世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

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第14章

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 俺がハンバーガーを食っている間、ハルは煙草を吸っていた。お互いなにも喋らなかった。バック・ドア・マンの曲が店に流れていた。俺はそれを聴きながら夢中で食った。食って、マズいキューバリバーで流し込んだ。
 客が来た。ハルが慌てて煙草を消した。その客は俺からひとつ席を空けて座った。横目で見ると俺たちとさして歳は変わらなさそうな男だった。見るからに高そうなスーツを着ていた。
「こんなところに面白そうな店があったとはね」
 男の声はやけに気障ったらしく聞こえた。
「これ、聴いたことないけど、有名なの?」
 男は天井のスピーカーのほうを見て言った。
「いえ、そういうわけではないですよ」
 ハルの返事にふうんと言うと、並べてあるボトルを眺め始めた。ひとつひとつ、丁寧に、もっといえばいやらしいくらいに吟味していた。
「一応、一通りは揃えてあるんだね」
 男はシルバーのシガレットケースから紙巻きの煙草を出すと、これもまたシルバーのオイルライターで火をつけた。そいつの煙草の煙は吐き気がするほど甘い臭いがした。
「しかし」男はふかしているだけなのか、やたらと吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返していた。「ずいぶんセンスのない音楽を流してるね」
 はあとハルは気のない返事をよこした。
「もっとさ、音楽にも気を遣わなきゃ、バーテンダーなら。僕はいろんな店を知ってるけど、ここまでひどい店は初めてだよ。まさか、ジャズ、っていうか……音楽を知らないの?」
 ハルを見た。なにもするなと目で俺に言っていた。
「……まあ、いいんだけどさ。でも、こんなの流してたら、本当に店の品格を疑われちゃうよ?」
 ハルはそうですね、気をつけますと言った。そう言っただけで曲を変えようとはしなかった。男はそれを気にするでもなく、マティーニを注文した。かしこまりましたとハルが言った。
 男の前にカクテルグラスが置かれた。え、と男が戸惑った声を出した。ハルはそれを無視してそれに牛乳を注いだ。
「お待たせしました」
 男の顔が見るからに紅潮した。ばっ、ばっ、と唾を吐くような声を上げて席を立った。
「僕ちゃんは牛乳でも飲んでろよ」
 ハルはそう言って煙草に火をつけた。
「馬鹿にするなっ」
 男はグラスを持つと、注がれた牛乳をハルの顔にぶっかけた。そしてそのまま店を出ていった。
 ドアが閉まって五つ数えるとハルが大声で笑い出した。俺も笑った。
「どうやらセンスのない音楽らしいな」
「店の品格が疑われちまうってよ」
 あのスノッブがとハルは言いながらタオルで顔を拭いた。
「っていうかさ」俺は訊いた。「マティーニなんて作れんの?」
 ハルは当たり前だろと言ってジンとベルモットを棚から出した。ジンはボンベイ・サファイア、ベルモットはノイリー・プラットだった。
 それらをミキシンググラスにそのまま注ぐと、ステアをしてグラスに注いだ。俺は言葉が出なかった。
「お待たせしました」
 ため息をついて、俺は一口飲んだ。その、ジンとベルモットを混ぜてできた液体を舌が感知した瞬間、胃液がこみ上げてきてそのまま吐きそうになった。
「なんなんだよ」
「お前、これ、ジンが腐ってるんじゃねえの」
「ありえねえだろ、そんなの」
「それくらいマズいんだよ」
 おっかしいなあとハルは不服そうだった。俺はもう一度ため息をつくと店を出た。
 外の空気がやけにうまかった。あの馬鹿野郎、とんでもねえもん飲ませやがって、俺は口の中に残った臭いを消そうと唾を吐いた。
 しかしと俺は笑った。客にミルクを出すなんて安っぽいことをするよな、そう思いはしたがやっぱり嬉しかった。
 とりあえず帰るか、俺は家に向かって歩き出した。ライブのこと、バック・ドア・マンのこと、キッド・スターダストのこと、そして自分自身のことと、思うことは多かったがその日はもう考えるのをやめることにした。
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