世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

文字の大きさ
55 / 68
第12章

しおりを挟む
 俺がギターを弾いていても誰も立ち止まる人はいなかった。もとより誰かに聴かせるために弾いているわけじゃないからどうでもいいのだが。
 人通りもまばらになってきた。誰もが行くべきところがあって帰るところがある。……例外もないことはない。
 しばらくぼうっとしながらギターを弾いて人が絶えたのを見ると手を止めた。ちょっと歩いて自販機でコーヒーを買った。
 さっきハルがバーをやりたいと話していたのを思い出した。それはなんだか絵空事のような気がした。でもバーテンダーに向いているかどうかは知らないが、あいつならやれるだろうと思った。ハルと話をしていると楽しい。決して話の腰を折らないし否定もしない。出しゃばったアドバイスもしない。ただ受け入れてくれる。それは俺に限らずみんなが心地いいものだろう。
 いい奴だよなと今さらのように思った。肩にゲロをかけても笑って許してくれるし……それだけでなくても俺はハルに救われている。たまにどうして俺なんかとつるんでるんだろうと思うときがある。俺以外に友達がいないわけではないが最終的にというかなんだかんだというか俺と一緒にいる。
 俺はポケットからラッキーストライクの箱を出した。
 煙草を吸う。そして吐き出すと同時に俺はなにがしたいのだろうと思った。もちろんギターを弾くのは好きだがそれで将来食っていくというのは想像ができなかった。
 コーヒーを飲み干してその中に煙草の吸殻を入れた。横になって空を見上げた。曇っていた。
 俺はなにをしているんだろう、なにがしたいんだろう。
 それを考える間もなく俺はいつの間にか寝ていた。
 起きたのは始発の三十分前だった。固いところで寝ていたもんだから身体が痛かった。俺はギターを持って立ち食いそば屋に入った。なにか温かいものが食べたかった。かき揚げそばを頼んだ。セルフサービスの水をコップに注いでいるうちにそばが来た。
 七味をふりかけて食った。うまかった。俺は夢中で食った。つゆまで飲み干した。丼を下げて店を出たころにはなんだか正気になれたような気がした。もう大丈夫、そんな気がした。
 日が昇っていて空は晴れていた。空を見て、俺はその空に誓った。バンドを真剣にやろう、もう昔のことは忘れようと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

処理中です...