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絶海孤島編
第17話 一人で行く
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北西に向かったのは、朝の早い時間だった。
拠点を出るとき、シロが「どこへ行く」と聞いた。
「北西を見てきます。まだ白紙のままなので」
「一人か」
「全員連れていくには、今日は都合が悪い。ファルはテオたちの訓練がある。ドナンとレイスは西壁の補強を今日中にやりたいと言っていた。ゴブリンたちにもそれぞれ役割がある」
「俺は」
「シロには拠点の守りをお願いしたい。僕がいないとき、万が一のことがある」
シロが少し間を置いた。「……遠くへは行くな」
「半日で戻ります」
「半日」
「もし夕方までに戻らなかったら、迎えに来てください」
シロが短く鼻を鳴らした。「その前に戻れ」
「努力します」
シロがもう一度鼻を鳴らした。それから、入口から動かなかった。見送るつもりなのか、ただ立っているのか、シロのことなのでどちらか分からなかった。
振り返らずに歩き始めた。
*
北西の地形は、これまで探索した場所と違った。
地面が緩やかに上っている。岩が多い。木は少なく、背の低い草が岩の隙間から生えている。日当たりが良くて、視界が開けている。
開けた場所を歩くのは、思ったより気持ちが良かった。
風が横から来る。草の匂いがする。空が広い。
「案内人、周囲の反応は」
『感知中です。小型の魔物が複数、遠距離に。接近傾向なし。中型以上の反応は現時点で検出されていません』
「了解」
地図を開いた。北西エリアの大部分はまだ空白だ。今日は少しでも埋めたい。
岩場を登りながら、地形を確認した。高い場所からだと全体が見渡せる。崖になっているところ、谷になっているところ、平地が続くところ。少しずつ書き加えていく。
一時間ほど歩いたところで、大きな岩の塊が見えてきた。
巨岩が複数、不規則に積み重なっている。自然に積まれたとは思えない大きさのものが、まるで投げ捨てられたように並んでいる。
「……これは」
近づいた。
岩の表面に、焦げた跡がある。古い。風雨にさらされて薄くなっているが、高温にさらされた痕跡が残っている。
何かが爆発したか、大きな火があったか。
「案内人、この岩の状態から何か読めるか」
『岩の表面に熱変性が確認されます。推定温度は通常の焚火では達しない高さです。魔力による熱の可能性があります。時期の特定は困難です』
「最近ではない」
『表面の風化具合から、少なくとも数十年以上前と推測されます』
数十年。
この島に、昔から何かがいた。
地図に「焦げた巨岩群」と記した。
それから先に進もうとして——
《波長理解》が、引っかかった。
「……いる」
『感知しました。大型の反応です。現在、岩の影に静止しています。距離は約四十メートル』
「さっきまで反応がなかった」
『岩の後ろにいたため、遮蔽されていました。現在は波長が検出されています』
遮蔽。
つまり、岩の後ろに最初からいた。僕が近づいたことで、波長が漏れ出した。
「敵対的か」
『……断定できません。ただし、波長が揺らいでいます。興奮状態か、警戒状態の可能性があります』
逃げるか、様子を見るか。
《慧眼》を向けた。
岩の向こうに、何かいる。大きい。魔力が膨らんでいる。でもまだ動いていない。
向こうもこちらを感知している。
「……どうする」
独り言だった。答える相手はいない。
そのとき、岩の向こうから音がした。
低い、腹に響く音だった。唸り声ではない。もっと機械的な、圧力のこもった音だ。
それから、岩が吹き飛んだ。
爆発ではなかった。魔力が一点に収束して、一気に解放された。岩が砕けて、破片が四方に散った。
僕は《高速移動》で横に跳んだ。岩の破片が頬をかすった。
その向こうに、それが立っていた。
*
体長は三メートルほど。四足歩行だが、前肢が太く、地面をつかむように指が広がっている。全身が暗い紫色の鱗で覆われていて、鱗の隙間から赤みがかった光が漏れている。
口が、開いた。
また、あの音がした。
腹の光が膨らんだ。
「来る——」
跳んだ。
爆発が、さっきまでいた場所を吹き飛ばした。地面が抉れた。直径二メートル近い穴が生まれた。
熱い。爆発の余波が腕をなめた。皮膚が赤くなっている。
「案内人」
