8 / 42
第一章
ただ初夏の夜の夢のごとし
しおりを挟む
それは唐突にやってきた。
いつもの秋葉原、いつもの喧騒。
しかし金曜夜の電飾は無秩序で、梅雨時期の湿気が体にまとわりついてくる。先ほどまで降っていた雨は路面をまだらに濡らし、そこに映るにじんだ灯りは侑哉に白昼夢を連想させた。
「解散します」
ステージ上で、レイはそう言った。
花子のコスプレカフェで初めて侑哉がレイと会ってから一ヶ月あまり。その間も岩本はせっせとバイト代をつぎこんで、レイが所属する地下アイドルグループのライブに通っていた。
そして、恋のライバルを除外するよりは推し仲間を増やしてグループに貢献しようとしたのか、岩本は侑哉をライブに誘い出したのだ。興味がない侑哉はずっと断っていたのだが、その日は花子からも誘われ、「チケット代は私が出すよ」の一言で同行を決めた。侑哉にとっては予想外にライブは楽しく、熱気に巻かれて余韻に浸る周囲をしげしげと眺めていたとき、静かにレイが解散宣言をしたのだ。
楽屋から戻ってきた花子は、侑哉と目が合ったときは一瞬泣き笑いのような表情をしたが、自分のピンクのツインテールを手のひらで整えると、気持ちは落ち着いたようだ。二人で道路に出たところで、ゆっくりと話しだした。
「レイさん、この先を悩んでたんだ。運営には五年お世話になった義理はあるけど、最近は不手際が目立つようになって」
ほら、と花子が示したのは、劇場表に貼ってあるポスターだ。今より若い、レイの笑顔がある。
「ああいう宣材も更新してくれないし......お給料はもらってたけど、モチベーションが下がるっていうか。同じグループでもある意味ライバルだから、どこまで話したらいいか、って」
他のメンバーの一人は、違うグループに引き抜かれた らしく、レイも声を掛けられたが断ったらしい。
そんな細かい事情もレイが花子に話していることに侑 哉は驚いたが、むしろ花子だからこそ言えたのかもしれない。そう思いながら、侑哉はまだ岩本が中にいるはずの劇場を見た。
解散宣言のあと、岩本は茫然自失し、侑哉が話しかけても上の空だった。しかし、花子が「最後の握手会だよ」と声をかけると、慌てて他のファンたちの波に合流していったのだ。
「レイさん、どうすんのかな」
一度しか話したことはないが、それでも侑哉に心地よい印象を与えたレイは、芸能に関わる仕事が向いてる、と侑哉は漠然と思った。花子は侑哉の気持ちを読んだのか、ゆっくりと頷く。
「まずは、勉強するんだって。そしてまた人と関わる仕事に就きたいって言ってたよ」
「勉強?」
「短大卒だから、大学三年に編入するか、専門を探すとか。でもまずは、海外旅行したり息抜きしたいんだって」
そうなんだ、と侑哉はつぶやく。
「まあ、バイトも辞めるけどたまにお客さんとして来てくれるみたいだから、縁があったらまた会えるよ」
花子が笑うと、ツインテールと紺のプリーツスカートがふわりと揺れた。
夏服になったセーラー服は、白い生地と紺の襟が、花子のピンクの髪とよく合う。
侑哉は、花子が口にした「縁」という言葉を心の中で繰り返してみる。
「運、じゃないんだな。普通は、運が良ければ~だろ?」
「そう。運より縁のほうが、強い気がしない? 運任せよりも、縁があるならいつかどこかで必ず会えるって、
信じられるもん」
へえ、と侑哉は感心した。本来は高校に通っているはずの花子だが、社会人としてのキャリアは侑哉より上だ。
「良いな、それ」と侑哉が素直に共感すると、花子は嬉しそうに笑う。
侑哉は花子がどこに住んでいるのかわからないが、遅くなったときはタクシーで帰るよう、親に言われているらしい。タクシー乗り場にはアイドルグッズを山ほど手にした人もいて、混雑している。
「近いんだけどね。この髪で公共交通機関は使わないほうが良い、って、親が」
「別に大丈夫だろ? バンドマンも緑とか青い髪で電車乗ってるし」
「なんかね。外国でパンクな人たちが電車で絡まれてた のを見たんだって。心配してタクシー代もくれてるから、そこは従うのが子供の義務でしょ?」
花子はそう言い、到着したタクシーに乗り込むと侑哉に手を振った。
「じゃあね、侑哉。明日、ともさんの店で」
ドアはすぐに閉められ、花子の告げた行き先は侑哉には聞こえなかったが、さて、と歩きだしたとき、耳にスマホの着信音が聞こえた。侑哉が電話に出ると岩本の半泣きの声が聞こえたが、何を喋っているかわからない。
大学に入学し、推しアイドルのライブに通うという楽しみを見つけた矢先、突然解散宣言を聞かされた岩本に侑哉も同情を禁じ得ない。しかし、スピーカーからうるさいぐらい聞こえてくる岩本の声は、悲壮感より興奮のほうに感情が振り切れている。
「おいっ! なあっ! レイさんっ! レイさんっっ!がっッッ!」
握手会でレイと何か喋ったんだろうか、岩本の話は要点を得ず、侑哉が適当に相づちを打っていたら「じゃあな!」と電話は切れた。
「......なんだ?」
侑哉は呆気に取られたが、元気なら良いだろう、とそのまま一人、帰路についた。
