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増えていく日々
楽しみが増えた日
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イーサン殿下との約束の日を週末に控えたある日、殿下から贈り物が届いた。
「シンプルなワンピースに靴と、このアクセサリーは魔道具? それに……ウィッグ?」
少し変わった贈り物には手紙が添えられている。
「当日はお忍びで──だから町娘っぽい服と靴なのね!」
手紙によれば、美術館へ行くのは公務ではないため、混乱せぬよう身分を隠して訪れるとのこと。
飾りの少ない衣服やウィッグは変装用で、シンプルな装身具は護身用──防御結界を張る指輪と魔法攻撃を弾くネックレス、それに追跡効果を付与されたピアスだという。目立たないよう護衛もつくらしい。
国王のご兄弟、イーサン殿下のお兄様方には、学生時代にひょいと市井におりて城の者たちを混乱させた例も多々あったという。
そうならないようきちんと配慮をしているあたり、殿下は意外と苦労の多い末っ子なのかもしれない。
「変装なんて初めてよ! ちょっとワクワクしちゃうわね」
私付きの侍女に告げれば、彼女も同意して微笑む。
「ええ。当日はお嬢様とわからないよう、お化粧もアレンジしますね!」
ディーンお兄様やお父様のように黒髪ならばウィッグは必要ないかもしれないが、デュークお兄様と私が持つ母譲りの銀髪は珍しいためにおそろしく目立つ。
母の生まれた国では比較的多く見られる髪色らしいが、この国では貴族にもほとんど見られない色だ。
イーサン殿下のブロンドはそこまで珍しい髪色ではないが、なにせお顔が整っているから、ある程度隠さなくてはさぞかし目立ってしまうだろう。
当日、殿下がどんな装いなのか。お出掛けの楽しみが増えた。
◆
そして約束の休日がやってきた。
馬車で迎えに来たイーサン殿下を家族一同でお出迎えする。その対応に改めて、王族なのだなと思う。
学園でしかお会いしていなかったので、王家の方だという意識が薄くなっていたかもしれない。『オマエワカッテンノカ、オーゾクダゾ』というデュークお兄様の心配も、あながち大外れでは無かったということか。
それはそれとして、殿下はとても素敵だ。
私の衣装同様に飾り気がない平服で、黒髪のウィッグに眼鏡を掛けた姿は、きちんと目立たないようにまとまっている。
が、何せ素材が良い。姿勢もスタイルも良いせいなのか、全身から品が滲み出ている。綺羅綺羅しさが抑えられている分、知的さが割り増しされて……。
つまるところ大層好みだった。
むしろ王族モードよりこちらの方が好ましいくらい、今日の殿下は素敵だ。挨拶をして目が合うだけで、ほんのり頬が赤くなる。
「何だか新鮮だな。いつものニーナさんはもちろん素敵だけど、髪色や化粧が変わっても美しいよ」
思わず見過ぎてしまったのか、私の頬の色がうつってしまったのか、イーサン殿下まで薄ら頬を染めている。
「ありがとうございます」
淑女らしく礼を述べつつ、家族に見送られて馬車へ乗り込んだ。
◆
美術館はさほど混雑しておらずじっくりと見て回ることができた。何でも今日は、ここから少し離れた広場で輸入品の大きな市が開かれているらしく、人はそちらに集まっているのだろうということ。
そのことを殿下が知っているということは、それも計算の上でこの日にしたのだろう。変装や護衛の手配といい、ここまでの段取りに感心してしまう。
今日のために心を尽くしてくれたことへの感謝の気持ち。そこに偽りはない。けれど澄み切った水に一滴の墨が滲むように、小さな不安が過った。それは、こういった逢瀬に手慣れているのだろうかという一雫の疑惑。
それに気付いた瞬間、自分の胸に湧いたもやもやする気持ちに驚いた。
(私、殿下が他の方にこういうことするの、嫌かもしれないわ……)
まだ恋に至らない好意。その芽生えを感じて、我ながら単純だなと少し笑った。浮かれている。