『爆裂型大型魔物です。体内に魔力を蓄積し、一定量を超えると爆発的に解放します。蓄積と解放を繰り返すため、解放直後は魔力量が低下します。その間が最も攻撃しやすいタイミングです』
「解放後に隙がある」
『ただし、解放の間隔は短い。推定で十五秒から二十秒程度』
「十五秒」
短い。
でも、ないよりはいい。
問題は距離だ。爆発の射程の外から攻撃する手段が、今の僕にはない。《岩礫生成》は有効だが、あの鱗を見る限り、通常の岩では弾かれる可能性が高い。《魔力圧縮》を乗せれば通るかもしれないが、距離が縮まらなければ当てられない。
「接近するしかない」
接近するには、爆発を避け続けながら間合いを詰める必要がある。
爆発の予兆は分かる。腹の光が膨らむ。その直前に動けばいい。
《波長理解》で魔力の流れを読む。《慧眼》で動きの癖を探る。
やれないことはない。
ただ——失敗したら死ぬ。
「やる」
動いた。
魔物が向きを変えた。腹の光が膨らみ始めた。
《波長理解》が告げる。もうすぐ来る。
跳んだ。左に。
爆発が右を吹き飛ばした。
着地と同時に《高速移動》で前に出た。十メートル、縮まった。まだ遠い。
魔物が動いた。追ってくる。四足の動きが速い。
距離を取りながら、次の爆発を待つ。
光が膨らんだ。
今度は前方に来た。地面が連続して抉れる。範囲が広い。
跳んで、着地して、また跳んだ。三回跳んでようやく外れた。
足が岩を踏んだ瞬間、滑った。
体勢を崩した。
魔物が正面にいた。
光が膨らんでいた。
間に合わない——
爆発が来た。
直撃ではなかった。体勢を崩して低くなっていたため、爆発が頭上を通った。でも衝撃が来た。吹き飛ばされた。岩に背中を打ちつけた。
息が詰まった。
視界が揺れた。
「……まずい」
立ち上がろうとした。足に力が入らない。一瞬、体が言うことを聞かなかった。
魔物が近づいてくる。
腹の光が、また膨らんでいる。
「案内人——」
『次の解放まで、推定八秒です』
八秒。
立ち上がれない。
光が膨らむ。膨らむ。膨らむ。
弾けた。
*
気づいたとき、地面に膝をついていた。
《死に戻り》が発動している。エネルギーが消費された感覚がある。
「……死んだか」
確認するまでもなかった。
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
『取得候補を提示します』
視界の端に、淡い光が浮かぶ。
『爆発感知:爆発型魔力の予兆を精度高く感知する』
『魔力障壁:魔力で一時的な盾を生成する』
『炎舞剣:魔力を炎の刃として生成し、高速移動と組み合わせて放つ』
「……」
《爆発感知》は分かりやすい。今の状況で直接使える。
《魔力障壁》も防御として有効だ。
でも——
《炎舞剣》。
魔力を炎の刃として生成する。高速移動と組み合わせる。
頭の中で、動きが見えた。
《高速移動》で間合いを詰めながら、炎の刃を叩き込む。接触しながら威力を伝える。爆発の隙間に差し込む。
今の状況に、一番嚙み合う。
リスクは高い。近づかなければ使えないスキルだ。でも、それが正解に見えた。
「《炎舞剣》」
選んだ。
時間が戻った。
*
魔物が正面にいた。爆発の直後だ。腹の光が薄い。隙がある。
でも、体が重い。さっきの衝撃の記憶がある。《死に戻り》で体は戻っているが、頭はまだ整理しきれていない。
「……落ち着け」
深呼吸した。
《波長理解》で魔力の流れを読む。爆発後の今、魔物の体内の魔力は低い。次の蓄積が始まっている。だが、まだ薄い。
「《炎舞剣》——」
スキルを発動してみた。
右手に、熱が集まった。魔力が形を持ち始める。炎ではなく、炎の形をした魔力の塊だ。刃のような形に収束しようとしている。ただ、不安定だ。初めて使うスキルは、最初から完全には動かない。
「安定させる——」
《威力補正》と組み合わせた。魔力の量を調整しながら、刃の形を固定する。
熱が、手の中で落ち着いた。
長さは五十センチほど。薄い。でも密度がある。
「行く」
《高速移動》を発動した。
魔力を脚に集中させ、地面を蹴った。
速い。
魔物が反応した。腹の光が急速に膨らみ始めた。
速く蓄積している。焦っているのか、警戒しているのか。
間に合うか——
間に合わせる。
三歩で間合いを詰めた。
炎の刃を、鱗の隙間に向けて差し込んだ。
熱が貫いた。
魔物が鳴いた。さっきの爆発音とは違う、高く短い声だった。
