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第4章
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俺の家からハルの家までは歩いて五分もかからない。俺はハルの家のそばのコンビニに入った。酒とスナック菓子をカゴに入れた。レジに商品を置き、レジのおばちゃんにラッキーストライクとマルボロを頼んだ。
「あなた、未成年でしょ?」
俺はどうしたものかと口ごもった。おばちゃんはため息をつく。
「悪いけど、売れないわよ」
結局俺は菓子だけ買ってハルの家へ向かった。いつもはぼうっとした大学生風の男がレジをやっていて、そいつのときは平気で買えるのに。言いようのない悔しさのようなものも混ざって、俺は道に唾を吐いた。
ハルの家は、ハルの部屋だけ明かりがついていた。電話で呼び出すとハルはスウェットで出てきた。酒と煙草が買えなかったことを話すとハルは珍しいなと笑った。
俺たちは近所の公園に行くことにした。夜に外で会うときはいつもここと決まっていた。俺たちがまだ小さいころから馴染みの場所だ。砂場に落とし穴を作ったり、エアガンで遊んでいて近所のおっさんに怒られたり、ときには真面目に小学校の体育の課題だった鉄棒の練習をしたりすることもあった。
「まあ、たまにはアルコール無しってのもいいんじゃないか」
俺たちはベンチに座って自販機で買ったコーラを開けた。
コーラを一口飲むとハルから話を持ち出してくれた。俺はさっきアキに対して感じたこと、自分の気持ち、これからのどうすればいいのかわからないということ、すべてハルに話した。
「お前は、『恋愛は片思いが一番楽しい』っていつも言ってたもんな」
ハルはそう言うとコーラに口をつけた。俺は頷いた。
「でもさ、そもそもそれって恋愛じゃねえよな」ハルはポケットから煙草を出した。「恋愛ってのはコミュニケーションなんだよ。片思いはそうじゃない。自分が相手のことを好きなだけ。……でもお前らは結構うまくいってるもんだと思ってたけどなあ」
俺も煙草に火をつけた。
「いまが楽しくないってわけじゃないんだよ。ただ時々、無性に怖くなるんだ」
ハルは煙を吐く。
「わからない後先のことを考えてせっかくの楽しい瞬間を逃してるのはお前、バカだぞ」
わかってると俺は言った。わかってるけど……
「怖いもんは怖いよな」
ハルは笑っていた。
「なんでみんな、普通に恋愛をして、ほら、普通にキスとかセックスとかしてさ、なんで平然としてるんだろう」
「そりゃあお前、それなりに悩んだり傷ついたりしてるよみんなだって」
ハルはそこで言葉を切って煙草を吸った。
「だけどな、これは親父が言ってたんだけど、普通ってのは実は難しいことなんだ、って」
ハルは続けた。
「普通の生活、普通の恋愛、普通の仕事……、学校の成績で考えれば、普通ってのは偏差値が五十あるってことなんだよ。偏差値五十ってのはもちろんそれなりに勉強しなけりゃ取れない。それと同じで普通の生活をするにはそれなりの積み重ねが必要だし、それなりに他人を蹴落とさなきゃいけない。恋愛だってそうだよ。ときには喧嘩をして傷つけ合わなきゃいけないときもある。普通ってのは最底辺のボーダーラインじゃない。たどり着くにはそれなりの努力が必要なんだ。ときには他人を傷つけるような努力も……たぶんお前はいま普通の恋愛ができているから、いつか他人に蹴落とされるんじゃないかってことでビビってるんだと思うよ。それと知らないうちに誰かを傷つけてるんじゃないかって。傷つけたくないし、傷つきたくない。――これも親父が言ってたんだけど、人間は本人が思っている以上に自分勝手だ、って。だからお前ももっと素直になればいいんじゃない?」
俺は黙って聞いていた。ハルの言っていることはもっともだと思った。俺はなにかを得たから、いつかそれを失うことを恐れているんだ。いままで誰とも付き合わなかったのも、失うくらいなら最初から要らないと思っていたからなのだろう。
「まあ」ハルは煙草を地面でもみ消した。「アキちゃんを信じろよ」
「アキを?」
「『信じるとは、裏切られる覚悟にほかならない』。まあ、アキちゃんはお前を裏切ることはないだろうけど。ただ誰も傷つかない恋愛なんてありえないからな。それでも他人を傷つけたくないのなら、自分が盾になるしかない。裏切られる覚悟ってそういうことだと思うよ」
俺は煙草の最後の一口を吸うと灰皿に捨てた。
「ところで」ハルが言った。「ずいぶんかわいいストラップつけてんな」