それは悪い気分ではなかった。もしもバーニーを認識できていたら、今も彼以外は何も見えていなかったかも。
家族やマドリーン様が口を揃えて「良かった」という気持ちがよくわかった。執着は、消そうと思えば思うほど、手放せないものだから。
「ニーナさん?」
知らずぼんやりとしてしまったところで、殿下に声を掛けられる。いけない、少し思考に深く潜ってしまっていた。
「ごめんなさい、少々考えに没頭してしまいました」
「ちょっと解説長かったかな」
「いえ! 殿下の話はとても面白いです」
それにしても、殿下はセーブルの絵画にとても詳しい。もしかしてこれもそうなんだろうか。
「イーサン殿下」
「ん?」
「殿下は昨年、音楽専攻だったんですよね?」
「ああ、うん」
「なのに、美術にも造詣が深いんですね?」
ちらりと上目に伺いながら訊ねると、殿下が気まずそうに頭をかいた。
「あー、えっと、まあね? ──というか、気付いてるでしょ? もう!」
「確信はありませんもの」
「お察しの通り、今日のために予習してきたんだ」
観念したように、イーサン殿下がため息をつく。そして、微かに眉を下げてこちらを見た。
「……必死すぎる?」
「とんでもありません」
実際、殿下のその顔はとんでもなかった。とんでもなく、かわいらしいと思ってしまった。そつなく完璧にリードしてくれた時よりも、よっぽど。
段取りがすべてスマートだったのは、全部私のために一生懸命準備をしてくれたからだ。それが嬉しくないはずがない。格好悪いなんて全く思わない。
「この後は、疲れた君を気遣ってティーサロンへ誘う予定なんだ。もちろん席は予約してあるけど、『ちょうど良いところに素敵なサロンがあった!』という体で入ろうと思う。異論はあるかな?」
私に見透かされたと気付いて、殿下が明け透けにプランを披露する。思わず声を出して笑ってしまった。
「異論、ありませんわ」
私は差し出されたイーサン殿下の手を取って、予約必須の人気サロンへとたまたま運良く、席が空いていたという体で、足を踏み入れたのだった。
「シンプルなワンピースに靴と、このアクセサリーは魔道具? それに……ウィッグ?」
少し変わった贈り物には手紙が添えられている。
「当日はお忍びで──だから町娘っぽい服と靴なのね!」
手紙によれば、美術館へ行くのは公務ではないため、混乱せぬよう身分を隠して訪れるとのこと。
飾りの少ない衣服やウィッグは変装用で、シンプルな装身具は護身用──防御結界を張る指輪と魔法攻撃を弾くネックレス、それに追跡効果を付与されたピアスだという。目立たないよう護衛もつくらしい。
国王のご兄弟、イーサン殿下のお兄様方には、学生時代にひょいと市井におりて城の者たちを混乱させた例も多々あったという。
そうならないようきちんと配慮をしているあたり、殿下は意外と苦労の多い末っ子なのかもしれない。
「変装なんて初めてよ! ちょっとワクワクしちゃうわね」
私付きの侍女に告げれば、彼女も同意して微笑む。
「ええ。当日はお嬢様とわからないよう、お化粧もアレンジしますね!」
ディーンお兄様やお父様のように黒髪ならばウィッグは必要ないかもしれないが、デュークお兄様と私が持つ母譲りの銀髪は珍しいためにおそろしく目立つ。
母の生まれた国では比較的多く見られる髪色らしいが、この国では貴族にもほとんど見られない色だ。
イーサン殿下のブロンドはそこまで珍しい髪色ではないが、なにせお顔が整っているから、ある程度隠さなくてはさぞかし目立ってしまうだろう。
当日、殿下がどんな装いなのか。お出掛けの楽しみが増えた。
◆
そして約束の休日がやってきた。
馬車で迎えに来たイーサン殿下を家族一同でお出迎えする。その対応に改めて、王族なのだなと思う。
学園でしかお会いしていなかったので、王家の方だという意識が薄くなっていたかもしれない。『オマエワカッテンノカ、オーゾクダゾ』というデュークお兄様の心配も、あながち大外れでは無かったということか。
