生きていて良いのだろうかと思うとき

月澄狸

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生きていて良いのだろうかと思うとき

「女の役割は子どもを生むこと」
 そんなニュアンスをちらりとでも感じると泣きたくなる。

 私は子どもを生みたいと思ったことがない。
 子どもの頃は、それでも大人になれば考えも変わるのかもなーとぼんやり思っていたが、大人になっても考えが変わることはなかった。

 子どもの時にいじめられたせいか、関係ないのか、子どもを見ても特別可愛いとは思えない。と言うより、「子どもだから」「家族だから」特別大切な存在なのだとは思わない。
 まぁいじめや人間関係の悩みなんて多かれ少なかれみんな乗り越えてきているのだから、そんなことを言い訳のように振りかざすのも卑怯だとは思う。子どもであれ大人であれ生き物であれ、命として尊ぶべきだとも思っている。ただ理由もなく単純に、私は子どもを生み育てることに興味がないというだけのことなのだ。


 だが、興味がないで済ませていていいのか。
 みんなもっと、やりたくない時があってもやるべきことを一生懸命やっているのではないか。


 そりゃ、例えば子どもの頃でも、勉強が好きで好きでたまらないという変わり者も中にはいたかもしれない。だが大抵の人は、「興味ない」なんて言葉で終わらせることは許されず、一生懸命やっただろう。
 生き物だって弱肉強食の中で必死に逃げたり追いかけたり戦ったりしているだろうが、そういった生き方を「したいか? したくないか?」なんて次元ではないだろう。頑張るのが生きるってことだ。


 子孫を残す。それは生き物が誰に言われずともそのように努め、目指すことである。生きる大きな目的「本能」の一つ。そこに何の意味があるとか、そういうことを考えるまでもなく、そうするのが正しい。

 さらに人間の場合、人間的に考えるとそれは人間社会に対する使命、義務であるように感じられてくる。

 少子高齢化。人手が足りない。そうでなくても次の世代は必要。国を担う若手。税金を払う国民。
 人も物もいつかは死ぬのだから、その前に代替わりや引き継ぎをしなくてはならない。

 そして、子どもを育てることが超簡単でなんともないことであれば誰にでもできるだろうが、子育ては時間も労力もかかることに違いない。人を人として育てるための人格だって必要だ。


 私には人間としての最低限の人格もない。配慮がなく気が利かない。
 元々対人恐怖症で友達はいなかった。子どもを生むどころか、人と話すことでさえ避けようとするのだ。

 インターネット上で人の姿を見ずに話すのはわりと平気だとそのうち気づき、ネットに入り浸り、多くの人と喧嘩したりトラブルにもなったりしつつ学習した。

 今では以前よりもネット上ではマシに振る舞えるようになったと思う。それはわりと最近の進歩である。
 進歩と呼ぶには初期レベルと到達点が低すぎるけれど。多分、私みたいな人間の出来損ないが多いから、ネット上にはマナーの悪い人がたくさんいるのだろう。


 私は恋愛もしたことがない。したくない。
 しかしテレビやネットは恋愛、結婚、子育ての話で溢れている。

 歌やアニメ、映画などの自由に作ることが可能な創作物でさえ、主流は恋愛の話であり、それがメインでなくても大抵恋愛や結婚、子育ての話が出てくる。壮大な映画を見ていても、「女が子どもを生むのは素晴らしいことだ」といったニュアンスの描写が出てきたりする。何か面白そうなものを見つけて覗いてみても、チクチクと心を刺す言葉が目に入ったりする。
 それを見る度に、「やっぱり人として向かうべき目的地はそこなんだな」「私はダメ人間だな。出来損ないだ」と苦しくなる。


 子どもの頃は理由もなく大事にされ、「自分は存在しても良いんだ」と心から信じられていた。というか存在して良いとかどうとか疑問にも思わなかった。自分が中心だった。

 今は、子どもの頃は理由もなく大事にされたんじゃなく、将来の可能性があるから大事にされたんだなと思う。年齢だけ上がって何者にもなれない人間には価値がないと言われているような気がしてくる。誰かにとって大切な存在とならなければ居場所は得られない。いつまでも自分だけが大事なんて言って、自分以上に我が子のことを考えたり子どもを大事にしたりといった学びを放棄していると思う。


 もちろん、素敵な家庭を築こうとしたもののパートナーと上手くいかず離婚したとか、不妊治療を続けたものの子どもが生まれなかったとか、結婚相手を探したけれど見つからなかったとか、お子さんが幼くして亡くなったとか、そういう方のことはダメだなんて思わない。

 その人達は努力しているのだ。社会貢献に向けて動いたのだ。結果は重要じゃない。テストで100点をとろうと勉強する意気込みが素晴らしいという話と一緒だ。

 別に100点じゃなくて80点でも60点でもいい。自分にできることをしようという気持ちが大事なのだ。私なんか「0点でも良いでしょ」と言い訳だらけで、手が届く10点にすら手を伸ばそうとしない。