いつもの秋葉原、いつもの喧騒。
しかし金曜夜の電飾は無秩序で、梅雨時期の湿気が体にまとわりついてくる。先ほどまで降っていた雨は路面をまだらに濡らし、そこに映るにじんだ灯りは侑哉に白昼夢を連想させた。
「解散します」
ステージ上で、レイはそう言った。
花子のコスプレカフェで初めて侑哉がレイと会ってから一ヶ月あまり。その間も岩本はせっせとバイト代をつぎこんで、レイが所属する地下アイドルグループのライブに通っていた。
そして、恋のライバルを除外するよりは推し仲間を増やしてグループに貢献しようとしたのか、岩本は侑哉をライブに誘い出したのだ。興味がない侑哉はずっと断っていたのだが、その日は花子からも誘われ、「チケット代は私が出すよ」の一言で同行を決めた。侑哉にとっては予想外にライブは楽しく、熱気に巻かれて余韻に浸る周囲をしげしげと眺めていたとき、静かにレイが解散宣言をしたのだ。
楽屋から戻ってきた花子は、侑哉と目が合ったときは一瞬泣き笑いのような表情をしたが、自分のピンクのツインテールを手のひらで整えると、気持ちは落ち着いたようだ。二人で道路に出たところで、ゆっくりと話しだした。
「レイさん、この先を悩んでたんだ。運営には五年お世話になった義理はあるけど、最近は不手際が目立つようになって」
ほら、と花子が示したのは、劇場表に貼ってあるポスターだ。今より若い、レイの笑顔がある。
「ああいう宣材も更新してくれないし......お給料はもらってたけど、モチベーションが下がるっていうか。同じグループでもある意味ライバルだから、どこまで話したらいいか、って」
他のメンバーの一人は、違うグループに引き抜かれた らしく、レイも声を掛けられたが断ったらしい。
そんな細かい事情もレイが花子に話していることに侑 哉は驚いたが、むしろ花子だからこそ言えたのかもしれない。そう思いながら、侑哉はまだ岩本が中にいるはずの劇場を見た。
解散宣言のあと、岩本は茫然自失し、侑哉が話しかけても上の空だった。しかし、花子が「最後の握手会だよ」と声をかけると、慌てて他のファンたちの波に合流していったのだ。
「レイさん、どうすんのかな」
一度しか話したことはないが、それでも侑哉に心地よい印象を与えたレイは、芸能に関わる仕事が向いてる、と侑哉は漠然と思った。花子は侑哉の気持ちを読んだのか、ゆっくりと頷く。
「まずは、勉強するんだって。そしてまた人と関わる仕事に就きたいって言ってたよ」
「勉強?」
「短大卒だから、大学三年に編入するか、専門を探すとか。でもまずは、海外旅行したり息抜きしたいんだって」
そうなんだ、と侑哉はつぶやく。
「まあ、バイトも辞めるけどたまにお客さんとして来てくれるみたいだから、縁があったらまた会えるよ」
花子が笑うと、ツインテールと紺のプリーツスカートがふわりと揺れた。
夏服になったセーラー服は、白い生地と紺の襟が、花子のピンクの髪とよく合う。
侑哉は、花子が口にした「縁」という言葉を心の中で繰り返してみる。
「運、じゃないんだな。普通は、運が良ければ~だろ?」
「そう。運より縁のほうが、強い気がしない? 運任せよりも、縁があるならいつかどこかで必ず会えるって、
信じられるもん」
へえ、と侑哉は感心した。本来は高校に通っているはずの花子だが、社会人としてのキャリアは侑哉より上だ。
「良いな、それ」と侑哉が素直に共感すると、花子は嬉しそうに笑う。
侑哉は花子がどこに住んでいるのかわからないが、遅くなったときはタクシーで帰るよう、親に言われているらしい。タクシー乗り場にはアイドルグッズを山ほど手にした人もいて、混雑している。
「近いんだけどね。この髪で公共交通機関は使わないほうが良い、って、親が」
「別に大丈夫だろ? バンドマンも緑とか青い髪で電車乗ってるし」
「なんかね。外国でパンクな人たちが電車で絡まれてた のを見たんだって。心配してタクシー代もくれてるから、そこは従うのが子供の義務でしょ?」
花子はそう言い、到着したタクシーに乗り込むと侑哉に手を振った。
「じゃあね、侑哉。明日、ともさんの店で」
ドアはすぐに閉められ、花子の告げた行き先は侑哉には聞こえなかったが、さて、と歩きだしたとき、耳にスマホの着信音が聞こえた。侑哉が電話に出ると岩本の半泣きの声が聞こえたが、何を喋っているかわからない。
大学に入学し、推しアイドルのライブに通うという楽しみを見つけた矢先、突然解散宣言を聞かされた岩本に侑哉も同情を禁じ得ない。しかし、スピーカーからうるさいぐらい聞こえてくる岩本の声は、悲壮感より興奮のほうに感情が振り切れている。
「おいっ! なあっ! レイさんっ! レイさんっっ!がっッッ!」
握手会でレイと何か喋ったんだろうか、岩本の話は要点を得ず、侑哉が適当に相づちを打っていたら「じゃあな!」と電話は切れた。
「......なんだ?」
侑哉は呆気に取られたが、元気なら良いだろう、とそのまま一人、帰路についた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる