28 / 42
第三章
人にも本にも歴史あり(1)
しおりを挟む
花子が、バイトをやめてシンガポールへ行くまでは、あっという間だった。
大学祭のあと、侑哉はなんとなく花子のバイト先であるコスプレカフェへ行きづらく、また花子も、侑哉が何故かレポート提出などのため古書店にいない日に限ってやってくる。そしてすれ違いもあり会えない日々が続き、かろうじてラインで会話をしていたのだが、「いってきまーす」という軽い連絡がきたのは、まさに花子が発つその時で、侑哉は見送りもできなかったのある。
「なんかねえ、あっさり行っちゃったなあ」
着々と増えていくお手製樹脂粘土フィギュアの列に新作を並べながら、友義はぽつりと呟く。レジのすぐ隣の棚にあるフィギュアコーナーの一番端には、花子によく似たツインテールの女子人形が飾られている。大学のテストは年明けだが、持ち込み可のものやメール提出のものもあるので、侑哉は古書店の定位置に座り、形だけの勉強をしていた。
「海外って、そんな早く行けるもんなの?」
レイがイギリスへ行ったときも侑哉は不思議に思ったの だが、友義は「親御さんはあちらにいるし、前から準備してたんだろう」と、なんでもないふうに言った。
「パスポートはあるだろうし、学校行ってるわけじゃあないからねえ」
転校手続きがないだけでもかなり楽だろうと友義は言う。そんなもんか、と侑哉は溜め息をついた。
「寂しそうだねえ」
暗い表情の侑哉を見て、友義がにやにやしながら言った。
「いっそ、すきだー! とか告白しちゃえば良かったんじゃないの?」
「おじさん......だからそんなんじゃないから」
「いやいや、言ってしまうと自覚するかもしれないよ?」
そこでふと、侑哉はかねてからの疑問を友義にぶつけてみた。
「おじさんはさ、なんで独身なの」
親戚の集まりや、たまに友義が家に遊びにきたときも、両親がいたところではなんとなく聞きづらかったのだ。
しかし友義の妹である母の美弥に聞いても「さあ?」と言うばかりだし、そこまで外野、ましてや甥である侑哉が掘り下げる話題でもなく、謎は謎のままだった。侑哉は、ひょっとしたら伯父の予想外のドラマチックな話が聞けるかと内心わくわくしたが、友義の返事はただ「縁がなかったから」だけだった。
「うーん......俺はこの店でのんびりやるのが性に合ってるわけだけど、それはつまんないって言われるわけよ」
「つまんない?」
友義は、そう、と言う。
「大学出たのに、就職しないで何年もバックパッカーして、帰国して親の持ってるビルで古書店継いで......俺のそういう生活を、野心がないって思うらしいねえ、女性は」
野心、と侑哉は店を見回した。友義も、侑哉と同じ大学の出身なのだ。どうりで教授たちに知り合いが多いはず、と、改めて侑哉は学術書が沢山並ぶ本棚を見た。
「でもねえ、ここでサラリーマンとか学生とか、いろんな人を見るわけよ。それでたまに、本について聞かれたりする。自分がすすめた本が誰かの人生の鍵になって、新しい事業や製品が生まれるきっかけになることもある」
そこで友義は、にやっと笑った。
「影の支配者みたいで面白くない?」
侑哉は、以前に友義に言われたことを思い出した。すすめた本が誰かに響くのが嬉しい、と。確かに侑哉も、自分が何気なく言ったことがきっかけで、安田書房の親子が新しい試みをしたことは、単に知り合いが何かをした事実を聞くより数倍嬉しく感じられた。
「ま、影の支配者は冗談だとしても」
友義はカウンターの内側にある椅子の背もたれに、ゆ ったり寄りかかる。それなりに年期の入った椅子は、ぎしりと音を立てた。
「本が、好きだからだね、一番の理由は」
侑哉は店内を見渡した。本がぎっしり詰まった棚の手前に、ところどころ雑然と積まれていたりする。
「大きな書店じゃあ見なくなった本が、いろんな事情でやってくるんだ。そういうのを見聞きするのも面白い。中身も、渡ってきた経緯もさ、本にはいろんな人の人生が凝縮されてるんだよ」
侑哉は、適当に本を手にとり、めくってみる。なんていうことのない本だが、誰かに一度は誰かに選ばれた本なのだ。そう考えると、どういう思いで見知らぬ人がその本を読もうとしたのか、または読まずに売ってしまったのか。いろいろなことを勝手に想像してしまう。
「おじさんて、若い頃から老成してたんだね......」