 でも「どんな生命でも存在して良いじゃんか。子どもだけが大事ってこともなく、大人もお年寄りも動物も植物も虫も火や水も星もみんな大事じゃんか。どんな考えだってこの世に存在するということは必要だから出てきたってことで、地球を共に作る上で尊重し合うべきでしょ。あれがどうのこれがどうのと理屈を付けずに、みんなで童心に返って遊ぼうぜ」と強気に出たい思いもある。
 段々自信がなくなるから強気には出づらい……いや、平和的に主張するだけの余裕と信念が足りないけど。


 世の中嫌なことだらけだが、昔の私は嫌なことを見聞きしてももっと漠然と捉えていて、「急に嫌な目に遭ったな」とか「なんか分からないけどさっきの空気苦手だったな」とか「この人怖い」などと認識していた。いつも藪から棒に何事かが降りかかってくる感じだった。
「人には色んな考え方があるから予測がつかない。なんだか分からないけれど優しくしてくれる人も優しくない人もいる」という思いだった。

 でも人間観察のおかげで、予測がつかないとか、相手の主張の意味や理由がまったく分からないということはだいぶ減った。

 世界はカオスではない。色んな考え方の人がいるけれど、大抵はAかBかCといったように大まかなパターンがあり、すべての意見には発想の基となる土台があるのだ。


 人の思考パターンについては知った方が良かったのか知らない方が良かったのか。

 人の気持ちが全然読めなかった頃は常にビクビクオドオドしていたが、その割に暇さえあればボケーッと空想したり、不器用で鈍臭くまわりの足を引っ張っていることに気づかなかったりして、ある面お気楽でもあった。

 そのままもっと自分の感覚基準で生きる、浮いた人になれたら良かったのに。そしたらそれはそれで、受け入れてくれる友達と出会えたかもしれないのに。
 そうなれば、自由な感性で創作もはかどったりしたんだろうか。今みたいに愚痴ばかり言うんじゃなく、揺らぐことのない自分の世界観と居場所があって、「みんな違ってみんな良い」なんて余裕の表情で言えたかもしれない。

 ……そう上手くはいかないか。

「あの時ああすればこうなっただろうに」なんていう後悔も勝手なものだ。「ああすればこうなった」なんて保証はないのに、絶対そうだったかのように決めつける。変わることのない過去に慰めと安心感を求めてしまう。


 ああ、勉強が好きで好きでたまらない人は良いよなぁ。早く結婚して子どもを生みたいってみんなの前で言っていたクラスメイトは良いよなぁ。世界に求められることと、自分のやりたいことが一致しているんだから。それって一番幸せなんじゃないか?

 創作者や表現者の中には結婚も子育てもしなかった人もいるだろうけれど、素晴らしい作品を生み出した人はまわりの人間から「あなたの子どもは作品だね」って言ってもらえたりするんだろう。いいなぁ。

 他にも、結婚や子育ての代わりに素晴らしい行いをした人はまわりから「存在意義」を認められるんだろうな。中には素晴らしい行いをした上にお子さんがいる人もいて、すごいけれど。


 私は今日も言い訳をする。現実逃避をする。

 生き物も人も同じ命なのに、害虫や害獣は駆除して人間の子は増やせなんておかしいよなぁとか。一方で相手を食べ、一方で命を懸けて子を守り、大事にする命と犠牲にする命がそれぞれにあるんだよなぁとか。人工知能がどんどん進化して人間よりも優秀になったら、日本の社会問題の論点は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」とは別のところに逸れていくかなぁとか。昔から人は戦とかで人間の命をぞんざいに扱ってきて、今も使い捨てみたいな空気を感じるのに、子どもだけ増やせってのもおかしな主張だよなぁとか。


 ……分かっている。
 個人的な意見として「私は子ども生みたくないんです」だけで留めておけばいいのに。

 これから出会う人のうちの何人かは、酔っ払った勢いとかで「いやぁ恋愛はしないと人としてダメよ。結婚こそが女の幸せよ。それに結婚しないと人として成長できないんだから。子育ては社会貢献であって日本人としての義務でしょ」と持論をかましてくる可能性が無くはないが、昨今は人権とか個人の自由も認められているのだから、そこまで言われる可能性は低い。言われたとしてもヘラヘラ笑ってかわせばいい。

「いやぁ、君も素敵な人に巡り会えるって」「そのうち考え方変わるかもよ or 変えたら?」みたいな哀れみを含んだ励ましをいただいた場合も「ありがとぉ~♪」の一言で解決だ。


