世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

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第11章

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「あと一分したら行くぞ」
 俺は黙って頷いた。ジョニー・ウォーカーは言った。
「俺たちが乗るのは各駅停車だからな。その三分後に発車する急行にいったん乗る振りをして、ドアが閉まる直前に各駅停車の車両に乗る。わかったな」
 ジョニー・ウォーカーは万引きでもしたかのように、全速力でコンビニを出た。すぐあとを俺も追う。
 人混みを縫うように走っていきエスカレーターを駆け上がる。改札はかなり混んでいた。誰が俺たちを張っているかなんてわからなかった。シーバスリーガル兄弟や余市らしき人もとてもわからない。とにかくジョニー・ウォーカーを見失わないようにしているのが精一杯だった。
 ジョニー・ウォーカーが自動改札を抜けた。空いている改札を見つけて俺も通ろうとしたがキンコーンという電子音が鳴って行く手を塞がれた。なんでだよと頭の中が真っ白になった。とにかく抜けなければと急いで別の改札で再びカードをタッチした。そのとき襟を誰かに掴まれたような気がして俺はそれを腕で振り払った。そしてそのままホームへと駆けた。
 階段を降りていくとホームで右側の車両へ向かうジョニー・ウォーカーの姿があった。ホームまで来るとジョニー・ウォーカーはその車両に乗っていた。すぐに俺も追いついてそこへ乗った。
「三分遅れだ」
 肩で息をしながら奴は言った。すでに各駅停車の電車は着いていた。俺はいま下ってきた階段を見た。階段から人が急いでこの電車に乗ろうとして下ってくる。その中でやけに悠長にこちらへ向かってくる男たちがいた。三人。
「あいつらか?」
「あれだな」
 ジョニー・ウォーカーが言った。格好は取り立てて目立ってはいなかったがそいつらは確実に俺たちに狙いを定めて歩いているのがわかった。
 俺たちの車両に人が次々と入ってくる。ドアのそばにいたがだんだんと押されて遠ざかってしまった。チラッと奴らが隣の車両に乗ったのが見えた。行くぞとジョニー・ウォーカーが怒鳴るのが聞こえた。俺は前にいる人たちを突き飛ばして強引に車両から出た。ドアが閉まりますという駅員の声とともに各駅停車の車両のドアが音を立てた。駆け込み乗車はおやめくださいと駅員が言ったが構わず閉まるドアをすり抜けて中へ入った。電車が動き出した。
 ホームでは追っ手らしき男三人が過ぎていく俺たちをじっと睨んでいた。
 俺たちは二人して息を荒げていた。周りから怪訝な目で見られていたがそんなことを気にしている余裕もなかった。
 車内は席が全部埋まっていた。俺は扉のそばで座席の仕切りにもたれた。ジョニー・ウォーカーもすぐ向かいで同じようにしていた。奴は大きく肩で息をしながらスキットルに口をつけていた。ウイスキーの匂いがこっちにまで届いてきた。
「もう大丈夫かな」
 俺はジョニー・ウォーカーに訊ねた。
「さあな。ヘタしたらハコで張ってるかもしれない」
「場所、割れてんのか?」
 奴はたぶんなと言うとまたスキットルに口をつけた。
 三駅目で急行との待ち合わせがあり急行列車に追い越された。過ぎていく列車の窓を見ていたがカナディアンクラブの連中が乗っているかなんてわかるわけがなかった。
「あれに乗ってたりしてな」
「ありえるぞ。俺ならそうする。で、ホームで待ち構える」
 心臓が激しく鼓動するのを感じた。まだ油断はできない。果たしてライブまで気力が保つのかと不安だった。そんなこと言っている場合ではないのだがハコに着いて緊張の糸が切れてしまっては元も子もない。
 目的の駅へ着くというアナウンスが流れた。さらに緊張が増した。扉が開いた瞬間に目の前に奴らがいてなにをする暇もなく撃たれるのではないかとどうしてもこのまま無事にハコに着いてライブが穏便にできるとは考えられなかった。
 電車が減速していく。俺もジョニー・ウォーカーも、なにも喋らない。ホームに入って到着待ちの客が見えた。人が流れていく。さっきの出発したときにマいた奴らの姿はなかった。それか俺が見過ごしていたか……。
 電車が停まった。ジョニー・ウォーカーが走るぞと言った。扉が開いてご乗車ありがとうございましたと駅員の声がした。人が次々に降りていく。俺たちは走った。エスカレーターでは列がすでにできていた。すぐ横の階段にその列をかき分けて向かった。振り返ることはせずひたすら階段を駆け上がる。
 目的の改札まで一直線に向かっていった。俺はライブで何度もこの駅を使っていたので入り組んだ構内でも迷うことはないのだがジョニー・ウォーカーもこの駅を熟知していたようで俺の前を走っていた。自動改札が見えた。その先では待ち合わせの人たちが大勢いた。ざっと見回すがやはり追っ手の姿は無さそうだった。
 そのまま出口までペースを緩めずに走った。息が上がっていて足がもつれそうだったが精神を奮い立たせてハコまで向かった。
 息はもう絶え絶えだった。ジョニー・ウォーカーのペースも明らかに落ちていた。俺は路肩に唾を吐き捨てて走り続けた。ハコの看板が見えた。いままでとは違う種の緊張感が生まれた。いよいよか、心の中で三割くらい安堵の思いがした。だけどそばで張っているかもしれない。前を走るジョニー・ウォーカーがハコのあるビルから一本道を外れた。裏からまわるつもりなのだろうかすぐ左に折れて狭い十字路で止まった。左手にはもうライブハウスだ。
 ジョニー・ウォーカーが様子を伺っている。俺は膝に手をついて息を整えようとした。
「大丈夫か」
「ああ」奴は言った。「誰もいない」
 えっと俺は声が漏れた。なんというか、拍子抜けだった。なにもないことに越したことはないが覚悟をしていただけに妙な気分になった。
 まあいいんじゃないかとジョニー・ウォーカーが言った。俺もそのとき少し表情が緩んでいた。
 着信が入った。ハコからだった。遅刻のことだろうか、とりあえず謝ろうと電話に出た。声の主はオーナーだった。もう目の前にいますと言うとオーナーはほかのメンバーがいないと言った。さらに聞くと昼過ぎにコンビニに行ってくると一旦外に出たきりなのだと言っていた。
「どうした」
 こわばっている俺の表情を見てかジョニー・ウォーカーが訊ねた。俺は受話口を押さえてメンバーがいなくなったと言った。
「やられたな」
 ジョニー・ウォーカーは唾を吐いた。
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