侑哉は小さい時から父親とはまるで違う雰囲気の伯父を不思議に思っていたのもあり、率直な感想を口にしたのだが、友義は苦笑して首を振る。
「いやいや、さすがに二十歳やそこらの若造には、そんなに他人の人生を語れるほどの厚みはなかったよ」
そこで、ぎい、とドアがあいて、客が入ってきた。いらっしゃい、と友義が言うと、まっすぐレジカウンターまでその客はやってきて、挨拶もそこそもに、手にした紙袋から古びた本を数冊出す。客は四十代半ばくらいの男性で、平日だが私服だ。身なりは小ぎれいなので勤め人ではあるだろう。しかし古書店に来ることはめったにないのか、やや緊張気味で友義に向かって話し出す。
「なんか......チェーン店より個人のお店のほうが良いって、友人に聞いたので......」
カウンターに詰まれた本を見ても、侑哉には価値があるかないのかわからない。しかしチェーン店なら、本が汚いという理由で販売対象にならず、投げ売りか廃棄になるかもしれないが、確かにここならマニアな顧客が買っていくかも......などと侑哉が漠然と思っていると、友義が意外なことを言った。
「これ、公共の資料館か大学に寄贈したほうがいいかもしれませんね。知り合いに聞いてみましょう。預かって構いませんかね」
客は、驚いた顔をした。
「どうかしましたか?」
友義が穏やかな口調で聞くと、男性はためらいがちに話す。
「実は......父の遺品なんですけど、まとめて家族が処分 すると言い出しまして、とりあえず、難しそうな本は価値があるのかも、と家族を説き伏せて試しに数冊持ってきたんですが......」
どうやら男性は、有給を取ってわざわざ古書店街に来たらしい。
大学祭のあと、侑哉はなんとなく花子のバイト先であるコスプレカフェへ行きづらく、また花子も、侑哉が何故かレポート提出などのため古書店にいない日に限ってやってくる。そしてすれ違いもあり会えない日々が続き、かろうじてラインで会話をしていたのだが、「いってきまーす」という軽い連絡がきたのは、まさに花子が発つその時で、侑哉は見送りもできなかったのある。
「なんかねえ、あっさり行っちゃったなあ」
着々と増えていくお手製樹脂粘土フィギュアの列に新作を並べながら、友義はぽつりと呟く。レジのすぐ隣の棚にあるフィギュアコーナーの一番端には、花子によく似たツインテールの女子人形が飾られている。大学のテストは年明けだが、持ち込み可のものやメール提出のものもあるので、侑哉は古書店の定位置に座り、形だけの勉強をしていた。
「海外って、そんな早く行けるもんなの?」
レイがイギリスへ行ったときも侑哉は不思議に思ったの だが、友義は「親御さんはあちらにいるし、前から準備してたんだろう」と、なんでもないふうに言った。
「パスポートはあるだろうし、学校行ってるわけじゃあないからねえ」
転校手続きがないだけでもかなり楽だろうと友義は言う。そんなもんか、と侑哉は溜め息をついた。
「寂しそうだねえ」
暗い表情の侑哉を見て、友義がにやにやしながら言った。
「いっそ、すきだー! とか告白しちゃえば良かったんじゃないの?」
「おじさん......だからそんなんじゃないから」
「いやいや、言ってしまうと自覚するかもしれないよ?」
そこでふと、侑哉はかねてからの疑問を友義にぶつけてみた。
「おじさんはさ、なんで独身なの」
親戚の集まりや、たまに友義が家に遊びにきたときも、両親がいたところではなんとなく聞きづらかったのだ。
しかし友義の妹である母の美弥に聞いても「さあ?」と言うばかりだし、そこまで外野、ましてや甥である侑哉が掘り下げる話題でもなく、謎は謎のままだった。侑哉は、ひょっとしたら伯父の予想外のドラマチックな話が聞けるかと内心わくわくしたが、友義の返事はただ「縁がなかったから」だけだった。
「うーん......俺はこの店でのんびりやるのが性に合ってるわけだけど、それはつまんないって言われるわけよ」
「つまんない?」
友義は、そう、と言う。
「大学出たのに、就職しないで何年もバックパッカーして、帰国して親の持ってるビルで古書店継いで......俺のそういう生活を、野心がないって思うらしいねえ、女性は」
野心、と侑哉は店を見回した。友義も、侑哉と同じ大学の出身なのだ。どうりで教授たちに知り合いが多いはず、と、改めて侑哉は学術書が沢山並ぶ本棚を見た。
