四匹が一斉にこちらを向いた。

「《慧眼》——首の左側と脇腹」

「分かった」とシロが言った。

二匹が前に出てくる。
ファルとシロが迎え撃つ。

残り二匹がこちらに回り込もうとした。

「左から来る」とレイスが言った。後方から見えていたらしい。

「ドナン」

「ああ」

ドナンが左側に踏み込んだ。
加工した金属製の棒——短い槍のような形だ——で、迂回しようとした一匹の側面を突く。

倒れた。

もう一匹が僕に向かってくる。

《高速移動》で後退しながら、火球を収束させて脇腹に叩き込む。

倒れた。

ファルとシロの方を見ると、既に二匹とも仕留めていた。

「……四匹、問題なし」

「まだ一層だ」とファルが言った。「慢心するな」

「慢心はしてません。ただ、ドナンさんが強くて少し驚いた」

ドナンが「鍛冶は力仕事だ」と短く言った。

なるほど。
鉄を叩いて成形する仕事は、確かに全身の力が要る。



第一層は、思っていたより広かった。

通路が何本も枝分かれしている。
左に行けば魔物の反応が強く、右に行けば薄い。

「右か」と僕は言った。

「正面だ」とファルが言った。

「正面は反応が多い」

「探索者のルールで、真っ直ぐ進める道は真っ直ぐ進む。枝分かれは帰り道で迷う。今は深さを優先する」

「了解」

正面の通路を進む。
反応が三つ。中型。

姿が見えた。
甲殻を持つ蜘蛛型の魔物。脚が八本。天井を歩いている。

「天井だ」とシロが言った。

「見えてる」

ファルが剣を構えた。

「落ちてくる前に仕留める。カルド、弱点は」

《慧眼》を向ける。
腹部の中央。甲殻が薄い。

「腹の中央です」

「シロ、引きつけろ」

シロが前に出た。
魔物が反応して、落ちてくる。

ファルが跳んだ。
剣が、落下してくる魔物の腹を貫く。

一匹目、倒れた。

二匹目がファルに向かう。

「左」と僕は言った。

ファルが左に流れながら、横薙ぎに払う。

二匹目、倒れた。

三匹目は——シロが既に仕留めていた。

「……息が合ってきましたね」

「当然だ」とファルが言った。「三匹目は頼む、と言ったからシロが動いた」

「いつ言ったんですか」

「目で」

「目で」

「戦闘中は声を出す余裕がないことがある。慣れろ」

なるほど。
探索者の世界は、そういうものか。

『第一層、魔物の反応が薄くなっています。出口が近いと思われます』

「案内人が出口が近いと言ってます」

「感じてた」とファルが言った。「あの光の漏れ方だ」

通路の先に、薄い光が見えた。
降り口だ。

全員で確認した。

石の階段が下に続いている。
下から、魔力が上ってくる。

「第一層、クリアだ」とファルが言った。

レイスが「思ったより早かったな」と言った。

「ファルさんのおかげです」

「当たり前だ」とファルが言ったが、少し口角が上がっていた。



第二層は、第一層より暗かった。

天井が低い。通路が狭い。

そして、魔力が明らかに濃くなっていた。

「遮断板の効果が落ちてる感じがする」と僕は言った。

「そうなる」とドナンが言った。「板の限界以上の濃度になれば、カバーしきれない」

「対処法は」

「慣れるか、動き続けるかだ。止まると体内に魔力が溜まる」

「了解」

ファルが前方を確認しながら言った。

「第二層は第一層の倍は魔物がいる。連戦になる。体力を使いすぎるな。一匹一匹を丁寧に仕留める」

「カルド、《波長理解》の状況は」

「全体に霞がかかったような感じがします。細かい反応は読みにくくなってる」

「そうか。シロ」

「鼻は使える。五匹、前方」

「行く」

五匹との戦闘が始まった。

今度は、第一層と違う。
魔物が速い。動きが読みにくい。

「《慧眼》!」

三匹の弱点を確認して声に出す。

「右前方の個体、喉の下。中央の個体、左脇腹。左後方の個体、後脚の付け根——」

ファルが動く。
シロが動く。
ドナンが近距離で一匹を押さえる。

レイスが後方で状況を見ながら言った。

「右から二匹、別の群れが来る」

「数が多い」とシロが言った。

「押し切る」とファルが言った。

火球を収束させて二匹に叩き込む。
一匹が怯んだ。
シロが怯んだ隙に仕留める。

もう一匹がこちらに突進してくる。

《高速移動》で横に跳ぶ。
すれ違いざまに火球。

倒れた。

「全部か」

「全部だ」とシロが言った。

全員で息を吐いた。

「……消耗が第一層より速いな」と僕は言った。

「当然だ」とファルが言った。「ペースを保て。急ぐな」

少し進んだところで、また複数の反応が来た。

今度は六匹。
壁沿いに展開している。

「囲もうとしてる」とファルが言った。「潰す前に先手を打つ。カルド」

