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「おおそうだ、叩いてやれ」

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「エメラードよ、余は考えを改めたぞ。不出来な子供を叱ったところで、上手くできるはずもない。きちんと教え、導いてやらねばなあ」
 王はご機嫌な様子で現れ、情熱的に身振りを交えて話した。
(……酒でも飲んでるのかな)
 スクはそう思いながら、わずかに目を伏せて目立たないようにした。とにかく関わると面倒だ。労力を可能な限り削って生きていたいものである。
 身代わりになっているエメラードには悪いが、どうせスクにできることはない。
「まずはその者の衣服を剥ぎ取れ。さあさあ」
 エメラードは目を見開いて王とスクを交互に見た。動こうとした手と、とどまろうとした手がある。
「急ぐのだ。エメラードや、余がこうして時間を割いて教えてやっているのだぞ。ん? おまえは余の忠実な臣下ではないのか?」
「……っ」
 エメラードが息を止めたのがわかった。
 青白い顔をして長いこと吐き出さないので、スクは心配になる。人間としてまず息はして欲しい。
 それと裸を見せるのがスクにとって特に辱めでないことを、まあできれば思い出して欲しい。
(うーん、無理そう!)
 エメラードは相変わらず苦悩の顔をしている。
「い、え……」
 ようやく口を開いて告げた。
「私は陛下に衷心を……」
「ではすぐにだ!」
「は……っ」
 エメラードはそれでもためらったようだが、スクの衣服を掴んで脱がせようとした。
「あ」
 しかし当たり前に上手くいかない。そうそう人の服を剥ぎ取れるものではなく、それができたら立派な追い剥ぎだ。
「ええい、破ってしまえばよいだろう」
 苛立った王の言葉に従い、エメラードはスクの服を引きちぎ……ろうとする。
 これも下手だ。
 まったく下手だった。スクの体を、あるいは布地の反対側を押さえていればいいものを、単純に掴んで引っ張った。
 となるとスクはごろんと転がされることになり、あやうく床に頭を打ち付けるところだ。服を脱がされるよりひどい。
(もちょっと! 考えてやって!)
 目で伝えたのがわかったのかどうか、エメラードはもたもたした。服を引っ張る。スクを動かないようにする。いや、やっぱり引っ張る。抑え込む。
「なんという非力か……エメラードよ、貴様それでも騎士なのか?」
 力の大小より明らかにやり方の問題だが、王はそう侮辱した。
 エメラードの瞳に力がこもる。やらねば、とにかくやらねばという決意だ。騎士が非力と言われては立ち行かない。それでいい。がんばってほしい。
(できるだけ痛くないように)
 願うだけではどうにもならない。スクは大人しくしつつ次の動きに備えた。どうせさほど酷くはできないだろうが、予想外の動きに気をつけねばならない。
「その剣を使え。許す」
 王のいかにも面倒そうな声に、エメラードは更に緊張した。震える手が剣の柄を握る。囚人を相手に抜きたくなどなかっただろう。
 命令されては仕方がない。
 ゆっくり、ざらりと刃が鞘を擦る音がした。慣れているはずの動きに全く精彩がない。これが騎士だとは、王でなくとも思うまい。
「破り捨ててしまえ。それは王の持ち物だ。きれいに、すっかり剥いてしまうのだぞ」
 王の期待のこもった声だった。いっそまかり間違って、スクの肌が裂けることを望んでいるのかもしれない。
(……どうかな)
 目の前に刃があるので、スクもいくらか緊張している。
 だが恐らくそれほど斬れない。もちろん刃のついた剣だが、馬上から重みで叩き潰すための剣だ。長く泥沼のような戦いの中、頻繁に研師を必要とするような剣は好まれない。