 必死になって過剰反応しているのは私の方。こんなんじゃいつかきっと誰かを敵に回すだろう。喧嘩になるかもしれない。ネットで優しくしてくださった方は大抵、お子さんのいる人だったのに、なんて恩知らずな無礼者だろう。

 無神経な私のせいで誰か傷つけてしまったかもしれない。でも自分がダメ人間かもしれないと思うと不安で、次から次へと攻撃的な意見ばかり沸き上がってくる。

 攻撃は過剰防衛。防御の裏返しなのだろう。自分の気持ちに自信が持てなくて、自分と想像上の敵を納得させるだけの尤もらしい理屈が欲しくなる。……そんな机上の空論、何の役にも立たないのに。


 大体初めからこちらの主義など振りかざしたりせず黙って曖昧にしておけば良いのだ。傷つくのは大抵「この人になら打ち明けてもいいかも」とか「この人は平気で人を傷つけるような性格だから」とかいう見極めが足りていないときだ。
 いつもニコニコ笑って自分の世界観さえ大事にしていれば……そして自ら相手の世界観に土足で踏み込むようなことをしなければ……出会った人の何人かは受け入れてくれるかもしれない。


 庭に卵を生んだカメムシのことを思い出しながら考える。
 カメムシは、自分たちが草木に悪影響を及ぼし、臭いで人を困らせる害虫だなんて思っていないのだろう。

 生き物は産みたいから卵を産む。きっとそれだけだ。
 そして、色んな物事にもっともらしい理由をつけている人間だって、きっとそれだけなのだ。

 世界には人間や犬や猫がどんどん増えている。もしかしたらもう、人間は増やすべきじゃないと地球が言っているのかもしれない。けど人間は社会のためにもっと人間を増やせという。
 きっと野良犬も野良猫もカメムシもカミキリムシも同じなのだ。自分たちの数を減らすべきだなんて思っちゃいない。人間は自分たちを増やそうとするのに外来種は駆除し、野良猫は避妊去勢したりするけれど。みんな同じなのだ。


「消えてほしい」と言われたって消えなくていい。
「増やしなさい」と言われたって従わなくていい。

 今は自由の時代だ。……それを信じなきゃいけない。
 人になんと言われようが自分を責める声が頭の中に響こうが、もう一人の自分の声だけ聞いていればいい。

 どうせすべての人から好かれることなんてないのだし、現代の「当たり前」も未来じゃ全部古くなっているのだろうから。……何も気にしなくていい。


 昔、学校の同学年の人と並んで窓の外を見たとき、たしか「自殺したいとか考えたことある? 私はある」と言われた。

 みんなもっと発言の本気レベルが高いのだろう。「悩んでいる」と人が言うときは本当に悩んでいるのだ。

 私はこうやって生きる意味がどうだの世間からの無言の圧力がしんどいだのとゴチャゴチャ言うけれど、結局言葉だけだ。何に対してもそう。
「こうしたい」と言っても一向に行動する素振りを見せない。言うだけ星人。私はダメだとかみんなの方が立派だとか言いつつ、いざ身に迫る危機を感じればきっと我先にと逃げ出すことだろう。誰が地球にとって必要な人間かとか、生き残るべき人間が誰かなんて気にも留めない。救命ボートにだって乗るし核シェルターにだって入るし救済措置だって求める。

「私なんてダメ人間だ。私に生きる意味はあるんだろうか」なんて迷いの言葉は大嘘だ。自己犠牲や譲り合いの精神はないし、自分より他の誰かを優先するということができない。だから恋も子育てもしたくないなと自覚しているのだけど。


 ならば自分にとって居心地のいい既成事実を作り上げるよう、わずかな望みをかけて動くのみだ。
 ……書こう。作ろう。作品を。

 そうすれば私は「自分の存在意義を作るために努力した人」になる。100点は目指していなくても、10点くらいは目指した人間になれる。それで良いじゃないか。


 いつかは誰も傷つけない人になりたい。けれど今は、何を感じているのかを下手なりに書きたいときもある。何に対してかはよく分からないけれど、漠然と泣きたくもなるし怒りたくもなる。こっちにだって正当かどうかはともかく言い分がある。

 人に言えない思いを吐き出せるのは文章だけだ。いつか、私と似たような思いを抱いているどこかの誰かに伝わり、共感できれば嬉しい。

 それにしては、同じ意見の人に対しても違う意見の人に対してもグサッとくる書き方しかしていないかもしれないけれど……。純粋な文章への追求や興味が足りていなくて、執筆の動機としても間違っている気もする。でも今はこのようにしか書けないので、行きつ戻りつ練習したい。

 言い訳とか逃避じゃなく自分の意見を自信を持って貫き通せるようになった頃には、誰をも批判しない表現方法も身に付いていることだろう。

 シンプルに「自分の意見」だけを表現するとき、そこに他者や世界の在り方への批判なんて必要ないはずだ。












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