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第一章 クリスマスと藁人形
風悟と桃②
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桃が向かった先は、駅から自宅へ帰る途中のとある神社の敷地で、鬱蒼とした林の中である。夕暮れどきの林は既に視界が悪いが、式神の桃には関係ない。
「本当に……近道だからって通るのはやめなさいって、いつも言ってるのに!」
ふわりと、その長い裾を軽くつまみ、しとやかに足を揃えて桃は地に降り立つ。白い足袋の足先をきゅっと入れた女物の漆の下駄は、小さな桃の足によく似合っている。
「ふーご!」
高くてよく通る声は、もちろん普通の人間には聞こえない。しかし、桃の耳は聞きなれた声をとらえた。
「桃!」
声に張りはあるものの、くぐもっている。この様子ではおそらく変な霊気に巻かれているのだろう。桃はふう、と呼吸を整えた。
「私の風悟に手を出さないでちょうだい!」
袖を翻し、袂から出したのは一枚の札。さらさらと筆で書かれた流麗な文字がするりと札の上を泳いだかと思うと、そのまま浮き出して夜空に舞った。
「お、今日は竜かー。親父、いいの貸してくれたんやな」
風悟の呑気な声が聞こえる。
「私が! 借りたの! さっさと逃げてきなさいよ! 退治できないじゃないの」
「はいはい」
うーっ、と、この世のものならぬ唸り声が暗闇から聞こえた。数秒ののち、ふう、と開放的な風悟の声がして、同時に黒い大きな影が桃の視界を覆う。
「やあだ、もう!」
桃が叫ぶのとほぼ同時に、風悟は身軽になった体を器用に動かして影の背後に回った。そうして何やら唱えると、夜空を飛ぶ竜が一直線に降りてきて、影をてっぺんから真下へ綺麗に裂く。一瞬ののち、影は霧散した。
「いけたかー?」
風悟の声に、うんうんと嬉しそうに頷いた桃は、手元の札をひらりと靡かせる。すると竜はしゅるしゅると札におさまっていき、風悟が桃の掌を覗きこんだ時には、神社の社殿の飾りに描かれてそうな立派な竜が、平面のなかにきれいに鎮座していた。
「まあまあね」
試験監督のような桃の言い方に、風悟は幾分呆れ顔で返事をする。木の隙間から差す月明かりが、風悟の茶色い癖毛と大きい目を照らした。
「なんやそれ。たまには素直に褒めたらええんに」
「現状で満足していたら高みにはいけないのよ」
「俺まだ学生やし、桃よりは大きゅうなったで」
不意に風悟が桃の頭を撫でた。
高身長でないまでも、小柄な桃とは頭半分ほど差はある。桃は染めた頬を見られないように慌てて風悟から離れた。
「それにしても、こんな林の中を通ったらダメって前から言ってるじゃないの!」
「おかんみたいやなあ」
ばつの悪そうな風悟に言う桃の言葉は、まるで母親の小言のようだが、実際、桃は風悟が生まれた時から傍で見ているのだから仕方がない。見た目はすでに風悟のほうが年齢も体格も年上のようだが、これでも桃は何百年も同じ姿で存在しているのだ。
そんなコスプレ女子高生のような式神を、大学生の風悟はちらっと見る。
「彼女とな、まあちょっとそこで」
隠し立てもせずに色恋の子細を話すのは、さすがに母親相手ではできないだろうが、それでも「ちょっとそこで」と半端に濁すのは、桃の見た目に対しての配慮だろう。
「接吻ね」
「キスでええやろ」
桃の古風な言い方に対し咄嗟に言い直した風悟は、その太いおさげがうねっと波打ったのを見ると、あー、と溜め息をつく。
「桃、俺が彼女と何をしようとお前には関係ないよな」
「そうね。私はどうせ式神ですから?」
「わかってるならええ。雷は勘弁な。家壊したら怒られんで」
「母屋じゃないわ。落としたのは離れだし、もう五十年以上前のことじゃないの」
「じいちゃんがぼやいてたやつな。俺、じいちゃんそっくりなんやろ? ならあと五十年経てばいいじいちゃんになるんやし」
「私はこのままだけどね」
「だから結ばれんのや。俺が言うのもなんやけど、そもそも式神に惚れられても、どうすることもできん」
む、と桃は不機嫌な顔をする。そこで、風悟のスマホが鳴った。
「……レディースガガ?」
「レディー・ガガや。族みたいな言い方やめ」
もしもし、と明るい声で会話する相手は、母親のようだ。うん、桃がな、ああ平気ーなどと、軽いやりとりが続く。
「もう、あっという間に片付いたわ。まあ、俺の桃やから当然やな」
俺の、という言葉を聞いて、桃が反射的に目を見開く。それをちらっと横目で見てから、風悟は通話を切った。
「夫婦にはなれなくても、俺の桃には違いないよなあ?」
からかうような口調を聞かないよう、桃は既に真っ赤になった両耳を、華奢な白い手で塞いでいる。
「そういうところは、まーちゃんに似てるわ」
「一緒にすな。俺はあんな極悪非道な男とちゃうわ」
「どうかしらね」
桃はすでに暗くなった林の中で、白い着物の袖を翻す。父親譲りのややがっしりした体で悠然と歩く風悟の腕に、その細い腕を巻き付けた。
「歩きづらいって」
「半分浮いてるから大丈夫でしょ。来てあげたんだから連れて帰りなさいよ」
数歩進んだところで、風悟の足元に何かが巻き付いてきた。
先ほどの悪い気の残骸である。桃はそれを一瞥し、下駄でひといきに踏み潰す。
