マザーグースは空を飛ぶ

ロジーヌ

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第一章

ただ初夏の夜の夢のごとし

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 それは唐突にやってきた。
 いつもの秋葉原、いつもの喧騒。
 しかし金曜夜の電飾は無秩序で、梅雨時期の湿気が体にまとわりついてくる。先ほどまで降っていた雨は路面をまだらに濡らし、そこに映るにじんだ灯りは侑哉に白昼夢を連想させた。

「解散します」
 ステージ上で、レイはそう言った。
 花子のコスプレカフェで初めて侑哉がレイと会ってから一ヶ月あまり。その間も岩本はせっせとバイト代をつぎこんで、レイが所属する地下アイドルグループのライブに通っていた。
 そして、恋のライバルを除外するよりは推し仲間を増やしてグループに貢献しようとしたのか、岩本は侑哉をライブに誘い出したのだ。興味がない侑哉はずっと断っていたのだが、その日は花子からも誘われ、「チケット代は私が出すよ」の一言で同行を決めた。侑哉にとっては予想外にライブは楽しく、熱気に巻かれて余韻に浸る周囲をしげしげと眺めていたとき、静かにレイが解散宣言をしたのだ。
 楽屋から戻ってきた花子は、侑哉と目が合ったときは一瞬泣き笑いのような表情をしたが、自分のピンクのツインテールを手のひらで整えると、気持ちは落ち着いたようだ。二人で道路に出たところで、ゆっくりと話しだした。
「レイさん、この先を悩んでたんだ。運営には五年お世話になった義理はあるけど、最近は不手際が目立つようになって」
 ほら、と花子が示したのは、劇場表に貼ってあるポスターだ。今より若い、レイの笑顔がある。
「ああいう宣材も更新してくれないし......お給料はもらってたけど、モチベーションが下がるっていうか。同じグループでもある意味ライバルだから、どこまで話したらいいか、って」
 他のメンバーの一人は、違うグループに引き抜かれた らしく、レイも声を掛けられたが断ったらしい。
 そんな細かい事情もレイが花子に話していることに侑 哉は驚いたが、むしろ花子だからこそ言えたのかもしれない。そう思いながら、侑哉はまだ岩本が中にいるはずの劇場を見た。

 解散宣言のあと、岩本は茫然自失し、侑哉が話しかけても上の空だった。しかし、花子が「最後の握手会だよ」と声をかけると、慌てて他のファンたちの波に合流していったのだ。
「レイさん、どうすんのかな」
 一度しか話したことはないが、それでも侑哉に心地よい印象を与えたレイは、芸能に関わる仕事が向いてる、と侑哉は漠然と思った。花子は侑哉の気持ちを読んだのか、ゆっくりと頷く。
「まずは、勉強するんだって。そしてまた人と関わる仕事に就きたいって言ってたよ」
「勉強?」
「短大卒だから、大学三年に編入するか、専門を探すとか。でもまずは、海外旅行したり息抜きしたいんだって」
 そうなんだ、と侑哉はつぶやく。
「まあ、バイトも辞めるけどたまにお客さんとして来てくれるみたいだから、縁があったらまた会えるよ」
 花子が笑うと、ツインテールと紺のプリーツスカートがふわりと揺れた。
 夏服になったセーラー服は、白い生地と紺の襟が、花子のピンクの髪とよく合う。
 侑哉は、花子が口にした「縁」という言葉を心の中で繰り返してみる。
「運、じゃないんだな。普通は、運が良ければ~だろ?」
「そう。運より縁のほうが、強い気がしない? 運任せよりも、縁があるならいつかどこかで必ず会えるって、
 信じられるもん」
 へえ、と侑哉は感心した。本来は高校に通っているはずの花子だが、社会人としてのキャリアは侑哉より上だ。
「良いな、それ」と侑哉が素直に共感すると、花子は嬉しそうに笑う。
 侑哉は花子がどこに住んでいるのかわからないが、遅くなったときはタクシーで帰るよう、親に言われているらしい。タクシー乗り場にはアイドルグッズを山ほど手にした人もいて、混雑している。
「近いんだけどね。この髪で公共交通機関は使わないほうが良い、って、親が」
「別に大丈夫だろ? バンドマンも緑とか青い髪で電車乗ってるし」
「なんかね。外国でパンクな人たちが電車で絡まれてた のを見たんだって。心配してタクシー代もくれてるから、そこは従うのが子供の義務でしょ?」
 花子はそう言い、到着したタクシーに乗り込むと侑哉に手を振った。

  「じゃあね、侑哉。明日、ともさんの店で」
 ドアはすぐに閉められ、花子の告げた行き先は侑哉には聞こえなかったが、さて、と歩きだしたとき、耳にスマホの着信音が聞こえた。侑哉が電話に出ると岩本の半泣きの声が聞こえたが、何を喋っているかわからない。
 大学に入学し、推しアイドルのライブに通うという楽しみを見つけた矢先、突然解散宣言を聞かされた岩本に侑哉も同情を禁じ得ない。しかし、スピーカーからうるさいぐらい聞こえてくる岩本の声は、悲壮感より興奮のほうに感情が振り切れている。

「おいっ! なあっ! レイさんっ! レイさんっっ!がっッッ!」
 握手会でレイと何か喋ったんだろうか、岩本の話は要点を得ず、侑哉が適当に相づちを打っていたら「じゃあな!」と電話は切れた。
「......なんだ?」
 侑哉は呆気に取られたが、元気なら良いだろう、とそのまま一人、帰路についた。
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