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本当に何をやっているのだろう。

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「それよりもこの、内容だ」
「ああうん、どんな感じ?」
 ちょっとだけ優しくなったスクは、ただでさえ読めない文字を格子ごしに背伸びして見下ろした。
 読めなくとも雑な、しかし熱意のこもった文字が踊っているのがわかる。
「どんな……そうだな、この……あたりは、男ならば強引に行けなどと」
「……どうかなあ?」
 初っ端からそれか。それなのか。
 それはどうだろうかと思う。が、ことエメラードに限っては、それで正しいのかもしれない。苦悩されても時間がかかり、苦しみが長引くだけである。
(いやいやいや)
 それを差し引いても、慣れない男が強引に行くのはまずい。
「そのへんは気持ちの問題じゃないかな?」
「気持ち……」
「心構えであって、現実はもうちょっとこう……複雑だから」
「……ふむ」
 エメラードは眉間にしわを作った。
 そもそも強気になれる心境ではないのだろう。
「というかそのへんは前置きじゃない? 深く考えずに実践的にいこう」
 考えすぎて自棄になられては困るし、長年耐え続けてきた彼の心の強度が心配である。
「そうは言うが……」
「まあ、王様の命令だと思ってさ、適当に」
「王命を適当にするわけにはいかない」
「あ、そか。……そうだな~……」
 スクとしては上司の命令など適当にやるものだが、エメラードにとってはそうではない。わけがわからないが、そういう人間なのだから仕方がない。
「じゃあ……何、なんか、深く考えず……」
「深く考えずにこのようなことをするのは、人間の所業ではない……」
 だとするとあの王はどうなるのだろう。
 エメラードの精神を慮って言わなかった。忠義の士に、あなたの仕えてる王ってクソですよと言うのは優しくない。
「一回人間やめてみるとか!」
 ではと明るく言ってみたが、エメラードは沈痛に首を振るばかりだ。
「やらざるをえない以上、できる限り、その……人道的にやりたい」
「人道的に」
「そう、そうだ。どのようにすればよいか、私はおまえに聞くべきだった」
「えぇ……ああ、うん」
 まあそうである。
 被害者に聞く加害者の図というと頭がおかしいが、人道的にしたいならそうだ。当人に聞くのが一番だ。
「どうすればいい」
 エメラードは格子から距離を取り、牢番用の机についていながら、わずかに頭を下げた。できるなら近づいて教えを乞いたいという顔だ。
 自分より大きな男でありながら、ずいぶん愛らしい仕草であった。スクはつい胸がきゅんとする。育ちのいい子供はかわいくてずるい。
「教えてくれ」
 スクが胸を押さえて黙ってしまったので、エメラードは重ねて聞いてきた。素直だ。そしてどう考えても囚人を襲う役には向かない。
「……とりあえずさ、あんた穴……えーっと」
 穴の場所を知っているのか?
 という問いをしかけたが、たぶん上品ではない気がする。
(穴……お尻……っていうか知ってるだろ)
 尻の位置に個人差がそれほどあるとも思えない。貴族だって人間のはずだ。
「なんだ。はっきり言ってくれ」
 エメラードは身を乗り出し、真面目に聞く姿勢である。んんん、とスクは牢の天井を見上げ、救いのクッションに抱きついた。
 まあ遠慮しても仕方がない。
 このくらいで壊れる精神でないことを願おう。
「まずさ、こうやって、」
 スクはころりと横になり、エメラードに向けて足を開いてみせた。粗末だが清潔な服をもらっているので、中身が見えたりはしない。
「……うむ……」
 なんともいえない「うむ」だった。困惑と、それからやはり真面目さのにじむ声だ。
「穴がここ。わかる?」
 スクだって何をやっているんだろうと思っている。お上品でない環境で育ったスクだが、人に自分の穴の位置を教えたことはない。
 初めての経験だ。
 すごく……変である。
「それはわかっている」
 殴られて足を開かされるよりずっと平和的だし痛くない。しかし悲しいかな、スクはそちらの方が慣れている。わけのわからない状況には落ち着かない。
(生き残ったら笑い話に……なるかなこれ?)
 どういう相手に話したら笑ってくれるのだろう。
「ほんとにわかってる? 感覚的に……」
「感覚……」
 エメラードが眉を寄せ、自分の指をわずかに動かした。卑猥だ。指の曲がりが、空想のスクの穴を探そうとしている。
「そう言われてもな」
「ああ、まあ、それは……そうだね? 実際触るのがいいんだろうけど」
「そうはいかない」
「はいはい。まあそうだよね」
 きちんとしている看守は、親しみやすく見えてもきちんと囚人との線引きをしているのだ。
「……ただ、できる限り近づこう」
 エメラードは宣言すると慎重に席を立ち、格子の前にまでやってきた。手を伸ばしても届かない、あるいは届いたとしてもほんの指先だけだろう、そんな距離だ。
 そうなるとスクは手を伸ばしたくなる。つい。
「もうちょっと近づけない?」
「だめだ。おまえは案外、手が長い」
「どれどれ」
 スクは格子に手を突っ込み、肩が当たるまでぐいぐいと押した。エメラードは身を引きかけたようだが、そこまで届かない。触れられない。
「んん~!」
「……届かないようだな」
「これは……無理かな……! もうちょっと!」
「何をしているんだ」
 特に何の意味もない。そこに山があれば登りたくなる、それだけのことである。
「うーん、やっぱりだめか……」
「どこかの線で必ずだめになるだろう」
「確かに」
 が、牢での暮らしなど退屈との戦いなので、後悔はない。時など砂のように流れ落ちればいいのだ。
「……それより、」
 エメラードは口ごもった。さきほどの続きをと言いたいのだろう。
「ん? そういえば」
 スクは突然な思いつきに笑った。
「足は出したことがなかった」
 どれ。
 床に尻をつけて、ずるっと足を格子から出してみる。するとなんということか、ごつんとエメラードの足に当たった。
「おおー」
「……ではない。おかしなことをしないように」
 エメラードは難しい顔をしてさらに距離を取る。とても遠い。やるんじゃなかった。
 こんなわけのわからないことをやるなら、せめて近付きたい。親しさが必要だ。でないと間抜けがすぎる。
「はあ。……まあいいや。とにかくこう、足を開くとこんな感じ」
「こんなとは……」
「ここに、」
 本当に何をやっているのだろう。エメラードからすれば、格子から突き出た足が頑張って開いている、さまを見ているわけだ。
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