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しおりを挟む◆エヴァーン王国 裁定の間
「アリス=セルティよ! 貴様は魔王討伐に貢献した英雄でありながら野心を抱いた! 騎士たちを誘惑し、文官に賄賂を渡し、自分こそ王に相応しいなどと吹聴する……。これは明白な、国家への反逆である!」
エヴァ―ン王国の王城の中心部。
そこに「裁定の間」があった。
まるで巨人のためにしつらえたように高い天井と、盤石な大理石の床。
壁面には王国を築き上げた初代王の巨大な彫像が飾られており、そこに座す者たちを睥睨している。
そんな荘厳を絵に描いたような場所で、ダモス王は秀麗な顔を醜く歪ませながら叫んだ。
一方、鎖に繋がれた銀髪の小柄な少女――アリスは、それをただ黙って受け入れていた。
どれ一つとして心当たりのない冤罪であっても、抗弁しなかった。
「し、しかし陛下よ……。このアリスは魔王を倒した救国の聖女の一人ですぞ。国家反逆罪の罰は死刑しかありません。こやつを殺したとあれば、聖戦で戦った兵や騎士の心が離れることも……」
裁判を見守る文官の一人が、冷や汗をかきながら言った。
それはアリスを擁護するための発言ではなかった。ただ、自分らに批判や恨みの矛先が向かうことだけを恐れていた。誰ひとり、事実無根の罪そのものからアリスを助けようとはしていなかった。
「ふん、情けない。他人の力に寄生するだけの無能に恐れおって……。しかし確かに、功績そのものは認めねばならんな」
「な、ならば」
「しかし! この者は野心を持ち、人々を誘惑し、反乱をくわだてた! どれだけの功績を積み重ねようとも決して消えぬ罪である!」
ダモス王は被告の席でたたずむアリスを指差し、射殺すような目つきで睨みつけた。
「我はこの国を、この国の民を、この国の歴史を愛している。こやつも魔王を倒すために剣を取ったとき、きっとこの国を愛していたことだろう。さぞ立派なことであっただろう。多くの人間が褒めたたえ、そこに希望を見た者も多かろう……だがな! 貴様はおごりたかぶり! 神に与えられた力をもてあそび! 人々を誘惑し! 反乱を計画した! 疑いの余地はない!」
「……」
アリスにはもはや、反論する気すら失せていた。
どれだけ挑発されようとも、一切の反論を口にしなかった。
うつむき、目をそらし、諦め、ただそこにいるだけの姿をさらしていた。
ダモス王はそれを見て、満足そうに邪悪な笑みを浮かべる。
「もし万が一アリスの反逆が無実であったならば、義憤にかられて弁護する者が現れたであろう。だがこやつを弁護しようとする者が現れないどころか、セリーヌさえも雲隠れしたようだぞ? それこそが動かぬ証拠。こやつは聖女として認められていたのではない。兵たちを騙し、誘惑していたのだ」
「し、しかし王よ……」
物言いたげな文官をダモス王が一目見ると、すぐに文官は怯えて黙った。
しかし意外にもダモス王は表情を緩め、微笑みを浮かべた。
「……しかし我もそこまで鬼ではない。本来、国家反逆罪は死あるのみ……ではあるが、そこまでは求めぬ」
「おお、それでは……」
「しかし罪に罰を与えねば示しがつかぬ! こやつは国外追放! 幽神大砂界《ゆうしんだいさかい》へと流す!」
「な、なんと!?」
裁定の間に控える文官達の間に、衝撃が走った。
幽神大砂界。
そこは人間の支配域から遠く離れた、最果ての砂漠である。
緑がほとんど無く雨も降らないため、人も獣も住むには適さない。
ガラス質の硬い砂だけがひたすらに広がる、荒れ果てた砂漠だ。
本来は寒冷な位置にあるはずだが、輝く砂が太陽の光を照り返すため昼間は恐ろしく暑い。
一方で、夜は空気さえも凍てつき、汗や涙さえも凍るほどに寒い。
そこに住まう者は過酷な環境に適応した異形の生物か、あるいは命なき亡者たち。
そんな悪夢のような世界だ。
だがそれ以上に恐ろしいのは、砂漠の中心にある幽神霊廟《ゆうしんれいびょう》だ。
今から千年以上も昔、人間、天使、魔族が力を合わせて打ち倒した『幽神《ゆうしん》』という恐ろしい存在があった。
その死体が霊廟の奥深くに祀られているのだ。
おそらくは今の世に現れる魔王などよりも遥かに強い。
未だに幽神の気配が立ち込めているために霊廟内では常に恐ろしい魔物が生まれ、そして互いに争い合う地獄のような光景が繰り広げられている。
もっともそれは、人の世界に害を及ぼすものではない。
幽神霊廟の魔物は神にさえも通じる力を振るうことができるが、その代わりに人間が住む魔力の薄い場所では生きていけない。人の国に襲いかかることなど今までに一つも無く、あえて討伐する必要などはないはずだ。
だが、この先もずっとそうなのかはわからない……という脅威論は根強くこの国の重鎮達の間に出回っていた。
「幽神霊廟の存在は国家を脅かす暗雲である。アリスよ。霊廟の最下層まで踏破し、魔物のことごとくを打ち倒して来るが良い。もしそれが叶ったときはすべての罪を許そう」
無理難題であった。
常人ならば1日でさえ生きていけるかどうかという場所だ。
大いなる力を与えられた聖女でさえ、単身で放り込まれては生き残ることは不可能だ。
ある意味、死刑よりも残酷な罰と言えた。
「……というところでどうだ? 魔王を倒し平和をもたらした真の聖女、ディオーネよ」
「いかに罪人と言えど、仲間だった者が死罪となるのは忍びなく心を痛めておりました……。陛下の慈しみはまさに全ての国民の心に響くことでありましょう」
「フッ、他人に寄生するしか能のない聖女には過ぎた情けとも思うがな。我ながら甘いことよ」
「うふふ、お優しい御方」
王の側に控える流麗な金髪の女が、吟遊詩人のような艶やかな声で褒め称えた。
彼女こそは『天の聖女』ディオーネ=トレアス。
才能、風格、知性、すべてを完璧に兼ね備えた、聖女の中の聖女だ。
彼女が魔王にとどめを刺した……と言われている。
だが、本当に魔王を打ち倒したのは、アリスだった。
それは、魔王との決戦に居合わせた者のみが知る秘密である。
あるいは、王も知っているかもしれない。
だが知っていたとしたら王もまた謀略の共犯者だ。
自分が魔王を倒したと訴えても無駄になるどころか、ますます重い罰を求めてくるだろう。
アリスに親しい人に不幸が訪れることさえありえる。
アリスの故郷。
アリスが育った孤児院。
アリスへの刑罰に反対する戦友。
すべて人質に取られているも同じだ。
アリスはこの裁定の間に出る前に「家族や友を失いたくはあるまい」と何度も脅されていた。
だからアリスは、諦めることにした。
元より栄誉、栄達のために戦ってきたわけではない。
今のアリスの心の中にあるのは怨恨や怒りではない。
剣など持たなければ良かったという寒々しい後悔だった。
裏切り者達の哄笑が響き渡る。
それは、ほんの一時の栄華をむさぼる愚者の幸福であり。
王国滅亡を告げる予言であった。
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