 それでも刃を引っ掛けられ、緊張の中、布が大げさな悲鳴をあげて千切れていった。あまりにも慎重に、それでも確実に、スクの肌が顕になる。
「……ふむ。やはり兵の体か」
 王がつまらなそうにぼやいた。
 スクの肌が疵だらけであったからだろう。当たり前だ。無傷で戦ってこられるはずがなく、金をかけて肌をきれいに治療する意味もない。
 体に刻まれた傷はこれで便利なものである。
 日記帳の代わりだ。肩にあるのは先の戦の、胸にあるのは仲間に裏切られた時の、足にあるのは信じがたいヘマをした時のものだ。
「傷のひとつやふたつ、これではどうでもあるまいな……」
 王はつまらなそうだ。どうせ傷をつけるなら、白くてきれいな地にしたかったのだろう。ざんねん。
 ひとつ王の興味を削ぐことができたので、スクは内心満足した。仕事としていい子にするにしても、まあ、好きでもない上司である。
「ならばもうよい。尻だけ出させよ。……うむ、足をつかめ、伏せさせよ。その方がやりやすかろう? そうだ。おまえは愚鈍だからなあ」
 ちょっとやだなあ。
 クッションが恋しい。だが汚れてしまっては嫌なので、クッションはお休み中である。スクは我慢して大人しく床に伏せた。
 すると尻が空気にさらされ、スクはエメラードを褒めてやりたくなった。がんばったがんばった。
「ふうむ。尻も子供のようではないか……おおそうだ、叩いてやれ」
 なんという、エメラードには難易度の高い要求だ。スクの予想の通り、動きが完全に止まってしまった。
(音だけ派手にたてればいいんだけどなあ)
 そんな器用なことはできないのだろう。
「エメラード!」
 王が声をあげた。
 さすがは王様と言いたくなる、威圧に溢れた声である。エメラードがはっと息を呑んだのがわかる。
「打て!」
 その声に操られたかのように、エメラードの手がパシンとスクの尻を叩いた。
「あっ」
 スクはびくりと震えて声をあげる。大した痛みではないが、我慢する必要もなかった。というか、我慢しない方が喜ばれること確実だ。
「……っ」
 が、エメラードが動揺したのがわかる。
(めんどくさ!)
 板挟みとはこういうことを言うのだろう。王様にはさっさと満足して帰っていただきたいが、エメラードには安心して尻を打っていただきたい。
(えーっと、これは、あれだ、上司と部下に挟まれた立場だ)
 ああいう役職につくと大変なのだ。
 まさか虜囚になってこんな気分を味わうとは思わなかった。
「もう一度、もう一度だ、エメラード。おまえは臆病者なのか?」
 少しの間を置いて、ぺちんとまた叩かれた。どう考えても先ほどよりも弱い、気づかいしか見えない叩き方だった。
「力をいれよ!」
 王の声に従って、少し強くなる。スクは床に這いずって震えた。繰り返されるうちに尻が熱を持ってきて、痛いなあ、と思わなくもない。
 しかしまあ、児戯である。
「叩け! 叩け! はは、よい色になってきたではないか」
 スクの尻を叩きながら、エメラードの息が乱れている。喉の鳴る音が聞こえた。たったこれだけのことでとスクは思う。
 きっと人を叩いたり叩かれたり、したことがないのだ。
 戦とて名乗りをあげて、正しく剣を振るう。そういう人だ。丁寧に育てられたその心が悲鳴をあげている。
「……ン」
 スクは痛みよりも胸の疼きを感じた。
 エメラードの顔が見てみたい。どんなひどい顔をしているのだろう。傷ついているだろうか。嘆いているだろうか。そしてまた苦悩か。
(あ、くそ)
 エメラードの腕が腰にあり、上手く上向けない。
 見たい。とても。
「ふむ。ちゃんとできるようだなあ。やはり教育は重要だ。次もよく教えてやろうなあ」
 なんということか、今日はこれで終わりか。
(そりゃないって)
 スクは嘆いたが、王は出て行ってしまった。
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