腹の光が揺れた。蓄積が乱れた。
「もう一度——」
後ろに跳んだ。魔力を再び集める。《炎舞剣》の形を固定する。今度は少し安定した。さっきより刃が明確だ。
魔物が振り返った。前肢を上げた。叩き落とそうとしている。
光が膨らんでいる。
「どっちが先か——」
前肢が来た。
跳んで、かわした。
着地と同時に駆けた。
今度は喉元に向けた。
炎の刃が、鱗のない部位に刺さった。
光が散った。
爆発ではなかった。魔力が霧散する感覚がした。魔物の内側から、溜まっていた魔力が不完全に放出された。爆発ではなく、漏れた。
魔物の動きが鈍った。
「まだ——」
体力が残っている。倒れていない。
三度目を作った。《炎舞剣》の形が、二度の使用でだいぶ体に馴染んできた。形成が速くなった。密度が増した。
《魔力圧縮》を上乗せした。
炎の刃に、圧縮した魔力を通す。体積は小さく、密度を上げる。
「これで——」
《高速移動》。
最後の踏み込み。
炎の刃を、首の付け根に叩き込んだ。
熱と圧力が、一点に集中した。
魔物が、ゆっくりと崩れた。
地面に伏した。光が消えた。動かなくなった。
静寂。
風の音だけがあった。
*
しばらく、その場に膝をついていた。
手が震えていた。使い慣れないスキルを無理に動かした反動で、右腕がひどく重い。魔力の消耗も大きい。
「……終わった」
周囲を確認した。他に反応はない。
《波長理解》も、大きな波長を感知しない。
深呼吸した。
「案内人。《炎舞剣》の状態は」
『スキルの安定度は低い状態です。初回使用のため、制御精度が不完全です。使用回数を重ねることで安定します』
「分かった」
立ち上がった。足が少しふらついた。体力的には問題ないが、緊張が解けた反動が来ている。
空を見た。
まだ昼前だった。半日で戻ると言った。約束は守れる。
倒れた魔物を見た。
鱗の一部が、爆発の余波で剥がれている。内側から漏れた魔力で焦げている。
「……強かった」
それだけだった。
地図を開いた。
この場所に印をつけた。「爆裂型大型魔物、撃退」と書いた。それから、焦げた巨岩群からこの地点まで、地形を書き加えた。
まだ北西の奥がある。でも今日はここまでにしようと思った。
体が正直にそう言っていた。
帰ろう。
*
拠点への帰り道は、行きより時間がかかった。
体が重い。右腕がまだ言うことを聞かない。魔力の消耗が思った以上だった。
途中、岩に腰を下ろした。水を飲んだ。
一人でいる、という感覚が、今になってじわりと来た。
いつもなら、誰かがいる。シロが隣にいる。ファルが前を歩いている。レイスが後ろから全体を見ている。ドナンが無言でそこにいる。ネグルがいつの間にか隣に来ている。
今日は誰もいない。
静かだった。
悪くはなかった。ただ、慣れていない。
「……一人でいることに、こんなに慣れていないとは思わなかった」
独り言だった。
答える者はいない。風が吹いた。
立ち上がった。
また歩いた。
*
拠点に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
シロが入口にいた。
「遅い」とシロが言った。
「半日と言いました。まだ半日経っていません」
「少し過ぎた」
「数十分くらいです」
シロが鼻を近づけてきた。匂いを嗅いでいる。それから、「傷があるか」と言った。
「大した傷はない。右腕が重いが、骨は折れていない」
「魔力の消耗は」
「多い。ただ、時間が経てば戻る」
シロが少し間を置いた。「……何と戦った」
「爆裂型の大型魔物です。一度死にました」
シロの耳が、わずかに動いた。感情を表に出さない。でも、耳は正直だった。
「……そうか」
「《炎舞剣》を取得しました」
「新しいスキルか」
「炎の刃を生成して、高速移動と組み合わせる。まだ安定していないが、使えました」
シロが「見せろ」と言った。
「今は消耗しているので、後で」
「後で」
「はい」
シロがまた鼻を鳴らした。「中に入れ。食事にしろ」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。倒れられると困る」
「そうですね」
中に入った。
ネグルがいた。すぐに隣に来た。カルドの右腕を見た。「重そう」と言った。
「重い」
「無理するな」と言って、水を持ってきた。
コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。それだけだった。
