遥かなる恋人に

ono

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愛を遠くに見つめて

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 特に心待ちにしていたわけでもない土曜日つちようびがやってきて、王宮の北棟にある召喚の間――私がこの世界に呼び出された場所――は、厳かな挙式会場へと姿を変えていた。
 壁に国旗と来賓の方々の紋章が掲げられ、床は真紅の絨毯が敷き詰められている。
「マリ様、お美しいですわ……」
 ミリアが感極まった様子で私を見つめていた。
 セージグリーンのドレスに身を包み、アクセサリーで大袈裟なほど飾り立てた私は、鏡で見ても別人のようだった。聖女っぽい。そして花嫁っぽい。
 ぽいっていうか、そのものではあるのだが。

 遠方からも貴族諸侯が集まり、見た目は豪華で神聖な雰囲気だ。でも式次第の中身はどちらかというと騎士の叙勲式のように粛々としていて恋愛ムードはまったくない。
 ……重い。心の声が漏れないように必死で口を引き結んだ。
 ウェディングドレスは最高級のシルクと金糸をふんだんに使った逸品で、物理的に重い。それはもう鋼鉄の鎧かと思うほど。
 でっかいエメラルドが嵌まったティアラとネックレスも首にくる。私の椎間板が悲鳴をあげていた。聖女業務は貧弱ニートでもこなせるけれど、花嫁稼業にはそれなりの筋肉が必要なようだ。

 祭壇の前に神官長セルギウスが立ち、その隣にディートリヒが控えている。深紅の礼服に身を包み、端から見れば厳粛な儀式に臨む真剣な表情に見えるだろう。
 しかしゆっくりと近づくたびに、「ああ、本当はここにエリーゼが立っててほしかったなあ」という未練たらたらの本音が見えてくる。ご愁傷様です。
 それでもディートリヒは隣に立った私に穏やかに告げた。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」

 セルギウスの厳かな声から式が始まった。
「本日ここに、王太子ディートリヒ・ギュンター・フォン・エルハーフェンと、聖女ウツギ・マリの婚姻の儀式を執り行う」
 長い祝詞を聞かされるでもなく、宣誓の言葉はシンプル極まりない。
「ディートリヒ・ギュンター・フォン・エルハーフェン。汝はこの女性を妻とし、共に王国を支えることを誓うか」
「誓う」
「聖女ウツギ・マリ。汝はこの男性を夫とし、共に王国を支えることを誓うか」
「誓います」
「ここに、二人の婚姻が成立したことを宣言する」
 当然のこと、キスもない。ただ形式的に約束を交わし、指輪を交換するだけだ。それがまた会場の参列客には「色欲を感じさせない清廉潔白な儀式」として映ったようだった。
 ディートリヒによる完璧なプレゼンテーション。素っ気ない省エネ結婚式で、とてもよかった。

 式典の後は大広間に豪華な料理が運び込まれ、披露宴という名のお食事会となる。おいしいものを食べて、適当に歓談して帰るというスタイル。これは良い。非常に良い。
 目の前には素晴らしいオードブルが並んでいる。フォアグラのテリーヌ、キャビア的な何かが乗ったクラッカー、金箔を散らしたスープ。
 ミリアが腹周りがゆったりしたドレスを用意してくれたから私もある程度は食べることができる。
 問題は、檀上に陣取った私たちのもとには挨拶にくる人が絶えないということだ。食事にうつつを抜かす隙がない。

「おめでとうございます、王太子殿下、妃殿下」
「今後ともエルハーフェン王国をよろしくお願いいたしますわ」
「聖女様と殿下の婚姻、誠に喜ばしく……」
 同じような言葉が繰り返される中、私は笑顔を貼りつけて頷き続けた。お腹すいたよ、ディートリヒ。
 新郎であるディートリヒは慣れきった優雅な態度で次々と挨拶を捌いていく。でも彼の意識は時々、会場のある一点に向けられていた。