「邪魔すんじゃないわよ!」
もだえて消滅した悪気を見て、風悟は憐れむような表情をした。
「本当に……近道だからって通るのはやめなさいって、いつも言ってるのに!」
ふわりと、その長い裾を軽くつまみ、しとやかに足を揃えて桃は地に降り立つ。白い足袋の足先をきゅっと入れた女物の漆の下駄は、小さな桃の足によく似合っている。
「ふーご!」
高くてよく通る声は、もちろん普通の人間には聞こえない。しかし、桃の耳は聞きなれた声をとらえた。
「桃!」
声に張りはあるものの、くぐもっている。この様子ではおそらく変な霊気に巻かれているのだろう。桃はふう、と呼吸を整えた。
「私の風悟に手を出さないでちょうだい!」
袖を翻し、袂から出したのは一枚の札。さらさらと筆で書かれた流麗な文字がするりと札の上を泳いだかと思うと、そのまま浮き出して夜空に舞った。
「お、今日は竜かー。親父、いいの貸してくれたんやな」
風悟の呑気な声が聞こえる。
「私が! 借りたの! さっさと逃げてきなさいよ! 退治できないじゃないの」
「はいはい」
うーっ、と、この世のものならぬ唸り声が暗闇から聞こえた。数秒ののち、ふう、と開放的な風悟の声がして、同時に黒い大きな影が桃の視界を覆う。
「やあだ、もう!」
桃が叫ぶのとほぼ同時に、風悟は身軽になった体を器用に動かして影の背後に回った。そうして何やら唱えると、夜空を飛ぶ竜が一直線に降りてきて、影をてっぺんから真下へ綺麗に裂く。一瞬ののち、影は霧散した。
「いけたかー?」
風悟の声に、うんうんと嬉しそうに頷いた桃は、手元の札をひらりと靡かせる。すると竜はしゅるしゅると札におさまっていき、風悟が桃の掌を覗きこんだ時には、神社の社殿の飾りに描かれてそうな立派な竜が、平面のなかにきれいに鎮座していた。
「まあまあね」
試験監督のような桃の言い方に、風悟は幾分呆れ顔で返事をする。木の隙間から差す月明かりが、風悟の茶色い癖毛と大きい目を照らした。
「なんやそれ。たまには素直に褒めたらええんに」
「現状で満足していたら高みにはいけないのよ」
「俺まだ学生やし、桃よりは大きゅうなったで」
不意に風悟が桃の頭を撫でた。
高身長でないまでも、小柄な桃とは頭半分ほど差はある。桃は染めた頬を見られないように慌てて風悟から離れた。
「それにしても、こんな林の中を通ったらダメって前から言ってるじゃないの!」
「おかんみたいやなあ」
ばつの悪そうな風悟に言う桃の言葉は、まるで母親の小言のようだが、実際、桃は風悟が生まれた時から傍で見ているのだから仕方がない。見た目はすでに風悟のほうが年齢も体格も年上のようだが、これでも桃は何百年も同じ姿で存在しているのだ。
そんなコスプレ女子高生のような式神を、大学生の風悟はちらっと見る。
「彼女とな、まあちょっとそこで」
隠し立てもせずに色恋の子細を話すのは、さすがに母親相手ではできないだろうが、それでも「ちょっとそこで」と半端に濁すのは、桃の見た目に対しての配慮だろう。
「接吻ね」
「キスでええやろ」
桃の古風な言い方に対し咄嗟に言い直した風悟は、その太いおさげがうねっと波打ったのを見ると、あー、と溜め息をつく。
「桃、俺が彼女と何をしようとお前には関係ないよな」
「そうね。私はどうせ式神ですから?」
「わかってるならええ。雷は勘弁な。家壊したら怒られんで」
「母屋じゃないわ。落としたのは離れだし、もう五十年以上前のことじゃないの」
「じいちゃんがぼやいてたやつな。俺、じいちゃんそっくりなんやろ? ならあと五十年経てばいいじいちゃんになるんやし」
「私はこのままだけどね」
「だから結ばれんのや。俺が言うのもなんやけど、そもそも式神に惚れられても、どうすることもできん」
む、と桃は不機嫌な顔をする。そこで、風悟のスマホが鳴った。
「……レディースガガ?」
「レディー・ガガや。族みたいな言い方やめ」
もしもし、と明るい声で会話する相手は、母親のようだ。うん、桃がな、ああ平気ーなどと、軽いやりとりが続く。
「もう、あっという間に片付いたわ。まあ、俺の桃やから当然やな」
俺の、という言葉を聞いて、桃が反射的に目を見開く。それをちらっと横目で見てから、風悟は通話を切った。
「夫婦にはなれなくても、俺の桃には違いないよなあ?」
からかうような口調を聞かないよう、桃は既に真っ赤になった両耳を、華奢な白い手で塞いでいる。
「そういうところは、まーちゃんに似てるわ」
「一緒にすな。俺はあんな極悪非道な男とちゃうわ」
「どうかしらね」
桃はすでに暗くなった林の中で、白い着物の袖を翻す。父親譲りのややがっしりした体で悠然と歩く風悟の腕に、その細い腕を巻き付けた。
「歩きづらいって」
「半分浮いてるから大丈夫でしょ。来てあげたんだから連れて帰りなさいよ」
数歩進んだところで、風悟の足元に何かが巻き付いてきた。
先ほどの悪い気の残骸である。桃はそれを一瞥し、下駄でひといきに踏み潰す。
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もだえて消滅した悪気を見て、風悟は憐れむような表情をした。
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