ガンズが「どこへ行っていたか」と聞いた。
「北西を探索してきました」
「一人でか」
「はい」
「強い魔物がいたか」
「いました」
ガンズが「次は俺たちも連れていけ」と言った。
「次は考えます」
「考えるは駄目だ。考えると連れていかない」
「……善処します」
「善処も駄目だ」
「……また今度」
ガンズが「それも微妙だ」と言いながら戻った。
*
夕方、ファルが訓練を終えて戻ってきた。
カルドを見て「右腕か」と言った。
「分かりますか」
「かばっている。何があった」
「新しいスキルを取得しました。《炎舞剣》です」
ファルが少し間を置いた。「炎の刃を作るタイプか」
「そうです。高速移動と組み合わせて使います」
ファルが「見せろ」と言った。シロと同じことを言った。
「消耗しているので、明日でいいですか」
「明日でいい。ただ、一つ聞く」
「何ですか」
「制御はできているか」
「不完全です。実戦でなんとか動かした、という状態です」
ファルが短く頷いた。「制御できていないスキルは、味方を傷つける可能性がある。使えることと、安全に使えることは違う。最初の段階で丁寧にやれ」
「分かりました」
「明日から特訓に付き合う」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。下手なスキルを持った仲間が隣にいると、俺も怖い」
「それは正直な理由ですね」
「正確な理由だ」とファルが言った。それだけで、自分の場所に戻った。
ドナンが通りがかった。カルドの右腕を見た。
「焼けたか」
「少し。鱗が剥がれた隙間から、熱が来ました」
ドナンが「見せろ」と言った。
腕を出した。皮膚が赤くなっているが、水ぶくれにはなっていない。
「大したことはない」とドナンが言った。「ただ、明日は無理するな」
「はい」
ドナンが行きかけて、止まった。「一人で行ったのか」
「そうです」
「……次は言え」
「はい」
ドナンがまた歩き出した。振り返らなかった。ただ、それだけだった。
レイスが設計図から顔を上げた。「北西はどうだった」
「焦げた巨岩群がありました。数十年前に高温にさらされた跡があります」
レイスの目が少し変わった。「詳しく聞かせてくれるか」
「もちろんです。ただ、今日は少し疲れたので、明日でもいいですか」
「明日でいい。記録に残したい」
「残しましょう」
*
夜、火を囲んだ。
今日のことを整理した。
《炎舞剣》。炎の刃。高速移動との組み合わせ。まだ荒削りだ。制御が甘い。ファルが明日から付き合うと言ってくれた。
死んだことを、仲間に話すべきか少し考えた。
仲間に嘘や隠し事をしたくない、という信条がある。でも、一度死んで戻ったことは、毎回全員に報告することでもない気がした。《死に戻り》はそういうスキルだ。死ぬことが前提にある。都度報告すると、仲間が必要以上に心配する。
ただ、シロには伝えた。ファルも右腕を見て気づいた。
それでいい、と思った。
「カルド」とネグルが言った。
「何ですか」
「今日、一人で行ったのはなぜか」
「みんなに役割があったから」
「俺の役割は」
「今日は拠点にいてもらいたかった」
ネグルが少し考えた。「次は連れていけ」
「ガンズにも同じことを言われました」
「ガンズとは別だ。俺が言っている」
「……善処します」
ネグルが「善処は駄目だ」と言った。ガンズと同じことを言った。
「また今度」
「また今度も駄目だ」
「……考えます」
「考えるも——」
「分かりました。次に北西へ行くときは、ネグルを連れていきます」
ネグルが満足そうに黙った。
コトが「俺も」と言った。
「コトも」
コトが頷いた。それだけで、丸まって眠り始めた。
シロが「お前はすぐ約束を増やす」と言った。
「仕方ないです」
「仕方なくない。断れ」
「断るとネグルが怒ります」
「ネグルに断れと言え」
「シロが言ってください」
シロが短く息を吐いた。笑っているのか呆れているのか。
「……寝ろ」
「もう少し」
「毎日それを言う」
「毎日もう少しやることがあります」
地図を広げた。
今日書き加えた北西エリアを確認した。焦げた巨岩群。爆裂型魔物の痕跡。
火が静かに燃えている。
川の音が続いている。
右腕がまだ少し重い。でも、動く。
明日からファルに絞られると思いながら、それでいいと思った。
荒削りなスキルは、磨いていくものだ。
