上 下
25 / 36
第二章 茅の輪くぐりで邪気払い

河童のネネコ③

しおりを挟む
 茅の輪は早速境内へ設置された。昼間は参拝に来た近所の親子連れが、はしゃぎながらくぐっていき、夕方からは勤め帰りのサラリーマンが神妙な顔でくぐっていく。そんな光景が月末の夏越し祓まで続くのだ。

「茅の輪ってぇー、くぐりかた決まってんだよねぇー」
 茅の輪を一歩離れたところからじろじろ見るのは、河童のネネコだ。
「そうやな。まあ混んでるときとか、子供はもう適当やけど…って、ネネコ。あんま近付かん方がええんちゃうか」
 千景は竹箒手片手に、いかにも掃除をしてる風でネネコと会話をする。ネネコを見ることができない参拝者に怪しまれないように、だ。
「うーん。ほら、あっしってえー、邪気ってわけじゃないからさぁー。ヘーキヘーキ」
「確かに妖怪はこんなもんでは祓われんな」
「うわっ。千景も言うようになったじゃーん。さすがっ」
 ネネコは今日もヤマンバメイクをしたまま、楽しそうに笑った。境内では学校帰りの女子高生らもいて、茅の輪をバックに自撮りをしている。
「昔のちーちゃんみたーい、ウケるぅー!」
「インスタントカメラが流行ってたからな…おとうさんに怒られたけど……」

 千景とネネコが昔話をしていると、目の前で、歩き始めたばかりの幼児が母親に追いかけられている。ヨタヨタと進み、ペタッと転んだ。懐かしいと千景は見ていたが、立ちあがろうと地面についた拳が握られているのを見て、眉をひそめた。
「ああ…良くない。すみません」
 箒を置き、千景は親子のもとへ走り寄った。幼児の手には、葦が握られている。どうやら茅の輪をくぐるときに抜いたらしい。取ってしまうのは良く無いので、と千景が言うと、母親はちょっと不機嫌な顔をして幼児の手から葦を払うと、さっとその場を去って行った。
「なぁんかー、やな感じぃーー」
 ネネコは頬を膨らませているが、千景は無言のままゴミと化した葦を箒で掃く。
「……ちーちゃんさあ、美人なんだしぃ、もうちょっと愛想良くしよ?」
「もうそれは風悟に任せとる。それよりな、最近は神社の中が神域ってのがわからん子が多いのか、木や建物も乱暴に扱うんが多いからな。小さい頃からピシッと言っとかなあかん」
 千景はそのままいつものキリッとした表情できびきびと掃除をし、ネネコも水かきを器用に使い、箒代わりに千景を手伝うのであった。

「あ、おかえりぃ~、フウゴも呑むぅ?」
 ここ数日、ネネコは佐々木家の母屋に遊びに来ている。
 茅の輪制作があった日の夜半、バイト先である内田の店から帰宅した風悟は、自宅の居間の戸を開け、次の瞬間そっと閉じた。
 年季の入った大きな座卓を囲むように、父正嗣、母千景、そして河童のネネコが酒を酌み交わしているのだ。
 数日経つともう風悟も慣れたが、今日も差し出された小さいワンカップ酒には、色っぽい河童のイラストが描かれている。千景も、おかえり、と普段通りに息子へ声をかけ、正嗣は酒を持った手を軽く挙げる。普通すぎるリアクションが、むしろシュールである。いや俺は…と風悟は断りながらフェードアウトし桃と共に自室に向かったが、いくら陰陽師家系とはいえ、居間で親と河童が酒を呑んでいる状況はそうないだろう。
「……桃、ネネコって昔からよう遊びにきてたんか?」
「ううん。千景が中学か高校の時に川縁で遊ぶことはあったけど、そのあとちょっとしたら、見なくなっちゃったのよ。勿論、家に来たことなんてないわ」
「遊ぶって…女子中高生と河童が何すんねや」
「うーん。女子が読むファッション雑誌を一緒に見たり、恋愛の話をしていた気がするわ」
「河童と恋バナ……」
 風悟にはいまいち想像できないが、とにかくネネコと千景は昔は仲が良かったらしい。ネネコは佐々木家に現れ、たまに正嗣にしなだれかかり、それを千景が怒ったりする。正嗣はというと、まあまあと困った顔をするだけだ。

「千景、楽しそうね」
 風悟と一緒に庭石に腰掛け、月を見ながら桃が言う。
「そうなんか?確かに、PTAも卒業したら町会のおばちゃんらとランチするくらいしか無いからなあ」
「違うわよ。何言ってんの……」
「ん?」
 桃は溜め息をつくと、宙に浮かぶ。すると、また水音がした。
 ぴと、ぴと。
「まただわ。何かしら……」
「なんや、変な気配やなあ…」
「風悟もわかる?」
「ああ…」
 2人が池を覗き込むと、音は止んだ。
しおりを挟む

処理中です...