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第二章 茅の輪くぐりで邪気払い

牛鬼③

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「……くぅ!」
 最初の頃は鬼の攻撃をかわしていた徳田も、段々と避けるのが厳しくなっていた。
 (おかしい……三芳さんの動きじゃない……)
 それでも、剣道で鍛えた体捌きと、若手ならではの体力で、なんとか持ち堪える。鬼が持っているのは錫杖だ。長い棒は扱いが難しく、三芳も苦労していたが、今それは生き物のようにしなやかに動き徳田を襲う。かろうじて叩きこむと、型のある舞とは思えぬほど激しい衝突音が響いた。
「……パパ?」
 徳田の妻も、夫が必死の形相をしているのに気づいたようだ。舞の面により、徳田は目鼻を隠している。だが余裕のなさは僅かに覗く口元と、雰囲気でわかった。そして鬼は顔全部を隠した面だが、それにしては作り物感がない。
「……!」
 息を呑んだ徳田の妻を、鬼の視線が捉えた。身内とわかったのだろう。そのままくるりと、徳田から参拝者席の最前列に座る徳田の妻子に錫杖を向ける。
「させるか!」
 徳田は、素早く体を翻し、鬼の錫杖目掛けて自分の剣を振り下ろした。またも派手な音がするが、鬼に効いた様子はない。
「まーちゃん……桃も頼む」
 千景も拝殿の前列でその攻防を見守っており、桃は千景の命により、妻子や参拝者の周囲に、盾となる式神を呼び出した。それでも牛鬼の攻撃は弱まらない。徳田は必死に剣を振りかざし、妻子とそこにいる参拝者を守っている。
 正嗣も援護するが、なかなかねじ伏せるまでいかない。
 (くそっ…)
 徳田がそれでも諦めずに牛鬼へ攻撃し続けていると、突如空に雷鳴が響いた。
「な、なに?」
 千景は正嗣を見たが、正嗣は「自分じゃない」と首を振る。すると、落雷のような音がして、境内は土砂降りになった。
「……?」
 牛鬼が怯んだのがわかり、徳田は剣を、力いっぱい叩き込む。牛鬼は呻いて、よろよろと倒れそうになった。そこに、戻ってきた風悟が咄嗟に式神を出して牛鬼を絡めとる。演奏者も緊張が解けて演奏を中断し、舞はそこで終演となった。

 神事が執り行われるまで、準備がある。
 徳田が社務所に戻り面を外すと、妻子がやって来た。
「何あれ……本物の……鬼?」
「いや、俺もようわからんかったけど……怪我ないか?」
 うん、と徳田の妻は頷く。
「すまんな。忙しゅうしてた上に、危ない目にも遭わして……」
 徳田の妻は、今度は首を横に振る。
「こんな……準備ばっかりで家ほったらかしにしとった思うてたけど……あんたがいなかったら大変なことになってたかも、ってのはわかった……」
 パパ、と子供が嬉しそうに徳田に抱きついた。
 その様子を千景が見て、ほっと溜め息を吐くと、おーい、と大勢の声がした。普通の人間には聞こえない、妖怪の声。
「……ネネコ!みんなも……」
 境内にいたのは、10匹ほどの河童であった。
 参拝者は不意の土砂降りで、屋根のある場所に退避している。濡れた境内のど真ん中を、ペタペタと足音を立てて、ネネコ率いる河童一族は歩いて来た。
「山に残ってる皆に協力してもらったんだけどぉ、どーだったぁ?」
「ああ……助かった……ありがとう、みんなも……」
 フォッフォッフォ、と、髭をたくわえた河童が一歩進み出る。
「牛鬼は水辺のもの。同じ水辺の妖怪としては、黙ってられませんでしたからな……あと、千景様には恩がありますので」
「恩?」
「河童を排除せず、仲良くしていただいて……おかげで住処を奪われず過ごせました」
「それはもともと……山には河童たちのほうが長く住んでるから……あと、私には追い出す力は、無い」
「……そうでもありません。そして、だからこそ、ですよ」
 フォッフォッフォ、と再び笑う髭河童に、千景はふと疑問をぶつけた。
「……ネネコは……河童達は、ずっと山にいたんやろう?なら、何で私が山に行っても、出て来てくれなくなったんや?」
 ネネコは、ちょっとバツが悪そうな顔をした。
「んー……まぁ、細かいことは、どーでもいいじゃん?」
 きゃはっ!とネネコが嬌声をあげると、それを合図にしたかのように、他の河童も皆一斉に、おみくじを結ぶ木の裏手に走って行った。小川が流れており、遡上すれば山に繋がるのだ。
 ざぶん、という音とともに河童は残らずいなくなり、空を覆っていた雷雲も消えた。
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