ああ、と俺はストラップをハルに見せた。
「パンジーか」
俺は頷いた。
「花言葉は?」
「『私を想って』」
ハルはニヤニヤと笑った。
「アキちゃんらしいな」
「あなた、未成年でしょ?」
俺はどうしたものかと口ごもった。おばちゃんはため息をつく。
「悪いけど、売れないわよ」
結局俺は菓子だけ買ってハルの家へ向かった。いつもはぼうっとした大学生風の男がレジをやっていて、そいつのときは平気で買えるのに。言いようのない悔しさのようなものも混ざって、俺は道に唾を吐いた。
ハルの家は、ハルの部屋だけ明かりがついていた。電話で呼び出すとハルはスウェットで出てきた。酒と煙草が買えなかったことを話すとハルは珍しいなと笑った。
俺たちは近所の公園に行くことにした。夜に外で会うときはいつもここと決まっていた。俺たちがまだ小さいころから馴染みの場所だ。砂場に落とし穴を作ったり、エアガンで遊んでいて近所のおっさんに怒られたり、ときには真面目に小学校の体育の課題だった鉄棒の練習をしたりすることもあった。
「まあ、たまにはアルコール無しってのもいいんじゃないか」
俺たちはベンチに座って自販機で買ったコーラを開けた。
コーラを一口飲むとハルから話を持ち出してくれた。俺はさっきアキに対して感じたこと、自分の気持ち、これからのどうすればいいのかわからないということ、すべてハルに話した。
「お前は、『恋愛は片思いが一番楽しい』っていつも言ってたもんな」
ハルはそう言うとコーラに口をつけた。俺は頷いた。
「でもさ、そもそもそれって恋愛じゃねえよな」ハルはポケットから煙草を出した。「恋愛ってのはコミュニケーションなんだよ。片思いはそうじゃない。自分が相手のことを好きなだけ。……でもお前らは結構うまくいってるもんだと思ってたけどなあ」
俺も煙草に火をつけた。
「いまが楽しくないってわけじゃないんだよ。ただ時々、無性に怖くなるんだ」
ハルは煙を吐く。
「わからない後先のことを考えてせっかくの楽しい瞬間を逃してるのはお前、バカだぞ」
わかってると俺は言った。わかってるけど……
「怖いもんは怖いよな」
ハルは笑っていた。
「なんでみんな、普通に恋愛をして、ほら、普通にキスとかセックスとかしてさ、なんで平然としてるんだろう」
「そりゃあお前、それなりに悩んだり傷ついたりしてるよみんなだって」
ハルはそこで言葉を切って煙草を吸った。
「だけどな、これは親父が言ってたんだけど、普通ってのは実は難しいことなんだ、って」
ハルは続けた。
「普通の生活、普通の恋愛、普通の仕事……、学校の成績で考えれば、普通ってのは偏差値が五十あるってことなんだよ。偏差値五十ってのはもちろんそれなりに勉強しなけりゃ取れない。それと同じで普通の生活をするにはそれなりの積み重ねが必要だし、それなりに他人を蹴落とさなきゃいけない。恋愛だってそうだよ。ときには喧嘩をして傷つけ合わなきゃいけないときもある。普通ってのは最底辺のボーダーラインじゃない。たどり着くにはそれなりの努力が必要なんだ。ときには他人を傷つけるような努力も……たぶんお前はいま普通の恋愛ができているから、いつか他人に蹴落とされるんじゃないかってことでビビってるんだと思うよ。それと知らないうちに誰かを傷つけてるんじゃないかって。傷つけたくないし、傷つきたくない。――これも親父が言ってたんだけど、人間は本人が思っている以上に自分勝手だ、って。だからお前ももっと素直になればいいんじゃない?」
俺は黙って聞いていた。ハルの言っていることはもっともだと思った。俺はなにかを得たから、いつかそれを失うことを恐れているんだ。いままで誰とも付き合わなかったのも、失うくらいなら最初から要らないと思っていたからなのだろう。
「まあ」ハルは煙草を地面でもみ消した。「アキちゃんを信じろよ」
「アキを?」
「『信じるとは、裏切られる覚悟にほかならない』。まあ、アキちゃんはお前を裏切ることはないだろうけど。ただ誰も傷つかない恋愛なんてありえないからな。それでも他人を傷つけたくないのなら、自分が盾になるしかない。裏切られる覚悟ってそういうことだと思うよ」
俺は煙草の最後の一口を吸うと灰皿に捨てた。
「ところで」ハルが言った。「ずいぶんかわいいストラップつけてんな」
ああ、と俺はストラップをハルに見せた。
「パンジーか」
俺は頷いた。
「花言葉は?」
「『私を想って』」
ハルはニヤニヤと笑った。
「アキちゃんらしいな」
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