一人でいた今日は、少し長かった。でも、悪くはなかった。
次は、誰かと来よう。
拠点を出るとき、シロが「どこへ行く」と聞いた。
「北西を見てきます。まだ白紙のままなので」
「一人か」
「全員連れていくには、今日は都合が悪い。ファルはテオたちの訓練がある。ドナンとレイスは西壁の補強を今日中にやりたいと言っていた。ゴブリンたちにもそれぞれ役割がある」
「俺は」
「シロには拠点の守りをお願いしたい。僕がいないとき、万が一のことがある」
シロが少し間を置いた。「……遠くへは行くな」
「半日で戻ります」
「半日」
「もし夕方までに戻らなかったら、迎えに来てください」
シロが短く鼻を鳴らした。「その前に戻れ」
「努力します」
シロがもう一度鼻を鳴らした。それから、入口から動かなかった。見送るつもりなのか、ただ立っているのか、シロのことなのでどちらか分からなかった。
振り返らずに歩き始めた。
*
北西の地形は、これまで探索した場所と違った。
地面が緩やかに上っている。岩が多い。木は少なく、背の低い草が岩の隙間から生えている。日当たりが良くて、視界が開けている。
開けた場所を歩くのは、思ったより気持ちが良かった。
風が横から来る。草の匂いがする。空が広い。
「案内人、周囲の反応は」
『感知中です。小型の魔物が複数、遠距離に。接近傾向なし。中型以上の反応は現時点で検出されていません』
「了解」
地図を開いた。北西エリアの大部分はまだ空白だ。今日は少しでも埋めたい。
岩場を登りながら、地形を確認した。高い場所からだと全体が見渡せる。崖になっているところ、谷になっているところ、平地が続くところ。少しずつ書き加えていく。
一時間ほど歩いたところで、大きな岩の塊が見えてきた。
巨岩が複数、不規則に積み重なっている。自然に積まれたとは思えない大きさのものが、まるで投げ捨てられたように並んでいる。
「……これは」
近づいた。
岩の表面に、焦げた跡がある。古い。風雨にさらされて薄くなっているが、高温にさらされた痕跡が残っている。
何かが爆発したか、大きな火があったか。
「案内人、この岩の状態から何か読めるか」
『岩の表面に熱変性が確認されます。推定温度は通常の焚火では達しない高さです。魔力による熱の可能性があります。時期の特定は困難です』
「最近ではない」
『表面の風化具合から、少なくとも数十年以上前と推測されます』
数十年。
この島に、昔から何かがいた。
地図に「焦げた巨岩群」と記した。
それから先に進もうとして——
《波長理解》が、引っかかった。
「……いる」
『感知しました。大型の反応です。現在、岩の影に静止しています。距離は約四十メートル』
「さっきまで反応がなかった」
『岩の後ろにいたため、遮蔽されていました。現在は波長が検出されています』
遮蔽。
つまり、岩の後ろに最初からいた。僕が近づいたことで、波長が漏れ出した。
「敵対的か」
『……断定できません。ただし、波長が揺らいでいます。興奮状態か、警戒状態の可能性があります』
逃げるか、様子を見るか。
《慧眼》を向けた。
岩の向こうに、何かいる。大きい。魔力が膨らんでいる。でもまだ動いていない。
向こうもこちらを感知している。
「……どうする」
独り言だった。答える相手はいない。
そのとき、岩の向こうから音がした。
低い、腹に響く音だった。唸り声ではない。もっと機械的な、圧力のこもった音だ。
それから、岩が吹き飛んだ。
爆発ではなかった。魔力が一点に収束して、一気に解放された。岩が砕けて、破片が四方に散った。
僕は《高速移動》で横に跳んだ。岩の破片が頬をかすった。
その向こうに、それが立っていた。
*
体長は三メートルほど。四足歩行だが、前肢が太く、地面をつかむように指が広がっている。全身が暗い紫色の鱗で覆われていて、鱗の隙間から赤みがかった光が漏れている。
口が、開いた。
また、あの音がした。
腹の光が膨らんだ。
「来る——」
跳んだ。
爆発が、さっきまでいた場所を吹き飛ばした。地面が抉れた。直径二メートル近い穴が生まれた。
熱い。爆発の余波が腕をなめた。皮膚が赤くなっている。
「案内人」
『爆裂型大型魔物です。体内に魔力を蓄積し、一定量を超えると爆発的に解放します。蓄積と解放を繰り返すため、解放直後は魔力量が低下します。その間が最も攻撃しやすいタイミングです』
「解放後に隙がある」