それはそれとして、殿下はとても素敵だ。
私の衣装同様に飾り気がない平服で、黒髪のウィッグに眼鏡を掛けた姿は、きちんと目立たないようにまとまっている。
が、何せ素材が良い。姿勢もスタイルも良いせいなのか、全身から品が滲み出ている。綺羅綺羅しさが抑えられている分、知的さが割り増しされて……。
つまるところ大層好みだった。
むしろ王族モードよりこちらの方が好ましいくらい、今日の殿下は素敵だ。挨拶をして目が合うだけで、ほんのり頬が赤くなる。
「何だか新鮮だな。いつものニーナさんはもちろん素敵だけど、髪色や化粧が変わっても美しいよ」
思わず見過ぎてしまったのか、私の頬の色がうつってしまったのか、イーサン殿下まで薄ら頬を染めている。
「ありがとうございます」
淑女らしく礼を述べつつ、家族に見送られて馬車へ乗り込んだ。
◆
美術館はさほど混雑しておらずじっくりと見て回ることができた。何でも今日は、ここから少し離れた広場で輸入品の大きな市が開かれているらしく、人はそちらに集まっているのだろうということ。
そのことを殿下が知っているということは、それも計算の上でこの日にしたのだろう。変装や護衛の手配といい、ここまでの段取りに感心してしまう。
今日のために心を尽くしてくれたことへの感謝の気持ち。そこに偽りはない。けれど澄み切った水に一滴の墨が滲むように、小さな不安が過った。それは、こういった逢瀬に手慣れているのだろうかという一雫の疑惑。
それに気付いた瞬間、自分の胸に湧いたもやもやする気持ちに驚いた。
(私、殿下が他の方にこういうことするの、嫌かもしれないわ……)
まだ恋に至らない好意。その芽生えを感じて、我ながら単純だなと少し笑った。浮かれている。
それは悪い気分ではなかった。もしもバーニーを認識できていたら、今も彼以外は何も見えていなかったかも。
家族やマドリーン様が口を揃えて「良かった」という気持ちがよくわかった。執着は、消そうと思えば思うほど、手放せないものだから。
「ニーナさん?」
知らずぼんやりとしてしまったところで、殿下に声を掛けられる。いけない、少し思考に深く潜ってしまっていた。
「ごめんなさい、少々考えに没頭してしまいました」
「ちょっと解説長かったかな」
「いえ! 殿下の話はとても面白いです」
それにしても、殿下はセーブルの絵画にとても詳しい。もしかしてこれもそうなんだろうか。
「イーサン殿下」
「ん?」
「殿下は昨年、音楽専攻だったんですよね?」
「ああ、うん」
「なのに、美術にも造詣が深いんですね?」
ちらりと上目に伺いながら訊ねると、殿下が気まずそうに頭をかいた。
「あー、えっと、まあね? ──というか、気付いてるでしょ? もう!」
「確信はありませんもの」
「お察しの通り、今日のために予習してきたんだ」
観念したように、イーサン殿下がため息をつく。そして、微かに眉を下げてこちらを見た。
「……必死すぎる?」
「とんでもありません」
実際、殿下のその顔はとんでもなかった。とんでもなく、かわいらしいと思ってしまった。そつなく完璧にリードしてくれた時よりも、よっぽど。
段取りがすべてスマートだったのは、全部私のために一生懸命準備をしてくれたからだ。それが嬉しくないはずがない。格好悪いなんて全く思わない。
「この後は、疲れた君を気遣ってティーサロンへ誘う予定なんだ。もちろん席は予約してあるけど、『ちょうど良いところに素敵なサロンがあった!』という体で入ろうと思う。異論はあるかな?」
私に見透かされたと気付いて、殿下が明け透けにプランを披露する。思わず声を出して笑ってしまった。
「異論、ありませんわ」
私は差し出されたイーサン殿下の手を取って、予約必須の人気サロンへとたまたま運良く、席が空いていたという体で、足を踏み入れたのだった。
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