「一番右と一番左の個体、首の付け根が薄い」

「ドナン、左。私が右。シロは中央を割れ」

「了解」

ファルが右端の個体に走った。

剣を大きく引いて振り抜く直前、《波長理解》に引っかかった。

ファルの剣に、魔力が集まっている。

収縮している。

剣の刃の部分に、魔力が密度を上げながら凝集していく。それを一気に解放して——

炸裂。

首の付け根が吹き飛んだ。

「……あっ」

思わず声が出た。

「カルド、動け!」とレイスが後方から言った。

「あ、はい——」

《高速移動》で中央の個体に向かいながら、頭の中でさっきの動作を反芻した。

魔力を集めた。縮めた。それを解放した。

《圧剣》は、魔力を剣に圧縮してから解放する技法だ。

圧縮する。

火球でも、同じことができるんじゃないか。

今は戦闘中だ。
考えるのは後でいい。

火球を中央の個体の弱点に叩き込む。
倒れた。

気づけば六匹全部が倒れていた。

「……ファルさん」

「何だ」

「さっきの剣技、少し観察してしまいました。《波長理解》で」

ファルが少し眉を上げた。

「だから一瞬止まったのか」

「すみません」

「……邪魔にならなかったからいい。何か分かったか」

「魔力を剣に収縮させてから解放してますよね。《圧剣》って」

ファルが少し間を置いた。

「……そうだ。魔力を一点に絞り込んで密度を上げる。それを瞬間的に解放すると、斬撃の威力が跳ね上がる」

「魔力を、圧縮する」

「そういう理解でいい」

頭の中で、何かが噛み合った感覚がした。

『カルド様、何かを理解しましたか』

「……たぶん。でも、まだ試せていない」

『了解しました。記録します』



第二層を進むにつれて、通路の様子が変わってきた。

岩肌に、文字のようなものが刻まれている。

「ファルさん、あの文字は」

ファルが立ち止まって確認した。

「……古い文字だ。読めない」

「探索者でも」

「私の知識では無理だ。この手の文字を読める人間は少ない。遺跡研究者か、相当年季の入った探索者でないと」

レイスが近づいて、手でなぞった。

「彫り方が丁寧だ。急いで作ったものじゃない。時間をかけて刻んだ」

「誰が」

「分からない。ただ——」レイスが文字の一部を指差した。「この模様、石柱の丘で見た形に似ている」

全員が少し静止した。

「……同じ人間が作ったってことですか」

「可能性はある。あくまで似ているというだけだが」

『文字パターンを記録しました。後ほど照合を試みます』

「案内人が記録してくれた。後で調べられるかもしれない」

「それはいい」とレイスが言った。「続けよう」

第二層の出口が見えてきた頃、ドナンが立ち止まった。

「待て」

全員が止まった。

「何ですか」

ドナンが床を見ていた。

「……ここだけ、石の質が違う」

床の一部を指差した。
確かに、周囲の岩と色が違う。少し明るい。

「罠か」

「可能性がある。重さに反応するタイプだ」

「分かるんですか」

「旅先で似たものを見た」

ドナンが工具袋から細い金属棒を取り出して、そっと床に触れた。

カチ、と音がした。

「やはり。踏んだら何かが起動する」

「どうします」

「端を通れ。仕掛けは中央にある」

全員で端を通り抜けた。

「……ドナンさんがいてよかった」

「罠は基本だ」とドナンが言った。「ダンジョンに慣れていない者が死ぬのは、だいたい罠だ」

「覚えておきます」

「次は自分で気づけ」

厳しいが、正しいと思った。



第二層の出口に着いたとき、全員で一度立ち止まった。

「エネルギーの確認をする」とファルが言った。「全員」

「七割程度」と僕は答えた。

「シロ」
「六割ほど」
「ドナン」
「七割」
「レイス」
「同じくらいだ」

「私も六割だ」とファルが言った。「撤退ラインまでは余裕がある。続ける」

「第三層は更に濃い」とシロが言った。「匂いで分かる」

「どのくらい」

「今の倍以上だ」

全員が少し沈黙した。

「準備はいいか」とファルが言った。

返事は声じゃなかった。
全員が、頷いた。

降り口に踏み込んだ。

一歩目で、魔力の圧力が変わった。

遮断板を通してでも、感じる。
体が少し重くなる感覚。

「ここから先は別の場所だ」とファルが静かに言った。「気を引き締めろ」

第三層への階段を、全員で降りていく。

魔力灯の光が、下に続く暗闇を照らす。

終わりが、見えない。
カルドは一歩一歩、確かめながら降りた。
頭の中には、まだ「圧縮する」という感覚が残っていた。
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