「でもねえ、ここでサラリーマンとか学生とか、いろんな人を見るわけよ。それでたまに、本について聞かれたりする。自分がすすめた本が誰かの人生の鍵になって、新しい事業や製品が生まれるきっかけになることもある」
そこで友義は、にやっと笑った。
「影の支配者みたいで面白くない?」
侑哉は、以前に友義に言われたことを思い出した。すすめた本が誰かに響くのが嬉しい、と。確かに侑哉も、自分が何気なく言ったことがきっかけで、安田書房の親子が新しい試みをしたことは、単に知り合いが何かをした事実を聞くより数倍嬉しく感じられた。
「ま、影の支配者は冗談だとしても」
友義はカウンターの内側にある椅子の背もたれに、ゆ ったり寄りかかる。それなりに年期の入った椅子は、ぎしりと音を立てた。
「本が、好きだからだね、一番の理由は」
侑哉は店内を見渡した。本がぎっしり詰まった棚の手前に、ところどころ雑然と積まれていたりする。
「大きな書店じゃあ見なくなった本が、いろんな事情でやってくるんだ。そういうのを見聞きするのも面白い。中身も、渡ってきた経緯もさ、本にはいろんな人の人生が凝縮されてるんだよ」
侑哉は、適当に本を手にとり、めくってみる。なんていうことのない本だが、誰かに一度は誰かに選ばれた本なのだ。そう考えると、どういう思いで見知らぬ人がその本を読もうとしたのか、または読まずに売ってしまったのか。いろいろなことを勝手に想像してしまう。
「おじさんて、若い頃から老成してたんだね......」
侑哉は小さい時から父親とはまるで違う雰囲気の伯父を不思議に思っていたのもあり、率直な感想を口にしたのだが、友義は苦笑して首を振る。
「いやいや、さすがに二十歳やそこらの若造には、そんなに他人の人生を語れるほどの厚みはなかったよ」
そこで、ぎい、とドアがあいて、客が入ってきた。いらっしゃい、と友義が言うと、まっすぐレジカウンターまでその客はやってきて、挨拶もそこそもに、手にした紙袋から古びた本を数冊出す。客は四十代半ばくらいの男性で、平日だが私服だ。身なりは小ぎれいなので勤め人ではあるだろう。しかし古書店に来ることはめったにないのか、やや緊張気味で友義に向かって話し出す。
「なんか......チェーン店より個人のお店のほうが良いって、友人に聞いたので......」
カウンターに詰まれた本を見ても、侑哉には価値があるかないのかわからない。しかしチェーン店なら、本が汚いという理由で販売対象にならず、投げ売りか廃棄になるかもしれないが、確かにここならマニアな顧客が買っていくかも......などと侑哉が漠然と思っていると、友義が意外なことを言った。
「これ、公共の資料館か大学に寄贈したほうがいいかもしれませんね。知り合いに聞いてみましょう。預かって構いませんかね」
客は、驚いた顔をした。
「どうかしましたか?」
友義が穏やかな口調で聞くと、男性はためらいがちに話す。
「実は......父の遺品なんですけど、まとめて家族が処分 すると言い出しまして、とりあえず、難しそうな本は価値があるのかも、と家族を説き伏せて試しに数冊持ってきたんですが......」
どうやら男性は、有給を取ってわざわざ古書店街に来たらしい。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件
こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
『専属メイド全員が重すぎる愛で迫ってくる!~大学生の僕、11人?の美女に24時間甘やかされ尽くす生活~』
まさき
青春
僕は、ちょっと普通じゃない日常を送ることになった――それは、専属メイドが全員僕のことを溺愛してくれる暮らしだ。
朝は髪を整えてくれるリナ、朝食で笑顔を見せてくれるミユ、どの瞬間も全力で僕を甘やかす。掃除、料理、悩み相談まで、僕のためだけに動くメイドたち。
「ご主人様の笑顔が見たいんです」
その一言で、僕の毎日はちょっとドキドキ、ちょっと幸せ。
全員が僕を独占したいと競い合う日常の中、僕はどうやってこの溺愛地獄(?)を生き抜けばいいのか――!?
甘々、至れり尽くせりの日常ラブコメ、開幕。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる