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第6章 光と闇の地へ

海賊

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「……大丈夫か?」

 両頬にじんじんと腫れぼったさを感じて、クランは目蓋を開けた。
 ここはどこだろう。
 頭上には、年輪の太さや濃さがまちまちな木目の天井が広がっている。体は横たわっていて、ごわごわとした布の肌触り――ありがたいことに、冷たくなかった――が全身に染み渡る。
 周囲は薄暗く、部屋の中心に設えられた机の上には、燭台の蝋燭ろうそくが静かに燃えている。時折、蝋燭の明かりは部屋の揺れに伴って明滅する。
 視界がはっきりするにつれて、目の前に人が立っているのが明らかになった。

「……あなたは?」

 見慣れた妹ではない、見知らぬ人。
 真っ先に目に飛び込んできたのは、片目を除いて、相手の顔を覆うようにして巻かれた包帯だった。クランを見据える左目は切れ長で、瞳は光沢のある漆黒だった。

「私は」

 と、言った声は低く落ち着いていた。
 頭にはすっぽりと灰色の頭巾を被り、同色の上着と膝丈のゆったりとしたズボンを履き、手足にも包帯のようなものをきつく巻いている。

「お兄ちゃん、無事で良かった!」

 出し抜けに、聞き慣れた声が飛び込んできた。ミールは嬉しくて、クランの足元でしきりに飛び跳ね、床板はギシギシと軋んだ音を立てた。
 そんなにはしゃいだら、体が締めつけられると危険を感じて腰を見ると、妹と自分を結んでいた縄はなくなっていた。

「お兄ちゃん、何回呼んでも起きないから、このお兄さんに頬っぺたをひっぱたいてもらったんだよ」

 頬に走る痛みはそのせいかと顔に手を触れると、両頬は弾力を増して腫れ、少しは手加減してくれと言いたいところだった。

「この子はついさっき目覚めたばかりだよ。目が覚めた瞬間に、君の名前をしきりに呼んでいたんだ」

 男は机に置かれた金色の急須を手に取ると、取っ手付の白いコップに水を注いだ。

「毒は入っていないよ。君の妹もこの水を飲んだんだからね」

 男は両手でしっかりとコップを持ち、しゃがんでクランに手渡した。
 ゴゴ、ゴゴと、部屋が揺れる度に、コップの水面に波紋が広がる。クランはコップに口を付ける前に男に尋ねた。

「あの、ここはどこなんですか?」
「ここは、船の中だ」
「船?」
「君達は、死の海域から流されてきたんだよ。私達は偶然小舟に乗った君達を見つけて、救い出したんだ。よく無事に生還できたものだ。海域の大嵐に遭っても、兄妹が離れ離れにならなかったのは、この縄のおかげだよ」

 この、と言って、男は足元に置いてある縄を見た。海水を十分に染みこんだ縄は、茶色から焦げ茶色に変色し、床に水たまりを作っている。

「私達?」
「船長をガルダキノフという。この船は、主にシャーンやレスナで物資を取引する商船として航行している」

 男の話を聞きながら、クランは水を口に含んだ。喉に水が流し込まれて初めて、追放されてから何も口にしていないことを思い出した。喉は渇き、空腹でギュルギュルと腹の虫の音が辺りに響く。

「二人ともたいそうお腹が空いているようだね。食堂から食べ物を持ってこよう」

 男は再び立ち上がり、ドアのある方に歩いていった。

「ハサ、子どもは目覚めたのか? 船長が直に挨拶をと仰っていたぞ」

 ドア越しに別の男の声が聞こえる。ハサと呼ばれた包帯の男は頷き、ドアの取っ手を握った。

「船長のお通りだ」

 ドアの向こうで声高に言う者がいる。ハサはドアから少し体を出すと、向こう側から出てくる者に跪いた。
 男の髪は黒く、後ろ髪を一つに纏めている。蝋燭の灯りに照らされた顔はやつれたように頬に筋が入り、眼光は鋭い。

「お兄ちゃん。この人、船で見た海ぞ――」

 クランは口走りそうになるミールを手で制した。口を塞がれてもごもごと何かを訴えているようだったが、クランは敢えてドアの方を向いて苦笑いする。

「この御方は、誇り高きガルダキノフ船長であられるぞ」

 前歯の生え揃っていない、こぶりで猫背気味の船員がしゃしゃり出てきて、二人に言い聞かせる。よく見れば、黒髪の男を取り囲む船員の服装は、狭間で見た海賊と全く同じだった。後頭部で髪の毛を団子に束ね、白い布で覆っている髪型も独特で、二人の目に留まった。

「私の顔に何か付いているかね?」

 ガルダキノフの口調は、狭間で意気揚々と襲撃を宣言した時とは違い、穏やかだった。狭間で見た時の茶色のコートは着ておらず、代わりに船員よりも布地が厚く、椿の刺繍が施された衣を纏い、上半身に鉄板を縫い合わせた鎧を身に付けていた。

「おい、お前! 何がおかしい? 船長に無礼だぞ」

 突然図体の大きな船員が出てきて、むんずとクランの胸倉を掴む。

「ギン、止さぬか」

 ガルダキノフはギンと呼んだ大男を制する。ギンは自分の禿頭を撫でて怒りを鎮めると、クランの胸倉から手を離した。
 刹那に、ギンの胸元から大粒の真珠が連なるネックレスが顔を出した。

「この真珠のネックレス!?」

 ミールは目を丸くし、ギンの首に掛けられたネックレスを食い入るように見つめる。

「嬢ちゃん、こいつを知っているのか?」
「……う、ううん。おじちゃんによく似合っているなと思って」

 ミールはクランに肘で小突かれた。ギンが首に掛けている真珠のネックレスが狭間の客船に乗っていた婦人の物であるとは、口が裂けても言えない。

「船長、さっきからこいつら怪しいですぜ」

 猫背気味の船員が再びしゃしゃり出てきた。

「船長の前でへらへら笑い、今の言動もおかしい。何か隠しているのではありませんか?」
「ジャコ、本当か?」

 ジャコと呼ばれたその船員は片足を鳴らして言い張る。

「あの海域を生きて出てきた者はおりません。もしやウェストなんたらという船に乗っていたんじゃないかと」
「あの死に損いの小太り船長、餓鬼を忍びとして乗船させていたのか!?」
「あの時、船を沈めておくべきだったんだ」
「あいつは飯抜きだ」

 船室は騒然となり、収拾がつかない。掴み掛からんばかりの暴言が飛び交い、唾が床にびたびたと飛び散る。

「もう、ウェスト・リーヴ号だよ!!」

 ミール!と言って止めようとした時には既に遅かった。

「なぜ、その名を知っている?」

 ガルダキノフは船員を一瞥すると、ぎろりと殺気を帯びた眼差しに変わった。
 蛇に見込まれた蛙とは、このことをいうのだろうか。船員達は押し黙り、ミールはまさに身がすくんで動けない。

「これは、君達の武器か?」

 ガルダキノフの脇に控えていた船員が神の剣と樫の杖を取り出す。

「忍びか? 君達が持っていた武器はその類の物なのだな」
「返してよ!」

 ミールは手を伸ばして杖を取り戻そうと奮闘するが、むんずとジャコに腕を捕まれた。ふと横を見ると、クランはギンにがんじがらめに拘束されていた。

「面白いな、牢屋にぶち込んでおけ」
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