『ただし、解放の間隔は短い。推定で十五秒から二十秒程度』
「十五秒」
短い。
でも、ないよりはいい。
問題は距離だ。爆発の射程の外から攻撃する手段が、今の僕にはない。《岩礫生成》は有効だが、あの鱗を見る限り、通常の岩では弾かれる可能性が高い。《魔力圧縮》を乗せれば通るかもしれないが、距離が縮まらなければ当てられない。
「接近するしかない」
接近するには、爆発を避け続けながら間合いを詰める必要がある。
爆発の予兆は分かる。腹の光が膨らむ。その直前に動けばいい。
《波長理解》で魔力の流れを読む。《慧眼》で動きの癖を探る。
やれないことはない。
ただ——失敗したら死ぬ。
「やる」
動いた。
魔物が向きを変えた。腹の光が膨らみ始めた。
《波長理解》が告げる。もうすぐ来る。
跳んだ。左に。
爆発が右を吹き飛ばした。
着地と同時に《高速移動》で前に出た。十メートル、縮まった。まだ遠い。
魔物が動いた。追ってくる。四足の動きが速い。
距離を取りながら、次の爆発を待つ。
光が膨らんだ。
今度は前方に来た。地面が連続して抉れる。範囲が広い。
跳んで、着地して、また跳んだ。三回跳んでようやく外れた。
足が岩を踏んだ瞬間、滑った。
体勢を崩した。
魔物が正面にいた。
光が膨らんでいた。
間に合わない——
爆発が来た。
直撃ではなかった。体勢を崩して低くなっていたため、爆発が頭上を通った。でも衝撃が来た。吹き飛ばされた。岩に背中を打ちつけた。
息が詰まった。
視界が揺れた。
「……まずい」
立ち上がろうとした。足に力が入らない。一瞬、体が言うことを聞かなかった。
魔物が近づいてくる。
腹の光が、また膨らんでいる。
「案内人——」
『次の解放まで、推定八秒です』
八秒。
立ち上がれない。
光が膨らむ。膨らむ。膨らむ。
弾けた。
*
気づいたとき、地面に膝をついていた。
《死に戻り》が発動している。エネルギーが消費された感覚がある。
「……死んだか」
確認するまでもなかった。
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
『取得候補を提示します』
視界の端に、淡い光が浮かぶ。
『爆発感知:爆発型魔力の予兆を精度高く感知する』
『魔力障壁:魔力で一時的な盾を生成する』
『炎舞剣:魔力を炎の刃として生成し、高速移動と組み合わせて放つ』
「……」
《爆発感知》は分かりやすい。今の状況で直接使える。
《魔力障壁》も防御として有効だ。
でも——
《炎舞剣》。
魔力を炎の刃として生成する。高速移動と組み合わせる。
頭の中で、動きが見えた。
《高速移動》で間合いを詰めながら、炎の刃を叩き込む。接触しながら威力を伝える。爆発の隙間に差し込む。
今の状況に、一番嚙み合う。
リスクは高い。近づかなければ使えないスキルだ。でも、それが正解に見えた。
「《炎舞剣》」
選んだ。
時間が戻った。
*
魔物が正面にいた。爆発の直後だ。腹の光が薄い。隙がある。
でも、体が重い。さっきの衝撃の記憶がある。《死に戻り》で体は戻っているが、頭はまだ整理しきれていない。
「……落ち着け」
深呼吸した。
《波長理解》で魔力の流れを読む。爆発後の今、魔物の体内の魔力は低い。次の蓄積が始まっている。だが、まだ薄い。
「《炎舞剣》——」
スキルを発動してみた。
右手に、熱が集まった。魔力が形を持ち始める。炎ではなく、炎の形をした魔力の塊だ。刃のような形に収束しようとしている。ただ、不安定だ。初めて使うスキルは、最初から完全には動かない。
「安定させる——」
《威力補正》と組み合わせた。魔力の量を調整しながら、刃の形を固定する。
熱が、手の中で落ち着いた。
長さは五十センチほど。薄い。でも密度がある。
「行く」
《高速移動》を発動した。
魔力を脚に集中させ、地面を蹴った。
速い。
魔物が反応した。腹の光が急速に膨らみ始めた。
速く蓄積している。焦っているのか、警戒しているのか。
間に合うか——
間に合わせる。
三歩で間合いを詰めた。
炎の刃を、鱗の隙間に向けて差し込んだ。
熱が貫いた。
魔物が鳴いた。さっきの爆発音とは違う、高く短い声だった。
腹の光が揺れた。蓄積が乱れた。
「もう一度——」
後ろに跳んだ。魔力を再び集める。《炎舞剣》の形を固定する。今度は少し安定した。さっきより刃が明確だ。
魔物が振り返った。前肢を上げた。叩き落とそうとしている。