 参列者の中には当然、オルデンブルク伯爵令嬢であるエリーゼもいた。髪色に合わせて淡いピンクのドレスを着た彼女は普段以上に可憐で美しい。
 その隣には厳ついおじさんが立っている。おそらくあれがオルデンブルク伯爵なのだろう。眼光は鋭く、どう見ても歴戦の猛将か裏社会のドン。似ても似つかない父娘だ。
 そしてちゃっかり身内みたいな顔をしてフェリクスも混じっている。すでに伯爵公認なのか。あっちはあっちで有能だ。

 玉の輿計画が盤石になりつつあってご機嫌なフェリクスと、婚約破棄騒動が片づいてほくほくの伯爵はともかくとして。
 エリーゼが、ディートリヒと同じくらい消沈している様子なのが意外だった。
 彼女は笑顔を浮かべているけれど、どこか心ここにあらずの雰囲気がある。

 食事会が落ち着いた頃、諸侯の対応をディートリヒに押しつけて私はエリーゼのもとに向かった。
「マリ……、おめでとうございます」
 気品に満ちたカーテシーにもなんとなく力がない気がする。
「ありがとう。エリーゼ、大丈夫? なんか顔色が優れないみたいだけど」
「え? い、いえ、そんなことは……あなたとディートリヒ様が幸せそうで、わたくし、とても嬉しいです」
 どこが? 目の前に並んだご馳走を口に運ぶ暇がなくて私はまったく幸せではない。じゃなくて、いつも素直なはずのエリーゼは言葉と裏腹にちっとも嬉しそうではなかった。

 シャンパングラスを二つ手に、フェリクスが現れる。
「マリ殿、おめでとうございます。こちらをどうぞ」
「お、ありがとう」
 もう一つをエリーゼにそっと渡しながら、彼はさらりとえげつないことを聞いた。
「エリーゼ様。もしや殿下が他の女性と結婚しておつらいのでは?」
「ええ?」
 エリーゼはディートリヒを敬愛してはいても男としては見ていなかった。ディートリヒ本人もそれを痛感していた。その男の結婚で落ち込むこともないように思うけれど。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、エリーゼは首を傾げる。
「つ、つらい? わたくしが? だって、結婚式ですのに。最もめでたく、祝福すべきことですわ」
「幼い頃からお慕いしていた殿下が、自分ではない誰かの夫となられた。胸に穴が開いたような、そんな喪失感はありませんか?」
 恋愛感情を理解できない幼子を丁寧に教え導くような言葉だ。
「そう……なのかしら。わたくし、お二人の結婚を祝福する気持ちは真実ですのに……」
 ぎゅっと胸の前で手を握り、エリーゼは困惑している。
「わたくしがあの方の隣に立っていられなかったこと。なんだか、悲しいのです」
「ご自分でも気づかれぬうちに、ディートリヒ殿下を心から愛しておられたのですね」
 フェリクス、あなたはエリーゼを口説いている立場でしょうに、何をしみじみと感心しているんだ。とは思いつつ。
 もしかしてエリーゼは持ち前の鈍感を発揮して一切の自覚がなかっただけで、意外とディートリヒに対してちゃんとした恋心を抱いていたのだろうか。自覚がないから表にも出なかっただけで?

 エリーゼはなおも困惑した様子で首を傾げている。
「わたくし、もちろんディートリヒ様を愛しておりましたわ。だって婚約者でしたもの。ですがディートリヒ様はマリを選ばれたのです。ショックでしたけれど、ディートリヒ様の選択ですもの、納得しております」
「一人の女性が一人の男性の愛を失えば、嫉妬するのが普通ですよ」
「嫉妬、ですか……考えもしませんでした……」
 エリーゼにはあまりにも縁がない感情だから気づかなかったのだろう。ディートリヒが他に愛する人を見つけたことへの祝福が先に立ちすぎて、自分もまたディートリヒに惹かれていた事実が二の次になっていたのだ。
 合理的利他主義が過ぎるエリーゼらしくはある。

