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第二章 茅の輪くぐりで邪気払い
千景の力⑤
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ずぶ濡れで帰宅した千景と正嗣を見て、龍之介は怒るやら安堵の溜め息をつくやら、感情の推移が忙しない。母の清子はほっとしながらも、タオルと風呂の用意をしに行った。
「龍ちゃん、千景を責めちゃダメよ。むしろ悩みを聞いてあげるのが親っていうものでしょう」
桃が泰然と龍之介を諭す。見かけは十五の少女だが、この式神は龍之介のことも、生まれた時から見ているのだ。ううむ、と龍之介は何も言えなくなったが、桃のことを見ることが出来ない正嗣がいるのを思い出し、バツが悪そうな顔をした。
「本家の式神っちゅうやつですか。ほんまにおるんですなあ」
正嗣が感心したように言う。威厳を出そうと咳払いをした父親に、千景は躊躇いながらも聞いた。
「お父さん、鈴木の次男……この人を家庭教師にって話やが、受験までずっとか」
「いやそんなに長いこと付いてもらおうとは思ってないがな……とりあえず2学期の成績は上げとかんと、本家の娘が勉強できんていうのも対面が悪い」
千景は父の言葉に、体面かと心の中で愚痴を言い大きな溜め息をつく。しかし次の言葉を繋げる前に、千景の肩に手を置き静かに制したのは正嗣だ。
「おじさん、確かに成績下がったのは不安やと思います……けどまあ、やらんと落ちるっちゅうことは、やれば戻るってことです。僕がしばらく見ますから、安心してください」
「ううむ……まーちゃんは父親と違うてわかりやすう喋るの。あの瞬間湯沸器とは似ても似つかんな」
「その分兄貴はそっくりですわ」
はは、と親世代の本家の頭領にも臆せず喋る正嗣に千景は感心し、またあるところが非常に気になった。
「まーちゃん……?」
「ああ、正嗣くんやから、まーちゃんな」
「……なるほど」
「いや、久々に呼ばれましたそれ」
正嗣はまた苦笑している。
そうして残りの夏休みと、新学期にはいってからも、正嗣の授業が無い日の放課後などに、千景は勉強を教えて貰うようになった。体育祭の終わり、気候のよい林の中で、千景とネネコはまったりと茶を飲んでいた。
「まーちゃんてな、結構陰陽師の腕もええんや。次男なのが勿体無いくらいでな。人当たりもええし。そんでうちのおばあちゃんも気に入って、まーちゃんまーちゃんとしょっちゅう呼び出しとったみたい」
分家の顔なぞ知らない者も多い中で、おぼろげながら千景が認識していた理由は、それなりに見かける機会があったから、らしい。
「なんやちーちゃん、マー坊の話ばかりやな。初恋か」
ネネコがからかうと、千景は火照る頬を両手で押さえた。同級生が若い教師に向かって、気にかけてほしそうな口調で話しかけるのを、千景は自分に関係ない、と見ていたが、もう少し年の近い正嗣に淡い恋心を抱いているのは、すでに自覚していた。
「でもなぁ……向こうは本家のお嬢さんに付き合うてくれとるだけやから……」
「あら、そこは特権濫用って手もあるじゃない?」
これは桃だ。
「いざとなったら川に引き摺り込むんは、手伝うからな」
「いやそれはちょっとなぁ……」
中学生女子、式神、メス河童と、女子3人というには濃い取り合わせだが、家絡みのことは大っぴらに話せない千景にとっては、楽しいひとときであった。
「そんで、ちーちゃんはどうすんや」
岸の岩に腰掛け、ネネコは千景が持って来た胡瓜をバリバリ食べながら聞く。2学期にはいっても相変わらず暑いので、胡瓜が美味しい。千景もバリバリ食べながらうーーんと考える。
「うちはなぁ……保母さんがええなと思ったんやけど、親が権力者やとあかんて言うし」
「それな、権力者やなくてもそんな険しい顔しとったら子供逃げるやろ」
「河童に言われとうないわ」
そう言いながら、千景は鞄から雑誌を出す。
「まあうちも、表情とか服とかな、研究しなあかんかと思って」
「色気付いたな」
それは……と慌てる千景からネネコは雑誌受け取る。中学生向けのファッション雑誌には、明るい表情でポーズを決める女子の写真が沢山載っていた。ネネコはどれ、とペラペラめくり、ふと手をとめた。ザンバラ髪の女子が載っているページだ。
「ちーちゃん、これ妖怪ちゃうか。山姥やろ」
「ああ、それな。確かにヤマンバメイクって名前ついとるが、人間やで」
「……ふぅん」
何か考えている素ぶりをしつつ、ネネコはヤマンバメイクのページを食い入るように見ている。気に入ったのか、と、千景は次に来た時ネネコに新しい雑誌をプレゼントすると、これまたネネコは熱心に呼んでいる。
ネネコは人の近くに暮らして長いので、文字は読めるが、固有名詞やギャル語尾などはわからない。いちいち千景が教えると、ふむ、と真顔で頷き、またページを捲るのである。
「親近感でも沸いたかしら?」
「さあなあ。まあまた来るときは違うのを持ってこよう」
そう言いながら千景と桃は帰ったが、テストや部活で忙しく、冬に差し掛かる頃久しぶりに川へ行くと、ネネコの姿は見えず、いくら千景が名前を呼んでも現れなかった。
「龍ちゃん、千景を責めちゃダメよ。むしろ悩みを聞いてあげるのが親っていうものでしょう」
桃が泰然と龍之介を諭す。見かけは十五の少女だが、この式神は龍之介のことも、生まれた時から見ているのだ。ううむ、と龍之介は何も言えなくなったが、桃のことを見ることが出来ない正嗣がいるのを思い出し、バツが悪そうな顔をした。
「本家の式神っちゅうやつですか。ほんまにおるんですなあ」
正嗣が感心したように言う。威厳を出そうと咳払いをした父親に、千景は躊躇いながらも聞いた。
「お父さん、鈴木の次男……この人を家庭教師にって話やが、受験までずっとか」
「いやそんなに長いこと付いてもらおうとは思ってないがな……とりあえず2学期の成績は上げとかんと、本家の娘が勉強できんていうのも対面が悪い」
千景は父の言葉に、体面かと心の中で愚痴を言い大きな溜め息をつく。しかし次の言葉を繋げる前に、千景の肩に手を置き静かに制したのは正嗣だ。
「おじさん、確かに成績下がったのは不安やと思います……けどまあ、やらんと落ちるっちゅうことは、やれば戻るってことです。僕がしばらく見ますから、安心してください」
「ううむ……まーちゃんは父親と違うてわかりやすう喋るの。あの瞬間湯沸器とは似ても似つかんな」
「その分兄貴はそっくりですわ」
はは、と親世代の本家の頭領にも臆せず喋る正嗣に千景は感心し、またあるところが非常に気になった。
「まーちゃん……?」
「ああ、正嗣くんやから、まーちゃんな」
「……なるほど」
「いや、久々に呼ばれましたそれ」
正嗣はまた苦笑している。
そうして残りの夏休みと、新学期にはいってからも、正嗣の授業が無い日の放課後などに、千景は勉強を教えて貰うようになった。体育祭の終わり、気候のよい林の中で、千景とネネコはまったりと茶を飲んでいた。
「まーちゃんてな、結構陰陽師の腕もええんや。次男なのが勿体無いくらいでな。人当たりもええし。そんでうちのおばあちゃんも気に入って、まーちゃんまーちゃんとしょっちゅう呼び出しとったみたい」
分家の顔なぞ知らない者も多い中で、おぼろげながら千景が認識していた理由は、それなりに見かける機会があったから、らしい。
「なんやちーちゃん、マー坊の話ばかりやな。初恋か」
ネネコがからかうと、千景は火照る頬を両手で押さえた。同級生が若い教師に向かって、気にかけてほしそうな口調で話しかけるのを、千景は自分に関係ない、と見ていたが、もう少し年の近い正嗣に淡い恋心を抱いているのは、すでに自覚していた。
「でもなぁ……向こうは本家のお嬢さんに付き合うてくれとるだけやから……」
「あら、そこは特権濫用って手もあるじゃない?」
これは桃だ。
「いざとなったら川に引き摺り込むんは、手伝うからな」
「いやそれはちょっとなぁ……」
中学生女子、式神、メス河童と、女子3人というには濃い取り合わせだが、家絡みのことは大っぴらに話せない千景にとっては、楽しいひとときであった。
「そんで、ちーちゃんはどうすんや」
岸の岩に腰掛け、ネネコは千景が持って来た胡瓜をバリバリ食べながら聞く。2学期にはいっても相変わらず暑いので、胡瓜が美味しい。千景もバリバリ食べながらうーーんと考える。
「うちはなぁ……保母さんがええなと思ったんやけど、親が権力者やとあかんて言うし」
「それな、権力者やなくてもそんな険しい顔しとったら子供逃げるやろ」
「河童に言われとうないわ」
そう言いながら、千景は鞄から雑誌を出す。
「まあうちも、表情とか服とかな、研究しなあかんかと思って」
「色気付いたな」
それは……と慌てる千景からネネコは雑誌受け取る。中学生向けのファッション雑誌には、明るい表情でポーズを決める女子の写真が沢山載っていた。ネネコはどれ、とペラペラめくり、ふと手をとめた。ザンバラ髪の女子が載っているページだ。
「ちーちゃん、これ妖怪ちゃうか。山姥やろ」
「ああ、それな。確かにヤマンバメイクって名前ついとるが、人間やで」
「……ふぅん」
何か考えている素ぶりをしつつ、ネネコはヤマンバメイクのページを食い入るように見ている。気に入ったのか、と、千景は次に来た時ネネコに新しい雑誌をプレゼントすると、これまたネネコは熱心に呼んでいる。
ネネコは人の近くに暮らして長いので、文字は読めるが、固有名詞やギャル語尾などはわからない。いちいち千景が教えると、ふむ、と真顔で頷き、またページを捲るのである。
「親近感でも沸いたかしら?」
「さあなあ。まあまた来るときは違うのを持ってこよう」
そう言いながら千景と桃は帰ったが、テストや部活で忙しく、冬に差し掛かる頃久しぶりに川へ行くと、ネネコの姿は見えず、いくら千景が名前を呼んでも現れなかった。
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