光が膨らんでいる。
「どっちが先か——」
前肢が来た。
跳んで、かわした。
着地と同時に駆けた。
今度は喉元に向けた。
炎の刃が、鱗のない部位に刺さった。
光が散った。
爆発ではなかった。魔力が霧散する感覚がした。魔物の内側から、溜まっていた魔力が不完全に放出された。爆発ではなく、漏れた。
魔物の動きが鈍った。
「まだ——」
体力が残っている。倒れていない。
三度目を作った。《炎舞剣》の形が、二度の使用でだいぶ体に馴染んできた。形成が速くなった。密度が増した。
《魔力圧縮》を上乗せした。
炎の刃に、圧縮した魔力を通す。体積は小さく、密度を上げる。
「これで——」
《高速移動》。
最後の踏み込み。
炎の刃を、首の付け根に叩き込んだ。
熱と圧力が、一点に集中した。
魔物が、ゆっくりと崩れた。
地面に伏した。光が消えた。動かなくなった。
静寂。
風の音だけがあった。
*
しばらく、その場に膝をついていた。
手が震えていた。使い慣れないスキルを無理に動かした反動で、右腕がひどく重い。魔力の消耗も大きい。
「……終わった」
周囲を確認した。他に反応はない。
《波長理解》も、大きな波長を感知しない。
深呼吸した。
「案内人。《炎舞剣》の状態は」
『スキルの安定度は低い状態です。初回使用のため、制御精度が不完全です。使用回数を重ねることで安定します』
「分かった」
立ち上がった。足が少しふらついた。体力的には問題ないが、緊張が解けた反動が来ている。
空を見た。
まだ昼前だった。半日で戻ると言った。約束は守れる。
倒れた魔物を見た。
鱗の一部が、爆発の余波で剥がれている。内側から漏れた魔力で焦げている。
「……強かった」
それだけだった。
地図を開いた。
この場所に印をつけた。「爆裂型大型魔物、撃退」と書いた。それから、焦げた巨岩群からこの地点まで、地形を書き加えた。
まだ北西の奥がある。でも今日はここまでにしようと思った。
体が正直にそう言っていた。
帰ろう。
*
拠点への帰り道は、行きより時間がかかった。
体が重い。右腕がまだ言うことを聞かない。魔力の消耗が思った以上だった。
途中、岩に腰を下ろした。水を飲んだ。
一人でいる、という感覚が、今になってじわりと来た。
いつもなら、誰かがいる。シロが隣にいる。ファルが前を歩いている。レイスが後ろから全体を見ている。ドナンが無言でそこにいる。ネグルがいつの間にか隣に来ている。
今日は誰もいない。
静かだった。
悪くはなかった。ただ、慣れていない。
「……一人でいることに、こんなに慣れていないとは思わなかった」
独り言だった。
答える者はいない。風が吹いた。
立ち上がった。
また歩いた。
*
拠点に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
シロが入口にいた。
「遅い」とシロが言った。
「半日と言いました。まだ半日経っていません」
「少し過ぎた」
「数十分くらいです」
シロが鼻を近づけてきた。匂いを嗅いでいる。それから、「傷があるか」と言った。
「大した傷はない。右腕が重いが、骨は折れていない」
「魔力の消耗は」
「多い。ただ、時間が経てば戻る」
シロが少し間を置いた。「……何と戦った」
「爆裂型の大型魔物です。一度死にました」
シロの耳が、わずかに動いた。感情を表に出さない。でも、耳は正直だった。
「……そうか」
「《炎舞剣》を取得しました」
「新しいスキルか」
「炎の刃を生成して、高速移動と組み合わせる。まだ安定していないが、使えました」
シロが「見せろ」と言った。
「今は消耗しているので、後で」
「後で」
「はい」
シロがまた鼻を鳴らした。「中に入れ。食事にしろ」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。倒れられると困る」
「そうですね」
中に入った。
ネグルがいた。すぐに隣に来た。カルドの右腕を見た。「重そう」と言った。
「重い」
「無理するな」と言って、水を持ってきた。
コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。それだけだった。
ガンズが「どこへ行っていたか」と聞いた。
「北西を探索してきました」
「一人でか」
「はい」
「強い魔物がいたか」
「いました」
