世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

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第2章

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 俺とアキとの関係は順調だった。順風満帆というよりは凪いだ海に浮かぶ船で寝っ転がっているような、穏やかな――逆にいえば少々退屈な――状態だった。アキはそれをユキヤナギのようだと言った。
 初めての恋人だからなにかしないと、という思いが強かった。メールも電話は俺たちはよそで聞くよりはしないほうだったし感情を表に出すことも少なかったから、デートをしていてたときも別れたあとにもこれでよかったのかと不安になることがあった。俺にとってはすべてが未知だった。
 アキに訊いたことがある。それは非常に恐ろしいことだったが一人でうじうじ悩んでいるよりはいいだろうと思った。
 アキは――そのときも俺の横で本を読んでいた――そっと本を閉じると「なんで?」と訊ねた。
「いや、なんでってことはないんだけど。なんとなく」
 俺がそう言うと、アキは小さく笑った。
「退屈とかは思ったことはないけどな。……ユキヤナギみたいで、いいと思うけど」
「ユキヤナギ?」
 アキは頷いた。「花言葉は『静かな思い』」
 俺は黙った。まあ、アキがいいといえばそれでいいのだがどこかこう、ドラマティックななにかがあったほうがいいのではと思っていた。
「あなたは? 私といてつまらないの?」
 アキはじっと俺を見た。俺は慌ててそんなことはない、ありえないと言った。アキはじゃあ別にいいじゃないとまた本を開いた。
 いまにして思えばそれは非常に幸福なことだったのかもしれない。夏休みが終わって文化祭の準備で忙しかった秋ごろに、ハルとナツミが別れても、俺とアキはあいも変わらず放課後の教室で過ごしたりたまにデートへ行ったりと、なにも問題は起こらないまま時間が過ぎていった。
「お前らはホント、平和だよなあ」
 ハルの家で二人で酒を飲んでいるときに、奴はそう言った。確かに、ナツミにビンタを食らってそのまま別れたハルからすれば、そうなのだろう。ハルが恋人と別れるときは必ずひと悶着ある。別に浮気をしたとかそういうことではないが、喧嘩になったときにもヘラヘラしていて、相手が散々わめき散らしたあとでヘラヘラした調子のまま相手の急所を一言で突く。ナツミとの場合、ハルはそれでビンタを食らった。
「なんかさ、高校生のカップルじゃねえよな、夫婦みてえだよ」
 俺はそれを缶チューハイをすすりながら聞いていた。俺からすれば、別に他人からカップルに見られようが夫婦に見られようが構わないのだがハルからすればそれはどうやら問題らしい。
 ハルは残った缶ビールを飲み干してゲップをした。
「アキちゃんとはもうヤったのか?」
 俺は首を振る。ハルはマジかよと呟いた。
「もうかれこれ半年になるだろ。なんで?」
「なんでって言われてもなあ」
 特別する理由がないといったところだろうが、そんなこと誰かに言っても理解されるわけはないことは――まだ誰にも言ったことはないが――なんとなくわかっていたからハルにもなにも言えずにそのまま言いよどんだ。
「――彼女は待ってるんじゃないの」
 ハルはマルボロの箱から煙草を一本出して口にくわえた。
「待ってる?」
 俺もラッキーストライクの箱を取った。
「まさか、アキちゃんから来るのを待ってるわけじゃねえだろ?」
 ハルは立ち上がって、壁にかかっているバッグからなにかを取り出した。それを俺に渡す。
「こんなのいらねえよ」
「避妊は男の責任だぞ」
「そういうことじゃなくて」
 ハルは袋から新しい缶チューハイを出した。プシュと炭酸が外へ抜ける音がした。
「まあ、持っておいて損はないから」
 そう言って、ハルはチューハイをあおった。
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