 それにしてもフェリクスは彼女にそんな自覚を抱かせていいのだろうか。これを機にエリーゼが「わたくし、ディートリヒ様に操を立てて一生結婚しませんわ!」なんて決意を固めたらどうするのだろう。
 そう思って彼を見る。私の視線に気づいてフェリクスが振り返った。
「自分の気持ちは自分で掌握しておくべきですよ」
「まあ、そうなんだけどさ。……フェアだねー」
「俺自身の利にもなりますから」
 かつてディートリヒとの政略婚約を難なく受け入れ、婚約者として彼を愛したように、恋を自覚しなくてもエリーゼは新たな求婚者と結ばれることができるだろう。そしてその博愛でもって別の相手フェリクスをまた心から愛するのだ。
 しかしそれが敬愛とは区別される恋愛なのだと自覚があれば、次へのステップはよりスムーズになる。確かに自覚させたほうがフェリクスにとってもいいことか。

 壇上ではディートリヒが生ける屍のように来賓を捌き続けている。そして貴賓席ではエリーゼが本当の恋愛というものに遭遇して混乱している。
 恋愛にうつつを抜かしていられる世界なら結ばれることができたはずの、愛し合う二人。
「……ままならないねえ」
「ええ。やはり愛などという不確定なものより、信ずるべきは金ですよ」
 もうエリーゼの前でも素を出してくるようになったな、この騎士様。出しても問題ない盤石の仲になりつつあるということか。

「エリーゼ様。結婚式で泣くほどに、貴女は心から殿下を愛していた。それは良いことではありませんか?」
 落ち込んでいるだけで泣いてはいなかった気がする。
「フェリクス様……ええ、そうですわね。わたくし、ディートリヒ様を愛したことを後悔してはおりません。あの方への敬愛は変わりませんわ」
 その下心のない愛が現在進行形でディートリヒをへこませているのだけれども。
「愛は水物です。貴女が新たな愛を見つければ、殿下も一層お幸せに感じることでしょう」
 そしてその相手が自分であればとってもお得、というわけだ。本当に現金なやつ。しかもそれが誠実に機能しているのだから恐ろしい。

 祝宴は恙無く続いている。ようやく客足が途切れた壇上に戻り、ディートリヒの隣に腰をおろした。
「君はずるい。気楽にエリーゼと話せて」
「それが新婦を迎える新郎の台詞ですか」
 さすがは純情ストーカー、諸侯と話しながらでもしっかりエリーゼの様子を見守っていたようだ。

「エリーゼって、意外と殿下のことちゃんと好きだったみたいですよ」
「人として、ならそうだろう」
「自分に対して過小評価なんじゃないですか。わりと真っ当な恋愛感情に見えましたけど」
「ならば明確な恋に育つ前に断って正解だったということだ」
 それは、そうかもしれない。

 ディートリヒが熱烈にエリーゼを愛し、エリーゼもまた自覚的にディートリヒに恋をしていたら。互いへの恋愛感情のために恙無く結婚してしまって、エリーゼが王太子妃になったら。
 彼女の無秩序な善意によって国が滅びるか、その重責によってエリーゼの心が潰れるか、あるいはそれを避けるためにエリーゼという人間の無垢さは失われ、変わり果てた何かになってしまうのか。
 愛し合っているから結ばれなくてよかったなんて、気の毒な話だ。
「婚約破棄おめでとうございましたってところですね」
「挙式の場で言っていいことではないな……縁起が悪い」

 魔法の力によって冷えることのないスープにありつきながら、益体もないことを想像してみる。
 変な結婚式だ。でもこんな形でなければ私は一生結婚なんてしなかった。
 もし私が『ここ』にきたのではなく、彼らが『あっち』に現れていたら、ディートリヒとエリーゼは何の障害もなく愛し合って結婚できていたのかもしれない。
 そして私は案外フェリクスとでも業務提携婚姻契約を締結していたのではないだろうか。

 ともあれ私は聖女兼正式な王太子妃となり、ディートリヒは無事に退路を断って、フリーとなったエリーゼは自分の中に恋愛感情という新たな機能を発見した。あとは今まで以上にフェリクスがうまくやるだろう。
 愛は遠く、然して皆が適材適所におさまったのだ。
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