ガンズが「次は俺たちも連れていけ」と言った。
「次は考えます」
「考えるは駄目だ。考えると連れていかない」
「……善処します」
「善処も駄目だ」
「……また今度」
ガンズが「それも微妙だ」と言いながら戻った。
*
夕方、ファルが訓練を終えて戻ってきた。
カルドを見て「右腕か」と言った。
「分かりますか」
「かばっている。何があった」
「新しいスキルを取得しました。《炎舞剣》です」
ファルが少し間を置いた。「炎の刃を作るタイプか」
「そうです。高速移動と組み合わせて使います」
ファルが「見せろ」と言った。シロと同じことを言った。
「消耗しているので、明日でいいですか」
「明日でいい。ただ、一つ聞く」
「何ですか」
「制御はできているか」
「不完全です。実戦でなんとか動かした、という状態です」
ファルが短く頷いた。「制御できていないスキルは、味方を傷つける可能性がある。使えることと、安全に使えることは違う。最初の段階で丁寧にやれ」
「分かりました」
「明日から特訓に付き合う」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。下手なスキルを持った仲間が隣にいると、俺も怖い」
「それは正直な理由ですね」
「正確な理由だ」とファルが言った。それだけで、自分の場所に戻った。
ドナンが通りがかった。カルドの右腕を見た。
「焼けたか」
「少し。鱗が剥がれた隙間から、熱が来ました」
ドナンが「見せろ」と言った。
腕を出した。皮膚が赤くなっているが、水ぶくれにはなっていない。
「大したことはない」とドナンが言った。「ただ、明日は無理するな」
「はい」
ドナンが行きかけて、止まった。「一人で行ったのか」
「そうです」
「……次は言え」
「はい」
ドナンがまた歩き出した。振り返らなかった。ただ、それだけだった。
レイスが設計図から顔を上げた。「北西はどうだった」
「焦げた巨岩群がありました。数十年前に高温にさらされた跡があります」
レイスの目が少し変わった。「詳しく聞かせてくれるか」
「もちろんです。ただ、今日は少し疲れたので、明日でもいいですか」
「明日でいい。記録に残したい」
「残しましょう」
*
夜、火を囲んだ。
今日のことを整理した。
《炎舞剣》。炎の刃。高速移動との組み合わせ。まだ荒削りだ。制御が甘い。ファルが明日から付き合うと言ってくれた。
死んだことを、仲間に話すべきか少し考えた。
仲間に嘘や隠し事をしたくない、という信条がある。でも、一度死んで戻ったことは、毎回全員に報告することでもない気がした。《死に戻り》はそういうスキルだ。死ぬことが前提にある。都度報告すると、仲間が必要以上に心配する。
ただ、シロには伝えた。ファルも右腕を見て気づいた。
それでいい、と思った。
「カルド」とネグルが言った。
「何ですか」
「今日、一人で行ったのはなぜか」
「みんなに役割があったから」
「俺の役割は」
「今日は拠点にいてもらいたかった」
ネグルが少し考えた。「次は連れていけ」
「ガンズにも同じことを言われました」
「ガンズとは別だ。俺が言っている」
「……善処します」
ネグルが「善処は駄目だ」と言った。ガンズと同じことを言った。
「また今度」
「また今度も駄目だ」
「……考えます」
「考えるも——」
「分かりました。次に北西へ行くときは、ネグルを連れていきます」
ネグルが満足そうに黙った。
コトが「俺も」と言った。
「コトも」
コトが頷いた。それだけで、丸まって眠り始めた。
シロが「お前はすぐ約束を増やす」と言った。
「仕方ないです」
「仕方なくない。断れ」
「断るとネグルが怒ります」
「ネグルに断れと言え」
「シロが言ってください」
シロが短く息を吐いた。笑っているのか呆れているのか。
「……寝ろ」
「もう少し」
「毎日それを言う」
「毎日もう少しやることがあります」
地図を広げた。
今日書き加えた北西エリアを確認した。焦げた巨岩群。爆裂型魔物の痕跡。
火が静かに燃えている。
川の音が続いている。
右腕がまだ少し重い。でも、動く。
明日からファルに絞られると思いながら、それでいいと思った。
荒削りなスキルは、磨いていくものだ。
一人でいた今日は、少し長かった。でも、悪くはなかった。
次は、誰かと来よう。
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